とても大変なテストをする君へ
中村です。
システム開発で、もっともしんどくて、
もっとも人気がないのが・・・テスト!
中規模以上の案件だと、「テストチーム」という
名の専門部隊も作られるが、、、
・「要件通りに動いて当たり前」と思ってて、
動かないとキレる顧客
と
・「多分要件とはずれてるし、不具合もあるやろ」
とバグ仕込んだ気満々の開発部隊
との間にはさまれ、日々淡々とテストケース
(テストする内容、計画)を実行し、
○×をつける作業は、さながら修行僧のよう・・・
そんなテストチームに、ささやかなプレゼントを・・・
・Selenium:http://www.atmarkit.co.jp
Webアプリケーションのテスト自動化ツールです。
無料です。
結構よいらしい。。。使ったことないけど(笑い)
・Net renderer:http://ipinfo.info/netrenderer/index.php
Webアプリケーションで最もめんどくさいことの一つが、
「ブラウザ依存」の解消!
ブラウザ依存とは、ブラウザの種類やバージョンによって
その仕組みが違うために、表示してるのが同じページだったと
しても表示のされ方が異なる場合がある。
特に、レイアウトが崩れたり、表示されるべきものが
されなかったり、といった不具合として発生する場合も
あるため、作り手は「どのブラウザの、どのバージョンまで
対応するのか」を決めた上で作らないといけない。
で、もちろんテストも必要になるわけだが、
1台のPCに同じ種類のブラウザで、異なる2つのバージョンが
存在することは(原則)出来ない。(Internet Exploer7と8とか。)
なので、テストする際は、複数台のPCを用意し、
それぞれに異なるバージョンを準備する必要がある。
※また、ブラウザは原則最新版しかネット上では公開されないため、
旧バージョンのものは、更新せずに置いておく必要があったり・・・
もちろん、自動更新なんか絶対されちゃNGだし。。。
とまぁ、テストするにしても、非常にめんどくさいわけです。
で、登場するのがこのNet renderer!!
こいつは、選択したバージョンのブラウザの仕様通りに
画面表示してくれるため、こいつ一つだけでテストが
済んでしまったりするわけだ。。。
今のところ、Internet Explorerしか対応してないのが難点なのだが・・・
しかし、最後に困ったら・・・・
ずばり、
「テスト専門業者!!!!!」
お金があったらね。
例えば、こんなとこ とか
お盆休みに働きます。
お盆休みが始まる気配ですが、休みなしのWeb担当岩本です。
「お盆明けにできてると嬉しいな!」というお客様の声にこたえて、働きます!!
あったりまえです!!
(涼しくなった9月後半に休みたいという本音と、需要がマッチした幸せな展開なのは内緒です。)
ひとつ、お知らせがありまして、
鉄道写真を素晴らしいクオリティでエントリーしていた、
弊社コンサルタント若林が、監査法人の仕事に専念する事となりました。
以後は、コンサルタントという立場から離れて、弊社の応援をして頂く形です。
当ブログにて、貴重な若林ライブラリーが見られなくなるのは、非常に惜しいのですが、
彼は、鉄道が走っている限り、そこに現れます!
鉄道の規則正しいダイヤのごとく、会計士として厳密な仕事に邁進しております。
ティーコネクションコンサルト陣も、現在11名となり、
このブログに登場していない方もおります。
女性コンサルタントや、新規事業専門、資金調達のプロ、など
いい意味で濃いメンバーが加わっております。
今後とも、濃いコンサルタント陣のブログにご期待ください!!
「書く」こと、真剣に考えたことありますか?-前編
しばらくブログを休んでしまった・・・
あれほど、筆まめを誓ったのに(涙)
しかし、それほど、忙しかった・・・精神的に色々と。。
ただ、その経験から色々と学べたことも事実なので、
一つ一つ丁寧に整理していきたいと思う。
最近、改めてすごく意識したことが、
表題にもした、「書く」ということ。
あるWebシステムの開発プロジェクトが炎上し、
火消しに入った時のこと。
要件や各種仕様を知らない新メンバーが情報を共有
したいにも関わらず、主要な文書が残されておらず、
ほぼ全て、担当者同士の口頭ベースで行われていた。
なので、火消しに回ったとしても、そもそも「何が正しいのか」さえ
全く分からず、全てその担当者に質問が集中・・・
結果、火消しさえも行えず、小康状態になったと思っても、
修正したプログラムが別の不具合を引き起こす、といった
連鎖型地雷のようになってしまった・・・
また、別のプロジェクトでは、スタッフに全てを任せていたのだが、
開発の成否に大きく影響を与える、「予算」「開発スケジュール」に
ついて、顧客側都合で決定が遅れていることを、一切文章にしていない、
ということが発覚。
すぐにメールや議事録などを作成し、顧客と共有することを指示し、
事なきを得たが、僕にとって最低限のこと、と思っていたことさえ
指示が必要になったことを非常に憂えた。
「書く」ということの重要性・・・・
コミュニケーションの方法としての視点から、
「話す」という、同じ「アウトプット」機能(※)と比較してみると、
最大の違いはは、「形に残る」ことである。
※ちなみに、「インプット」機能は、「聞く」「見る」である。
話すことは、音を発するであり、音は一瞬で届く代わりに、
一瞬で消えてしまう。
正確に言えば、「本当に言ったかどうか」については、
その瞬間にしか分からず、次の瞬間にはもう『根拠がない。』
なので、「何を言ったか」、さらには「何を言わなかったか」の
記録を残すためには、紙に書く必要がある。
特に、ビジネスというのはキリスト教の影響を色濃く受けた
「契約」が、根本の原理にある。
町の人情味あふれる個人商店ならともかく、
一般的な企業間取引には、様々な約束事、つまり「契約」が
必要となるのだが、それは全て書面で行う。
何故なら、約束事である以上、「約束したかどうか」に関する
認識は、契約する当事者同士が共有するためには、
形に残らない音声ではなく、形に残る書面でないといけない。
「契約」とかの話になると非常に大仰な話に聞こえるが、
なんて事はない。日常の業務の指示から、週末の家族との
旅行先まで、時として書面である方が役に立った、と
感じることは多いだろう。それが「書く」事の力であり、意味だ。
また、形に残ることで生まれる効果として、
「振り返り」が可能である、ということがある。
音声の場合、一度言われたことは、もう一度言ってもらわない
限り、記憶の中でしか振り返ることは出来ない。
人間、そんなに情報を記憶し続けておけないから、
忘れた瞬間に振り返りが出来なくなる。
しかし、形に残っていれば、いつでもどこでもそれを読むことで、
いつでも同じ情報を参照することが出来る。
なので、大量の情報を伝える場合、音声に加え、しっかりと
書いて渡すことは、情報伝達の基本となる。
そして、「書く」ことのもう一つの違いは、
「情報が整理できること」である。
人は話すとき、準備していなければ、どうしても
「考え付いたことから」しか話せない。
なので、会議などでよくあるのが、Aという課題について
話していたのに、Aに関係しているものの、直接的
ではないA'の話に広がり、そこから、A'とは関係あるけど、
A自体には何の関係性もないBという課題の話をする、
といったことが間々ある。
これは、「連想する」という人間の思考特性上、仕方ないことであり、
訓練をつまなければ、Aについてのみはなすこと、もっと言えば、
A以外のことを話さない、つまり、何がAについてのことであって、
何がAについてのことでないか、ということを認識できること、
さらにはそれを会議の参加者全員でずれなく共有することは出来ない。
そして、それは途方もなく難しいことであり、全ての人間に
求めることは出来ない。
加えて、形の残らない「話す」には、やり直しが出来ない。
一旦話してしまえば、もう「話したこと」を消すことは出来ない。
(TVなんかでも、言い過ぎちゃった場合に「編集さん、カットで!」と
お願いする光景があるが、それはこういう理由だからだ。)
しかし、書面であれば、消すことが出来る。もっと言えば、
「編集」、つまりアウトプットした情報を加工し、分かりやすく整理
することが出来る。
そうすることで、ある情報に対し、より認識を統一することが出来る。
コミュニケーションの最大の目的は、「共通の認識を伝達」すること
である。噛み砕いて言えば、「言い手が、『聞き手に知ってほしいこと』を
知らせる」事である。
単純に言い放つだけでは、コミュニケーションではない。
なので、即応性、リアルタイム性では「話す」事に軍配が上がるが、
フィードバックや振り帰り、後日参照、など、時系と感情の要素を
除けば、「書く」ということは、「知ってほしいこと」を伝え「切る」ためには、
非常に有用な方法なのである。
但し、ここで落とし穴がある。
「相手に伝えるんだ」という意識がないことは論外だが、
「相手に伝える」ために必要なテクニックがないばかりに、
言い手、伝え手としては、「十分に伝えた」と思っていても、
聞き手、伝えられ手からすれば、「よく分からない」という
事も少なくない。
さらにひどい場合、言い手、聞き手とも「伝えた」「伝わった」と
思っていても、その認識がずれてた、ということもある。
他人と、認識をなるべく統一するためには、少なくとも
2つの要素が必要である。
・・・続きは中編で(笑)
あれほど、筆まめを誓ったのに(涙)
しかし、それほど、忙しかった・・・精神的に色々と。。
ただ、その経験から色々と学べたことも事実なので、
一つ一つ丁寧に整理していきたいと思う。
最近、改めてすごく意識したことが、
表題にもした、「書く」ということ。
あるWebシステムの開発プロジェクトが炎上し、
火消しに入った時のこと。
要件や各種仕様を知らない新メンバーが情報を共有
したいにも関わらず、主要な文書が残されておらず、
ほぼ全て、担当者同士の口頭ベースで行われていた。
なので、火消しに回ったとしても、そもそも「何が正しいのか」さえ
全く分からず、全てその担当者に質問が集中・・・
結果、火消しさえも行えず、小康状態になったと思っても、
修正したプログラムが別の不具合を引き起こす、といった
連鎖型地雷のようになってしまった・・・
また、別のプロジェクトでは、スタッフに全てを任せていたのだが、
開発の成否に大きく影響を与える、「予算」「開発スケジュール」に
ついて、顧客側都合で決定が遅れていることを、一切文章にしていない、
ということが発覚。
すぐにメールや議事録などを作成し、顧客と共有することを指示し、
事なきを得たが、僕にとって最低限のこと、と思っていたことさえ
指示が必要になったことを非常に憂えた。
「書く」ということの重要性・・・・
コミュニケーションの方法としての視点から、
「話す」という、同じ「アウトプット」機能(※)と比較してみると、
最大の違いはは、「形に残る」ことである。
※ちなみに、「インプット」機能は、「聞く」「見る」である。
話すことは、音を発するであり、音は一瞬で届く代わりに、
一瞬で消えてしまう。
正確に言えば、「本当に言ったかどうか」については、
その瞬間にしか分からず、次の瞬間にはもう『根拠がない。』
なので、「何を言ったか」、さらには「何を言わなかったか」の
記録を残すためには、紙に書く必要がある。
特に、ビジネスというのはキリスト教の影響を色濃く受けた
「契約」が、根本の原理にある。
町の人情味あふれる個人商店ならともかく、
一般的な企業間取引には、様々な約束事、つまり「契約」が
必要となるのだが、それは全て書面で行う。
何故なら、約束事である以上、「約束したかどうか」に関する
認識は、契約する当事者同士が共有するためには、
形に残らない音声ではなく、形に残る書面でないといけない。
「契約」とかの話になると非常に大仰な話に聞こえるが、
なんて事はない。日常の業務の指示から、週末の家族との
旅行先まで、時として書面である方が役に立った、と
感じることは多いだろう。それが「書く」事の力であり、意味だ。
また、形に残ることで生まれる効果として、
「振り返り」が可能である、ということがある。
音声の場合、一度言われたことは、もう一度言ってもらわない
限り、記憶の中でしか振り返ることは出来ない。
人間、そんなに情報を記憶し続けておけないから、
忘れた瞬間に振り返りが出来なくなる。
しかし、形に残っていれば、いつでもどこでもそれを読むことで、
いつでも同じ情報を参照することが出来る。
なので、大量の情報を伝える場合、音声に加え、しっかりと
書いて渡すことは、情報伝達の基本となる。
そして、「書く」ことのもう一つの違いは、
「情報が整理できること」である。
人は話すとき、準備していなければ、どうしても
「考え付いたことから」しか話せない。
なので、会議などでよくあるのが、Aという課題について
話していたのに、Aに関係しているものの、直接的
ではないA'の話に広がり、そこから、A'とは関係あるけど、
A自体には何の関係性もないBという課題の話をする、
といったことが間々ある。
これは、「連想する」という人間の思考特性上、仕方ないことであり、
訓練をつまなければ、Aについてのみはなすこと、もっと言えば、
A以外のことを話さない、つまり、何がAについてのことであって、
何がAについてのことでないか、ということを認識できること、
さらにはそれを会議の参加者全員でずれなく共有することは出来ない。
そして、それは途方もなく難しいことであり、全ての人間に
求めることは出来ない。
加えて、形の残らない「話す」には、やり直しが出来ない。
一旦話してしまえば、もう「話したこと」を消すことは出来ない。
(TVなんかでも、言い過ぎちゃった場合に「編集さん、カットで!」と
お願いする光景があるが、それはこういう理由だからだ。)
しかし、書面であれば、消すことが出来る。もっと言えば、
「編集」、つまりアウトプットした情報を加工し、分かりやすく整理
することが出来る。
そうすることで、ある情報に対し、より認識を統一することが出来る。
コミュニケーションの最大の目的は、「共通の認識を伝達」すること
である。噛み砕いて言えば、「言い手が、『聞き手に知ってほしいこと』を
知らせる」事である。
単純に言い放つだけでは、コミュニケーションではない。
なので、即応性、リアルタイム性では「話す」事に軍配が上がるが、
フィードバックや振り帰り、後日参照、など、時系と感情の要素を
除けば、「書く」ということは、「知ってほしいこと」を伝え「切る」ためには、
非常に有用な方法なのである。
但し、ここで落とし穴がある。
「相手に伝えるんだ」という意識がないことは論外だが、
「相手に伝える」ために必要なテクニックがないばかりに、
言い手、伝え手としては、「十分に伝えた」と思っていても、
聞き手、伝えられ手からすれば、「よく分からない」という
事も少なくない。
さらにひどい場合、言い手、聞き手とも「伝えた」「伝わった」と
思っていても、その認識がずれてた、ということもある。
他人と、認識をなるべく統一するためには、少なくとも
2つの要素が必要である。
・・・続きは中編で(笑)
