パルコニーに姿を現したときに起こった長い長い歓迎の
拍手がやむと、会場はじ―んと静まりかえった。ある時は
静かに、ある時は力強く、次第に激しくなるヒトラーの演
説は、何度も大拍手で中断せぎるをえなくなったが、最後
は、
「アイン・フォルク、アイン・シュタート、アイン・フェ
ーラー」(一民族、 一国家、 一指導者)
のシュプレヒコールが、いつまでも英雄広場にこだまし
ていた。
ヒトラーはこの英雄広場での演説のあと、マリア・テレ
ジアの銅像の前に立って、オーストリアに進駐してきた十
万人のドイツ軍と機械化部隊、それに新たにドイツ軍に編
入されたオーストリア軍五万の兵士たちの大行進を数時間
にわたって閲兵した。
三百五十機のドイツ空軍機が切れ目なく空を圧し、華麗
なオーストリアの竜騎兵やヒトラー親衛隊のパレードが花
を添えた。二万人のヒムラーのグシュタポ部隊まで行進に
加わった。三万六千人の少年少女の行進の合言葉は、ヨ
民族、 一国家、 一指導者」で、無邪気にヒトラーに花を捧
げ、歓声を誘った。
ヒトラーがパレードを終え、ミュンヘン経由ベルリンに
帰ったのはその日の夕方で、ウィーンに滞在したのは、ま
る一日足らずであった。ヒトラーは青年時代に貧乏ぐらし
をしたウィーンを憎んでおり、歓迎の嵐に喜びはしたが、
内心は複雑で、それが早々とウィーンを切り上げる理由だ
った。
