[NEWS]【九州の礎を築いた群像 TOTO編】(10)公共トイレ
2014/10/01 産経新聞デジタル
■「他社は手掛けていない宝の山だぞ」営業のエース、新市場切り拓く
視界が曇るゴーグル、周囲の音を遮るヘッドホン、腕や足を締め付けるバンド-。こうした器具を取り付けた研究員が、湯船をまたぎ、便座に腰掛ける。TOTOが平成18年、茅ヶ崎工場(神奈川県)に20億円をかけたUD(ユニバーサルデザイン)研究所だ。テレビ局のスタジオのような「生活シーン検証スタジオ」もある。調理や洗顔の様子を、さまざまな角度で撮影し、動きを把握する。ユニバーサルデザインとは、老若男女、障害の有無を問わず、誰もが使いやすい製品デザインを指す。研究員は、「疑似高齢者」となって入浴や排泄(はいせつ)を体験し、不自由な身体の動きや姿勢から商品開発や改良に生かす。使い勝手を確認するのは研究員だけではない。お年寄りや車いす利用者、小さな子供をもつ母親、視覚障害者らが、TOTOの製品を試す。「手すりなんて使いませんよ」と豪語するお年寄りも、実は浴室内で無意識のうちに手すりを使っていたことが分かった。TOTOは、商品開発にあたっては、このUD研究所での検証を義務づける。UD研究所は、14代社長に就任した木瀬照雄(67)=現相談役=が肝いりで作った。そこには、遡ること6年前、木瀬が目を付けた事業の種があった。
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「わが社が先駆けておこなう必要がある。いまはまだどこも手掛けていない。パブリック(公共)は『宝の山』なんだ!」12年、マーケティング本部長の木瀬は、駅やデパートなど多数の人が利用する公共トイレ事業の可能性をいち早く見出した。当時、会社の経営は下降線をたどっていた。バブル崩壊後、住宅着工件数は落ち込み、収益の柱だった新規住宅向けトイレなどの注文は減り続けていた。再建を託された13代社長、重渕雅敏(79)は、リフォーム事業を強化するとともに、効率化を目指して、全商品の見直しを木瀬に指示した。当時、公共トイレはライバル企業との安売り合戦を強いられ、赤字だった。商品見直しの中で、「廃止」を選択してもおかしくなかった。だが、木瀬には公共トイレが「成長分野」にしか見えなかった。木瀬は入社以来、営業畑を歩んできた。どんな商品が売れるか、今は不振でもどうやれば売れるか-。嗅覚は身についていた。昭和55年の温水洗浄便座ウォシュレットの発売直後、木瀬は各地の工務店の社長夫人をターゲットに営業を仕掛けた。「8~10台ご友人に売って頂いたら、雲仙の温泉旅行へ招待しますよ」従来の営業手法では、ウォシュレットの新たな価値観は伝えられない。口コミでこそ、このウォシュレットの心地よさが伝わると考えたからだ。木瀬のウォシュレットの販売成績は、瞬く間に社内トップクラスとなった。営業マンとしての嗅覚が、公共トイレの可能性を木瀬に告げていた。「公共トイレに使われている洗面台や便器は、各事業部がバラバラに作ったものを、まとめて売っているだけじゃないか。中には30年前の商品まであるぞ。デザインを含めて統一感を出せば、必ず大きな市場となる。ライバルが気付いていない今こそが、好機なんだ」だが、社員のリストラを余儀なくされるほどに悪化した経営環境は、公共トイレへの注力を許さない。歯がみする思いの木瀬だったが、望みがあった。実は、重渕から早い段階で「次期社長」の指名を受けていたのだ。「トップになれば、公共トイレを推進するぞ…」木瀬は、ライバル企業が公共トイレに手を出さないことを願いつつ、しばらく宝の山を眺めていた。
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その時は来た。15年6月、木瀬は社長に就任した。同年11月、木瀬は大手設計事務所の専門家ら16人を巻き込んで、公共トイレのデザインを考える合同研修会の場を設けた。木瀬は公共トイレには、空間としての統一感が不可欠だと考えたからだ。「個々の器具のデザインが強く、建築空間の中で主張しすぎる」研修会を通じて、木瀬が想像していた通りの報告が上がってきた。研修会で出た意見を基に、木瀬は女性や若手社員を登用した全社横断プロジェクトを組織し、誰も想像していなかったような「公共トイレ」作りを指示した。デザインやUD性を新たな付加価値にしようという意識は、木瀬1人ではなかった。「米国では1970年代から公共トイレに障害者用の手すりを付けていますが、それだけです。我が社のように、手すりの太さや高さまで研究しようという企業は多くありません。この分野は可能性を秘めています」17年春、1年半の社費留学を終えた坂田明子(45)が社長室で木瀬に伝えた。坂田は、高齢化社会における社会や企業サービスのあり方を考える「老年学」を、先進地の米国で学んだ。「休職してもバリアフリーについて勉強したい」という坂田の話を聞き、木瀬は女性初となる社費留学制を利用させた。「ああ、それはいいね。経営幹部を相手に、あなたの体験を伝えなさい」平社員の自分に対し、経営幹部に意見を具申しろという。坂田は、その発言に驚きながら「社長も自分と同じ可能性を感じている」と実感した。実際、木瀬が翌年に設立したUD研究所にも、テストの手法などさまざまな形で坂田の米国経験が生かされた。UD研究所も、公共トイレ開発を視野に入れたものだった。統一デザインの公共トイレは、TOTOにとっても初の試みであり、開発陣は慎重を期した。木瀬の発案から5年後の20年4月、公共トイレ「レストルームアイテム01」発売にこぎ着けた。便器の横に並ぶトイレットペーパーホルダーやウォシュレットのボタン、ゴミ箱に至るまで寸法や質感を統一した。配水管は薄黒く輝くクロムメッキで表面の汚れを目立たなくした。見た目だけではない。UD研究所で繰り返した無数の検証を基に、身体の不自由な人への配慮も施されている。便座横のカウンターは75センチの高さにした。これは車椅子利用者が、荷物や手をつくのに最適の高さだ。洗面器も縁を平らにした。高齢者や身体障害者が腕をおいても痛くないように、との配慮からだった。木瀬の狙い通り、レストルームはヒット商品となった。多目的トイレ、壁掛け洗面器などの販売台数は、平成22年度に目標としていた年3万6千台を上回った。レストルームの大ヒットは、社内でも久しぶりの明るい話題だった。発売翌年の21年には公益財団法人「日本デザイン振興会」の「グッドデザイン賞」も受けた。
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レストルームは、TOTOの商品に、デザインやバリアフリーといった新たな付加価値をもたらした。だが、底流にある理念は目新しいものではない。初代社長、大倉和親(1875~1955)は下水道も整備されていない中、洋式トイレや水洗トイレの生産を通じて、日本国民の生活環境と文化度の向上を目指した。大倉は後継者にこんな書簡を残した。「良品の供給、需要家の満足がつかむべき実体です」木瀬にとっては、公共トイレやUD商品こそが、大倉がいう「良品」「需要家の満足」だった。TOTOは今、「まちなかトイレ」の呼び名で、駅や空港、商業ビルへの商品普及に力を入れる。「子供からお年寄り、障害のある方ら、すべての人に使いやすいデザインを追求しなければならない。公共トイレによって、TOTOにも新たな種をまけたよ」木瀬がまいた種は次々と芽吹こうとしている。2020年の東京五輪を控え、首都圏ではホテルの大改装が予定されている。さらに観光庁は観光立国を目指し、訪日観光者数を2500万人に引き上げる目標を打ち出した。来日した外国人が、清潔なトイレを体験することで、日本だけでなく世界中にTOTOのトイレ文化が広がり、保健衛生の向上に役立つかもしれない。TOTOが「成長のエンジン」に位置づける海外事業の成長にもつながる。16代社長、喜多村円(57)は語る。「ウォシュレットやバスルームの柔らかい床、汚れにくいトイレといった快適な商品を生み出すには苦労もコストもかかる。だが創業から清潔で快適な品質にはこだわり抜いてきた歴史がある。このTOTO商品を国外でも広めていく」(敬称略)=おわり