義父が倒れてから24時間スマホを

持っている生活。

寝るときも仕事の時も。


2日間は連絡がなく

このまま落ち着くと思い始めた頃

病院から夜遅くに連絡があり

血圧が落ちてきて酸素数値も良くないから

来てくださいと言われ駆けつけました。


うちの家族5人と 弟夫婦。

コロナ禍で大勢は無理でも通してくれました。


主人と私で先生の説明を受けました。

手術後の浮腫で肺が圧迫され

酸素が充分にとれないと言われました。

何か出来ないか考えCTを取りたいが

動かすことも厳しい状態で

でも撮らないと何も出来なくて。

動かしたとたん亡くなる可能性も大きいので

今のうちにお会いしておいて欲しいと。


そのまま案内される感じだったので

会うべき人は私じゃないと伝えて

主人と弟に面会させました。

コロナ禍で二人までだったので。。。


みんなで駆けつけた気持ちを察してくれ


「皆さんじゅんばんで会われますか?」


と私に言ってくれました。

せめて 孫たち3人は会わせていただけますか?とお願いしたら了承してくれて、子供達3人も面会させて貰えました。


先生には感謝しかありません。


そして帰宅して少し睡眠をとりました。

朝になり 先生からの定期報告電話。


「一応血圧も今は落ち着いていて頑張ってくれています。」


少し安堵しました。

しかし二時間もしないで当直の看護師さんから電話があり、血圧も落ちてきてしまったのでいらしてくださいと言われました。


コロナ禍なので院内待機出来ず

駐車場の車のなかで何があっても

駆けつけれるようにみんなで待っていました。


突然雷が鳴り出しゲリラ豪雨。

雨凄いねなんて会話をしていたら

ビックリするような青空に。


すると病院から電話があって

ICUに来てくださいと言われました。

また説明かな?と思って 「誰がいく?」と

聞いたら、私と長男で行ってきてと。


ICUにつくと先生が

「もう自発呼吸も出来ないので死亡確認を」と言われました。


慌てて主人に伝えたら 私達で看取ってと言われ長男と義父のベットへ。


モニターは動いているけれど機械で動かしていますと説明があり、停止させモニターが一本の線になりました。


瞳孔の確認をして死亡時刻を伝えられました。


7/15 14:19


「力及ばずすみませんでした」


先生と看護師さん達が頭を下げてくれました。


「本当にありがとうございました。」


私達も頭を下げました。

ほぼ寝ないで父をみてくれていたのを

知っているので。


義父と時間を作ってくれました。

まだ 温かな温もりがありました。

救急車の付き添いも私だったので

中で会話したのが最後になるなんて

色んな想いがあふれて

泣き崩れてしまいました。


長男も いつも義父の夕食をお店から

3階の居間へ運び食事の用意をしていて

倒れた日もいつもと同じ日常で


「じゃあ、じいじ仕事戻るね❗」

「そうか、頑張れよ。頼むね」


その会話が 最後になるとは。


悲しむ間もなく 葬儀社の手配をして

先生達に見送られ 安置場所への移動。



(安置所前の青空)


さっきまで 確かに息をしていたのに

蝋燭の火をフッと消すように命って

消えてしまうんだなと。


会社と飲食店をしているので

仕事一筋の父の意思を尊重して

従業員を動揺させないため伝えず

家族のみで父を見送りました。


いつもと変わらず仕事をして

合間で抜けて 通夜と告別式。

本当に きつかった。。。。


全てが終わり、数日後に従業員へ報告。


仕事一筋の父の意思なのでと

理解して貰いました。


従業員報告がすんだので

今度は お世話になった人への挨拶だの

挨拶状だの、父の手続きだの

会社の引き継ぎだの、相続だの。。。

まだまだ 山積みで休む暇もないです。


そして昨日 四十九日を終えて

納骨をすませました。


義父へしてあげれることが

毎日1つずつ減っていくことが

本当に寂しかったです。


仕事終わりや途中に 3階の居間へ行き

長男と父の遺骨へ口を話したり

父が生きている時以上に話していたので

正直納骨しないでいいのにって思うくらい

寂しかったです。。。


四十九日の前夜、いつものように

長男と父の遺骨へ 仕事終了の報告へ。

その時に 長男が


「じいじ、本当に今まででありがとう」


って言ったのが 心にささりました。

納骨の時も 触れられる最後だったので

骨壺に触って大泣きをしていました。


無口で 男気があって

厳しくて 優しくて

本当に偉大な義父でした。


お父さん 本当にありがとう。

見守っていてね。






久々に日記を書きます。


7/11に 自分の病院へ行き

あともう一度診察したら終了と言われました。

これについては又 後日書きます。


実は病院の次の日(7/12)

いつも通り仕事をしてたら 3階から内線が。

3階は義父母の住まいです。

いつもと違う時間の内線で変だな?って感じ

受話器を取ると、義父の苦しそうな声。


慌てて長男と向かうと義父が倒れていました。

汗だくでお腹が痛いと。

トイレに行きたいけど出ないと。

様子がおかしいので、すぐに主人と弟に来てもらい救急車を呼びました。


トイレに行きたいと言うので

救急隊員の方が連れていってくれたけれど

出ないので担架で救急車に。


意識はあり、受け答えも自分で。

ただ兎に角 お腹が痛いと。

消化器専門の先生がいるところは

受け入れが出来ず市民病院へ。


痔主で便秘気味の義父なので

便が出ていないのかな?

でも出てるって救急車で話してたな?

なんて思ってたら 腹部大動脈瘤の破裂でした。

普通なら即死するレベルでした。


近くに専門の病院があり

先生が付き添い移動。

そのまま緊急手術でした。

7~8時間はかかるので自宅待機するようにと。

コロナ禍なので病院にはいれませんでした。


寝れるわけでもなく 主人たちは寝かせて

朝8:30に連絡が来るまでずっと起きていました。


手術は無事に終わったこと。

しかし厳しい状態だということ。

感嘆な説明があり、何かあったら電話をしますと。


脳梗塞倒れた時も

半身麻痺と言語障害が残ると言われても

1年リハビリを頑張り

麻痺も残らず車の運転も出来て

会話もそんなに不自由もなく

本当に 不死身だな❗運がいいな❗


そんな義父なので きっと平気と信じました。


けれど朝に先生から電話があった数時間後

病院へ来て欲しいと連絡がありました。

現在の状態の報告でした。


大動脈瘤が破裂してても

運よく出血が抑えられて即死しなかったと

けれどお腹を開けたら大量出血して

血の海の状態での手術だったと

縫っても血管が裂けていく繰り返し

けれど 無事に手術は終えて

一命はとり止めた状態ですと

痛みがあるので麻酔はしていると

このまま出血が落ち着けば命は平気だが

それと意識が戻るのは別問題ですと

非常に厳しいと思って欲しいと。。。


ゆっくりと わかりやすく

そして動揺させないように

優しい声で先生が説明してくれました。


いつでも連絡がとれるように

なるべく待機していて下さいと言われ

帰宅しました。


この日から 長い時間の日々が続きました。


傷の痛みもなく 普段の日常が戻っています。

超便秘の私もマグネシウムのおかげで

毎日便意が来ています。


時々、さけちゃうのでは?と出した💩を

確認すると どうみても柔らかい。

あの感覚は何なんだろう?真顔


排便→お風呂のルーティンも

懐かしい思い出のように

ウォシュレットですませるようにウインク


浸出液も出なくなったし

傷もボコボコして固い感じだけど

小さくなっているのがわかります。


時折ズキッ❗って肛門様に痛みがあるけど

大きい手術だったし仕方がないかな~。


何よりも便意が少し我慢できます⬅️


これはとても重要です。

出掛けることが不安でした。

絶対に漏らす自信ありました真顔

少しずつだけど、肛門括約筋?も

感覚が戻ってきているんだろうなって

実感できる1か月目です。


何よりも手術前の痛みなどの

恐怖が解消されたことが1番嬉しい笑い泣き



今は、お腹というか 💩のためというか

意識して食物繊維や水分をとっています真顔


今までの無頓着さが大痔主の道を

作ったんだと反省...


どうしても朝など食べれないので

シェイカーで シャカシャカして飲む

スムージーとタンパクオトメとかいうものを購入。


これなら寝ぼけててもシャカシャカするだけ。


スムージー激不味かった。。。。チーン

牛乳と混ぜたが青臭い。

でもビタミンも食物繊維も酵素も

栄養価は最高なんだが。。。

身体にいいと思って飲んだけど笑い泣き


娘は平気と言うので娘に⬅️


面倒くさくても自分で作った

スムージーの方がいいなと思いながら

結局野菜ジュースで済ますダメな私。


お昼は 干し芋をかじりながら

今日を反省する毎日デレデレ