東ジャワ紀行
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知らないの

「この歌、教えて」

 

と、友人であるバリ人は片言の日本語で問いかけてきた。

彼は大学で「日本語」を専攻しており、時折私に日本語で話しかけてくる。

 

「こころの友」

 

は爆発的な人気で、知らない人がいないと彼は言う。

この歌を「日本人」である私に歌ってほしいと先の会話になった。

私は知らなかった。くやしいかなその歌手も知らなかった。

 

「どうして日本人であるあなたが知らないの?」

私は返す言葉がない。

頭の中は「歌手はだれ?どんなフレーズ?ひょっとして演歌?」などと忙しくまわる。

しかし答えは出てこない。

 

「それなら、上田正樹は?」

 

ええ?上田正樹?

上田正樹も「有名人」なんだ。

彼の歌が頭に浮かんだ。

 

「こころの友」歌手五輪真弓。

後でネットで調べて知ったが、彼女の歌「恋人よ」ぐらいしか頭に浮かばなかった。

 

私はまだ「こころの友」オリジナルを聞いていない。

ディナータイムは、、、チップの合計金額はいったいいくら?

さあ、今日は久しぶりにあのレストランへ、、、。

お気に入りのホテルへ一泊の息抜き滞在。

ここは最初に訪れたホテル。

プールに面したガーデンレストランは、照明の照度にもたすけられ、いい雰囲気を出している。

「さあ、夕食を!」

と、ドアのノブを回したとたん、外から音楽(音?)が飛び込んできた。

「んん????????」

「なにかイベントがあるのだろうか?」

「聞いてないよ」

、思いながらレストランへ足を運ぶ。

そこには5人組のバンドが待ち受けていた。

(このバンド思いっきりローカルスタイル。衣装もダサイ!)

席に着くなり突然日本の曲に、、、。

らは「すきやきソング」をはじめた。

他にも客がいるにもかかわらず、視線は私たちに注がれているようすだ。

「静かに食事をさせてほしいなあ。」

最初の曲に拍手を送ったのが最後。

彼らの笑顔、満面の笑顔にとうとう負けてしまた。

次々にリクエストを求めてくる彼らのペースに流れは向き、流れる曲は「乾杯」「昴」と続く。

みごとな?アレンジ?を加えた「乾杯」「昴」は独特の味を出し、私たちを愉快にさせた。

私たちは、彼らの熱意に、一生懸命さに拍手をくりかえす。

(とうとうワイン、ボトル1本あけてしまった。これじゃ酔いますよね。)

ますます彼らは日本の曲をつづける。(いったい何曲演奏したのだろう?)

おかげでこの日のディナータイムは、財布の紐がゆるみっぱなしだった。

「いったいチップいくら支払ったのかしら?」

「まぁ、こんな日もあってもいいか、、、」

愉快で楽しいひとときでした。

さくら

この季節になると、「お花見」の話題が多い。

日本の「桜」はここスラバヤでも「すばらしい」と評判だった。

ガイドは「もう一度日本の桜の下を歩いてみたい」と言う。

「そうね。咲いている桜もいいけど、散る花びらの下を歩くのもいいわよね。」

花びらのシャワーをあびて散歩する。

もう何年も忘れていた言葉が返ってきた。

そういえば「お花見」に最後に行ったのは何時だったかしら。

明日は「お花見」に出かけよう。

色彩にとんだ熱帯植物の「お花見」に出かけることにした。

もう一度

投稿に失敗し、これで何度目か。

もう一度チャレンジします。(テストです。)

朝食のオーダー

滞在ホテルの朝食はビュッフェスタイル。

「グッドモーニング」の挨拶をかわすと、入り口近くに陣取ったフライパン片手のコックが宿泊客の卵料理のオーダーを聞く。

私は「ダブルで目玉焼き。ミディアムレアーで」と注文することにしている。
(「オムレツ」は、焼きすぎ?のコチコチのものが主流。なぜ?)
「ここの卵は小粒のため、一度に2個食べても、過重摂取にはなりません。」と、
一人勝手に思っています。

本日は窓辺の朝日の射すテーブルで食事を始めましょう。

ふと前を見ると、フォーク・ナイフを優雅に使い、いかにも「食事の時間を楽しんでいる」と思える紳士が目に入った。
食事の動作がスマートなことこの上ない。
コーヒーのお変わりを持ってきたスタッフにも、笑顔で何か話している。
これがインターナショナルなテーブルマナーだと、ついつい見入ってしまった。
(人の食事している姿を盗み見るとは、、、はしたないと思いながら視線は釘づけ)

突然、その紳士は「半熟目玉焼き」を黄身だけ上手にパンにのせ、一口でパクリ。
(ここのパンは、日本のサンドウィッチに使うもののように薄く食感も軽いのです。
たしか、林リンボウ先生の「イギリスはおいしい」にもこのくだりはあったような気がします。)

ナプキンで軽く口元を押さえた後のなんともいえない満足そうなその顔。
紳士の所作、その一つ一つがスマートで優雅でした。
その間、私の食事は中断したまま。

あの紳士のように、何とかうまくフォーク・ナイフを使いこなして「半熟黄身のせパン」を味わいたいと、「両目(2個)半熟目玉焼き」のオーダーは続くのでした。

みずあそび

高層ビルのコンドに移り、さあ自炊生活が始まりました。
「我が家」は、見晴らしのよい11階の2LDK。

ふと眼下をのぞめば、、、4・5歳の子供が「みずあそび?」をしている。
自宅の中庭にある井戸にバケツを投げ込み、せっせと水浴びをしている。
なんとも気持ちよさそう。
(しかし、ここからはあの子の表情は確認できません。)

それにしても、井戸にはつるべがない。
「あの子が水をくみ上げるには、相当に力のいることだろうに、」
と思いながらついつい見いってしまった。

ふと、
同い年のいとこと近くの川へみずあそびに行ったときのことが思い出された。
あのころは、近くの川が子供たちの「その場所」だった。
とにかく「その場所」まで走るんです。
水着・タオルなんかは要りません。
すっぱだかでドボン!
しこたま遊んだ後は、はだかのまま川原の石の上に寝転び、自然乾燥。
まわりなんか気にしません。

きっとあの子も、同じ気持ちなのだろうなぁ。
ついつい「みずあそび」を終えるまで見ていてしまった。

実はこの「みずあそび」は毎日続いたことで、お風呂・シャワーのかわりと判明。

雨季の楽しみ方

一旦ホテルにチェックインしたものの、外は雨、雨、雨の毎日。
仕方ありません。雨季(12月)に入国したのですもの、、、。
しかし、こんなすごい雨降りとは思わなかった。

出発が決まり、渡航の準備に取り掛かっている私に言ったコーディネーターの言葉を思い出す。
「雨季にかかりますから、雨具の準備をお忘れなく。」
「カサは通用しませんよ。丈夫な雨合羽をおすすめします。」と。
どんな振り方をするのか、期待?を込めてスラバヤの地に立った。

期待?通り、バケツ?いや、これは「バスタブをひっくり返したような」と、表現したほうがピッタリだ。
これではカサは間に合わないと納得してしまった。
しかし、現地の人はこの雨の中、カサを優雅?にさして歩いている。
しかも足元はゴムぞうり。
そうです、長靴なんかも間に合いそうにありません。よーくわかりました。

でも、この雨はあっという間にやむのです。これには関心関心。
こんな雨が一日中続くと大変なことになると、空の神様もよーくわかっていらっしゃるようです。
町中が水没したらたいへんたいへん。
(後に、あきらかに床上浸水している家屋をみることになるのですが、、、。)

この雨季を楽しむ方法を見つけ出しましたよ。
雨の後の日差しを浴び、まぶしいほどの緑を発見。
さあ、その木陰で読書を始めましょう。


ようやくインフルエンザから開放され、ブログ再出発です。
(ああシンドカッタ。)
これからもよろしく!

ちょっと思うこと。時の流れは、、、、。

見知らぬ封書が届いた。差出人にはこころあたりはない。

「○○市役所住民課」

なんと長年住み慣れた郷里の町が、今ブーム?の市町村合併で新しく生まれかわってしまった。
時代の流れはあののどかな町にもおしよせていたのだ。

ところで私の生誕の地「K町」は、、、どうなっているのか?
今度の合併に吸収されてしまったのかと、急遽インタネットを開く。
なんと、変わりなく今も健在。
「しっかり存在を誇示している。よォやった」

通知には今年2月1日をもって新市制になったことが記載されていた。
おりしもこの日は、もうひとつの市町村合併もあった。
私の生まれた「K町」はちょうどこの合併によってできた両市にはさまれる形となってしまった。
「K町」は過去にも隣の市との合併話を持ち込まれたことがあるが、住民・議会はそろって拒否を示したと聞く。

農業中心のこの町は、広大な耕地を利用して新しい産業を生み出し、企業誘致に力を注ぎ、発展の道を歩いた過去がある。
また、同時に人口の増加を促進するための住宅供給政策、老人・未就学児の保護にも力を注いだ。
しかし、バブル崩壊数年後には、企業の撤退という苦い経験も味わっている。
そんな経験が今の「K町」を作ったと思える。
今後も「K町」の特色を生かした政策で生き残ってほしい。

遠く離れた土地で暮らすものは、郷里の山河同様耳慣れた町名をも懐かしむ。
その町名が消えてしまうのは、時代の流れだからと言えども寂しさはかくせない。

笑顔で送られて、、、。

最初のインドネシア・スラバヤ滞在を終え、帰国する私を見送ってくれたあの笑顔が忘れられない。
数々の楽しい出来事と失敗の思い出とともに。

1人で帰国することになった私の心配を打ち消させるように、見送りのその笑顔か「大丈夫」といっている。

団体旅行しか経験のないそのときの私の顔は、(これは大変なことになってしまったぞ。)恐怖感で引きつっていたのに違いない。
その笑顔に答えようとすればするほど、未知の経験に対しての不安が襲ってくる。

(帰るんだ。飛行機に乗ってしまえばなんてことはないんだ。落ち着け!)
(だがしかし、シンガポールで乗換えがあるだったな。どうしよう?)

時間は待ってくれず、とうとう飛行機の搭乗時間になってしまった。
見送りの笑顔に精一杯の笑顔で手を振り、機上の人となった。

予定通り飛行機はシンガポール国際空港へ到着。
乗り換え便搭乗時間は約2時間後。
まずは乗り換えゲートの位置を確認しておこうと、チケットに印字されているゲートNOを探す。
しかし、空港内は広い、広すぎる。(こんな迷子は笑うに笑えないよ)
こんなとき、あの見送りの笑顔がうかんだ。私をまた勇気づけた。
意を決してインフォメーションを探し、たずねることにした。

(お願いだから、私のサバイバルイングリッシュよ相手につうじて!)

「私はこのゲートNOにいきたい」と、握り締めていたチケットを差し出した。

案内のお姉さんはにこやかに「左の通路をまっすぐに」と返事が返ってきた。
いうまでもなく、無事帰国。

見送りのときのあの笑顔は、どんな言葉にもまさる力を私に与えてくれた。
あの「笑顔」は今でも忘れることはない。

ラウンド・2 リラックス

海外旅行といえば、ガイドのロゴ入りはたの先導に導かれる団体旅行しか経験がないにもかかわらず、この地に、、。私の背中を押してくれた力の大きさを感じる。

空港到着ロビーを出、迎えの車で一路スラバヤ市内のホテルへ向かう。
車窓から望む景色は、中央分離帯に植え込まれた熱帯植物のせいか、穏やかな雰囲気を感じさせていた。
冷房の効いている車の窓を少し開け、空気をたしかめた。だが、入ってくるものは熱気と湿気。これには耐えられない。すぐに閉めざるをえなかった。
迎えの車の運転手は「市内に入ったら窓は開けてはいけない。空気が悪いから」と。
運転手の言葉どおり、市内に近づくごとにと車量が増える。車、車、車の大洪水。乗用車とトラックとバスとタクシーとひしめき合っている。
なんとその間をバイクが潜り抜けている。バイクには2人3人乗りが当たり前。中にはなんと子供を含め4・5人乗りのものも見かけた。唖然とする。

その車のマフラーから出てくる、出てくる。出てくるものは黒い排気ガス。
この車たちはディーゼル車ばかりではないだろうに、どうしてこんなに黒いガスを吐き出しているのか、、、、?
「排ガス規定」はあるのかないのか、、、?
一度窓を開ければ、道路の粉塵と排気ガスとで顔中が真っ黒になりそう。
開けちゃいけない、いけない。
そんなことを思いながらホテルへ向かった。

しかし、ホテルにチェックインした後の最初の行動は、「洗顔」でした。