昭和63年、それはタクシー運転手になったばかりの頃
表参道近くで、80代くらいの貴婦人を乗せた
夕暮れ時で、表参道では初めてのイルミネーションが灯されていた
「綺麗ですねぇ」なんて声を掛けると、貴婦人はゆっくりと口を開いた
「ここはねぇ、昔は遺体が所々にあって、遺体の山だったのよ」
東京大空襲の被害だったようだ
綺麗ですねぇ、なんて言った自分が、恥ずかしかった
その貴婦人は、戦争を知らない私に教えてくれたのだ
私の両親は戦争のことを教えてくれずに逝ってしまった
きっと、話したくなかったのだろう
だからこそ、私はその貴婦人の言葉をきっと忘れない
表参道近くで、80代くらいの貴婦人を乗せた
夕暮れ時で、表参道では初めてのイルミネーションが灯されていた
「綺麗ですねぇ」なんて声を掛けると、貴婦人はゆっくりと口を開いた
「ここはねぇ、昔は遺体が所々にあって、遺体の山だったのよ」
東京大空襲の被害だったようだ
綺麗ですねぇ、なんて言った自分が、恥ずかしかった
その貴婦人は、戦争を知らない私に教えてくれたのだ
私の両親は戦争のことを教えてくれずに逝ってしまった
きっと、話したくなかったのだろう
だからこそ、私はその貴婦人の言葉をきっと忘れない