社長室長の憂鬱
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オワコンオジサンの自覚

自虐的なタイトルのようで、実際は前向きな話。

 

最近、各方面でアドバイザリーとか顧問とかをしていると

 

気が付くことがある。

 

我が国日本の雇用形態や働き方の変化によるものだろうが

 

活躍しているビジネスパーソンの若年化が加速している。

 

いいコトだ。

 

 

「ジブンの身に起きたあること」をきっかけに

 

ワタシは決めたことがある。

 

 

「ワタシのビジネスエネルギー」

 

こんな言葉無いかもしれないし

 

地球温暖化抑制にプラスかマイナスかもわからないし

 

ましてや「ビジネスエネルギー満タンでね」とかいってどっかで補給出来たりするものでもないし

 

計るメーターやゲージも無く残量とかも全く主観的なものだし

 

言い出すとキリがないから筆を急ぐと

 

このエネルギーの

 

7割をこれからを応援したいワカモノたちに

 

2割を尊敬できるセンパイたちに

 

残りの1割は同年代かもしれないけどとりあえずリザーブみたいな感じで

 

配分していこうと決めた。

 

 

「ジブンの身に起きたあること」ってのは

 

身近で親しいヒトタチには詳しく話したけど

 

とても唐変木(トウヘンボクと読む)でヒトリヨガリで可哀想な感じのビジネスパーソンを見て

 

こんな生き方は死んでも嫌だと、って死んだら生き方も何もないんだけど

 

つまりは絶対に嫌だと

 

宇宙戦艦ヤマトの波動砲の威力ぐらいに強く感じ

 

ジブンというビジネスパーソンとしての生き方を見つめ直す機会に

 

不幸中の幸い的にかつ怪我の功名的に

 

恵まれたことだ。

 

 

今、活躍しているビジネスパーソンは男女問わず30~40代

 

場合によっては20代だ。

 

彼ら彼女らにはイイ意味で既成概念や固定観念がなく

 

自由で柔軟なんだけどしっかり合理的な考えで行動している。

 

ワタシというオジサンはただただ感心している。

 

この点でワタシはある意味オワコンだ。

 

 

そこでバブルあたりに社会人になったワタシというオジサンは

 

ビジネスパーソンとしてのオワコンな部分をしっかり自覚した上で

 

こんなワカモノたちに絶対的に足らない、ていうか

 

生きてる年数がそもそもまだ短いんだから当たり前だけど

 

オジサンなワタシの「経験値」とやらを

 

ドラマのダイジェストみたいにコンパクトにして

 

プラスのエネルギーになるように伝えてあげたいと強く思う。

 

押し付けるんじゃなくて

 

自慢げに語るんじゃなくて

 

ワカモノたちの成功へのショートカットになるように

 

柔らかく伝えてあげたい。

 

あと、成功ってのは

 

back numberの歌詞にもあるけど

 

ガイシャに乗ったり

 

アイドルと付き合ったり、じゃなくて

 

世界を救えなくても

 

有名にならなくても

 

ビジネスパーソンとして自ら信じる道を進んで

 

ヒトそれぞれの自己を実現するってことが

 

成功って感じのことなんだってことを

 

知ってほしい。

 

そういうビジネスパーソンは感じ方はいろいろだけど

 

幸せに違いない。

 

 

少し毒を吐くと(苦笑)

 

尊敬できないヤツ

応援したくならないヤツ

人間の小さいヤツ(これから育つタマゴは別)

大儀や意味のない金儲け、虚栄心

オワコン自覚のないオジサン、オバサン

 

ワタシはご遠慮申し上げたい。

 

 

幸いいまのワタシは

 

まわりのヒトタチにも環境にも恵まれている。

 

オワコンオジサンはオワコンには違いないけど

 

その自覚をしたオワコンオジサンがやるべきことは

 

ワカモノたちの応援や

 

センパイたちのサポートで

 

まだまだ忙しいし

 

価値ある存在として

 

シブく輝きたい。

 

 

では、またニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文系理系分類不毛論

友人でもある大学教授との会話。

 

最近、と言えるかどうかは別にしてあえて「最近」、「文系」か「理系」という分類の不毛さが

 

とても気にかかるって話。

 

 

彼曰く、入試制度や受験科目としての分類は

 

ある意味ベンギジョウの話なので

 

そこは便利に分類に利用すればいい。

 

気にかかるのはその「後」だ。

 

 

ものすごく違和感があったのは、あるビジネスパーソン。

 

俺は「理系」だからと、語彙の貧弱さを気にもせず、日本語のコミ障ではないかと思うくらい

 

日本語コミュニケーションの理解力が欠如しているのだが

 

ご自身が「理系大学院」なのでと、周りの混乱をスルーして

 

彼自身の努力不足を棚に上げる。

 

切ない。

 

 

さらに違和感があったのは、これまたあるビジネスパーソン。

 

M&Aの案件で

 

財務分析に基づく企業価値算定と事業そのものの評価の場面で

 

議論にすらならず定性的な発言ばかりしていて

 

事業に対する評価もできず

 

挙句の果てにワタシ「私立文系」なのでと

 

ご自身の勉強不足をタナに上げる。

 

切ない。

 

 

 

現役なら18歳

 

浪人しても19歳のワカモノたちに

 

たちはだかる我が国の大学受験は確かに

 

受験対策のシステムとして「文系」「理系」の

 

ベンギジョウ分類がなされているのは否定しない。

 

 

それを

 

いい歳した残り少ない人生のビジネスパーソンが

 

そんな切ない言い訳しちゃうのは

 

己の努力不足をどう思っているのか聞きたいところだが

 

そういう言い訳をしてヒトのせいにする人は

 

オワコン的な存在で

 

聞いても無駄だ。

 

 

 

私は若い方々へのメッセージを送りたい。

 

入試の事務的ベンギジョウの分類で「文系」「理系」はあったとしても

 

ビジネスパーソンのシゴトの中に

 

そんな分類はない。

 

相手の言うことを正確に理解する語彙や国語力は

 

一生かけてパワーアップしていくものだし

 

企業買収等に携わるなら

 

企業価値算定の数学やファイナンス理論に必要な知識は不可欠だ。

 

一般の事業会社でもM&Aの世界でも

 

対象にする企業の業種・事業によっては

 

そんな「文系」「理系」の垣根なんかない。

 

 

これからの時代のワカモノのみなさん

 

 

大切なのは

 

ジブンが「文系」か「理系」かとかではなく

 

真のビジネスパーソンとして

 

ジブンのやりたいことに必要な知識や経験を

 

そんな分類にこだわらず

 

そんな分類の所為にせず

 

ジブンのビジネスの目的のために

 

ジブン自身で積み上げていくことだ。

 

 

ではまた爆  笑

 

 

 

 

センパイのおかげとワカモノのおかげ

先日古い付き合いの

 

キャリアの師と呼べる方と話す機会があった。

 

ワタシの状態が良いときも悪いときも

 

いつも利害抜きで相談できる方だ。

 

それで、いつも、この師と話したあとは

 

晴れ晴れと前向きな気持ちが持てる。

 

「おかげ」だ。

 

 

ヒトリヨガリになることは

 

ダークサイドに落ちるぐらいダメなことで

 

「おかげ」の気持ちはいつも大切だ。

 

ありがたい。

 

そういえば最近、亡き父と同じくらいの歳の

 

ビジネスの大センパイとも言える方から

 

「好きなようにやってみろ!」と

 

激励された。

 

ありがたい。

 

力沸いた。

 

これも「おかげ」だ。

 

 

一方

 

ワカモノの経営者との交流も増えたんだけど

 

これまた別なチカラをくれる。

 

まだまだ頑張ろう!とか

 

負けられない!とか

 

そんな勝ち負けとかじゃなくて

 

利害とかも無く

 

ワタシが持っているものを

 

全部伝えていこう

 

役に立ててもらおうと

 

シンプルに強く思う。

 

こんなエネルギーも

 

「おかげ」だ。

 

 

「おかげ」の語源は

 

ご神仏のご加護を受けているその結果のジブンの陰に

 

「お」がついたものらしくて

 

室町時代からあるらしい。

 

そんな大げさな話はともかく

 

センパイの「おかげ」とワカモノの「おかげ」。

 

感謝の気持ち、忘れずに。

 

 

ときどき

 

ヒトのアラばかりに目をむけて

 

ありがとうと言うことを忘れてしまった輩にも出くわすけど

 

切ないくらい、かわいそうだ。

 

すくなくともワタシと周囲のセンパイ、ワカモノは

 

ありがとうであふれている。

 

これまたありがとう、「おかげ」だ。

 

 

 

 

では、またニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

自己分析と自己俯瞰

世の中にはいろんなヒトがいる。

 

ジブンもいろんなヒトのひとりだけど

 

アイツはだめなヤツだ、とか

 

アイツは間違っている、とか

 

アイツはできない、とか

 

相対的に他人を非難して

 

自己を肯定するヒトが、ものすごくたくさんいる。

 

その前にですよ、私というジブンの自己分析も含めて

 

ジブン、どうよ?って自己を俯瞰する「能力」とまでいかなくても

 

俯瞰する「努力」は必要。

 

良かったり、成し遂げたことは褒めてやる。

 

悪かったり、やりすぎたりしたことは反省する。

 

じゃないと、成長止まるし

 

すくなくともカッコ悪い。

 

人生一回限りで有限。

 

反省は反省。

 

そうしながら前に進みましょう。

 

オレもオマエもアナタもワタシもね。

 

道に迷ったら

 

気の合う仲間に相談しながら。

 

 

 

では、またニコニコ

 

 

 

 

 

 

ヒトリヨガリの功罪

以前からとても尊敬しているビジネスパーソンとの会話。

 

「ヒトリヨガリ」

 

その意味は、自分良い考えていることを、他人のことを考慮せずに、押しそうとすること。

 

独り善がり」とも書き、「独善」とも言う。

 

成功しているヒトほとんどが、「他人のことを考慮せず」にってところは置いておいて

 

かなりの確率で「押し通して」成功している。

 

それはスゴイし、尊敬するし、そういう部分に寄り添ってシゴトしてきた。

 

今まで仕えたオーナーは直近も含めてすべてそうだと思う。

 

 

ただ、そのビジネスパーソンと話していたポイントは

 

厄介でカッコワルイのは

 

成功もしていないのに独善的なヒトだそうだ。

 

ワタシがかかわったオーナー経営者は

 

規模の大小や個人の資質の差はともかくとして

 

みんな、成功しているし突き進んでいて、カッコイイ。

 

これは例外ない。

 

一方、そのビジネスパーソン曰く

 

メンドクサイのは

 

そういう成功者の周囲で

 

パラサイト的コバンザメ的に勘違いしているヒトで

 

そんな人を何人も見てきていて辟易してるそうだ。

 

勘違いだけならいいけど、その成功に乗っかる輩は

 

エラソウに物申し、組織の成長を阻害し

 

可能性ある社員をスポイルする。

 

無駄だし、ヒトゴトだけど笑える。

 

今まで、ソウイウ輩を何十人も見てきた。

 

 

ま、そんな輩の矮小な人生、物申すのも時間の無駄だし

 

このブログで取り上げる必要もないかも知れないくらい無駄かも。

 

自分で気づかなくても、人に迷惑かけなきゃいいかって

 

そのビジネスパーソンの言。

 

そんな、ジイサン、バアサンにならないことが教訓かな、とのアドバイス。

 

自戒の念もしっかり含んで

 

ワタシはワタシ。

 

 

ではまたニコニコ

 

 

 

 

 

上場会社にいる仲間が社長就任予定になっていた件

アイサツがてら、というと「イケてない営業」みたいなんだけど

 

アイサツがてら、旧知の仲間に会いに大手町を訪れた。

 

10歳年下のその仲間はラグビーをしていたナイスガイで

 

人柄もよく、こんな状況になる前は楽しく飲みにいったものだ。

 

なんと、その仲間が社長就任予定。

 

仲間の行動力とか、人間力とかからすれば当然の成り行きなのかも知れない。

 

久し振りのその仲間の屈託のない笑顔が

 

とても眩しく、頼もしい感じだった。

 

ココロから、それも上から目線じゃなく、尊敬目線で

 

祝福したい。

 

言ってみれば他人事ではあるんだけど

 

なんかとてもいい気分。

 

 

ではまたニコニコ

M&AバブルでNight&Day

もともと「バブル」というコトバは、1700年位に英国で起こった投機ブームによる株価の急騰と暴落を

 

「なんとか泡沫事件」と呼んだ、和訳だとなんともわかりにくい語源らしいんだけど

 

これも歴史を振り返った後付けの名前。

 

ワタシが社会人になったとたんにハジケた日本の1990年頃のバブルも、真っ只中ではそんな風に

 

呼んだヒトなんていなくて、後から「あれは泡みたいなものやったんやなぁ」ということで

 

バブル経済とか、バブル崩壊とか、後付けのネーミング。まさに水泡に帰しちゃってから。

 

 

金融が支えた土地神話で膨らんだのが悪なのか、ソウリョウ規制で金融を締めたのが悪なのか

 

だれが悪とか善とかは関係なくて、とにかくかなりな勢いで盛り上がり、とにかくかなりな勢いで崩れ落ちた

 

ゲキドウの時代で、振り回されたヒトが大勢いた。破産したり自殺したりしたヒトもいたのは

 

何とも悲しく切ない。

 

 

時が変わって現在。

 

今はまだハジけていないし、後付けにはならないけど、まさに「M&Aバブル」だと感じる。

 

 

ワタシが金融の世界で社会人になったころは「M&A」ってのは、

 

和訳しちゃうと合併と買収なんてフツーな感じだけど

 

とてもまぶしく、カッコ良い響きで

 

ヒューレッドパッカードの関数電卓をその場では使わないのにミーティングに持ってくる

 

かなりファイナンスな感じのヒトたちだけができるものだという印象だった。

 

 

ところが最近、「M&A」はかなり「こなれて」きちゃっていて

 

トラディショナルなスタイルの営業パーソンが

 

何とも言えないライトな感覚で

 

「カイシャ売りませんか、高く売ります」的な営業がある意味奏功して

 

「M&A」の認知度も上がり

 

身近なものになってきているのは、決して悪いことではない。

 

 

ただ、特に「事業承継」と言われる

 

経済産業省も中小企業庁も日本経済が抱える課題の「一丁目一番地」と位置付ける

 

後継者のいない中小企業の株式の問題は

 

そんなライトなソリューションでは、正直しんどいと思う。

 

 

もちろん、長年育ててきたご自身のカイシャを、金銭に変えてハッピーリタイアすることは

 

当然の権利であり、むしろ、かくあるべきだと思う。

 

 

問題は、高くバブリーにアオラレた株価に加えて

 

外国から導入されたときのままの高額の手数料を支払い

 

それでもそのカイシャが次の世代に経営を引き継いで行けるだけの

 

人材と事業計画と覚悟が用意されているのかということが

 

とても重要なカギを握っているはずなのに

 

あまりクローズアップされていないことだ。

 

 

すこしコムズカシイ話になっちゃったけど

 

今の「M&A」って

 

せっかく優秀な人材が集まって手掛けているのだから

 

夜も昼も手数料のことだけじゃなく

 

次の世代にそのカイシャを送り出す段取りを

 

ジブンも含めて、マジ真剣に考えていきませんかと、強く思う。

 

 

「M&AバブルでNight&Day」なんてちょっとフザケたタイトルだけど

 

問題意識としては

 

次の世代の日本のためにも

 

それ相応に高いつもりであります。

 

 

ではまたニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大変ご無沙汰しております的な再開

ご無沙汰、というのは「沙汰が無い」ということなんだけど

 

「沙汰」というのは

 

さた

【沙汰】

  1. 1.

    《名・ス自他》

    善悪・理非を見分けて決めること

  2. 2.

    《名》

    人々の口にのぼるような事件・行為。

     「正気(しょうき)の―でない」

という厳密な意味もあるわけで、気軽に使っちゃいけないかもしれない。
 
けれどもワタシのことを待ってる人が百万に一人いたとしたらそのヒトには
 
「ご無沙汰」とあいさつするのがレイギだと思うと勝手に思う。
 
 
無性にブログを再開したいと思った背景は順番に綴っていくんだけど
 
どうでもいい人間のダークサイドの話はともかく
 
いい話をここでする。
 
 
結構昔のブログに書いた「若き経営者」なんだけど、まあヒトは平等に歳を
 
とるわけでそれなりに彼もいい年輪を重ねて、いい顔になって、いい経営者に
 
なった姿を最近目の当たりにした。
 
やはり、男同士でも「カッコイイ」やつは「カッコイイ」。
 
最近カッコイイ奴に「ご無沙汰」(あれこの意味も少し違うか)だったので
 
なおさら思うけど、カッコイイ。
 
覚悟、ビジョン、ココロザシ。
 
私は最近流行りのLGなんとかじゃないし、やはり売れてる女優はそれなりに
 
可愛いと思えるのでストレートには違いなんだけど、彼はやはりカッコいいと
 
思うし、ワタシができることは全面的にサポートすることにする、というか、した。
 
そんなわけでブログ再開。
 
 
この一年、書き溜めたドキュメンタリーぽい小説の断片も追って皆さんと共有したい。
 
なんとか保護法にヒットしない範囲で。
 
さあ、始めよう!
 
 
 
 

 
 
 
 

「報復」という残念だけど避けられない感情

半世紀以上もヒトと関わり合いながら生きてきたワタシが

 

最近いくつかのパターンで感じたことなんだけど

 

人間というか、ヒトって

 

それがいいヒトでも、わるいヒトでも

 

少なからず、時にはかなりの熱量で

 

「報復」という感情を持つことがある。

 

政治的なステージでの

 

「報復」の実行→「軍事行動」ってのは

 

その極端な例なんだけど

 

そんな大袈裟なコトじゃなくて

 

もっと身近で

 

ヒトの日常生活の隣に

 

その感情は存在する。

 

 

「報復(ホウフク」」ってのは

 

わかりやすく言えば

 

「こんなコト」されたから

 

「こんなコト」してやる!ってこと。

 

「腹立つから仕返ししてやる」って感じのこと。

 

「腹が立った」本人が意識しているときもあれば

 

意識していないときもある。

 

ていうか無意識が多い。

 

「報復してやる!!」なんて意気込んでるときも結構あるが

 

むしろ、無意識のうちの「プチ報復」みたいなことが

 

実は星の数ほど存在する。

 

最近連続してワタシの周りに「勃発」した(苦笑)「プチ報復」は

 

ワタシに対して「このやろう」的なもので

 

ワタシになにかしらの非があることは

 

ワタシもわかっている。

 

ワタシにもそれなりの「言い分」はないわけではないが

 

「報復」という結果に対して、その「言い分」は

 

なんの意味もない。

 

そう言ってしまうと、話が終わってしまいそうなのだけど

 

一度実行された「報復」は

 

実行された時点で

 

というか「報復」と認識された時点で

 

その関係が基本的には終わる。

 

 

この問題を

 

立場を変えて考えてみると

 

分かった気がすることがある。

 

ワタシが報復「される側」ではなく

 

「する側」の報復という感情を持つとき

 

相手を「このやろう」と思うわけだけど

 

「このやろう」がクセモノなのだ。

 

「このやろう」はもちろん

 

相手のヒトに対する感情を

 

わかりやすく表現したものなのだけど

 

そこには

 

本当に「このやろう」なのかどうか

 

本当に「このやろう」と位置付けるに値する理由が

 

存在するのかどうか

 

よくよく考えてみると

 

そうでもないことが多い。

 

そうでもないというか、むしろ本当の「このやろう」ってのは

 

相手のことをその場面で「このやろう」としか

 

思うことのできないワタシのなかに

 

ワタシという「このやろう」が存在する。

 

言い換えると

 

「報復」ってのは

 

相手にだけじゃなく

 

ワタシ自身の未熟さとか

 

ワタシの相手への理解や配慮のなさとか

 

要するにワタシ自身に起因することも多い。

 

でも気づかないことも多い。

 

単純に行動だけではなく

 

言葉、態度、ときにはたたずまいによって

 

「報復」は実行される。

 

そしてこの「報復」は一度実行されると

 

その「報復」によってザラザラしたり

 

ときにはヒビが入ったりして

 

なかなか元には戻れない。

 

 

無意識の「報復」という感情をまとったその言葉は

 

ワタシに反省を促すと同時に

 

こんな無意識な「報復」という感情は

 

とてももったいないということを教えてくれる。

 

それで途絶えて戻らない関係だってあるのだから。

 

でもそもそも無意識なんだから

 

あきらめるしかないのだろう。

 

残念だ。ほんとに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

息子の存在というモティベーション

ワタシには二人の息子がいる。

 

 

すでに成人していて

 

長男は理系男子で東京に

 

二男は文系男子で京都に

 

それぞれ一人暮らしで頑張っている。

 

どちらの学費、生活費も

 

当然のコトながら

 

このオッサンなワタシの肩にかかっているから

 

大変だ、と思いきや

 

これが意外とワタシのモティベーションなのだ。

 

 

先日、芝公園で一人暮らしをしている長男と

 

肉狙いのイタリアンバルで晩飯。

 

いつもは飲まないと思ってた長男が

 

「とりあえず、ビール!」と

 

嬉しいくらいトラディショナルな

 

スタートを切った飲み会。

 

長男と飲むだけでうれしいのに

 

研究室の近況とか、将来の考え方だとか

 

あまりの成長ぶりに

 

わが息子ながら感動してしまった上に

 

ワインも進んで

 

つい「大きくなったなあ」と声を出して言ってしまったら

 

「何言ってんだよ、俺もう23だよ(^^)当たり前じゃん」と

 

またなんとも頼もしいコメント。

 

自分が23のときは

 

こんな問題意識、なかったなあと反省も。
 

親としても少し無理をして背伸びをして

 

研究の忙しい長男を

 

大学近くに住まわせた甲斐があったなあという感慨と

 

父さんとしてのやりがいを

 

十分チャージしてくれた長男に

 

感謝の晩餐でした(^^)

 

 

息子の存在というモティベーション

 

まだまだ続くことに

 

ささやかだけど確かな幸せを

 

感じているオトウサンなのでした(^^)

 

 

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