2017年9月末に腎盂癌ステージ4の告知を受け、10月11日に入院、12日より抗がん剤治療が開始しました。
今回は告知から入院までにしたことの振り返りです。


告知をされてから最初の休日に家族全員を招集し家族会議を開きました。
議題は①現状報告②治療方針の決定③仕事の引継ぎの方針決定です。

①と②では家族全員に腎盂癌の基本情報と私の病状について情報を共有しました。
当時は治験を検討中でしたので、治験を断られた場合のファーストラインはどうするか、奏功しなかった場合はどうなるか、手術できる状態になる確率は、などを話し合い、最悪のケースのシナリオと最短復帰のシナリオなどを検討しました。
大きな治療方針としては、私に隠し事をせず悪いニュースも必ず伝えて自分で決めさせるということ、基本的に自由診療なども含めやれることは全て挑戦し積極治療を行うことと決まりました。
「迷ったらとりあえずフルコース」が基本的な姿勢になりました。

③は結構大変でした。今でこそ私の事務所は法人化し何人かの税理士が所属するそこそこの所帯になっていますが、基本的には家族経営です。所属税理士のうち一人が息子なので結構無理を聞いてもらえることになりました。
私が窓口となっている法人の顧問先と個人の顧問先を誰にどのように振り分けて引き継ぐか、いくつも抱えている相続申告のチェックをどうするか、進行中の複雑な案件を誰にどのように引き継ぐか、新規の紹介客たちへの対応を誰が行うか、私がボランティアで引き受けている外部団体の理事や監事をどうするかなどを話し合いました。
私の事務所はこれまで三人の癌を経験しています。一人目は20年前、副所長すなわち私の妻でした。これをきっかけにいつ誰が病気で離脱してもすぐにバックアップ・フォローできるという観点から仕事のシステムや事務所の体制を組み立てました。そのおかげもあり二人目、三人目の時は治療と仕事を両立し、今でも元気に働いてもらえています。
四人目で初めて事務所の要、所長の私が癌になりました。ステージ4の大台は初めてです。何とかなるとは当時思っていましたが、今振り返るとスタッフのみなさんにかなり負担をかけてしまっているようで大変申し訳なく思っております。

家族に迷惑をかけてしまうのが申し訳なく、せめて美味しいものでもと思い家族会議中の食事にお寿司を取りました。

最後に子供たちから、入院前に事務所の全員を集めて食事会をしたらどうかと提案がありました。年末の忘年会に私が出られるかどうかもわからないので、前倒しではありませんが入院前日の10月10日に急きょホテル会場を押さえてパーティーを開くことになりました。
良い機会なのでみんなで写真を撮ろうとなり、せっかくだからプロに頼もうと話が進みました。親しい友人に人物写真が得意なフォトグラファーがいるとのことで、その方に頼むことになりました。

入院までの間、目が回るほど忙しかったです。
通常業務に加え、引継ぎや、関与先や同業者への連絡や挨拶回りなどが忙しく、繁忙期より余裕がなかったです。
告知から入院まで10日程度あったので旅行や趣味など好きなことでもしようと思っていたのですがとんでもなかったです。

忙しかったですが嬉しいこともありました。
がんサバイバーの顧問先の社長から励ましのお電話と沢山のアドバイスをいただきました。特に患者会に入るといいと勧められました。
また、新しく顧客として紹介されたばかりの大学病院の先生から、抗がん剤の副作用が辛かったら相談して下さい、いい漢方がありますとご連絡いただきました。
気にかけていただけることは大変心強いものです。


あっという間に入院前日の10月10日が来ました。
夕方まで必死に仕事をしてホテル会場へと移動しました。
フォトグラファーさんの提案で開会前に家族写真と夫婦写真を撮影してもらいました。
そうこうしているうちに仕事を終えたスタッフたちが次々と会場へ到着し、パーティーが始まりました。
会は和やかに進み、一人ひとりと沢山話をし、一杯写真を撮ってもらいました。

宴もたけなわとなった頃、会場に突然大きなケーキが登場しました。
癌騒動ですっかり忘れておりましたが、10月は私の誕生日なのです。
なんとサプライズで誕生日を祝ってくれたのです。
驚くままに前に出るよう言われ、大きな花束を贈呈されました。
渡してくれたスタッフが涙ぐんでいるように見えました。

最後は全員で集合写真を撮りました。
本当に楽しい会でした。
沢山励まされ、これだけ応援してもらえるのだから何としても戻ってこなくてはと決意を新たにしました。
壮行会というよりもはやプレお別れ会ではないか…と思わなくもないのですが、皆口に出さないだけで何かを感じ取っていたのではと思います。

ちなみに会場で撮影した写真の顛末はもうご想像がつくのではと思いますが、後日、入院中に「いい遺影がとれました」というコメントと共に家族のグループLINEに閲覧用のURLが送られてきました。
何てことない、撮った写真は遺影用の写真だったのです。わざわざプロにお願いする時点で何かおかしいと思っていました。
しかし出来上がった写真を見て、大好きな仲間たちに囲まれて自然な笑顔で楽しそうに笑っている自分の写真は遺影にするには悪くないなと…まあこれもいいかなと思いました。

聞いた話なのですが、遺影を葬儀の中心に置くのは日本文化圏特有の習慣らしいです。
葬儀の際に祭壇の中心に置かれ、その葬儀の印象を一番強く決定する要因になっています。
遺影とは考えてみれば不思議なものです。
葬儀の間は一番目立つところに飾られ、遺族に抱えられて移動し、長い間家に飾られます。
その人の長い一生のうちのたった一瞬を切り取った画像に過ぎないのに、その人の存在そのもの、人格を表象する記号として機能するのです。
死者に話しかける時、私たちは遺影に向かって話しかけます。
遺影は死者の世界との窓口なのです。
そんな大事な窓口を、何年も前に旅先で撮った適当なスナップの切り抜きなどで済ませてしまうのは大変もったいないと思います。
また、最近は終活の一環でイベント会場やスタジオでの遺影撮影などもありますが、普段着ない服で、来たこともない四角いスタジオで、したこともないポーズと表情をカメラに向けてたった一人で撮る写真は少し寂しい気がします。
就活生は企業に提出する履歴書の証明写真を撮りますが、終活生はさしずめ閻魔様に提出する履歴書の証明写真を撮るということでしょうか。
住み慣れた家、生き生きと働く職場、気の置けない仲間との集まり、家族との団らんのひと時、お気に入りの趣味の時間、自慢の愛車など、その人らしさが表れる人生の一コマを切り取って、死後も家族と繋がれる、そんな写真を用意しておくのもある程度以上の年齢の大人のたしなみかもしれないと思いました。