父親が亡くなって今日が四七日(よなのか)である。 七日ごとのお経をあげていただくのが四回目となる。
いまだに(家族がいなくなるというのは)不思議な感じである。葬儀から3週間以上たち、だいぶ以前のことのように思えても、お経をあげたり、遅れて香典をいただいたりすると、ふと、当日の記憶に引き戻される。
そうだ 告別式で述べた 「喪主の謝辞」の下書きを掲載しておこう。
本日はお忙しい中、亡き父○○のためにご会葬いただき誠にありがとうございます。
生前中は大変お世話になり、その上霊前には過分のご芳志を賜り厚くお礼申し上げます。
3年ほどまえより腸閉塞を患い入退院を繰り返し、昨年6月に思い切って手術を受けました。幸い閉塞は改善されましたが、体力が徐々になくなり、今年にはいり肺炎をくりかえすようになり、8月17日今年4度目の入院後力尽きることとなりました。
父は糊付業を営む家の五男として生まれましたが、父親が病弱であったり、兄を病気で亡くし、戦後は一家を支える立場となり大変苦労したようです。「相手の立場になってものごとを考えろ。」とよくいわれましたが、ここのこの苦労の経験からきているのではないでしょうか。勉強や本を読むことが大変好きで、知識を蓄え、視野を広くし、中庸に、客観的に物事をとらえることを常にこころがけていました。
そんな性格が税理士という仕事にぴったりだったようです。15年前に私に事務所をまかせて裏方に徹するようになっても、父の意見を聞きにくる人が絶えませんでした。
あの人ならばどう考えるだろう、どんな意見をくれるのだろうと話をしてみたくなるひとだったのだと思います。
私生活では、お酒を好み良く飲みました。周りを楽しい気分にさせてくれるお酒だったようです。ただお酒がすすむと決まって予科練でのつらい戦争体験「毎朝進軍ラッパでおこされると「今日も殴られるのか―」と目が覚めるという」の話にもなりました。
父の仕事場には、徳川家康の家訓が掲げられています。
「人の一生は重き荷を負うて道を行くが如し、急ぐべからず。
不自由を常と思へば不足無し、心に臨み起こらば困窮したときを思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。
勝つことばかり知りて負くること知らざれば害その身にいたる。
己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。 」
私は父のこの考えが大好きでした。頼りになる父を亡くし、途方に暮れる気持ちですが皆様方のお力添えをいただき、故人の生前と同様のご指導をいただきたくお願い申し上げます。
本日はご多忙の中御足元の悪い中ありがとうございました。
よその葬儀に出席するといつもおもっていた。
「この人の晩年はどうなんだったんだろう。」
「この人の生い立ち、生涯はどんなんだったんだろう。」
「家庭ではどんなひとだったんだろう。」 などなど
故人と自分との接点はわずかであったひとの告別式ではいつも気になっていたので、どうようの疑問にお応えすべく謝辞に
おいておりこんだつもりであったが、少々しゃべりすぎたかもしれない。
しかし、家族にとってはいいたりないくらいだった。