税理士日記 (タックスアカウンタント ダイアリー )

 税理士日記 (タックスアカウンタント ダイアリー )

みなさん「税理士」って聞いたことありますか。机に向かって税金の計算をする人って感じがしますが、どちらかというと中小企業の経営者の相談相手です。相談といっても税金だけでなく、労務(従業員の雇用)法律相談から始まって相続・贈与さらには家庭問題まで種々雑多です。

卒業式のシーズンである 昨日も近隣の 静岡文化芸術大学から卒業生がでてくる風景にであいました 身内のそのような年ごろの者はありませんが心があつくなるシーンです

 

先日ラジオ(WBCの地上波放送がないのでラジオ視聴をこころみていて)から「仰げば尊し」の音楽がながれてきて同じように心がアツくなりました 

 

昭和のおじ(い)さんの感情なのでしょうか個人的には小学校の卒業式を思い出します 最近では 「時代錯誤」「教師崇拝」といった観点から採用されないことを残念に思います 心がアツくなるフレーズは2点あります

 

 ・身を立て、名をあげ、やよ 励めよ

 

 ・いまこそ別れめ いざ さらば

 

 身を立て、名をあげ とはいかにも時代を感じる歌詞です あれっ! と思うのは 「やよ」 です 小学生当時教師に説明を受けた記憶はなく、自分でも少々の違和感があってもそういうもんだと思い込んで歌っていたのだと思います 今は便利でネット検索ですぐに意味が判明します 「さあ がんばりなさい」という励ましの言葉だそうです まぁ思い込んでいたのと同じ意味だったのであらためて心がアツくなりました

 

 2つ目の さらば は 旅立ちの背中を押す 潔さよいよびかけです

 

 卒業生の皆様 あなたが良い人ならば出会う人もきっとよいひとです 大事なのは自分を信じることです やよ はげめよ !

関与先のスナックのママさんから電話がはいる

 

「結婚することとなりましたので、来月でお店しめます よろしくお願いします」

 

一瞬のことでなにをお願いされるのかと思考が停止する

 

そういえば、確定申告の説明の際(いつもと違って、化粧に力がはいっていたが)

「いま婚活しています」「コロナで一人暮らしは不安で、、、」といっていました

 

渡しの妹と同い年だったはずですので、数年後には還暦なのですが おめでたいはなしです

 

早速手続きの準備をする

 

「事業廃止届出書」の作成にかかる 

 → 廃業の理由 「結婚のため」 どうもおさまりがわるいきがするが、やはりこれしかないか

   

長年の税理士業務において廃業届出の廃業理由は、「病気により」「体力の限界」「後継者不在のため」等いろいろかいたが「結婚のため」

 

は初めてである 

 

とにかくおめでたいはなしであるのであやかりたいものである (結婚ではなく、幸運をですが)

 

追伸:本日 この関与先を訪問する 順調にお付き合いは続き、8月末には同居されるそうである

 

    驚いたことは、結婚式をあげるという なぜかというと 結婚式場会場のコロナ禍での利用促進キャンペーンとかで、3組無料カップル

    募集に応募して当選したそうだ (年齢制限はないという)

    もっている人なのか、盆と正月が一度にきた時期なのか、幸せのおすそ分けをいただいた気分になりました

    

当事務所の関与先がM&Aにより会社を売却することを検討している

 

後継者不在により他社に経営委譲するためだ

50年関与を続けており、内容のよい会社だけに残念でしかたがない

 

売却する会社の顧問税理士はあわれである

 

企業調査と称して先方及びその会計士が会社に訪問し、状況及び帳簿等を確認(チェック)にくる

当然関与税理士は立ち合いを求められる

会社の従業員には秘密であるので、必然的に土曜日か日曜日となる

 

関与先が消滅する寂しさ、日曜日に質問に答えるために訪問する腹立ち

先方の買主は、勢いがあるから鼻息があらい

先方の買主は7名(社長、会長、常務、専務あと、、なんだっけ) 公認会計士が2名もきた

当方は社長、会長、私の3名だ 対決するわけではないが、多勢に少数でなんとなく押され気味だ

 

公認会計士も腕のみせどころとばかりに、不良債権がないか、すこしでもダンピングできないか次から次へと質問がくる

まぁ 仕事だから一生けん命返答はしました(胸張って威張れる内容ですけど)けれども、、、

 

残念なのは仲介コンサルタントだ 銀行系のコンサルタントだけど 勢いのある買主のいいなりである

前回(5年前)のケースでは、事前に当事務所を2回訪れ、会社のこと、帳簿資産のこと、業績のこと かなり事前確認がおおかった

売主への説明フォローも十分にあった

 

今回は何もなしにいきなり企業調査がはじまった

 

前渡し金で 60万円 成立の場合にはこの十倍くらい払うのだろうか  もっと汗をかいてくださいよ S銀コンサルタントさん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12月9日(月) 静岡県御前崎市の商工会議所にて「相続セミナー」を行うことになった。最近はやりの「事業承継セミナー」の一環である。おまえ御前崎市は14年前に御前崎町と浜岡町が合併して市となった 浜岡町といえば「原子力発電所」で有名(?)であるが、合併当時は原子力発電所の市というイメージを払しょくしたいとの希望から「御前崎市」と命名したと商工会の経営指導員さんから教えていただいた

 

時は年末、月曜日の19:00 あたりは真っ暗である。事前に聞いていたが参加希望者は2名(泣ける) 「参加1名でも主催するのが当商工会」のスタンスですからと、前述の経営指導員さんは自慢げに述べるが、車で往復3時間の遠方からかけつける税理士は泣きたくなる

 

セミナーのタイトルは、「敵(相続)を知り、己をしれば百戦危うからず」である。(結局このタイトルは没になったが、自分では気に入っている)

相続の本質(財産の名義変更)を実行する前に、家族全員の立ち位置を見つめ直し、自分を見つめ直し、円満で納得のいく相続手続きの準備をしましょう というのが伝えたいないようである

8月9日に58歳となる。

50歳の誕生日に亡き父親より「お前も大病もせずよく50歳になったなぁ。」と変な感心の言葉を受けたが、以後8年大病はなかった。

企業に勤めた同級生ならば定年前の嘱託、出向の選択の時期である。

幸い私は今月1日に税理士法人を立ち上げた。一昨日の8日に登記が完了。

昨日の誕生日の9日に金融機関に出向き、法人の銀行口座を開設した。

法人の口座開設には(本人確認、事業所実態確認、反社会的勢力と無関係の誓約等)書類が多々あり時間がかかる。

それでも各書類の日付欄に8月9日の誕生日を記入するのが何となく嬉しかった。

 

それにしても、、、

ネットバンクからは(誕生日を登録しているので機械的に)「お誕生日おめでとうございます。」のメールがくるが、近所の信用金庫では

印鑑証明等に私の生年月日が記載された書類がたくさん目の前にあり、本日が当日なのに、一言も触れられなかった。

「お客様第一に」とか「地域に密着した」といったキャッチフレーズはなにを意味しているのだろうか。

 

昨夜、亡き父が(少しだけだが)夢にでた。彼のことだから誕生日でなく、税理士法人の設立を祝ってくれたのだろう。

亡き父が初めて30年、引き継いだ私が20年 合計50年目にしての(めずらしい)法人成りである。

 

 

昨日 偶然書店で 高野悦子 「二十歳の原点」を見つける。

「まだ出版しているんだ。」というのが素直な感想だった。

 

”孤独であること。未熟であること。それが私の二十歳の原点です。”

 

いまでも強烈に残っているフレーズです。

立命館大学 文学部 学生運動 自殺 30年前に読んだ記憶が少しづつよみがえってきた。

 

今日一日、この本を購入したのが 高校生のころか、大学生の頃か記憶をたどり続けたが

分からなかった。

いつも自分が未熟で、ダメな人間だと自問自答していて、彼女の言う、未熟であること、孤独であること

のフレーズに妙な共感を覚えて読み漁ったのだが、学生運動の意味が分からず(彼女とは歳が一回り

はなれているため)彼女の悩みが理解できずに作者の意図が未消化になってしまった記憶が残っている。

 

30年近くたった今、歳を重ねただけあって当時の若者の悩みが少しわかる気がする。

私より若い世代には理解不能であろう。

 

 

 

 

 

父親が亡くなって今日が四七日(よなのか)である。 七日ごとのお経をあげていただくのが四回目となる。

いまだに(家族がいなくなるというのは)不思議な感じである。葬儀から3週間以上たち、だいぶ以前のことのように思えても、お経をあげたり、遅れて香典をいただいたりすると、ふと、当日の記憶に引き戻される。

 そうだ 告別式で述べた 「喪主の謝辞」の下書きを掲載しておこう。

 

本日はお忙しい中、亡き父○○のためにご会葬いただき誠にありがとうございます。

生前中は大変お世話になり、その上霊前には過分のご芳志を賜り厚くお礼申し上げます。

 3年ほどまえより腸閉塞を患い入退院を繰り返し、昨年6月に思い切って手術を受けました。幸い閉塞は改善されましたが、体力が徐々になくなり、今年にはいり肺炎をくりかえすようになり、817日今年4度目の入院後力尽きることとなりました。

 父は糊付業を営む家の五男として生まれましたが、父親が病弱であったり、兄を病気で亡くし、戦後は一家を支える立場となり大変苦労したようです。「相手の立場になってものごとを考えろ。」とよくいわれましたが、ここのこの苦労の経験からきているのではないでしょうか。勉強や本を読むことが大変好きで、知識を蓄え、視野を広くし、中庸に、客観的に物事をとらえることを常にこころがけていました。

 そんな性格が税理士という仕事にぴったりだったようです。15年前に私に事務所をまかせて裏方に徹するようになっても、父の意見を聞きにくる人が絶えませんでした。

あの人ならばどう考えるだろう、どんな意見をくれるのだろうと話をしてみたくなるひとだったのだと思います。

 私生活では、お酒を好み良く飲みました。周りを楽しい気分にさせてくれるお酒だったようです。ただお酒がすすむと決まって予科練でのつらい戦争体験「毎朝進軍ラッパでおこされると「今日も殴られるのか―」と目が覚めるという」の話にもなりました。

 父の仕事場には、徳川家康の家訓が掲げられています。

 「人の一生は重き荷を負うて道を行くが如し、急ぐべからず。

  不自由を常と思へば不足無し、心に臨み起こらば困窮したときを思い出すべし。

  堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。

  勝つことばかり知りて負くること知らざれば害その身にいたる。

  己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。 」


 私は父のこの考えが大好きでした。頼りになる父を亡くし、途方に暮れる気持ちですが皆様方のお力添えをいただき、故人の生前と同様のご指導をいただきたくお願い申し上げます。

 本日はご多忙の中御足元の悪い中ありがとうございました。



よその葬儀に出席するといつもおもっていた。


「この人の晩年はどうなんだったんだろう。」


「この人の生い立ち、生涯はどんなんだったんだろう。」


「家庭ではどんなひとだったんだろう。」  などなど


故人と自分との接点はわずかであったひとの告別式ではいつも気になっていたので、どうようの疑問にお応えすべく謝辞に

おいておりこんだつもりであったが、少々しゃべりすぎたかもしれない。


しかし、家族にとってはいいたりないくらいだった。

平成26年10月7日 2014年ノーベル物理学賞を受賞した天野浩君(失礼、天野先生)は高校で同級だった。


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 平成26年10月9日(木) 静岡新聞一面に、受賞後、初めて日本に帰国して会見をした笑顔の天野浩さんの写真が掲載されていた。 以下 彼の「座右の銘」に関する記事が書かれていた。


 「憂きこと なお この上につもれかし 限りある身の力試さん」


記者団に座右の銘を問われ上記の言葉を挙げた。

江戸時代の儒学者熊沢蕃山の言葉とされ、


 「つらいこともどんと受け止め、元気にいこうという意味」と天野さんは説明した。


母校の県立浜松○高校の校長先生が朝礼でいつも話していたという。



 えっ!!!


 彼と高校が同じで、同級である私は目を疑った。

 校長先生が朝礼でいつも話をしていたという「言葉」を今初めて目にしたからだ。

 妻曰く 「凡人と偉人の違いなのかしら。」


 いやいや、まじめで、おとなしい紅顔(厚顔?)の美青年だった私は今でも曽根校長先生のお話を記憶にとどめている。

 校長先生は、なんと当時流行していた歌謡曲 森田公一とトップギャランの「青春時代」の歌詞の一節を

引用したお話をされている。


「今はやりの『青春時代』の歌の歌詞にもありますように、『青春時代が夢なんて、あとからほのぼの思うもの』なのであります。(懐からメモをとりだして読み上げていました。)青春時代は身近な楽しいことに浸るのではなく、あとから楽しかったなーと振り返って懐かしく思うものです。今は目もくれず、必死に勉学に励みましょう」


 といった内容の話をされた記憶を鮮明に覚えている。厳しい表情のお顔から「森田公一」が突然でてきたギャップの大きさが印象的だった。もしかしたら森田公一の印象が大き過ぎて「熊澤蕃山」が記憶から欠落してしまったのかもしれない。


 「青春時代の思い出をあとからほのぼの思い出す」ころには、もう忘れていまっているのかもしれない。











 

平成26年10月7日 2014年ノーベル物理学賞を受賞した天野浩君(失礼、天野先生)は高校で同級だった。


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受賞発表の翌日以後地元の新聞、テレビには、関係者のインタビューがたくさん掲載、報道された。


高校時代の恩師、同級生が、当時の様子を述べたり、個々の天野君に対する印象を述べたり、当時の

写真が掲載されたり、同級生の私は天野さんとはほとんど面識がなかったにもかかわらず、テレビ報道

される恩師、同級生は知った顔が多く「変わらないなー」「歳とったなー」と感慨にふけることばかりであった。


彼の1~3年の担任であった数学の先生(私も授業を受けましたので大変懐かしく拝見いたしました。)が今でもご健在で、当時の彼の様子を述べていた。最後に先生がおっしゃたことが印象的だった。


「それでも、わたしとしては結果的に芽をつまなくてよかったなあとつくづく思います。」


教育者としては、あらためて子供を教育すること、進路相談をすることの重大さを認識したのだろうか。

そうだろうなあ、大変優秀な成績だったようであるので、本人の志望する名古屋大学工学部より単に偏差値の高い(?)京都大学や東京大学を目指しなさいと指導していたならば、赤崎先生の研究室に入ることはなかったのだから、(もしかしたら)ノーベル賞とは縁がなかったのかもしれないのだから。。。。


神様とか運命とか、やっぱりあるのかな と思いました。


平成26年10月7日 2014年ノーベル物理学賞を受賞した天野浩君(失礼、天野先生)は高校で同級だった。


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受賞発表の日はテレビにくぎ付け、翌日は新聞が待ち遠しかった。

地元の知人がノーベル賞受賞となると、一般紙の「ノーベル物理学賞に赤崎氏、天野氏、中村氏」

という見出しが物足りなく感じられる。


天野氏が赤崎氏と子弟関係にあったことや、

中村氏が以前、発光ダイオードの特許帰属で勤務先と訴訟になり有名であったこと、

天野氏が現在フランス出張で国内にいないこと

などから赤崎氏、中村氏の記事が中心となることにものたりなさを感じた。


そこへいくと地元紙(静岡新聞)は、心憎い気配りをしてくれる。


「ノーベル物理学賞に浜松出身天野浩氏!」 ときた。


経歴も、一般紙ならば 大学から記載してあるが、静岡新聞は高校名からである。記事を読めば

出身小学校、中学校名もかいてある。

そして母校の浜松○高校で、2005年に特別授業をしたこと(私も「税理士の仕事」という授業を以前

同母校で行いました。)、また、母校では全校集会がひられたことも紹介されていた。


ああー、間違いなくノーベル物理学賞を受賞したのは、高校時代の同級生だったのだとあらためて

実感した。