アイデア発見隊 1%に賭けるブログ -68ページ目

その文章から何を読み取るのか…

日々、ブログを書いているなか


当然ながら他のブログを読むことも


多い。


そんななか、最近想うのは


書き手の意図を解釈するということ。


一見すれば、実にありふれた文章


ふざけたような文章のなかにも


それとは別の意図というものが存在する。


そこで、それらを解釈する際に


額面通りの解釈=その人の伝えたいこと。


とはならない場合が多いように想う。


考え方を変えれば、あえてそうしていることも


あるだろう。


一方で、例えばふざけた文章をそうとは気づかず


そのまま解釈する場合。


また、ふざけていることには気づいても書き手の


本当の意図とは乖離して解釈してしまう場合なども


少なくない。


ただ、多くの人にいえることだがどんな文章であれ


案外真面目に書いている。


要は何かしらの意図はある。


伝わり難いかもしれないが…


文章そのものだけを注視しただけでは見えない


書き手の想いというものは存在する。


文章が下手であるとかそういった類の話ではなく…


考えてみれば、どんなに文章力に優れた人間でも


隙のない文章を書くことはできないように想う。


たとえあったとしても、それは読み手によってだ。


さらに、それがおもしろいかどうかなんてわからないし


その保証もない。


但し、意図が明確でおもしろい文章はたくさんある。


ここまで書いてきて、最近読んだ文章のなかで


気づいたことがあったので話そうと思う。


近頃のソーシャルメディア、いや世の中といっても


いいかもしれないが…


些細なことを許容できないにも関わらず


とんでもないことを許容してしまうことが増えた。


本来許容すべきところが許容できていないのに


本来許容すべきでないところを許容してしまっている。


それが意味するものは何なのだろうか?


わからない…


そう。人がわからなくなってきているのだ。


楽しむということがより多くを受け入れることだと。


ところで、先ほどとんでもないことを許容してしまって


いる。といったが…それは楽しまないということである。


人である以上何かしらのバイアスはかかるが


それも含めて楽しむことが本来あるべき姿なのかも


しれない。


今まで知らなかったことを簡単に知ることができれば


できるほどつまらなくなっていく社会ならば…


いっそ知らないほうが楽しいということもあるのかも


しれない。


以前とは、違う意味で現代は偏っている。


ただ、そうだからといって楽しめないわけでもない。


仮につまらない毎日だと感じているのなら


よりつまらなくさせてみて欲しい。


案外、そんな自分に笑えてくるものだ。


そんなもんだ。そう想う。


現に突けばいくらでも矛盾が出てくるような


このふざけた文章も書いてる自分は楽しい。


それでは、この辺で…桜