世界遺産なんちゃら

世界遺産なんちゃら

ちょっと気になる世界遺産、旅行で行った世界遺を掘ってみます。世界遺産の覚え方もね。

 今回の旅の第一の目的は出雲大社参拝ですが、その次に行きたかったのは下関です。中国地方を東から西に移動すると、つくづく山口は遠い!だから、今回はぜひその山口まで足を伸ばしたいと思っていました。

 

 その中でも下関の何が私を引きつけたのか。一言で言うと、歴史の厚みでしょうか。

 車で関門海峡をちょっと過ぎた辺り、ちょうど赤間神宮の前で駐車場を見つけました。

 

天間神宮は安徳天皇を祀った神社です。

 関門海峡は、壇ノ浦の合戦の舞台。実際に下関の地に降り立ってみると、ここは思ったよりずっと狭い海峡だと思いました。潮流の向きが一日に4回変わるそうで、その激しい潮の流れが、源氏と平家の最後の勝敗を分けました。

母方の祖母である二位尼が「波の下にも都がございます。」と言って、幼い安徳天皇を抱いて入水したという話は有名ですね。

「耳なし芳一」も赤間神宮に伝わる説話で、神宮内に「耳なし芳一堂」があります。壇ノ浦古戦場跡は、現在「みもすそ川公園」として整備されています。

 

 また、巌流島もここにあるんですね!るるぶを読んで知りました。宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした島です。正式には彦島というそうです。

 そして、いよいよ幕末。みもすそ川公園には、当時の大砲(レプリカ)が並んでいます。

 

 幕末の動乱の中、長州藩は、1863年に、京都から追放されると、関門海峡(当時の馬関海峡)を封鎖し、海峡を通過する列強諸国の船に通告なく砲撃を加えます。攘夷を実行にうつしたわけです。

 しかし翌年、下関戦争でアメリカ、イギリス、フランス、オランダの列強4カ国に長州藩は砲台を破壊されまくり、コテンパンに仕返しされて、「攘夷は無理。軍事力に差がありすぎる。」と身にしみて知りました。

 奇しくも1963年には薩英戦争が起きています。実際にリングに上がって列強と戦ってみて、長州と薩摩は時代の風をヒシヒシと感じたのでしょう。

 両藩はこの事件をきっかけに外国から知識や技術を学び、軍備を近代化し、幕府を倒すことに舵を切りました。関門海峡は、歴史が動いた場所ですね。この出来事の後、高杉晋作は騎兵隊を組織し、薩長同盟も結ばれます。

 

 関門海峡のそばに立ってみると、外国船に大砲をぶっ放した長州藩の気持ちもなんとなくわかります。やっぱり、気に食わんよね、自分の庭にずかずか入ってくる外国の軍艦は。不平等な日米修好通商条約を結ばされ、国の威信を傷つけられて、外国船はすぐ目の前の海峡を通っていくんだから、腹も立つ。関門海峡は、日本の大事な玄関口なんだと私は知りました。そう考えると、日清戦争の後、下関で講和条約が結ばれたことも納得です。

 

 さて、下関に来たら、火の山公園に車で上がって、海峡を見下ろすのもおすすめですよ。船が列をつくって関門橋をくぐっていくのを眺めるのはおもしろかったです。

 

 海底トンネルを歩いて、九州の門司まで行ってくるのもありですね。