夏休みが終わり、新学期がスタートしました。
学校が始まる新学期です。
わたしも昔は、この時期、とても憂鬱でした。
わたしは1990年代後半から2000年代初頭に学生生活を送った世代です。
わたしの実家は、両親共働きで裕福とはいえない環境だったので夏休みは旅行にいくこともなく、ずーっと家で祖母と過ごしてました。それでも、夏休みは楽しかったです。毎年同じ夏休みでしたが、ラジオ体操をして、朝ごはんを食べて、少しだけ宿題をして、アニメの放送を見て、昼からは学校のプールに行って、帰ってきてからは昼寝をする、そんな夏休みが好きでした。
夏休みが好きな理由は、自由に自分のペースで過ごすことができるのと、会いたくない人に会わなくて良いというストレスから解放されるからだったかもしれません。
わたしは、小学生時代、友人たちとあまりうまく仲良くできませんでした。内向的で、わたしに問題があったのかもしれません。成績も悪くて、運動もできない生徒でした。字も汚いし、絵も下手くそで、不器用。
担任の先生には、いつも、呆れられていたように思います。
きっと、友達にもわたしの存在は疎ましく思えたのでしょう。休みの日に遊ぶ約束にも呼んでもらえず、ずっと一人で過ごす日々でした。
でも、その頃はさほど、苦痛に思いませんでした。別に一人でも嫌だとは思わなかったからです。しかし、それは、ある日を境に変わっていきました。
目に見えて、嫌がらせをされたり、いじわるをしてくる子はいませんでした。しかし、ある一人の女の子が執拗に嫌味を言ってくるようになります。今でいう、マウントです。
わたしのテストの点数、運動のできないこと、字の汚さ、色々なことネタに嫌味をいうようになります。
なんで、私だけに?という疑問を抱きますが、相談できる人は誰もいませんでした。
なぜなら、その子の親は、PTAの役員もしていましたし、一族全員が地元でも有名学校に進学する家庭の子供だったからです。父親も母親も名門といわれる大学を出ており、クラスでは一目置かれた存在でした。今、覚えば、その子も家庭で、色々あったのかもしれません。幼い頃から塾や習い事で遊ぶことを制限され、ストレスも溜まっていたのでしょう。塾にいけば、自分よりも成績が良い子と比べられ、受験に失敗できないというプレッシャーと戦っていたのだと思います。
中学に上がった後の同級会では、毒がぬけていましたから。きっと、受験のプレッシャーだったんでしょうね。大人になて風の噂で聞きましたが、その子は、先生になったそうです。今は、立派な人格で、真摯に子供を向き合っていることを祈っています。
さて、長くなりましたが、わたしも子供時代の夏休み明けが憂鬱でした。
小学校卒業まで、マウントをとられ、我慢する日々を送りました。でも、なんとか耐えれたのは、家族がいたからだと思います。多くは聞かず、いつも同じように接してくれました。特に母親は、いろんなことを感じとっていたと思います。小学生のある日、母から、「タワコ、いじめっ子はいつか絶対に天罰下るよ。神様はみてるからね。だから、タワコは負けずに、幸せになることを考えなきゃダメよ。」と言われました。
この言葉にどれほど救われたか。
今、いじめや友人関係に悩んでいる、みなさん、
いじめっ子や意地悪を言う人はいつの時代にも存在するし、幾つになっても現れます。そんな嫌なひとを相手にするのは、しんどいと思います。でも、もうほっときましょう。可哀想な人種で、構ってほしいだけなんです。自分たちの存在価値をいじめや嫌がらせでみせつけて、満足したいだけ。
自分で幸せになりましょう。幸せは自分の物差しで測ってください。
学校が始まる新学期です。
わたしも昔は、この時期、とても憂鬱でした。
わたしは1990年代後半から2000年代初頭に学生生活を送った世代です。
わたしの実家は、両親共働きで裕福とはいえない環境だったので夏休みは旅行にいくこともなく、ずーっと家で祖母と過ごしてました。それでも、夏休みは楽しかったです。毎年同じ夏休みでしたが、ラジオ体操をして、朝ごはんを食べて、少しだけ宿題をして、アニメの放送を見て、昼からは学校のプールに行って、帰ってきてからは昼寝をする、そんな夏休みが好きでした。
夏休みが好きな理由は、自由に自分のペースで過ごすことができるのと、会いたくない人に会わなくて良いというストレスから解放されるからだったかもしれません。
わたしは、小学生時代、友人たちとあまりうまく仲良くできませんでした。内向的で、わたしに問題があったのかもしれません。成績も悪くて、運動もできない生徒でした。字も汚いし、絵も下手くそで、不器用。
担任の先生には、いつも、呆れられていたように思います。
きっと、友達にもわたしの存在は疎ましく思えたのでしょう。休みの日に遊ぶ約束にも呼んでもらえず、ずっと一人で過ごす日々でした。
でも、その頃はさほど、苦痛に思いませんでした。別に一人でも嫌だとは思わなかったからです。しかし、それは、ある日を境に変わっていきました。
目に見えて、嫌がらせをされたり、いじわるをしてくる子はいませんでした。しかし、ある一人の女の子が執拗に嫌味を言ってくるようになります。今でいう、マウントです。
わたしのテストの点数、運動のできないこと、字の汚さ、色々なことネタに嫌味をいうようになります。
なんで、私だけに?という疑問を抱きますが、相談できる人は誰もいませんでした。
なぜなら、その子の親は、PTAの役員もしていましたし、一族全員が地元でも有名学校に進学する家庭の子供だったからです。父親も母親も名門といわれる大学を出ており、クラスでは一目置かれた存在でした。今、覚えば、その子も家庭で、色々あったのかもしれません。幼い頃から塾や習い事で遊ぶことを制限され、ストレスも溜まっていたのでしょう。塾にいけば、自分よりも成績が良い子と比べられ、受験に失敗できないというプレッシャーと戦っていたのだと思います。
中学に上がった後の同級会では、毒がぬけていましたから。きっと、受験のプレッシャーだったんでしょうね。大人になて風の噂で聞きましたが、その子は、先生になったそうです。今は、立派な人格で、真摯に子供を向き合っていることを祈っています。
さて、長くなりましたが、わたしも子供時代の夏休み明けが憂鬱でした。
小学校卒業まで、マウントをとられ、我慢する日々を送りました。でも、なんとか耐えれたのは、家族がいたからだと思います。多くは聞かず、いつも同じように接してくれました。特に母親は、いろんなことを感じとっていたと思います。小学生のある日、母から、「タワコ、いじめっ子はいつか絶対に天罰下るよ。神様はみてるからね。だから、タワコは負けずに、幸せになることを考えなきゃダメよ。」と言われました。
この言葉にどれほど救われたか。
今、いじめや友人関係に悩んでいる、みなさん、
いじめっ子や意地悪を言う人はいつの時代にも存在するし、幾つになっても現れます。そんな嫌なひとを相手にするのは、しんどいと思います。でも、もうほっときましょう。可哀想な人種で、構ってほしいだけなんです。自分たちの存在価値をいじめや嫌がらせでみせつけて、満足したいだけ。
自分で幸せになりましょう。幸せは自分の物差しで測ってください。