羅臼岳、お前は良かった!
国設羅臼野営場滞留・羅臼岳登山
羅臼キャンプ場朝の3時に起床。
テントの外を見る。
曇り空に霧雨。
はて、夕べラジオでの天気予報は「明日の日中は青空が期待できる」との予報はフカシだったのか?
しかし、WEB上での天気予報は何処も日中は0%が連続している絶好の行楽日和となっている。もう気持ちは固まっている。とりあえず、岩尾別から登るので其処からの天気に期待するしかないようだ。
朝飯をぱぱっと片付け、そそくさとキャンプ場から出発。
5時ジャスト。
羅臼側から見る知床峠の天気は正に最悪の状態。
真っ白の小雨がぱらつく、此処最近の知床の天気そのままである。
上下の雨合羽に身を包み、相方と共に発進、霧の知床峠を登る。車1台通らないちょっと薄暗い峠の道で見かけたものといえば、沢山の蝦夷鹿の群れである。
車の通りが少ない事をいい事に、彼らは道の真ん中を堂々と歩いている、時にはコーナーを抜けた先にいきなり現れる物も居た。勿論こちらは朝一の峠走り、タイヤや路面がこの状態だし、視界は30メートルあるかないかの状況、飛ばして走れる訳が無い。だから、目の前に鹿が現れてもパニックブレーキをするまでには及ばない。
只、今まで見た鹿といえば殆ど雌ばかりだったが、今回は峠駐車場直前の斜面にそれはそれは立派な角を生やした雄鹿が1頭だけ居たのはちょっとした収穫であった。
真っ白、羅臼岳の影すらも見えない峠を走り抜ける。
勿論車1台居ない。
ところが、峠を下っていくうちに上空に変化が現れ始めた。
雲が真っ二つに別れ、そこからいきなり青空が現れたのである。
まるで、モーゼ十戒の空バージョンの様にだ。振り返るとどうやら羅臼岳辺りから雲が分かれているようだ。さぁ、これは好天を期待して良いのかどうか。半ば不安な気分で岩尾別温泉に到着。
6時に登山開始。登山名簿を見ると既にかなりの人数が登山を開始している、やはり皆今日の天気予報に期待しているらしい。
始まりから中盤までは、鬱蒼とした針葉広葉混合樹林帯の中をつづら折れになっている道を延々と歩く。少々勾配のきついところもあるが、それ程きつくは無い。
途中には2箇所の水場があり、珍しく沢の水が安心して飲める所である。これには随分と助けられた。屋久島でも沢の水のお陰で体力が回復し下山後もかなり元気だった事があったからだ。
だが、途中までは薄暗い森林の中を歩き気温も高くなかった為に飲んだ水も少なかったので、補充の必要はナシと判断しそのまま素通りした。
やがて、森林限界を過ぎると俄かに周りが明るくなり太陽が出てきた、と言うよりもう上空はすっかり晴れていたのだ。2日ぶりの青空。振り向くと随分登ってきたのだろう、オホーツク海があるはずの所に一面の雲海が広がっている、ここから先の眺めに大いに期待が持てた。だが、この雲海が下山する頃まで残っているかどうか怪しかったので、普段の登りではまず出さないカメラを出してその風景を写真に収めた。
大沢というガレ場を登る、ここはいやな所だ。ザラザラの火山岩の細かい礫が道になっていて、歩を進めてもズリズリと足をとられる。まるで利尻山の9合目あたりのあの状況にそっくりだ。下りの時がが気に掛かる。
ここの途中には残雪が残っておりその殆どは砂を被っていたが足で砂をどかすと直ぐに白い氷状になった残雪が姿を現した。その周りには沢山の高山植物が花を咲かせていて、辛い登りではあったがその可憐な花で気持ちは随分と和らいだ。大の男でもこんな時には花の1輪でも足元に咲いていると和む者なのだ。その中でも特に目を引いたの濃いピンク色の小さな花をつけている「エゾコザクラ」(下りてきたおじさんにその名前を教えて貰った)は、本当に綺麗で下りの時は必ず写真に撮っておこうと思った位だ。
花畑を横に見ながら大沢を登りきると、広大な平原が姿を現す。「羅臼平」である。これまた、ここの眺めが凄い。右手に羅臼岳の頂上、左手に三峰の山容が自分を見下ろしている。「よく来たな」と言っている感じだ。この羅臼平の一角に広場があって大体の登山者はここに大荷物を置いて身軽になって羅臼岳の山頂にアタックするのだが、自分は昼飯は頂上で食うというポリシーがあるので、そのままそこは素通りして最後の登りに入った。
最初の這い松帯が広がるまでの道は楽であったが、その後の頂上直下の超ガレ場の登りは非常にきつかった。なにせ小型トラック位のような巨岩をエッチラオッチラと掴まりながら登るのである。道なんて勿論無い。一応ペンキで分かるようにはなっているが、それでも膝を胸辺りまで上げないとよじ登れないような岩がずっと頂上まで続いているのだ。その感じは丁度、道南の駒ケ岳に良く似ている。羅臼平まで温存してきたエネルギーはこのガレ場の登りですべて消費し尽くしたと言っていい。それ位きつい登りを30分程続けて念願の羅臼岳頂上に到着した。時刻は11時。スタートから5時間の長丁場だった。さて、頂上の様子はと言うと、まさに絶景の一言。
360度全て見渡せる。先ずは正面の知床連山、三峰から硫黄山、遠くは知床岳までしっかりと見える、右に視野を移す、太平洋側も一面の雲海だ。羅臼辺りは曇りなのだろうか、海は全く見えない。そのはるか雲海の向こうに国後島の主峰「爺爺岳」が独特の形を見せている。その向こうのルルイ岳も見える。さらに目線を右へずっと移すと先日登った雌阿寒・雄阿寒の両山のピーク、そしてその手前には知床連山の西の部分に当たる斜里岳などの山が延々と続いて見える。はるか向こうにはおそらく大雪山系の山だろうか、そこまでも見渡せる。そしてオホーツク海側、雲海はかなり消えていて海岸線が弓なりに遥か北の方まで延びているのが見える、その先が宗谷岬へと続いている訳だ。
今年の北海道に上陸してから既に3つの山に登ってきたが、こんなに素晴らしい眺めを目にしたのは今回が初めてである。
いや、過去にも1~2度しかないかもしれない。それ程此処最近の夏の北海道は天気が不安定なのだ。
風景を目で見て、写真に収めた後は待望の食事タイム。岩だらけで平らな所は殆ど無く、落ち着いて弁当を食べる所を探すのに少々工夫が必要だったが、なんとか腰掛けて食べられる場所を見つけ、荷物を置き弁当をむさぼるようにして食べた。かなり腹が減っていたのだ。やはり朝のサンドイッチとオニギリ1個では足りなかったようだ。
絶景をおかずにしながらの昼飯を終え、登山開始からここまでずっと我慢してきたタバコに火を点け一服。
「ん~~~~旨い!!!」登山して体にいいことしてるのに、やはりこの一服は極上の一服だ。止められる筈が無い。
しかし、天気の良さとは裏腹に非常に困ったのがまるで木枯らしを思わせるような強風が頂上ではずっと吹き続けて居た事だ。自分は頂上がこんなにも冷たい風が吹いているとは予想していなかった(いや、予想できた筈。羅臼のキャンプ場であれほど朝は寒かったのだ。これは完全に自分の読み違いだ)為、濡れたTシャツは乾く前に一気に冷たくなり体温を奪っていく。慌てて持ってきた雨合羽を着込んだが、時既に遅し。下山を開始する時には鼻は出るわ、くしゃみは止まらないわの完全に鼻かぜを引いてしまった。これでは石鎚山の教訓が全く生かされていないではないか!と自分で思った。しかも、羅臼平に下りた後、下りてきた羅臼岳の頂上を写真に収めるためトレッキングポールを地面に突き刺そうとしたら、緩めても居ないのに1段目ポールのシャフトが縮んでしまい、その後渾身の力を込めて伸ばそうとしても全く延びなくなってしまったのである。
こうなると、下りはきつくなる。なにせり―チが足りなくなる訳だから、段差の大きい所ではつんのめるようにしてポールを突き立てないと、頭から落っこちそうになるのだ。これは危険である。しかしどうし途中で何とかしてポールを延ばそうと試みたが、やはり駄目。結局2段目のシャフトを最大に延ばして苦労しながらも、下山を続けた。
下り初めてしばらく経つと、先ほど雲海で埋まっていた大沢からの眺めが見えてきた、今は雲海も殆ど消え海が見えている。やはり、登りの時に写真に撮っておいて正解であった。勿論「エゾコザクラ」も写真に撮っておいた。
満足した気分で登山口に到着。時刻は3時過ぎ。
しかし、鼻の調子は最悪だ。相変わらずくしゃみが止まらない。ここにお風呂セットを持ってきて「ホテル地の崖」横の無料露天風呂に入ればよかった。
とりあえず、下りでも汗をかいていたので途中で脱いだ雨合羽を再び着込み、相方に跨って帰路に付く。
知床峠に差し掛かる。天気はまた羅臼側とウトロ側で全く変わっていた。先ほど登ってきた羅臼岳が半分しか見えない。ウトロ側から登ってきた時は全部見えたのに峠に差し掛かった途端これだ。
しかも、そこからの下りは曇っている。天気も悪い。気温も低い。羅臼側はツクヅク天気に恵まれていない。我慢のワインディングランを終えて、キャンプ場に到着。テントに戻り速攻で着替え、まず熊の湯に直行。これが、今晩最後の熊の湯入りである。
熱めのお湯がこのときほど有り難かった事は無かった。しかも、毎日のように此処の温泉に浸かっているせいだろうか、カムイワッカで痛打した右ひざの痛みが登山の時も下山の時も全然感じられなかったのは、おおいに助けられた。
夕飯は勿論作るようなことはせずに、夜の羅臼の町に出かけ、温まるような物を最後の晩餐にした。心残りはその頼んだ定食の中に自分の苦手な「ツブ貝」が入っており、ちょっとかじっただけで後は残してしまった事位だろうか。明日はいよいよ羅臼を撤収する日。というかようやく撤収する日になった。悪天候が続き予定が伸び伸びになり、結局1週間以上ここに滞在する羽目になってしまった。勿論、同じキャンプ場にこれだけ滞在したのは屋久島のキャンプ場の5泊6日に記録を上回っている。いい加減この場所に飽き飽きしてしまった気持ちもあるにはあった。
早く、移動したい。そんな気分になっていた。