○八月十七日
礼文島→美深森林公園キャンプ場
睡眠のサイクルが、旅モードになってきたのだろうか、うっすらと窓から差し込んでくる日の先に目が覚めた。しかし起きたくて目が覚めたのではないので、意識は眠ったままである。布団の中でウツラウツラしていたら、館内のスピーカーから
「ブチッ・・・・・」
というノイズが聞こえたと思ったら、あの稚内の食堂で聞いた演歌が大音響で流れだした。
北原ミレイの[石狩挽歌」が右翼の街宣カー並のボリュームで鳴り響く中、布団から出るなり布団を片付け荷物を纏めた。一刻でも早くこの宿から出て行けるようにする為である。
食堂に入ると、松橋氏がいた。
隣に座って飯をかき込む。後から高野氏もやって来た。
三人揃ってガツガツとやっていると、
「お早うございますうう」
と言って自分の正面に座った者がいた。顔を見ても誰だか思い出せない、見たこともない男である。
「あんただれ?」
と聞く訳にもいかず、軽く挨拶を返してそのままぬるい味噌汁をズズズッと啜った。
「もう、お帰りですかあああ?」
と、その男は間いてきた。
「ええ」
と短い返事。他の二人は無視しているようだ。
「僕はもう今日で七泊目なんですよおおお」
と、聞きもしないのにその男は続けた。こいつはどうやら桃岩の悪性の毒に侵されてしまっているようだ、
「なんでこんな島に一週間近くも居られるの?」と間くと、
「本土なんてもう行くところなんて、ないですようううう」
ときやがった。
その言葉を聞くと同時に、これ以上こいつとは口を聞かないほうが良い、と判断し、即効で食事を片付け「じゃ、またフェリーで」と残りの二人に声を掛け、食堂を出た。
「囲炉裏の間」に戻ると、出発の準備を整えてなおもまた談笑をしている人間が車座になって屯している。壁の貼り紙にフェリーの行き先と出港時刻が書かれており、宿泊客の荷物はその時刻別、行き先別に分けられかたまって置かれている。自分のように自分のアシを持ってきていない人の為に、ヘルパーの運転するワゴンに満載して運ぶからだ。
当然、ワゴンには座席までのスペースを使って積み込むので、人間の乗る場所はない。
従って、荷物の持ち主は天候の善し悪しに係わらず、フェリー埠頭のある香深まで徒歩で向かわなければならない、当然、町は山向こうにあるので、山越えの坂道を延々と歩き続けなければならない、自分が、相方とともにここに来たときも、十分少々かかったくらいだから、その距離は推して知るべしだろう。前日に八時間コースを踏破した人間は、もう一踏ん張りしなければならない訳だ。
運悪く、仲間の高野氏は前日の強行軍でマメをつぶしてしまい、かなり辛そうである。
そんな時に限って肝心のアシのスーパーシェルパは稚内港近くの倉庫に預けたまま。荷物をワゴンで運んでもらい、相方にタンデムして港に向かったらどうか、と自分は提案したが丁重に断られた。「あの足の状態でよく歩ける気になるもんだ」と、自分はなかば呆れてしまったが。
香深の港はUターンの客で大混雑していた。隠岐島でも感じたが、よくもこれだけの人間か島の中にいたものだ。
天気は曇り、流石に少し肌寒さを感じる。利尻島の方を見ると、鉛色の雨雲が覆い披さっている、間違いなくあの下は雨が降っているだろう。沖に目を移すと、白波が立っていて、水平線が霞んでいる。「おやおや、こりゃ久しぶりに揺れるな」と予感、その予感は入港してくるフェリーの姿を見て、確実なものになった。防波堤の向こう側に見えてきたフェリーは、激しいピッチングを繰り返していた。
まるで、その挙動は大型の漁船を思わせるほどの酷さだった。船に弱い人は、あの姿を見ただけで気分が悪くなったに違いない。
フェリーの甲板デッキが開くと、そこからは超大型の重機やら、ダンプが次々と轟音を立てて降りてきた。家族連れを乗せたクルマや、バイクの姿は数える程だった。お盆のシーズンはもう終わり、北の島には、早くも日常の生活が始まりつつあるのだ。
鈴なりのデッキに出ると、船尾に松橋氏と高野氏を発見した。下の岸壁からは、例の怒鳴り声が聞こえている。このアホ共の姿を礼文色最後の映像記録のシメとして、是非ともこの姿を撮りたかったので、人垣の後ろを右往左往した後に、船の換気口のカバーの上にスペースを確保、一段高くなっている上にデッキの手すりスレスレにカメラを構える事が出来るので最高の俯瞰映像が撮れる。カメラのスイッチを入れ、ファインダーを覗く。一昨日見た、あの異常な光景が飛び込んできた。彼らは船尾近くにいるYHの客たちを見上げながら、フルコースを踊っていた。デッキにいる何人かも踊っている、周りの一般の客たちは微笑ましく見ているのもいたが、白けきった表情や失笑しているのもいた。
長い汽笛の後、ゆっくりとフェリーが岸壁を離れはしめた。それと同時にヘルパー達が猛ダッシュで、防波堤の突先に向かう。
「いってらっしやーーーーいひひひひひ!!!!!」
「いってきま~~~~~すうううう!!!」
ここのYHは、帰っていく客をあんな風に送り、客はこんな風に答える。そんな事を何度か、お互いの姿が見えなくなるまで繰り返していた。
「ああ、やっとこれで静かになるな」
と、名残惜しそうに、小さくなって行く島を見つめるYHの客の横で、聞こえるように呟いてやった。もう、ここまで来れば桃岩の驚異に怯える必要もない。ここから先は我々のような常人(?)の世界である。
予想どおり、フェリーは沖に出てから激しい揺れが始まった。三人ははじめ、座るところが無かったので、デッキにべ夕。と座り込み、雑談をしたり名刺を交換したりしていたが、しまいには潮を彼るほどの高波も出てきたので、人込みてムッとした熱気のこもる船室の一角に陣取った。マメを潰した高野氏は自力で港まで歩いてきたという、やはり呆れたもんだ。そして、フェリーに乗ったというのに、八時間コースの時と同じ丈の短いズボンを履いている松橋氏、今になって気づいたのだが、彼の足は太股の半分から下が真っ黒に日焼けしている、昨日一日で焼けたとは思えない。まるでチャリダーのようだ、しかし、彼はミュンヘンエ場製の単車に乗って来ている筈。尋ねてみると、彼は上陸してからずっとこの恰好で、単車に乗って移動していたんだというではないか。これまでに色々な恰好をした単車乗りに会ってきたが、半ズボン姿で北海道を旅している奴は初めて見た。
彼は、「この服装のお蔭で、何度か地元の人間に間違われましたよ」といっていたが、よくよく考えてみたが、やっぱり呆れたものである。
本土稚内港着。防波堤ドームはお祭りが終わり、撤収を始めている。三人三台揃っての写真を撮り、自分が去年買った「おねだりキツネ」を同じ土産物量で入手した。
つられるように付いてきた二人もに続く。他の二人もそれを見て「へぇ~。加わいいですね」と好印象のようで、結局二匹お買上となった。
しかし、ここで売店のオバハンから気になる情報を聞かされた。「このキツネね、もうここにあるだけでお終いなのよね」
驚いた俺は「えっ!じやあもう作ってないの?」と聞くと、詳しいことは分からないと言ってる。
このままでは毎年一匹づつ仲間を増やしていく事が出来なくなる、これは自宅に帰ってから、製造元に確認をしなければならない。こんな傑作ほかでは絶対手に入らないからだ。
土産物屋の前でお互いの今後の無事を祈って散会。
宗谷岬を素通りしてオホーツク海ルートを南下する、猛烈な強風が海から吹きつけてくる、荷物満載の相方でさえも斜めになったままで走るほどの風だ。二日ほどのドタバタから解放されたのか、この道の雰囲気のせいなのか分からないが、久しぶりに一人になったんだなと感慨に耽りながら、相方を斜めに操縦する。対向してくる自転車が苦しそうだ、下を向いて必死になってペダルを漕いでいるので、こちらと挨拶を交わすことさえも出来ない、彼らは本当によくやるなと、その姿をミラーで見送るたびに感心する。風はやがて追い風になり、相方の周りは無風状態になる。油屋計の数字がグッと上昇する、上空の雲が我々とほぼ同じスピードで移動する。これも、直進道路ばかりの北海道ならではの現象である。
去年昼飯を食べそびれた浜頓別の町で、直ぐに定食屋を見つけ昼にする。一服したのち、出発。順調にルートを辿る。こんな時は少々の強風に流されても、鼻唄まじりである。走っている事自体が楽しい、これがツーリングである。
記憶のままに地図を見ないで、枝幸をパスし見覚えのある交差点で歌登方面へ折れる、怪しい天候は内陸ほど悪化していた。真っ黒な雨雲と夏の日差しが差し込む境目が、遥か先の山々まで続いていて、非常に幻想的な光景を創り出している。時折、シャワーのようなにわか雨に降られたが、カッパを取り出すことはなくそのまま走り続けた。時間に余裕が無いわけでもなく、雨宿り出来る場所が無い訳ではなかった。今、雨を降らせているのはほんの一部の地域だけで、その数キロ先は雲もなく、晴れ渡っているのが見えているからだ。
早い時間に美深の町に入った。美深森林公園のキャンプ場は勿論健在で、今回二度目のお世話になることになる。去年と同じ場所が空いていたので、そこにテントを張り食料買い出しに町に向かった。今年のキャンプはここが最後てはなかったが、去年のあの晩に食べた海鮮丼のウニ味が忘れられなかったので、今夜も豪勢に・・・と考えたが、早々に諦める事にした。何故なら、スーパーで売られている生雲丹は保存が全く効かないので、今年の様な気温では危なすぎる、そして計算外の早すぎる到着がその理由だ。
ま、ウニが今年で全滅するってんなら、夕食前のおやつとして買って帰っても良かったんだけどね。
食料買い出しを終え、テントに戻るとて一人のライダーが待ち構えていた。お互い挨拶を交わし、色々話を聞いているうちに、彼もプータローだという事が判明した。元の職業は車の販全工だったという(あれ、前にどっかでこんな人に会ったような気がする)家をてて半月近くになるが、北海道は二回目だと言うわりには、余りあちこちを走っていないようで、地図を広げながら「ここはよかった、あそこは行ってみるといい」と話しても余りピンと来ていない様子。そこで、この時こそと思いつき、ビデオカメラを取り出して今日撮ってきたばかりの桃岩荘の様子を再生して見せてあげた。
映像の威力は絶大で、再生されている間彼は、
「なななな何ですか!?この人達は!!!!一体何者なんですか!?」
と驚きを隠せない様子、そして暫くの間ジーッと液晶画面を食い入るように見入っていたが、テープが終わるやいなや、それまで礼文鳥にそんな有名なYHがあることさえ知らなかったのに、映像を見おわると同時に
「礼文鳥にはどのようにして渡ればよいか?あのYHは今は空いているのだろうか?」
などと矢継ぎ早に質問してきた。
彼は実のところ、どこに行けば面白いか等とは殆ど考えずに、ここに来たのだという。
四~五人は軽く入れそうな巨大なテントを立て、ひがな毎日を送っている間に一日一日が過ぎ去っていって、テントを畳むのがだんだんおっくうになってきて(そりゃ、あんなどでかいテントを建ててしまったら、撤収する気もなくなるわな!)、丸五日間ばかしここに宿を構えてしまっていたらしい。アシのGPZ900Rも、食料買い出しの時の足としか使っていないと言う。しかし、自分のこの映像記録を見てから、彼の目つきははっきり変わった。ようやく、移動する決心がついたらしい。彼は、移動のキッカケを与えてくれた自分に感謝してくれた。
なんだかんだ雑談をしているうちに、夕食の時間となりそれぞれのテントに戻った。目の前の国民宿舎で温泉に入り、早めにシュラフに潜り込んだ。しかし、幾らか涼しくなったとはいえ、昼間のにわか雨が此処にも燐ったのか、ムシムシッとしていてなんとなく寝苦しい。本当にここは北海道なのだろうか???