○八月十六日

礼文鳥滞在 愛とロマンの八時間コース参加

 夜も明けきらない早朝四時過ぎに、「囲炉裏の間」をウロウロと歩き回る人の足音で目が覚めた。またも、寝不足である。起床の時間まではまだ少し余裕かおりそうだったので、布団の中でウダウダしていたら、携帯のアラームがけたたましく嗚った。
 食堂に行ってみると、早くも朝飯をむさぼっている奴が何人かいた。朝もはよから元気なもんだ、自分はむかつく気分を抑えながらメシを無理やり流し込んだ。
 「囲炉裏の間」に戻ると、もう既に身支度を整えて出発を待っている奴が何人かいた。
朝もはよから気合が入っているもんだ。自分はベットに戻り荷物のチェックをして、顔を洗い、大物を出しにトイレに向かった。
 なんだかんだウダウダとやっている内に、出発の時間になった。この日のために持って来たオージーハットを被りワゴンに乗り込む。ここでもまた、車を走らせる前にヘルパーの音頭に合わせて

「発車~、オ~ラ~イ・・・・・」

と泊まり客どもが声を殺して唱和した、勿論自分は黙って外の風景を眺めていた。
 朝日が眩しい香深に到着、山を隔てて西側にある桃岩荘は薄培かったため、ここに来ると眩しくてしょうがない。空を見上げると、雲らしい雲が全く無い、どうやら今日も暑さとの戦いになるのは必至のようである。
 昨晩の説明会の最後に、ヘルパーが明日の天気を発表した。まぁ、当然晴れなわけだが、そのときの客の反応が面白かった。礼文鳥は夏の北海道中でも比較的涼しい、もしくは肌寒いのが普通であって、例年なら天気が悪ければ、北西からの強烈な風で、厚手のジャ桃岩荘宿治者が多い。それだはどうでもいい事なんだけど。
 見覚えのある「スコトン岬」にて降車。一端ここで集合写真を撮り、出発。しかし、ベースが遅く、自分はドンドン先の方に行きそうになる。こんな調子で日没前に宿にたどり着けるのだろうか。八時間とは名ばかりで、実質は十時間かかるそうだというのに。
 最初の難関、「ゴロタ岬」の上り坂に差しかかった。ヤッパリきつい。自分の背中のバックパックには、自分の分の「圧縮弁当」と水。それとグループに二本ずつ渡されある一定の時間を持って交替に運搬する、凍らせた麦茶が入っている水筒の一本が入っている。コイツがまた強烈に重い。それもそうだ、まだ誰も□にしていないのだから。
してや、一人ではなくグループで行勤しているので、ペースをうまく合わせないといけない、速過ぎると早くバテるし、モタモタしていると置いていかれる。これは、ツライ。
何回かのアップダウンを繰り返し、岬頂上までの最後の上り坂を登り始めた頃、気温が急激に上昇してきた。いよいよ、夏の太陽が暖機運転を終え、本格的に稼働を始めたのだ。
汗が一気に吹き出してくる、ジーンズが足に貼り着く。歩きにくい、今度から登山をする時は、もっとましな素材のズボンにしよう。水平線から少し上にある太陽が、遮る物の殆どない草原の上を歩く我々に強烈な光線を叩きつけてくる。サングラスを掛けて、視界を確保する。見た目はまるで東洋系オージーである。心臓がバクバクする、ひたすら地面を凝視してペースキープに集中する。景色なんて見ていられる余裕は、もう既に無い。ゼーゼー登りつつ、ふと前をみると人だかりがしている、近付いてみると女の子が一人、草むらのなかにぶっ倒れている、息づかいが荒い。顔が真っ赤である、どうみても日射病にやられたとしか思えない。そういえば、彼女は我々のグループのサブリーダーだった筈だ。
このツアーのリーダーになる資格は、簡単明瞭、過去にツアーに参加したことがあれば椎でもなることができる。ただし、男女丁ハずつの条件付きなのて、過去に参加したことかあると言っていた彼女がサブリーダーになった訳だ。(宿についてから思ったのだがこんなしんどいだけのツアーに、二度も三度も参加する事自体、正気の沙汰ではない。そんな人開か大半を占めるこのツアーは異常者の集合体としか考えられない)
 ここで、立ち止まったところで邪魔になるだけだし、折角掴みかけてきたペースを狂わせたくなかったので、そのまま先に進んだ。
最初の休憩場所の「ゴロタ岬」の眺めは確かに良い。文章で表現するには限界を感じず最初の休憩場所の「ゴロタ岬」の眺めは確かに良い。文章で表現するには限界を感じずにはいられない海の青さ、吹く風に汗が冷やされる。しかし、それ以上に日光が強烈で日陰が少ないこの島のトレッキングは、逃げ場所もなくキツイ。
 他の女の子に支えられるようにして、サブリーダーが休憩場所に登ってきた。相変わらず顔が赤い。聞くところによると彼女は頭になんにも彼っていなかったらしい。
「そりゃ、倒れるに決まってんでしょ」
と煙草の煙を鼻から吐きながら呟いた。
 その後は、ひたすら下り。海沿いの平坦な集落と港の続く道路を歩いてクールダウン。
鉄府の集落に差しかかった辺りで、島の漁協放送が流れだした。「只今、全道に於いて食中毒警報が発令されました」
 不慣れなこの暑さで、満足な冷房、冷蔵システムのない北海道は人間を初め、農作物、食料に思いも寄らないダメージが出始めているようだ。しかも、地元の話しによると、この警報が発令されたのは三十数年振りだという。如何に今年の暑さが異常なのか、この後も何度も味あわされることになる。
 呼吸がようやく落ち着き、汗の出かたも安定してきた。そうなれば、周りの風景を眺める余裕くらいは出てくる。陸上からも、はっきりと海廊下の昆布の揺らぎが見える。東海岸側と追って、こちら側は人の手があまり入っていなさそうな雰囲気、ドボンと潜れば旨そうなウニとご対廊しそうな感じだ。
 大型観光バスが相も変わらずウジャウジャといらっしゃる「辺海岬」に到着。ここで二枚目の集合写真を撮る。岬の展望台から降りるとき、ふと後ろから

「あの、バイクで来られたんですか?」の声。

この島に来て、宿の客に初めて声を掛けられた。それまで、あくまでも第三者的な立場を守り、絶対にこの宿のカラーに染まってなるものかと決め、三日間極力他の人間とはコミニケーションを取らないようにしてきたが、その声を掛けてきた彼は、じっとだんまりを決め込み、必要異常の言葉は喋らず、モクモモクと歩いていた自分が気になってしょうがなかったらしい。
  「ええ、まぁ」と、自分。
  「何に乗ってるんです?」と、彼
  「ZI」

  「えっ!・・・・!!なんですって!?」

 と、その声を掛けてきた彼ともう一人、自分の後ろでずっととバイクの話をしていた男が同時に叫んだ。その後は凄いだの渋いだの賛辞の言葉の雨あられが続き(旧車でツーリングする事が、今では普通になっている自分にとってはなんとも居心地が悪かったが)、それ以後はその二人と話をしながら行動を共にする事となった。
 最初に声を掛けてきた彼の名は、松橋氏、出身は埼玉県。現在無職でその気になるまで北海道に居続けるとの事。足はこれまた珍しいBMW-R80STである。自分が、松橋氏の単車の話をおおよそ聞いただけで「ああ、STに乗ってるんだ」と言いあてると、偉く喜んでいた。(今まで、いろんな人と話しをしてきたが、STを知っていたのは、自分が初めてだったらしい。)もう一人の彼の名は高野氏、出身は茨城県。足はスーパーシェルパ。しかし、ちょっと前までGPZ-1100Fに乗っていたという、自分でそれなりにモディファイしたりするのが好きらしく、ZI・Z2は今でも憧れの一台だという。
 話しを色々しているうちに、この二人は自分の察する限り、普通の人間のようだ。こんな事考えている所を、二人に察されたら袋叩きに会うだろうが、ほかでもない、夕べの櫓祭りの時、この二人が一心不乱にフルコースを踊っていたのを、自分はちゃんと見ていたのだ。
 軽いオヤツと水分補給、オージーハットに水道の水を満たして頭にかぶる。ボタボタと水滴が顔にかかってくるが、涼しくて快適である。その様子をみて他のメンバーはしきりに

「いいの持ってきましたね~」と、羨ましがっていた。
 出発。
ここで持ち回りの水筒を他のメンバーに渡し、お役目御免。ようやく身軽になった。海沿いのトレッキングルートはここで一端お終い。リーダーがミスコースをして三十分のロスタイムが発生した。お蔭で今までずっと視界に捕らえていた、先発隊の「アホチーム」が全然見えなくなってしまった。
 礼文島では珍しい森の中の遊歩道を道む。木陰の下は少しは涼しいかと斯待していたがかえって湿気が多く、ムシムシしていて不快極まりない。そんなに時間が経過していないのに、喉がカラカラになってきた。展望がきかないつまらない道を一列になって歩く。
前を歩いている人開か払った、背の高い草が顔にぶち当たってくる。全くもって歩きにくい。この時点で、既に、誰が二度と参加するか!の気持ちになっていた。
 道は再び上り勾配、所々に飲めないが、沢のある所を通過する。その度に帽子を水没させ頭にかぶる。とにかく、少しでも頭を冷やしておかないと、足が継れてぶっ倒れそうになるからだ。
 まもなくして、コースの中間地点を示す看板が見えてきた。その先にある最後の集落、「宇遠内」の手前の小高い丘で、待望の昼飯となった。しかし、カンカン照りの下で木立もなんにもない。暑い、という言葉を吐くのも憚られるほどの暑さがピークになっている。
しかし、此処までの行軍でカロリーを燃やし尽くした自分は、

「コンビニでこんなの五百円で売ってたら、訴えてやる」てな中身の圧縮弁当を五分足らずで平らげてしまった。
ここで、他のメンバーから切ったオレンジが振る舞われたなんだか、去年「利尻山」の頂上で、知らない人から切ったメロンを貰ったのを思い出してしまった。
 一息ついたあと、何人かが何を思いついたのか、遠くに見える山に向かって叫びはじめた。
「くそ暑いぞーーーーー!!!」とか、

「こんなツアー、もう嫌だーーーーっ!」とか、

かわりばんこに怒嗚っていた。

しかし、松橋氏の「○×子ーーーー!愛してるぞーーーー!!!」

には、皆の会話が止まり、その女はあんたのいったい何なんだ?、と宿に到着する最後まで他のメンバーに尋問されていた。
 出発。暫くしてルートは海にドンドン近づき、通称「砂すべりの坂」に差しかかった。
利尻山の頂上付近を思わせる深い砂地の急坂である。慎重に歩を進める者、一気に駆け降りる命知らずの者、各々が一列渋滞を崩してルートー杯に広がって降りていく。しかし垂直に近い角度の岩が露出する所があり、そこは殆どの人開か、踏み固められた獣道を降りている。しかし、女の子が怖がって途中で立ち止まってしまう時かおり、後ろの人聞か立ち止まられずに前の人を押してしまうという危険な状態が何度かあった。「あんな、危ないところにいたら、心中してしまう」自分は、それを見て列から離れ、もっと足場が安定しそうな所を見つけながら降りた。
 登り道では、自分より年齢が下のメンバーに雛されたりしたが、下りは登山経験がそれなりにある者のほうが、効率よく安全に降りる方法を心得ているので、降りるスピードは断然に連い。降りきった所で一番手に到着した人間に追いつく、

「いい、バイパス見つけましたね」

と言われた。見上げると、自分が降りてきた脇道を後のメンバーが次々と降りてくる。
 ここからは、海沿いに連なる磯を南下する。小型トラック程の大きさの岩を乗り越えていくのだが、これがまたキツイ。足元に注意していないと、転倒はおろか最悪は骨折も考えうる危険なルートである。足元には、打ち上げられた昆布が日光に栖されてカラカラに乾ききっている。しかし、売り物になっているような真っ黒ではなく、オレンジ色の不気味な色に変色している。おまけに悪臭まで出ているようで、岩と岩の窪んだところを通りすぎる時は、その濃縮された潮の匂い(香りではない)で何度か、吐きそうになった。

荒磯をかなりの時間歩き「宇遠内」にて、小休止。これでもかと言わんばかりに、水分を補給する。気温は本日の最高を示している。礼文の人と何度か話をする機会が何度かあったが、みな一様に

「異常だ」

「家にはクーラーがない!」

「今年買っても、来年はいるかどうか・・・」

と口にしている。関東地方の猛暑に慣らされている自分にとっては、三十度の大台を越えるかどうかで暑さの度合いを考えているが、彼らにとっての夏の暑さは二十度までである。今年のこの連日の酷暑は想像もしなかっただろう。
 全員の体力が回復したところで出発。再び山の中に入って行く。従来のコースはここから更に海沿いの磯を辿って、そのまま地蔵岩のある元地に到着する事になっていたのだが、途中のルートにて大規模な崩落が発生し、ザイルと縄梯子とフリークライミングの経験を持ち合わせている者でなければ通過できなくなってしまったのだ。
 海抜ゼロメートルから、一気に山間の礼文林道のある所まで上り詰める。数十分間の移動だったが、これがとんでもない急勾配で途中で何度も休もうと思ったか。しかし、誰も歩みをやめる者が居なかったので、ここはまたまた地面との睨めっこをしてやり過ごすしかなかった。自分の後ろで、出発してからずっとベラベラと喋っている男かいたが、ここに来てまでもまだ喋り続けていた。どういうスタミナしてんだか・・・。
 礼文林道の合流ロで最後の小休止したのち、ダラダラとした上り坂を登り切った先は、ほぼ三六〇度展望がきく高台に出た。左手に西日を浴びて浮かび上がる巨大UFO「利尻島」が見えた。ここで、辞める前の仕事がプロカメラマンだったという松橋氏に一枚撮ってもらう。その後、一人のけが人が発生したことを知る。身長が180近いハーレー乗りの学生だ。彼はそのコンパスを活かして自分の先を悠々と歩いていたのだが、宇連内手前の荒磯にて足を挫いたらしい。この時ばかりは自分の足の長さを有り難く思った。
 林道を歩いていて、ハーレー乗りの兄ちゃんと話しをする時があった。
「足の痛さはなんとか我慢できるんですけど、さっきから肺の辺りが痛くてしょうがないんですよ」
「兄さんは埋草は吸うの?」
「いえ、吸ったことないんです」
「でもけっこう今、しんどそうだよね」
「もう、限界に近いですね」
「足挫いてから?」
「いえ、その前からです」
「おれは、歩きながらでも吸う時が有るけど・・。じぁあ、煙草吸っても吸わなくても体力的にはあまり影響は無さそうだね。君の様子を見た感じでは」
 そう、言われた彼は黙って苦笑いをしてみせた。

元地のトンネルを抜け、ヘアピンの連なるアスファルトの道を下る。ゴールが間近とあって皆元気になった。展望台の横を過ぎ急なダートを更に下る。桃岩荘が視界に捕らえられると、やはり屋根の上で旗をバッタバッタと振り回し、大声で歌っているヘルパーの姿が見えた。

[お~か~え~り~な~さ~い~、パパヤ♪、オーカーエ~リーナーサ~イー、パパヤ♪」

と歌っている。彼らは毎日、八時間コースの客が帰って来る度にこの儀式を繰り返しているのだ、アホを通り越してある種の敬服の感を持ってしまった。
 午後五時二十分、「桃チーム」桃岩荘に全員無事到着。
 はやく、着替えをして風呂に入りたいのにここで海に向かって横一列に並ばされた。
「ここで、皆さんに質問があります!皆さんが無事に帰ってこられたのは、誰のお蔭でしょーーかーーー?!」
 チームリーダーの俺というふざけた答えや、「皆の団結力」というそんなのあったか?という答えが出るなか、屋根の上のヘルパーは「答えはそう、皆さんの目の前に今沈まんとしているあの太陽のお蔭なんです!!あの太陽が皆さんの歩く道を明るく照らしてくれていたから帰ってこられたんですううう!!!」
 この時自分は事態を素早く察知した。そして、それが現実となった。
 「さぁ皆さんであの太陽に向かって、感謝の踊りをしましょう!!!!」
・・・・・やっぱり
「ギンギンギラギラタ日が沈む ギンギンギラギラ 日が沈むうううう~~~♪」
 夕べ、フルコースの中にあったヤツだ。ここで露骨に引いた態度を見せると、何因縁つけられるか知れないので、小手先だけてやっているふりをして済ませた。
 玄関前で最後の集合写真。ふとGパンを見ると、全面にこびりついた埃が汗に濡れて赤黒くなっている。靴もバルボリンのTシャツも両腕もそして、顔も見事に赤黒くなっていた。こんなに焼けたのは本当に久しぶりである、当然北海道では初めててある。

 ズッシリと重くなった衣服を脱ぎ捨て風呂に直行。今日ばかりは昨日のようには待てない。相も変わらず風呂場は混雑していたが、構わずズンズンと入ってザッと汗を流し食堂にて松橋氏と高野氏と飯をガッガッと食らい、洗濯機に汗埃仕様の下着を放り込む、
その後囲炉裏の間にて三人でようやくゆっくりと話が出来る場を持つ事が出未た.
 その最中に「表で鐘楼流しをしますから、全員出てきて下さ~~~い!!!!」とヘルパーが呼びにきたが、無視。
我々三人組は、松橋氏が密かに持ち込んできたというワイルドターキーに舌鼓を打つのだった。

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