O八月十九日
日本最北端の岬へ
晴れ/曇り 沓形岬キャンプ場→美深キャンプ場
道内の喧騒から逃れてきた離れ島の日々はとても充実していた。しかし、楽しい祭りには悲しいことだが終わりがあるように、この日々が永遠に続くことはない訳で、ありえないのだ。
あってはならないのかもしれない。
朝八時過ぎ鴛泊発のフェリーには少々の時間の余裕があったので、ゆっくりとキャンプ場を後にし、ターミナルヘと向かう。ここで自宅に送る土産物を思い出し、ターミナル前の売店に駆け込み、利尻昆布と生ウニを宅配してもらった。(ここの売店のオネーチャンが、場所に似合わず結構かわいい。夏のあいだだけここで働いているのかもしれん)
朝一番の帰りのフェリーは島内観光の大型バスやマイカーが多く、車両甲板は満車であった。その隙間に相方を置き上部甲板に這い出る。
すると、岸壁にひときわ目を引く集団の姿があった。アコギを抱えた裸足の男が三人その他若い男女が五から六人、大きな旗を持っているのが一人。見るとYHのペアレントとヘルパーらしい。(あの利尻山山頂で騒いでいた連中が泊まっていたところだ) 全国各地のYHで見受けられる見送りの儀式である。アコギの三人がガシャガシャのギターを掻き鳴らし、他のメンバーがそれに合わせて手拍子足拍子で歌を歌う。
これはかなり恥ずかしい。ここからは見えないが、船のほうに夕べ泊まったホステラー(いちいち専門用語をつかうのは誉陶しい)がいるのだろう。時々拍手をしたり、声を掛け合ったりしている。いかにも僕等は青春を謳歌していますってな感じで、どうもこういうのは自分の感性にあわない。
これそのものが悪いわけでなく、「いかにも我ら青春真っただ中!!!」というのが好きになれないのだ。
何事もさりげないというのが良いと考えている。その方が気疲れしないし、今までに何度もそれで感動を味わったことがあるからだ。
船が港を雛れると静かになるのは毎度のことなのだが、静かになったのは表だけで船室は相変わらすの満員状態。シーズン中の家族連れや少数のグループだけでなくジジババ団体様の独占席となっていた。当然中には入れない、いや入りたくない雰囲気だ。だからデッキの手すりに寄り掛かって一時間半余り立ちっぱなして宗谷の海を眺めていた。
水平線にボンヤリと浮かぶ野寒布岬も此処から見る限りては、薄曇りではあるが天気は悪くはなさそうだ。数日前に苗村氏が稚内に訪れた時は雨だったと言うから、事は巧く連
んているようだ。
朝の稚内市内は静そのものだ。最北の街を走ると、早くもここには秋の気配が感じられる。目に見ることは出来ないが、肌で感じている。四つ翰に乗っていたら絶対に感じられないことだ。
今までの予定が順調に消化してくれたおかけで、このままR40で南に下るのは勿体ないと考えられる余裕もできた。だからここは東へと進路を変更して宗谷岬に向かうことにした。
半年前からビッチリ練り上げたスケジュールをその通りに消化してゆくのが自分のツーリング従来のスタイルだが、かといって融通がきいていないわけてはない。余裕がある限りはどんどん寄り道していくし、野宮地も変えていくのは自然なことだ。
日本最北端への道は淡々としていて何もない。昧気ないと考えればそれまでだが、うるさい看板や広告塔が立ち並ぶ内地郊外の国道よりはいい。その淡々とした国道は、呆気なく岬へと我々を案内してくれた。雑誌で腐るほど見てきた最北端の碑がそこにあった。
岬、といえば高知の足摺、伊豆の石廊、青森の尻屋、北海道の襟裳が印象的で尖った断崖絶壁だったり、道が終わってその先の草原に白亜の灯台が立っていたりして、最果ての雰囲気を前進に感じる事が出来るのに、ここは国道沿いにあって売店がすぐ近くにある。
地形は平坦でどこがとっ先なのか分かりにくい、目の前の海は波一つ無くノペーッとしている。なんだかなー・・・・・という気分になる。なんかこう、感慨と言うものがいま一つ湧いてこない、有名観光地嫌いの持病が出てきたか・・・・・。
大型バスが入れ替わり立ち替わりやって来ては、ゲーッと団体客を吐き出しては、ズルズルズルッと吸い込んで出ていく、判で押したような行動パターンが眼前で繰り返されている。思い出したのだが、つい最近までここではかのご当地ソングがやかましく流れていて風情ぶち壊しであったが、それも今はなく多少はましになったのか・・・・。
日本最北端の地には数十分いただけて、我々は先に進むことにした。これだけ有名なところに来ても、未だ自分の心の中での岬ランキングトップの「尻屋崎」の地位は揺るぎそうにない。冬の海を思わせるオホーツク海がこんどは我々のお供をしてくれる。
青い青いオホーツク海は晴れていても曇っていても蒼い。白い砂浜が延々と続いているが、波があまりにも高いのだろうか、サーファーどころか人影すらも無い。でもたまに自分の目をひくのが、砂浜に点在するテントである。横殴りの風が吹く海岸でキャンプするとは、なかなか根性が入っているとみた。人の行き来がないからいいだろうけど、夜寝るときは三~四メートルの大波がドーンと海岸に打ち寄せている波の音とゴーゴーという風の音がうるさいだろう。ここも、見た目の青さだけだと南国の海を連想するが、冬ともなれば流水に覆われる厳冬の海になる訳だ、なんだか少し想像がしにくい。
郊外では八〇キロ、民家のあるところは指定速度以下のペースをキッチリ守り走ること一時間、宗谷から出発して初めての市街地浜頓別に入った。しかし、そのまま素通りして枝幸へ。
枝幸は蟹の水揚げ日本一と聞いている。ならばウニイクラときたら力二ではないか?枝幸の昼飯はカニめしだ、と思ったが長万部のようなカニめしを食べるところが見当たらず散々捜し回った挙げ句、結局は普通の食堂でチキンカツ定食を頼んでしまった。もしかしたら地元の人に間けばよかったのかもしれないが、空腹で多少イライラしていたので、その余裕はなかった。
若かりしころ、オロロンラインをZ2に跨が的二八〇~一九〇辺りでかっ飛んでいたと話してくれた定食屋向かいの店長と暫しの立ち話の後町を出る。小さな町故に国道に出るまての苦労はなかった。来年もここを訪れる予定なのて、その時はカニの情報収集をしておくつもりである。
枝幸~歌登~美深を結ぶ道々はご機嫌な道である。とにかく車が居ない、路面がきれいで走りやすい。信号もほとんど無い。覚えているだけで美深か歌登の町に一つあったかないったか・・・。音威子府を過ぎてR40に戻った。道北と道央を結ぶ大動脈もガラガラに地元ナンバーの車がバンバン追い越してゆく。毎年そうだが、ツーリングも中盤辺りを週ぎると追い越され上手になり神経も使わなくなる。「勝手にどんどん行って俺の視界かづ居なくなれ」と恵うようになるのだ。
道の駅と併設している美深のキャンプ場は予想していたよりも邁かに立派なものだった。
八年前に発行された別冊ガルルツーリングには年に一度のライダー祭りが行われた記事が掲載されていた。その写真から比べてキャンプ場と真正面の美深温泉はあまり変わっていないが、そこへ通じる橋とその奥に立派なグラウンドが造られていた。恐らく道の駅もその当時にはなかったはずだ。少々隔世の感かおる。だが、キャンプ場の使用料はごたいそうな設備があるにもかかわらずタダ、しかもバイク乗り入れ可。美深の町も観先客誘致に必死のようだ。
日中の早い時間(今年は単調で空いているルートを多く走っているので、キャンプ場に早く着くことが多い)に到着した。管理人の話によると、お盆のさなかにはこの広大なキャンプ場がパンクしたそうな。今はそれも過ぎ、閑散としている。だが、密集しているところはそれなりにあって賑やかそうなので、場内を二周ほどして静かそうないい場所を発見、ここにテントを立てることにした。
久しぶりに身軽になった相方とともに十キロほどはなれた美深の町へと最後の食料買い出し。R40が町のど真ん中を貫いているので、スーパーを探すのはたやすく、道幅が広井国道の端を暫く走っていたらすぐ見付けることができた。
さて、今夜は今回のツーリング最後のキャンプの夜である。いつものように最後の夜は豪勢にやる。まず店内に入って真っ直ぐ鮮魚コーナーに向かう、刺し身の盛り合わせを確保、そしてその隣になんとなんと生ウニのパック入り(二〇〇〇円也)を発見。内陸に入ってウニを目にしたのはこれが初めてだ、即決購入である。今夜のディナーのメインメニューはここ十年間の中で最も高く豪華な三色海鮮丼ウニ・タラ・トロと北海の海の三大横綱だ。前の晩に余らしていた米と今日の分の米を合わせ、大盛りとなったどんぶりはほんの十分少々で消えてしまった。勿論このまま消えてしまうのは勿体ないので、しっかり写真に収めておいた。
腹の状態も落ち着いたあたりで歩いて二分足らずの温泉にじっくり入って温まり、言うことなし。天気も今日一日持ち堪えてくれた。宴会騒ぎをするキャンパーもいない静かな夜は更けていくのだった。