○八月十三日

北海道を舐めてかかると痛い目に合う。

 

午前五時 晴れ



 色々あった今回のツーリングも今日でひとまず折り返し地点である。
本日移動日、昨日今日の登山で洗濯物が溜まり始めた。下洲べした本日のキャンプ場『然別湖」は明るい森林の中にあるらしいので、じっくりとシュラフの虫干しやら洗濯やらができそうだ。
 天気は早朝から快晴、清々しい気分でテントを畳み出発。ところが、涼しくて快適だったのは旭川までて、その後のR39はそれを通り過ぎて暑さが骨まで瀋みてくる様になってきた,ただでさえ空気が清涼な上に雲らしい雲一つもないので、トンネルに入るか沿道のドラィブィンに逃げ込むかしないと、またまた日焼けで温泉に入れなくなるかもしれない。
『旭岳』の北側に位置する大景勝地「層雲峡」へ直通するR37で愛別・上川と過ぎてゆくうち、数え切れない程のバイクと擦れ違った。グループ有りソロ有りペア有り・・・。
天気の悪い日には全然見掛けなかったのに、なんでこうも湧き出てくるのかなぁとも思う。

層雲峡に到着。確かに凄い眺めではあるが、道路の両側に聳え立つ巨大な岩壁があまりにも高すぎ大きすぎで写真にうまく収まらない。二八ミリレンズに交換してもフレームを何度かパンしてやらないと見栄えする写真とはならず、バイクを置いて移動しようとしても、相方を止めておく場所がない。という写真材料としては素人カメラ小僧泣せの場所であった。
ま、目で見て驚いた・・・・位の事でお茶を濁すことにした。
 大雪ダムからR273の分岐を南へ下る。ツーリングマップではその大半がダートと記してあったので、心して進入したが一向に舗装が途切れる気配がない。
そうこうしているうちに、道内でも『知床峠』と並んで展望が素晴らしいとされる「三国峠」に到着。
さすがに、ここの睨めは良かった。


景色から受ける印象とは人それぞれなのだろうが自分が定義する絶景とは、見渡せる・見下ろせる状態で全てがみえる景色の事を指していると思っている。

三白のポリススタイルのバイク(GL一台とFLH二台)が通り過ぎたところで、相方のイグニッションをONし坂をスルスルと惰性で下り始め、バントとシートにケツを落としてエンジンに火を入れ、ゆっくりとセカンドにギヤを入れた。そして幾つかの一八〇度ターンを繰り返して、『糠平湖』まであと二〇キロあたりの地点に来た時、ふと路肩でバイクを降りて押しているライダーの姿が視界に入った。
まぁ、こんなところでガスケツか?と横目でで徹りすぎようとした時、そのライダーが一瞬すがるような目付きでこっちを見たのが分かった。反射的にリヤタイヤに目をやる、ペッタンコであった。
 そのまま五〇〇メートル程走った所で、「しょーがねぇか!」とUターンをし、坂を登る。
すると途中の坂で追い越したポリススタイルバイクが止まって、そのライダーと話をしている。
「おめぇ、ここから糠平まで押していく気かよ!死んじまうぞ!」
「あんた、パンク修理剤は持ってんのかえ?」

などと、色々聞き出しているようだ。自分は、既に三人もそこに居るので手出しするべきか、そのまま先を急ぐか、少々考えた。何故ならパンクしているバイクはスズキハスラー50の神戸ナンバー。まぁ、原付だろうがなんだろうがオフ車で来ている人間は多かれ少なかれパンク修理キットか、スペアのチューブは用意しておくのが常識だから、自分がいても意味はないかな?と思ったからである。
 ところが、ところがである・・・・・そのハスラー氏はな~んも持って来ていないのだと言う。
こりゃ、今日の洗濯はお預けだな・・・と覚悟した。
 結局四人で近くのパーキングにバイクを入れて修理する事になった。この四人のメンバーの中で、チューブタイヤのパンク修理を満足に行う事が出来る道具を持っているのは自分一人。もう三人のポリスバイクはすぐ東の北見市から日帰りツーリングでやって来たとあってもちろんそのような装備はしていなかったのは理解できるが、ハスラー氏の無謀さには少々どころか、かなり呆れてしまった。
GLのオッチャンが元バイク屋の主人だったのが幸いして、現役メカの自分と二人掛かりでチューブ修理は瞬く間に完了。そして、驚いたのはGLにモーターで勤くエアポンプが内蔵されているという事だ。(しかも、デジタルゲージ付。さすが世界のホンダーすげ~~~!!!)

タイヤに無事にエアが充填され空気洩れが無いことを確認し、ホイールに戻される。おつかれさん、という事でその場で軽く昼食となった。
更にびっくりしたのはGLの巨大なトランク(当時はケースなどと言う呼び方は知らなかった)から山のように出てくるフルーツや煎餅・饅頭(ここが、おっさんライダーらしい所だ)などを頂き、記念写真をとってお別れとなった。
 自分は通り掛かりの所をパンク修理を手伝い、パッチやボンドを提供したという事で、『糠平』の集落に着いたらハスラー氏に飯を奢ってもらうという約束で一緒に走る事になった。・・・・・だが、またもここで悪魔の悪戯が・・・・・。一〇キロほど走ったところで急に相方のミラーからハスラーの姿が見えなくなってしまったのである。「とうとう最悪の事態がきたか・・・」またUターンして彼の元に戻る。
「やっぱりアカンですわ・・・もう大丈夫ですから、田宮さんは先に行ってよろしですわ・・・」
彼は気弱にそう言うので「何言ってんの!ここまで来ておいてあんたをこんな山ん中に見捨てたりしたら夢見が悪いわ。なんとしてでも無事に町中までは抜けないといかん。自分に任せなさい」と一喝。

まず路肩では危ないので、彼にはひと踏ん張りしてもらって二百メートル程押してもらってその先にある駐車場にバイクを止め、少しの間考えた。
 思いついた方法、一つ目はまず『糠平』の集落に行って、GSかバイク屋があれば軽トラックでも借りてバイクを引き上げに行く、二つ目はもしそこにバイク屋もなかったらその先二五キロ先にある上士幌町でバイク屋を探すしかない。

最悪それでも駄目な場合はその時に考えて作戦を練るつもりだ。
 彼には炎天下で悪いが、相方から下ろした荷物を見張っていてもらい自分は相方のリヤシートにハスラーから外したホイールを黒いビニール袋に包み、パーキングを後にした。
悪い予感というのはよく的中するもので、案の定『糠平」に一軒しかないGSではチューブタイヤの修理は出来ない、と断られた。しかしGSのオジサンは上士幌町の人口にバイク屋が一軒ある事を教えてくれたので、意を決して全開で飛ばす。信号が一個もない山間のワインディングを一四〇オーバーで飛ばす飛ばす。町中に入る手前で充分に減速し、慎重に走りながらバイク屋を探すと・・あったあったお盆休みというのに営業しているバイク屋が!!

暇そうにしていたバイク屋の主人に訳を話しジャストサイズの新品チューブに交換してもらう。しかし装着されていたタイヤの山が殆ど無くなっており「こんなんじゃいつまたパンクするか分かったもんじゃない。戻ったらハスラーの兄ちゃんにすぐタイヤも新品に替えるように言っといて!」と言われた。
プロの手により完璧に直されたホイール付きフロントタイヤを再びZのリヤシートに乗せ、日も傾きかけてきた三国峠を全速力で駆け上がってゆく。
しょんぼりとしていたハスラー兄ちゃんは俺の姿を見るなり、遠くから何度もペコペコとお辞儀をしていた。
瞬く間にホイールを取り付けハスラー50は今度こそ心配なく走り出す事が出来た。バイク屋の親父からの伝言も忘れずに伝えておいた。
その後約束通り、糠平集落内の定食屋でカツカレー大盛りを奢ってもらい住所交換をし、これから先の道中の無事を祈って別れたのが午後四時。日本でも東よりにあるこの地域、太陽は既にオレンジ色に染まっていた。
 夕闇迫る『然別湖キャンプ場」は大混雑していた。相方を駐車場の隙間に止めテントを立てて夕食を済ませ、一キロ程離れた「山田温泉」にて一息ついたのは、夕方の七時過ぎであった。
 しかし、凄い一日だった。まだ、この後も旅は続くが、今年ほどツーレポの内容が濃い事は過去にはなかった。人助けをして半日丸々潰れてしまった形で一日が終わったが、これで少しは今後自分の身になんらかの災難が降りかかってきても大丈夫だろう、と思いたい。第七日目の夜であった。

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