○八月八日
後方羊蹄山登山
午前四時 曇り
場所は早朝の小樽市。
またやってしまった。今朝早くフェリーの中で所持品の確認をして居た所、今日の夜泊まる予定になっているYHの会員証が見当たらない事に気が付いたのである。自宅にあるかどうか電話しようかと思ったが、今は朝の四時。いくら家族とはいってもこれは顰蹙ものだろう。今日のメインイベントは蝦夷地上陸初日に相応しく、登山である。
その山とは去年悪天候の為泣く泣く登山を諦めた正式名称『後方羊蹄山』通称『羊蹄山』だ。
閑散とした小樽の街を抜け、R5に入る。余巾から南下野コースをとり、一気に倶知安峠を越えると、朝日に照らされた『羊蹄山』の秀麗な山容が姿を現す。「よぉ、久し振りだな」思わずステアリングに力が入る。ここまでは、全てうまくいっている。しかし下山してからYHカードでうろうろするのはしんどいので、倶知安町内で自宅に電話してみる事にした。
探してもらったところ、はたしてYHカードは机の上にきちんと置いてある、との事。ひとまず安心だ。無くした落とした、よりは全然その後の対応が楽になるからだ。倶知安町内の公開で弁当を広げメシを頬張りながら、今後の作戦を練る。
まず天気がいいから今日はなんとしてでも山に登ろう。その前に近くの警察署で山の天気や登山道の状況は大丈夫か教えてくれるだろう。YHには前もって予約はしてあるから追って電話しておけばなんとかなるだろう。
メシを済ませ落ち着いたところでYHに電話をし、ペアレントさんに事情を話す、山登りをすると言ったら、下山時刻はどれくらいの予定かどうかを聞かれたので、大体三時頃と答えておいた。
倶知安警察(なんだか、頼り無い感じがするのは偏見か?)の人は、真狩村から入る道の方が楽らしい。早朝の羊蹄山周遊道路を二〇キロ先の登山口目掛けて、相方には更に頑張って頂く。
午前8時半登山開始。登山者名簿にはすでに三〇人程が午前四時位にはアタックを始めているようだ。人間二人がやっと擦れ違える程の道を最初のうちは、いい気になって駆け上がるが、すぐにパテパテになって勤けなくなってしまった。こんな調子ではスタミナがいくらあっても持ちそうにない。気を取り直して、三〇分歩いてはI〇分休むというマラソンペースで登る。勤蒼とした森の中をひたすら進む事二時間、八合目を過ぎた当たりでようやく森林限界となり、いきなり強風にふっ飛ばされそうになる。
鎌イタチが現れそうなほどの猛烈に冷たい風である。息を堪えているのに、針のような冷気が鼻から耳から□から入り込んで来てしまうので、何度もむせそうになる。
歩きながら時折後ろを振り返って、今白分か登ってきた後ろの世界を見下ろす。天気は薄曇りではあったがガスは出ておらず、視界は良好であった。去年足止めをくらった五色温泉もよく見えた。
登山開始から三時間程で、とうとう頂上に辿り着いた。言葉を失う眺めだった・・・・・。
死火山の火口は数年前に東北ツーリングで立ち寄った『吾妻小富士』でも目にしたが、その規模はひと周り『羊蹄山』の方が上回っているだろう。火口の底に水は溜まっていないので、簡単に下りられそうに見えたが、擦鉢状の法面は土砂崩れが頻繁に起きているようで、ダンプトラック程の大きさの岩がゴロゴロと転がっている。
もしも、下に居る時にこいつらが落ちてきたら聞違いなく御堕仏である。挑戦してみようかと思ったが、あまり時間の余裕がないので、今回は『羊蹄山』の頂上征服という目的は達成したので、昼飯にすることにした。風避けになるかと思われた山小屋はなく、かつて建っていたと思われる所は、コンクリートの基礎のみを残すだけになっている。潅木の中に非難しようとも考えたが、折角登ってきた道を下らなければならない。昼食を済ませてから、証拠写真を撮りたかったので下りるのは面倒臭い。だから、その基礎の囲みに体をちぢこませ、冷え切って隅っこに寄ってしまった弁当をブルブル震えながら食べる事にした。冷え冷えの御飯を塊のまま箸で鷲づかみにして、口に運ぶが、手が震えてボトリと弁当箱に落ちてしまう。またそれをつかんで口に運ぶ・・・知り合いには見せられない光景だ。
残り物をセビリに時々姿をみせるリスを適当に相手しながら、メシを終わらせ早々に山頂を退散する。とにかく寒くてじっとしていられないのだ。麗から吹き上げてくる風によろけながら、自分の他に誰もいないので、カメラを平らな所に固定して証拠写真を撮り、早足で来た道を引き返す。
多めに水は持ってきたつもりだったが、標高が下がるにつれ汗が出て喉が頻繁に乾くようになってきた為、その度に飲んでしまい七合目あたりで底を突いてしまった。
「ゆっくり休んだらかえってしんどいかもしれん」と思い、そこから一気に休み無しで早足で駆け下りる。膝が外れてしまうかと思う程痛い!しかし、休みたくない(下り坂を走り始めると、いかに止まるという事に勇気が要るか、分かる人には分かるね)五号目から先は殆ど気合だけで、足を前に運んでいるだけだ。併せて靴も登山用ではないので、足が中でズリズリと動く。靴ズレは間違いないだろう。ダンダンダンとショックを吸収仕切れなくなった足は、その振動を直接脳髄に伝導する。
意識がだんだんと怪しくなり、視界も狭くなってきた、もうこの状態は重力の赴くままに転がり落ちているようなものだ。二時間十々で登山口に到着、暫く相方の傍らでへたばる。今直ぐ相方を動かそうものなら、立ちゴケ必須だからだ・・・・・。
この時ばかりは、前よりに足を置くステップに有難さを感じながら、相方に火を入れ、ユルユルと舗装の登山道を下る。現在時刻午後三時。
『羊蹄山』の湧き水というと、多くの人は京極をイメージするが、自分かやって来たここ『真狩」にも大きな壇き出し口がある。相方を降りて、真っ直ぐに噴き出し口に向かう。そこには十個程の水道の蛇口が生えていて、ここに訪れた人は自由に水を汲み、持ち返る事が出来る。飛び上がる程冷たい水で、まず顔を洗う。息が詰まる、空になったグランテトラに冷水を入れる、一気に表面が結露する。そして、飲む・・・・。
「ぶはぁ~~~」おっさんが冷たいビールを飲み干した時のように喉が鳴る、生き返った。
タバコに火を着けて一服。三~四回位でタバコは全て灰になってしまった。
ようやっと落ち着いた所で周りを見渡す。すぐ横をを流れる川に水草のような切れ端が沢山漂って来る。クレソンだ。
その小川の上流では幾人かの人が田んぼの農作業のようなことをしている。
ここでは小川を堰き止めてクレソンを栽培しているらしい。
「兄チャン、千葉から来のかえ?」
地元のオッチャンから声を掛けられる。暫く世間話をしているうち、オッチャンは小川に流れているクレソンを毟って俺にくれた。
「しかし、北海道の小川にはエキノコックスが・・・・」と言い掛けたら
「ああそれは大丈夫だあ、ここはオラも何十年と利用してっけど当たったことは一度もねぇ。だども京極(吹き出し公園)は気を付けれ。おれら百姓だけが知ってっけどあそこは今年エキノが出たらしいからな」
「それって隠してるの、まずかないの?」
「いや、あれはキツネが持って歩く(?)奴だから出所がはっきりしねぇと公表できねぇし第一あって当たり前の病気だからなぁ」
(あれは病気じゃなくて、寄生虫だろ?じゃぁなんでここは大丈夫って言いきれんのよ!)と突っ込んでやりたかったが、水分を補給した後でどっと疲れが出てきたのでその気力も萎えた。
ニセコの駅にて、案内標識からYHの所在を特定し、一年振りにニセコの山に入る。天気は今朝、上陸した時よりも良くなり、時々太陽が顔を見せるまでになった。視界もとても良く、さっき登ってきた『羊蹄山』も山頂から裾野まではっきりと拝められる。YHはその高原の中程にあった。建物は学校を改築したものなので、一部屋の聞取りがとても広い。ベッドは二股で八入、床に布団を敷けば一回~一七人位は寝泊まり可能だろう。
同じ部屋という事で仲良くなった、京都は祇園の小学校の先生(彼は元ライダー、名は十川とかいてソガワと読む)とYHのオプショナルツアー(?)で離れの露天風呂に行ったり、夜中まで外の椅子に腰掛けて話をしたりした。先述のように、十川氏の学校は祇園にあるということなので、夏のお祭のシーズンになると先生も生徒も浴衣に鉢巻き、団扇持参で授業を行うらしい。なんとも楽しそうで羨ましい限りだ。
・・・・・さて、今日はよく歩いた。とにかく足は今でも痛いが、とにかく眠ろう。明日は少々距離のある移勤日なので、布団に入って大人しくしている内に眠ってしまった。