○ 八月十三日 道南駒ヶ岳登山


午前八時   大沼キャンプ場~駒ヶ岳登山~大沼キャンプ場

 大沼の夕暮れが翌日の晴天を約束してくれたとうり、朝から眩しい程の日の光りの中を念願の駒ケ岳登山である。去年の八甲田山の教訓を生かして少し多めと思えるくらいの食料と水を用意し(当たり前のことか)テントの中を整頓して出発。
登山道はR5からの入口が分かりにくく途中からはダートになっているので少々の緊張は要る。しかし、道幅が二車線は軽くあるのでテールを流しながらの派手なコーナリングも出来る楽しい所である。

土質はオーストラリアのブルダストを思わせる赤土でフロントが取られ、下山者を乗せた車と擦れ違う時は何度もよろけそうになった。九時頃には七合目の駐車場に到着し登山者名簿に記名をし、アタックを開始する。
出発地点からはすでに森林限界を越えているのだろうか、視界を遮るものはなく登り始めてすぐ後ろを振り返ると大沼はおろか、遠くに青く函館の町並みも見える。しかも雨の降った翌日ということで空気が澄みきっている、渡島半島もかなり先まで眺める事ができた。山根の実ほどの大きさの火山灰が堆積してできた道は体重をかけた足が埋もれてゆくので以外と体力を消耗する、空気もなぜか渇ききっていて汗もそれほどかかないが喉がカラカラになる。水を大量に持ってきているので二十分ほどの間隔で小休止する。久々の晴天に恵まれたせいか馬の背までの登山道は多くの家族連れの行列が出来ていた、初心者でも気軽に日帰り登山ができる山なのでサンダル履きのオバサンや皮靴で登るオトーチャンもいた。
 この『駒ヶ岳』は見た目のインパクトがかなりある、独立峰なのでただでさえ目立つのだが馬の背と呼ばれるなだらかな尾根からさらに標高を上げると天を突くか如くの尖った岩山が二つ立ち上がっている。そのピークはまるで来るものを寄せつけない要塞を思わせるもので、登山意欲をそそられるものがある。天上のお花畑が広がる馬の背には、お弁当を広げるファミリーが群れをなしている、その洛か先の岩山には人の姿は見られず近くを通過する雲がそこにぶつかって時々宣んでいる。もしかしたらそこを登るにはロッククライミングの用意をしなければならないのかと考えた程だ。

とりあえず、天気が急変する空模様ではないし山全体の見通しもいい所なので、行ける所まで行ってみることにした。
 人気が殆ど無くなったピークヘの道を歩く、緩やかな登りが延々と続くので以外ときつい、二つあるピークの内うち最も目立っている『剣ケ峰』をめざして歩いているのだが、登山道の途中にあちらこちらに立ち入り禁止の立て看板があるのに気がついた。[危険!地割れ有り〕とある。その周りを見渡すと山腹のいたる所にクレバスがはしっているではないか!看板の注意書きをよく読むとこの二階建ての家がすっぽりと収まってしまうクレバスは以前に奥尻島を襲った北海道南西沖地震の影響だという、なんという事だ。震源地はここから百%も離れた場所なのに、この巨大な山にクレバスを走らせるとは・・・・あらためて地震という想像もつかないエネルギーの凄まじさを実感した。
  『剣ケ峰』に取りつき頂上を見上げる、小型乗用車程の大きさの岩が積み重なってできているこのピークは近くでみると更に迫力があり、相当の覚悟と慎重さを要求する。岩に手が届くまでのところは崩落したこまかい砂が堆積しており足をとられる、浮き石も沢山あり何度かヒヤッとした思いをさせられた、手に汗をかきながらようやく安定している大岩に挙じ登りここで昼をとって体力をつけてから頂上アタックすることにした。高低差は二十M程なのだが、一部分オーバーハングしている所もあり、体力も幾らか消耗したまま食糧や水の入ったザックを背負って登る自信がなかったからである。
 上を見上げると、既にカップルらしき二人組みが頂上直下にいて男性の方はここから見える一番のてっぺんにいるようだった。話ている内容からしてもう下山するようだ、女性を先に下ろさせてその先のルートを上から見て指示している。そして、二人揃って自分の横を通り過ぎる時に挨拶を交わし(自分はその時背中をむけていた)振り返りざまその二人を見ると少し驚いてしまった。その二人は昨日キャンプ場の炊事場で米を研いでいたロックミュージシャン風(?)の二人組みだったからである。
「どうです、上の眺めは?」
「いや、ガスッちゃって全然見えないですよ。しかも寒いし早々に下山する事にしたんです」と以外に丁寧な言葉使いで答えてくれた。
[ここから上まで簡単に登れます?」
「いや、相当に注意しないと行き場を失って立ち往生しますよ。しかも落石も起こしかねないし」間くと彼らはこの後も帰りしなに鳥海山も登るつもりらしい。しかも、いいだしっぺは連れの女性の方でやる気まんまんらしい。キャンプ場でみた時と風体はほとんど変わらず、男性の方はライオンのたてがみのような髪をタオルで縛ってまとめている。靴はミュージシャン御用達のコンバースハイカット。女性の方はTシャツにジーンズにスニーカーといたって普通の恰好。さすがに皮のブーツは履いてこないか・・・・・
腹が落ち着き、すぐ上をかすめてゆく雲がなくなったところを見計らってアタックを開始。この時ほど軍手と厚底のスニーカーを履いてきてよかったと実感したことはない位だった。膝を脇のした辺りまで持ち上げたり、筋がつるほどに腕をのぼしてその先のとっかかりに手をかけたりして翌日の夜の筋肉痛が約束されるようなハードな思いをしてようやく頂上に到着した。

 まるで、世界を区切るかのような岩山の向こうは自分の居る高さと同じ雲に遮られてほとんど視界がきかない、しかし数分ち待つとガスは晴れ大沼・室蘭のチキウ岬・洞爺湖方面の有珠山そして『後方羊蹄山」があるニセコ方面までの展望が開けてくる、その素晴らしさは文章では表現しきれない程だ。振り返ると流れ出た溶岩によって形成されただだっ広い馬の背があり、その上を蚤のような登山者がポツポツと噴火口に向かって歩いているのがわかった。
畳一畳程のせまいそこはまだ本来の頂上ではなく、そこからかみそりの刃のような尾根を縦走した先に『剣ケ峰』の頂上があった。しかし、命網なしでは危険すぎるそのルートをみて自分はここで『駒ケ岳」登旱を完了した事にした。
あとから登ってきたオジサンニ人としばし雑談したのち『剣ケ峰」を下山、時間はたっぷりとあるのでそのまま下山せずに噴火口にいってみる事にした。
 トコトコとあるいている内にアリ地獄を思わせる『昭和噴火口』到着、ここには足場というものはなく噴火口の底を見たければ自分で安全そうな場所をさがして少しずつ斜面を降りていかなければならない、勿論滑落したらはるか下までまっ逆さま。命の保証はまずあり得ないと考えた方がよい。あたり一面硫黄臭く、向かい側の口の壁にあたる部分からは地下水が溶み出しておりあちこちから蒸気が立ち登っていて、この山が活火山である事を証明していた。底に水が溜まっていれば天然の露天風呂になっているかもしれない、いや灼熱の釜湯になっているかも・・。
余りの足場に結局底を見るのは断念、充分に登山風情を満喫したし日も少し傾きかけてきたので下山する事にした。

静寂の『駒ケ岳』から無事、大沼キャンプ場に生還したのは夕方の三時ごろ。相方を駐車場に停め、そのまま徒歩で近くの国民宿舎に向かう。そこにお風呂を使わせてくれるところがあるからだ、涼しい林間の道路を煙草をくゆらせながらのんびりとあるく。国民宿舎までのこの道路もキャンプ場の駐車場から溢れた車の路上駐車で占拠されていた、それは歩いて十分ものところまで続いていて、つくづく単車で来たことが正解であった。
すっかりさっぱりしてキャンプ場へ引き返す時、前方から見たことのある二人組みがオフローダーとおぼしきライダーと話をしている、あのロッカーカップルだ。
「おっ!!どうも。ここでキャンプしてたんですか?いま着いたばかりなんですよ」
とライオン氏
「自分よりも先に下山したのに、ずいぶん時間かかりましたね」
と私
「あの後、砂原岳(さわらだけ)にも登ったんですよ」
「えらいタフですね、今日の夜はストンキューですな」
「これもなにかの縁ですね、この先どこまで?」
「ええ、長万部経由で洞爺湖にキャンプしよかと思ってます」
「自分らは特に行き先は決めていないんですが、何処かで会ったら宴会しましょう」
「ここの温泉は熱いですから、湯当たりしないように気いつけて下さいよ」
黄昏の大沼キャンプ場、心地好い疲労と満腹感そして湖面を渡ってくる涼風。時間がスローモーションとなって空を流れてゆくのが分かる、キャンプはこれだからやめられない。

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