○ 八月十四日 難民キャンプ場・・・
午前七時半   大沼キャンプ場~支笏湖ポロピナイキャンプ場

 朝飯をかるく頂き晴天の中、出発の準備におおわらわのファミリーキャンパーの横を通り抜け大沼を後にした。高速道路を思わせるR5を北上、小樽・札幌へ繋がるこの国道の交通量はお盆の真っ只なかだというのに多い。流れは速く、しかも横道から飛び出してくる車も後を絶だないので神経をつねに使う。雲が多く幾分涼しいが時折圧の日差しが差し込んでくると汗ばんでくるという落ち着きのない天気が続く。
 小雨がぱらつく天気となった長万部に到着、車の流れが速かったら通過してしまうようなここも沿道に延々と並ぶ蟹飯の店にどの車もバイクも引っ掛かっているようだ。かくいう自分も小腹が空いてきたので引っ掛かることにした。適当な場所に相方を停めて、ほったて小屋みたいな店に入り(大きな店は先客も多く、ストームクルーザーを着たままでは気が引けるからだ)蟹飯をオーダーする。車で来ている連中は車中で食事をしてしまうが、殆どのライダーがそうしているように、我々は店の中にある小さなテーブルで包みを開けてその場で食べてしまう。蟹は苦手ではなかったのであっという間に平らげてしまった、美味しかったのはいうまでもないが特にイケたのはサービスで付けてもらったアサリの味噌汁であった。
普段は汁だけ飲んでアサリは残すという、アサリ好きから怒られそうな事をしていたがこうゆう状況では全部食べられるから不思議だ。
一服してから再出発、しかし渋滞しているようだ。先頭の方を見てみると赤色灯がクルクルと回っている。取り締まりにしては車が詰まっているのでおかしい、そう思いながら進んでいくとやはり事故であった。白の軽自動車が路肩の草むらに突っ込んで引っ繰り返っている、屋根が潰れてその傍らの電柱が折れて倒れているではないか。切れた電線は既に処理されていて片づけられている。真っ直ぐで見通しがよい道路なのにこんなにまでダメージを受けるのは何故だろうか、真っ直ぐが故に速度超過のままで何かを避けようとしたのだろう。こんな事故が続くかぎり北海道の厳しい速度取り締まりをやめる訳にはいかないだろう。
 長万部からR37に分岐、内清濁をぐるりと巡り豊浦町に入ると北にはニセコである。
これで道南をぐるりと一周した事になる。天気はすっかり回復し気温もぐっと上昇し久々にTシャツー枚で走れるようにまでなった。沿道で休憩するライダーに挨拶をし虻田町に入る、ここまで来ると北海道でいえば道央エリアに突入した訳だ。ここからR230に曲がり洞爺湖を目指す、札幌に近いとあって湖を周遊する道路は交通量がとても多い、天気もいいので湖の真ん中に浮かぶ島もはっきりと見てとれる。しかし、周りを見渡すとホテルやらペンションやらが林立していて思いっ切り俗物化している、まるで山中湖や芦ノ湖を劈髭とさせる眺めである。キャンプ場も周辺に幾つかあって雰囲気はよさそうだったが、到着時刻がまだ日中である事・登りたかった『有珠山』は火山活動が激しく未だに登山禁止である・洞爺湖にもキャンプしたかったがこの距離をキャンプ用品を積んで移動するのが煩わしい、という理由で洞爺湖はパスすることにした。
 地図では道道であったが国道に昇格された道を支笏湖へと向かう。なんとなく風呂に入りたくなったので(このなんとなくがいい)途中の北湯沢温泉にて昼飯と風呂を頂く、その手前の姫渓温泉(ばんけい)にも入りたかったが走り出したばかりだし、ここから支笏湖までは少し距離があって湯冷めしてしまっては面白くないのでここに決めた。大きな食堂ではないが旅館の傍らで軽い食事はとれる、と女将さんが教えてくれたので風呂からでて並びの建物に入る。すると女将さんが厨房に立っている、「中がつながってんのになんでまた」と笑われてしまった。自分と二~三人の家族連れしかいない静かな食堂で女将さんと世間話をする。間くと女将さんも大の旅行好きで今までに何回もヨーロッパの方に出掛けたという。冬場はスキーと湯治客の相手をしなければならないのでとても忙しく暇がとれないのだが、シーズンがおわって二か月位は店をあける事が出来るのでその旅に行っているのだそうだ。彼女も多分に洩れずI入っきりで旅をするのが好きで、ツアーやパック旅行には過去に一度も加わった事がないという筋金入りの旅人である。
お互いに一人旅が好きという事ですっかり意気投合し、蕎麦を食べ終えた後も暫く話をしていた。「真夏よりもお客さんみたいに風情を求める方が好きな人は春か秋の道東がいいでしょう」と教えてくれた女将さんに別れを告げ、北湯沢温泉を後にする。
 ライダーが列をなして通り過ぎる道道R276を支笏湖方面に曲がる。登り坂になり、千歳市と札幌市を隔てる美笛峠を通過した途端天気が急変した。雨である、気温も一気に十度くらい下がり霧もでている。なんという事だ、今までの晴天は何処へ行ってしまったのか?関越トンネルの十分の一にもならない短いトンネルなのに! トンネルの出口近くにある駐車場に相方を停め、あわててトレーナーと雨具を着る。まるで初秋を感じさせるような寒さの中、鉛色の雲の下に灰色の水を湛えた『支笏湖」が見えてきた。
周遊道路を束へと走り、ここの湖最大のキャンプ場があるモーラップに到着した。「・・・・・汗」今までに見た事がないほどのキャンパーの群れである、駐車場までもがあふれたキャンパーのテントが立てられており、立錐の余地もない。はっきり言ってキャンプしてのんびりする所ではないと考えパスすることにした。 湖をぐるりと周りここも人でごったがえしている国民休暇村を通過し、七キロほど走ったさきにあるポロピナイのキャンプ場に着き、サイトに入ってみる。モーラップとは違って奥まった所にあるせいか、人口付近の売店には沢山の人がいたがサイトにはまだ空きが目についた。五~六分ほど歩き回ってよさそうな場所を見つけ、テントを設営した。そこがたまたま翌日自分が登山を予定している『恵庭岳」の登山口になっていたのに気がついたのはだいぶ経ってからであった。

自分のテントは車が入ってこられそうにない場所ではあった、しかしそこへ二人の男性が歩いてきて「なつかしいバイクにのってんねぇ!」
と声を掛けられた。それがここでの思い出の始まりであった。この二人のうちの一人が昔、GT-380(サンパチ)を乗り囲していて憧れの『Z2」をいつも追い掛けていたという。相方を挟んで色々とバイク談義に花を咲かせたあと一段落した後で彼らは帰って行った。
 夕食の準備にとりかかろうとしている時に、再びその元サンパチ氏がビール缶片手に歩いてきて宴会に加われとのこと、生まれて初めての誘いだったが遠慮なくお邪魔する事にした。焚き火を囲んで十人程の男女がいて(全員タメか年上のようだった)、皆さん明るい今から既に出来上がっているようだった。サンパチ氏に紹介してもらい、全員に軽く自己紹介をした後、外国産のわけのわからんビールを頂き乾杯。彼らは全員『浦河町」出身の幼な馴染みで、いまでも暇さえあれば集まって飲んだり騒いだりして、お互いを子供の頃のあだ名で呼び会っている仲だという。
なんだか、地元の友人がいない自分にとっては羨ましい話である。
「こんなんで俺らいっぱしのアウトドア気取りしてんだから、いい気なもんだべw」
と指差した先には、ビーエムの350アルピナとAMGベンツがとまっていて思わず間いた口が塞がらなかった。
オレンジのポロシャツを来ている人がベンツのオーナーだというが、仕事が外車のセールスだというので納得。この後からも仲間が車で来て更に増えるのだそうだ。
語弊があるかもしれないが、地方に行くほど地元同士の仲間の結束が強いのを実感したのである。
巨大なクーラーボックスから温泉のように出てくる缶ビールを一つ貰いまたも乾杯。元々話好きな自分はすっかり輪に溶け込んでしまいそのままジンギスカンもご馳走になってしまった。お礼に調子の悪くなったランタンを治してあげたり、そのお返しに北海道出身者ならではの穴場も数多く教えてもらった。
やはり自分みたいな「北海道らしい風景」に出会いたいならば断然「道東」がおすすめだという。
そしてジモティキャンパーに受けが良かったのが「五色温泉での混浴事件」
若い女の子は混浴の露天風呂が有ったとしても、北海道ならば大胆になれるのか?と俺が質問してみた所その場の全員が大笑いした後「そんな訳あんめーよ!wwwたまたまその子たづの勇気が有ったからだべ?www」とサンパチ氏。
大勢の人と楽しくお喋りをしたのは、遥か昔父が元気だった頃に会社の部下が自宅に遊びに来てその輪に幼い俺が紛れ込んで構ってもらった時以来だと思う。とても懐かしく楽しいひと時だった。
いつも一人きりになろうとしてストイックなツーリングスタイルを貫こうとしていた自分だったが、たまには大勢の仲間と馬鹿話をするのも良いもんだと思った夜だった。
夜も更け、一人二人とそれぞれのテントに姿を消し宴会も何と無くお開きの雰囲気になってきたので自分も失礼することにした。
時刻は夜中の一時。
キャンパーからおこぼれを頂こうとするキタキツネ二匹が相方の両脇を歩いて行った。
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