○ 八月十六日 恵庭岳登山
午前六時   恵庭岳登山口
 体調は万全である、軽い朝食をとり山頂での食事の用意も完璧である。ここ最近人の通行がないのでは?と思わせるようなキャンプ場裏の登山口から道路に出る。五分歩いて本当の登山道に差し掛かった。登山者名簿に記名し、斟蒼とした木立の中を歩き水の流れの無くなった川原を渡る。やがて急な上り勾配となり足場も悪くなってきた、大きな岩を階段状に積み上げたような坂道を旱じ登る。景色は一向に変わらず、展望の開けない薄暗い森の中を時々休みながら登る。単調な真っ直ぐな急勾配なので返ってしんどい、頂上も木立に隠れて全く見えないので、後どれ位頑張ればよいのか分からない。あまり面白いアプローチではない事は確かだ、あのボートのオッチャンのいう事は正しかった。
 六合目。普段の運動不足が崇ってきたか、足が上がらなくなってきたので暫く汗が引くまで休むことにした。やはり今年の夏はおかしい、鳥の声も蝉の声も全くしない静寂にこの山は包まれている。とても自然の中にいるとは思えない、疲れてきた体にプ~ンと硫黄の臭いが鼻を突く。後から登ってきた熊避け鈴をつけたオジサンに抜かれる、少し遅れてメガネをかけた兄ちゃんが登ってきた。「今日は」「今日は」あれ、関西弁である。国は神戸だそうで、今年の地震で親戚の家がI件潰れてしまったのだが幸い亡くなった人はなかったとの事。今、彼は旭川に住んでいて北海道じゅうの山を独りで登り続けているのだそうだ。その後彼とは意気投合し頂上まで一緒に登る事にした。六合目から七合目に差し掛かる当たりは登り最初の難関が待ち構えている、足掛かりとなっていた岩が姿を消し垂直に切り立った粘土質の法面が行く手を遮っていた。用意した軍手を恢めて何本か渡されているロープに捕まり一気に法面を登る。さながらレンジャー部隊である。
 七合目の到達、森林限界に近づいてきたのだろうか、あるいは火山ガスの通り道になっているのだろうか、視界が急に開け眼下に恵庭岳の爆裂火口が見えた。あちこちから白い水蒸気やガスの煙が立ち登っている、なんだ、『恵庭岳』は活火山だったのか。あんな大人しい山容からは想像もできない光景であった。 花岡岩が剥き出しになっている所で一服する。山頂は火口を挟んで目と鼻の先、直線距離にして1キロ位だろうか。ケルンのような岩の上には先程熊よけの鈴を付けたオッチャンとおぼしき人が立っていた。自分達の他に登山をしている人を見掛けなかったから開違いないだろう。ヒーフーいいながら岩山に到着、ここからは『駒ヶ岳』並みのロッククライミング開始である、数箇所の鎖場を挙じ登り念願の山頂に辿り着いた。
 真冬かと思わせるような寒い風である、カメラのケースが飛ばされそうになる。慌てて汗を拭きジャケットを着込むが、手がかじかむ程の冷たい風である。山頂登挙の記念写真をとってもらい、軽い食事をとる。山頂は狭く、三畳一間位の広さしかない。しかし、支笏湖近辺では最も標高の商い山なので、遮るものがない。『風不死岳』「樽前山』も薄曇りのしたはっきりと眺める事ができた、そして「後ろに羊蹄山が見えまっせ」と言われ振り返ると、雲海の上に浮かび上がる『後方羊蹄山』が見えた。蝦夷富士と呼ばれるだけあって、見事な山頂が黒く富士山のようにこちらをみている。しかしニセコの方は未だに天候がすぐれないのだろうか、山頂は直ぐに雲の中に隠れてしまい折角のシャッターチャンスを逃してしまったのは残念であった。


「キャンプ場まで歩いて戻りはるんやったら、車で送りますよ。そのついでに風呂にでも行きましょか」と言われそのお言葉に甘えることにした。登山口に駐車してあった軽自動車に乗り、ポロピナイに戻る。風呂の用意をして車に乗り国民休暇村の支笏湖温泉に入る、山登りして知り合った人の恩恵に与かって、しかも一緒に温泉に入って世間話をするなんて今迄のツーリングにはなかった事だ。北海道には温かい人が一杯集まって来る所なのかもしれない。
 汗も引いた所で再びポロピナイまで送って貰う、入り口の所でお別れとなった。礼とかそうゆうのは無し、と釘を差されていたので何もお返し出来なかったがとても楽しかった、名前も住所も間いていなかったが何処かの山で出会うかもしれない。色々と有り難うございました。
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