予想通りの物凄い冷え込みである。
また、夕べもおかしな夢を見た。
ちなみにこの日記は18日の東祖谷山村のキャンプ場にて書いている。その、おかしな夢は今でも鮮明に覚えている。夢の中での主人公は、以前は木村拓哉だったが、今回はなんと尾崎豊だった。またも、自分が全く興味を持たない芸能人の登場である、しかも今度は故人である。これには起きてからもなんともいえない気持ちであった。
「なんで、今日日尾崎豊が夢の中に出てくるんだ?」
その、具体的な夢のストーリーは恐ろしいほど鮮明に記憶している。ステージ、こうこうと光るライト、熱狂する観客、そしてステージにはその尾崎豊がいた。彼は、生前の時の記録映像のように相変わらず、脳の血管が切れんばかりの勢いで熱唱していた。それを、自分が直ぐ傍で見ているのだ。冷静に、騒ぐ事も何するでもなく。そして突然彼は苦悶に満ちた表情を浮かべ突然倒れこんだのだ。首筋辺りを手で抑え、マイクスタンドにしがみつきながらステージに倒れたのである。そして、こっちを見て何か言っている、まるで医者に対して痛みを訴えているようだった。声は聞こえない、しかし不思議と観客の悲鳴だけは耳をつんざくばかりに聞こえていた。
テレビのチャンネルを切り替えるように場面が変わる。30脚ほどのパイプ椅子は若い男女で満席になっている、そこを自分はテレビのスタッフか芸能リポーターのカメラマンのように周りをゆっくりと歩いている。彼らの正面には、高い台の上に置かれた1台のモニターテレビがあり、そこに何か写っているらしい、彼らはそれを食い入るように見つめている。自分はその画面を見ることは無かったが、何が移っているのかは何となく予想できた。何故か、先ほどのステージでの顛末の直ぐ後の場面である。楽しい物がそこに写っているような事は無い筈だ。その証拠に観客の中の若い女性(細かい事にその女性・・・いや女の子のヘアースタイルといい化粧の仕方と言い、まるで10年チョット前のスタイルそのものだった所まで憶えている)、の殆どがハンカチを口や顔に当てて半泣き状態で嗚咽を漏らしながら見つめているからだ。おそらく、これは自分の勝手な解釈だがその画面には病床からの最後の尾崎豊からのメッセージビデオが流れていたのかもしれない。
そして、「ポーン」といういわゆるニュース速報のチャイム音が聞こえた瞬間、押し殺して黙っていた観客達全員が悲鳴を上げた後、一斉に泣き出したのだ。そのとき、初めて自分は画面を見ることが出来た。画面には、手術される時に着せられる薄く、白い衣服を着てベッドから上半身を起こしてこちら側に微笑みかけている尾崎本人が写っていた。そして、画面の上部に本人の死亡を伝えるテロップが。
そして、今度はまた場面が展開する。電車に乗っている尾崎豊。その向かい側の席に見知らぬ(顔が見えない)男が座っている、そして何か話をしているようだ。尾崎の向かい側に座っている男は、尾崎の言葉一時一句漏らさんばかりの勢いでメモをとっている。窓際には年代物のミニテープレコーダーがあった。どうやら取材を受けているようだ。でもなんで電車の中で?夢は、そんなとき無意識に自分に対してあたかもナレーションのように開設をしてくれる時がある。
「海岸沿いを走る電車、車窓の向こうには静かな海。その手前には線路と平行している国道があり、交通量はかなり多い。尾崎は既に発病していて医者からも余命あとわずかと宣告されている。本人と家族の強い希望で地方の病院から都心の病院に移送する時、症状が収まっていたら海岸沿いを走るこの電車に乗って行きたいとのことで、今電車に乗っている。その際の同乗者として、デビュー当時からの尾崎と極親しいドキュメンタリー作家のその男のみが許可され、いま本人にとって最後の取材を受けているという場面である」
なるほど・・・そして、しばらくそんな場面が続いた後、遠くの水平線をまるで見通すかのように漫然と見ていた尾崎の目つきが急に変わったのである。
「おっ!」
初めて本人の声が聞こえた。彼は、それまでしなだれかかっていた座席から身を乗り出し窓にへばりつくように立ち上がった。彼の視線の先には1台のオートバイが同じ方向に走っている姿が見えた。大きな荷物をリヤシートに括りつけ、頭の先から足の先まで黒ずくめのライダーが乗っている。バイクの色は緑色、う~ん。このバイクどっかで見たことあるなぁ・・・。
「すっげ~ぇ、荷物」
その声にそれまで居ないと思っていた場所から親族含め多数の関係者が、尾崎の回りに押し寄せてきた。
「バイクだねぇ」
「ツーリングだな」
「今日はいい天気だから、気持ち良いんじゃないの?」
と皆色々言っている。その内の一人が
「ありゃカワサキだな、しかもZ1じゃねぇか」
とぼそっとつぶやいたのが、尾崎にも聞こえたのだろうか、
「な!やっぱりカワサキだ!ねっねっ!ほら~俺の言った通りじゃねぇか!すっげ~あれ欲しかったんだよなぁ!!」
さっきまでの半分死に掛けていたような時とはまるで別人の様に、彼はまくし立てはしゃいでいる、横に居る尾崎夫人らしき女の人はハンカチで目を覆ってその場を離れてしまった。きっと、居たたまれなくなったのだろうか。尾崎は今度は自分の子供(子供いたんだっけ?ファンじゃないから知らないのだ(平成29年現在2月ごろに尾崎に実子が居る事を初めて知った))を膝に抱きかかえて一緒に見ている。暫くの間、バイクは電車と同じ様なスピードで尾崎の前を行ったり来たりしている。彼の周りの人間達は見飽きたのか皆自分の席にもどって行った。しかし、彼はまだ見つめている。飽きもせず。しかし、道路が空いたのだろうか、旅の途中のバイクはスピードを上げてあっという間に電車を追い抜いて見えなくなってしまった。その様子を彼は窓に顔をベッタリつけて目で追いかけている。やがて、見えなくなると再び座席に力なく座り込み、こうつぶやいた。
「俺が元気だったら・・・・ああしてバイクに乗って遠くへ旅に出たかった」
そこで、映画のように画面はフェードアウト、目が醒めた。
「・・・・・・あの夢は一体・・・まてよ?あのバイクに乗っているのは俺じゃねぇか!」
寝ぼけ眼で、自分は一人山中のテントの中で思わず叫んだ、とたんに全身に寒気が走る。
「おいおい、死人が俺を呼んでいるんじゃないだろうな。今日は山登りだぜ」
あまりのリアルな夢に起こされ、眠る事が出来ず目覚ましがなる30分前には自分は朝飯の用意を始めた。そして、出発。天気は朝の冷え込みが照明するように快晴。7時を過ぎたばかりの土小屋の駐車場には車は1~2台しか居ない。麓の久万町からここに上がってくるには、7時にゲートが開くのを待たなければならない。石鎚スカイラインは夜間通行止めになっているのだ。
7時10分に登山開始。整備された登山道を歩く。標高も高いので直ぐに視界が開け早くも石鎚山系の大展望を見ることが出来た。空気も乾燥して肌寒いので登り坂に差し掛かっても、少ししか汗をかかない。快適そのものだ、モッチョムのようなサディスティックなヤブ漕ぎとは無縁の世界である。やはり、日帰り登山はこうでないと。小鳥のさえずりも何処となく楽しげに聞こえる。
稜線に沿ってのアップダウン(それも大して苦ではない)を繰り返しこの登山コースの名物とも言われている鎖場に到着した。ここまで来るともう山頂は遠くない。しかし、鎖場である。つまりは鎖に捕まって崖を攀じ登らなければならないのだ。腕力の自信の無い人は、迂回路を廻るという手もある。しかし、石鎚にきたらやはり鎖場を登って山頂を目指したい、そのほうが征服感がはるかに違う筈だ。山頂近くには2箇所の鎖場がある。下の「2の鎖」は落石があった為閉鎖。迂回路を廻って、「3の鎖」に到着。

ここは登れる。ふと人の話し声が聞こえる、オバちゃん達の声だ。上を見上げると、なんとでっかいお尻を右に左に振りながらおばちゃんたちが鎖をよじ登っているではないか!
これは、絶対に登らないと行け無いと思った。全員が上りきったのを確認してアタック開始、角度にして80度近くあるような岩盤に碇で下ろすかのようなゴ太い鎖が70メートルの長さに渡って下ろされている。つまり、落差もほぼ同じくらいな訳だ。ガチャガチャと音を立てながら、慎重に登る、ここばかりは本当に真剣に登った。足の掛かる場所、手のつかめる場所を1ッ箇所1ッ箇所確認しながら少しづつ上に上っていく。ふと足元をみるとまさに断崖絶壁、高所恐怖症ではないが、これは流石に手に汗がにじんだ。うっかりして、左足を滑らせむこうずねを岩盤に嫌と言うほどぶつけた。手が離れそうになる、物凄い痛い、しかしさする事は出来ない。「落ちたら、間違いなく死ぬな」何となくそう思った。懸命に痛みをその場でこらえる、1分位はそこでじっとしていたと思う。
痛みが和らいだので再び上り始める。程なくして鎖は終わり、山頂に到着した。目の前に巨大な三角定規を付きたてたような大岩が聳え立つ。「天狗岩」石鎚山正真正銘の山頂である。しかし、今回はこの岩を目にするだけで全て終わった気がした。積み残しの荷物はその風景を自分の目で見ることであったからだ。山頂には天狗をまつった祠が立てられており、その陰で持ってきたパンとオニギリを頬張る。「んんんんまいっっっっっ!!」こんな上手いメシを喰ったのは久しぶりである。やはり、長い事探していた荷物は手元に戻って来た。
メシも食べ終わり、一服していると、自分の直ぐ前で鎖にアタックしていたオバちゃんグループから、写真を撮ってくれるように頼まれた。そこまでは普通良くあることだった。しかし、今回はどうやら事情が違うようだ。なんとオバちゃん達は麓にカメラを置いてきてしまったのだと言う。だから、自分のFM-2で写真を撮って出来上がったら、送って欲しいと言うのだ。忘れ物を取り戻し、充足感に浸っていたので自分は快く引き受けた。その後、そのオバちゃん達は荷物をここに置いて更に、目の前の尖塔「天狗岩」に向かっていった、なんちゅうタフなオバちゃん達なんだ?

下山、キャンプ場に到着。誰も居ない。実は昨日の日記を書き終えた頃1台のDRが走ってきて、ここにキャンプをしたのだ。彼は大阪から来ていて、四国を旅しているという元社会人で、この後ここから降りて麓の適当な所に野宿をするつもりだったのだが、生憎時間切れでゲートは閉鎖、仕方なくここに来たのだと言う。今だから言うが、本来、今幕営している所はキャンプ場ではない。たんなる草原である。本当のキャンプ場は前述したように道路を挟んだ反対側の崖下にある。一応、それを彼にいったら「かまへんですて、どうせ明日の朝には撤収してまいますから」とさらっと言った。確かに、今たっているテントは自分のだけである。しかし、丸2日無断でキャンプ禁止の場所にテントを立てて置いたので何がしかのクレームのメモ紙でも貼ってあるかと思ったが、何も無い。ちょっとホッとする。(結局その夕方、管理人が来て、受付をしろテントの移動をせいを抜かしていたが、日も傾いてきたと言うのにテントの移動なんて絶対にしたくないし、この荷物を今から纏めていたら日が沈んでしまうから嫌だ・・・と言いそうになったが、どうせ、明日の朝には撤収しておさらばしてしまうので適当に返事をして受付だけ済ませておいた。(しかも2泊しているのに、今日受付して明日には撤収してしまうので、と言ってオヤジとは別の受付の兄ちゃんに1泊分だけのお金を払って、そそくさとキャンプ場に引き返してしまった、ちなみに1泊200円)ダマキャンがばれてちょっとがっかりだったが、その代わりと言っては何なんだが今晩もしっかり自動販売機の電気を失敬してPCの充電は完璧に済ませておいた。(今だからバラすが、夕べもしっかり頂いておいたのだ)
夕食を済ませ、一服。テントを出ると茜色に染まった空をバックに石鎚が巨大なシルエットとなって浮かび上がっている。もう、この姿も今夜明日で見納めだ。ここでやる事は全て片付いた。もうこんなきつく遠い所は一生来る事は無い。さらば、石鎚。きょうは1日有り難う。そういってテントに入り横になった。今夜はあまり風が無い、冷え込みも夕べほどではない。自分のほかに誰も居ないし、何も物音が聞こえない。ただ聞こえるのは、シュラフにあたる自分の無精ひげが擦れる音だけだ。耳がおかしくなるほどの静寂。やはり、海沿いの騒々しいキャンプ場と違って山のキャンプ場は静かで落ち着く。
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