平和な一日in種子島 5.10
朝は夕べの予報通り雨であった。でも、今日は特に遠くへお出かけする予定もないし一端は起きたがまた直ぐに寝てしまった。そして・・・・「あつぅ!!」またも、自分は温室と化したテントから燻り出された。暫く眠っている間に天気が一気に回復して太陽が顔を出したのだ。
このまま、朝飯を食べてしまうと早すぎるので(街中のコインランドリーは10時から)、PCを抱えて管理棟ビルの屋上に上がり、BBSとメールのチェックをした。ダウンロードをしている間はやる事がないので、下から一緒に持ってきたサンドウィッチをかじりながらのモバイルである。風は北から吹いているようで肌寒い。雲も薄く掛かっていて天気は晴れたり曇ったりの繰り返し、やはり昨日のうちに行っておいて正解だったのだ。
HPの更新が終わり、今度は洗濯物を相方に括り付けて西之表へ出発。洗濯機に山のように溜まった洗濯物を放り込んで、スーパーに買出しに。そこで、同じキャンプ場で幕営しているカローラワゴンに乗った東京からきたサーファーの兄ちゃんにバッタリ出くわした。彼は、種子島に上陸してかれこれ2週間近くになるという。余程この島の波が気に入ったらしい、たしかに炊事場に置いてある調理セットのその豪華さはさすが4輪でキャンプしているだけのことはある、しかも厚焼き玉子用のフライパンまで現地で買ってしまったというのには笑わせてくれた。
コインランドリーに戻ると洗濯は終了していた。明日は島を朝から離れるのでここで乾燥させておくのだ。ここのコインランドリーには親切な事に畳の座敷があるので、乾燥が終わるまで横にならせてもらった。20分の時間はこう言うときにはあっという間に過ぎるもので、ふと気が付くと自分の洗濯物を入れた乾燥機は止まっていた。取り出すと、フワフワになっている。あの蒸れ臭さもスッカリ消えている。こんな時は本当に上機嫌になる。完了した衣類(もう洗濯物ではない)をバッグにいれ、キャンプ場に引き返す。途中、同じキャンプ場で幕営していたチャリダーのオネイチャン(ここで初めて明かします、実は女の子がひとりいたのです)とすれ違った。向こうはこちらの様子に何となく気がついていた様だったが、こちらもいい気になって全開ですっ飛ばしていたので、気が付いた時にははるか後方に行ってしまっていた。まぁ、Uターンしてまで追いかける事もないか、とそのまま走り続けた。上り坂に差し掛かった辺りで相方のオイルランプがチラホラと点き始めた。今回は良く持った。なにせ高速道路をまったく使っていなかったからオイルもそんなに燃えずに済んだのだろう。本土に上陸して、明晩の宿に到着したらオイルを補充してやるつもりだ。
時刻は12時。テントの中の荷物の整理も大方片付き、やることがなくなったので3階の休憩所(和室)で昼寝をすることにした。
「・・・・・・」
目が醒めると、辺りは夕方の空模様になっていた。昼前まであった雲もスッカリ無くなり、空は茜色に染まっていた。島で見る最後の夕焼けである。島での最後の夕食を食べているとき、カロゴンサーファーの兄ちゃんが帰ってきた。スーパーであって、話をした時「今日は凪で駄目です」といっていたが、今まで何処に行っていたのだろうか、聞いてみるとなんと彼はこの島に移住する為に物件を探していたのだと言う。 それで、中種子町まで出向いたが、ろくな不動産屋しかないということで役場に泣き付いて空き物権を持っているという家主の電話番号を教えてもらって帰ってきたのだと言う。この島に住むとは・・・本当にかれは種子島の波に参ってしまったのだろうか?かも井食品のもう一つの目玉、ビーフチャーハンの素をまぶしたご飯をかき込んでいる自分の横で彼は公衆電話でアチコチ電話をかけ始めた。しかし、ことごとくどの物件も売約済みとの事。「この情報どれもスカばっかですよ」といまいましげに彼はその物件リストの紙をゴミ箱に放り込んだ。そして、彼と色々と話をしている間に驚くようなことを教えてくれた。何とかれは千葉の敬愛学園の卒業生だと言う、自分は違う高校だったが、その敬愛学園は自宅の近所にある学校である。そして、千葉と言えば九十九里浜そこで時々波に乗っているとも。なんともまぁ、世間は狭いとは旅に出るようになってから本当に何度も実感させられた。ここのキャンプ場のもう一人の管理人のおっチャンも昔、転勤で千葉で働いていた事があると言うし、まさかこんな西の離れ島で千葉の高校の卒業生に会うとは予想だにしていなかった。
まだ、一件も満足に物件が見つかっていないと彼はいっているが、まだ、探し始めたばかりらしいしこれからも根気良く探していい住まいが見つかってこの島での第2の人生が無事にスタートしてくれる事を自分は願って止まない。これまでして、この場所に惚れ込んだのだ。きっといいことがあるに違いない。久しぶりに気持ちのよい兄ちゃんに会えて今日は非常に気分が良かった。
2つの島に11日間ほど滞在したわけだが、色々あった。ここで回顧録を書いてもしようがないのでやめておくが、本土を移動する時と同じ移動でも島から本土に戻るときとはやはり気持ちが何となく違う。ようやく終わった、という気持ちと終わってしまったという気持ちが交錯する。しかし、天気が良くなるまで待つと言う今回の旅の方針は間違ってはいなかった。やはり、南国の晴れたときの目に写る風景は本当に美しかった。雨の時の、人影もまばらの街中をキャンプ場を探して走った時ほど惨めな物はなかった。宿に転がり込んで死人のように寝まくった2日間。11日間という日数の間に色々な人にも出会った。狭い島の中、1日に何回も同じ人に会う事も珍しくなかった。
明日からは、今までの一人になる時間が圧倒的に多くなる旅が戻ってくる。どちらかと言えば、やはり自分は本土の方が性に合っているのかもしれない。なんだか、無性にホッとするからだ。
飽きるまで走り続け、移動を繰り返し、好きな時に走り出して場所を替え、毎日毎日違う場所で幕営するほうが、退屈しないから。これが、離れ島になると、どうしても行動範囲が限られてしまう。本土に帰りたくても船に乗らなければ帰ることが出来ない、走りたくても走る事が出来ない。やはり、自分は大陸的な移動を主体としたツーリングが好きなのかも知れない。
さらば、縄文の森屋久島。
さらば、紺碧の海種子島。
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