本州最西端の岬
〇五月四日 今日の朝も快晴である。こんなに晴天が続いた五月連休は本当に珍しい。 今日でキャンプもお終い、移動距離も微々たるものなのでゆっくりと朝飯を食べ、カラカラの清潔な(くたびれきってはいるが)テントの撤収に取りかかったころに、両親とともに男の子もやってきた。 彼らは今日もここに留まって遊んで行くらしい。しかし、親が食器を洗っている間彼はこっちの行動が気になるらしくしきりに邪魔をしてくる。 抜いて集めてあるペグを崖下(と言うよりはちょっと急な土手)に投げたりとか、荷物を出しおわったテントに不法浸入したりとか、(ペグを投げたときには、自分よりもお母ちゃんの方が相当怒ったらしく、男の子はかなりへこんでいた)、かなり悪質化してきた。 可笑しかったのは、大荷物を相方に括り付けている間、彼は人の顔をさすって「なんだ~?全然髭沿ってないじゃん」とスリスリするので、「あのねえ、可愛いオネイチャンに撫でられるならいいけど、きみにやられても全然嬉しくないんだよね」と言ったら、奥さんが大爆笑していた。 彼らはひと足先に山の上のサイトを下り、ダムのある水遊び場に出掛けていった。 そして、我々もちょっとした邪魔が入ったものの出発の準備が整い、暖機も完了し8時前には山を下りた。 テントにつり下げておいた利用許可の札を返すため管理棟の前に相方を停め、札を管理人に渡し戻ってくると、あの家族連れが居た。例の子も居たが、今朝までジャージ姿で相手をしていたのと同じ人間には彼には見えなかったのだろうか、重装備に身を固めた自分の姿にちょっと引いたのか近寄って来なかったが、小さく手を振って見送ってくれた。自分もちと照れくさかったが手を振り返しキャンプ場を後にした。彼にとって、この出会いが今後のバイクに対する印象が良い影響になってくれればいいのだが・・となんとなく思った。 豊浦町に戻り、再び海沿いの国道を今度は少し南下する形になる、やがて「本州最西端の岬 毘沙ノ鼻」という標識に従って走る。 畑やらゴミ処分場のわきを通り抜け、タイトな山道を登り切った先に駐車場があり、そこに相方を停め、歩いて十分ほどの所の展望台が本州の西の果てであった。 「なんだ???ここは・・・・・?」 岬につきものの灯台もなく、モニュメントもない。たしかにここから見る日本海の眺めはいい、しかしあるのは木製の真新しい展望台とここが西の果てであるという説明と、実質の最西端であるモニュメントを海上から撮影した写真が貼り付けてあるだけだった。ししかもこの石碑、この展望台の下の断崖絶壁の何処かにあるらしく、自分の目では確認することすら出来ないのだ。近くでは先程通りすぎたゴミ処分場のなかを走るトラックの騒音が絶えず聞こえ、風情も何もあったものではない、ここに来るためが今回の旅の目的では無かったが、その余りの味気なさと期待外れのロケーションにこれほどガッカリしたのは初めてである。間抜けな所である、もう二度と訪れたいとは思わない。 空虚な気分で国道に復帰。一路、本州最西端の都市「下関市」を目指す。 |
福岡新門司FP |
今まで、京都以来無かった交通渋滞に操まれながらどうにかこうにか下関までやって来た。そして、自分と相方のカだけで目にした関門海峡は初夏を思わせる日差しにキラキラと輝いていた。そして、この町のシンボルである関門海峡大橋の勇姿が視界入ったときはさすがにジンと来てしまった。 「とうとう、ここまで来たのか・・・」 ![]() 感慨無量である。これで本州の殆ど(北陸を除く)を自分たちの力だけで走りきったことになった。 観光客でごった返す火の山展望台で土産物を買い、それからこの旅に出る前からの狙いだったフグ料理を昼食に当てることにし、それも実現できたのだが・・・値段の高さは仕方ないとしても、皆が「うまいうまい!」と騒いでいるわりには、実際のフグ料理は淡白で刺し身もマグロの方がずっと美味いのがあったし、天麩羅にしてもトリのささ身のほうがずっと美味いと思う。ただし、から揚げは何故かとてもジューシーでこれだけは美味い!!!と素直に味わうことができた。 でも、ご当地でここまで来て、食べた甲斐があったてもんだ」と感じるまでには至らず、次回も・・とは思わなかった。それだけに、苦手だった雲丹を大好物に変身させた北海道のウニ丼は強烈だったのだ。 ![]() 下関市の外れにある彦島と言うところから、本州と九州を結ぶ唯一の海上交通のフェリーが出ている、少々道に迷いながらも2時20分には埠頭に到着した。 そこには九州の小倉からやって来た船が接岸されており車が数台の車と二、三台の単車が乗船を始めていた。 前もってインターネットでダイヤを調べておいて、この船が休日でも四十分間隔で出航しているのを知っていたので、次の船にしようとのんびり構えていたのだが、ふと出札口横のダイヤ表に目をやってギョッとした。 何故かそこには祝祭日のダイヤが別箇に書かれており、次の船は何と5時40分とあるではないか!! これでは夕方五時新門司港発のフェリーに乗れないではないか!! 慌てて、切符を買い、正に駆け込み乗船して何とか間に合った。 確かに、この船に乗れなくても高速で関門海峡大橋で九州に渡れるし、国道を使えば関門トンネルで海面下から九州に顔を出すことは出来る。でも、船に乗ってユックリと海峡を渡って上陸したほうが、格別の達成感が味わえるのはこれを読んでいる人には理解していただけると思う。それ故に泡食ったのだ。 様々な形、大きさ、色の船舶の間を縫うように海峡フェリー「ふく彦」はノンビリと九州を目指して進んでゆく。そして、感慨に更ける問もなくあっと言う間にうら寂しい小倉のフェリー埠頭に到着した。 この船、西日本の大都市の間を結んでいる航路にしては余りにも寂しすぎる、平日は通勤や通学の利用客で其れなりに混雑するらしいが、はたして儲かっているのだろうか、余所者ながら心配をしてしまうほどに活気が無かったのが変に印象に残ってしまった。 九州である。 自分プラス相方の力だけで、自走でとうとう九州に上陸してしまった。 ここまでの走行距離は間もなく二千キロになろうとしていた。 街中を走ると、ここがまだ本州山口県に近いとあって、山ロナンバーが目につくが、確実に博多・宮崎・熊本ナンバーの車も混じっている。来年の五月連休のメインステージはここから始まることになっている。そのときは何れ走っているうちに回りを殆どが九州ナンバーで占められるようになるのだろう。 重工業地帯の小倉を足早に抜け、混雑する門司の市街地に入った。やがて、先程本州側からみた関門海峡大橋が再び視界に現れた辺りで、とんでもない渋滞にはまってしまった。 どうやら、門司の中心街から和布刈(メカリと読むらしい)公園と門司港近辺で、連休の行楽客を当て込んでの大々的なお祭りをやっているようで、その渋滞に我々は巻き込まれてしまったようなのだ。ひどい時には五分位動かないこともしばしば、おまけに周囲の気温は優に20度を越えていて夏を思わせる陽気になっている。ふと相方の油温計に目をやるとやはり100度を越えていた。 これはまずいと、その場で無理からUターンをかまし、緊急脱出を試みた。しかし、市内の渋滞は深刻で中々速度が上げられない、何度か路肩で油温を落ちつかせてからどうにか渋滞地獄から抜け出すことが出来た。 新門司へ延びる国道の流れは至ってスムーズで相方の油温もようやく落ちついてくれた。 国道沿いに分かりやすい案内標識に従って、出航二時間前にはフェリーターミナルに到着、乗船手続きを済ませホッとする間もなく車両の乗船が始まった。 定刻の五時、最近では余り耳にすることの無くなった銅鑼の合図と共に、名門大洋フェリーは新門司港を離れ、翌日の早朝の大阪に向けて瀬戸内海に出航した。 午前中はあれだけのんびり出来たのに、用のない下関の街中と小倉.門司での大渋滞に巻き込まれて、少々疲れてしまったが、もう大丈夫。あとは食っちゃ寝の一日を過ごせばいいのである。船内は五月連休のU夕ーンラッシュの直前の便だったので、乗り合わせた修学旅行生の騒音以外には自分のいる船室は至って静かで、十分にくつろぐことが出来た。 当然の事ながら、この船が走っている瀬戸内海は全くもって静かで、ベッドに横になって静かにしていなければ、船に乗っている感じがしない。無論、北海道の船に比べて船体の出来が悪いのか、エンジンの振動は凄まじいの言だったが・・・・・・ 飯・風呂、アルコールを済ませ、ベッドに寝っころがり、今まで記録してきたビデオ映像をチェックする。第一日目の寝ぼけた自分の顔、京都YHに到着したときの疲労困憊に満ち満ちた声、閑散とした三瓶山のCA、秋吉台のランドスケープ、秋芳洞の臨場感、菊川CAでのほのぼの映像など、眠くなるまでの時間潰しにはこれが丁度良かった。 消耗しきった携帯をコンセントに繋いで充電しながら、もう寝ることにした。 時刻は九時くらいだろうか、とてつもなく眠い・・・すっかりキャンプモードになってしまったようだ。 後は、大阪から一気に600㌔を走って家に帰還するだけだ、今のうちに寝て体カを十分に蓄えておかないと、ただでさえ退屈な東名高速は地獄と化してしまう。 そんなこんな考えながら、ビリビリと異音を発する天井を眺めているうちに記憶が無くなった。 (2017年追補 このツーリングではMiniDVのデジカムを携帯して動画も撮影しています。編集が終了次第YouTubeにUPして動画のリンクをこの投稿に貼り付ける予定です。 [完] この投稿の関連画像はこちら。 |