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エライ年の始まりである 今年は、ある意味で節目の年である まず、西暦二千年であるということ 筆者の年齢が三十の大台に乗ってしまった、ということ 今回のツーリングが成功すれば自走による初の九州上陸となること 今年の夏の北海道は初めてにしていよいよの「道東」エリア突入だということ しかし、災難は、イキナリやって来た 年も明けて間もない1月7日、七草 会社の倉庫に放置され、挨を被っていた新品のスーパトラップを発見 自宅のガレージにて、早速取り付けを済ませ、夜の湾岸に試運転としゃれ込んだ カーカーに比べて明らかに野太い音に、いい気分で走っていた そして、千葉陸運支局の前を通過して暫く直線を走っていたときだ 一台のRAV4が駐車場から出てきて、そのまま道路に入ってきたのである その時左レーンを走行していた自分達は、勿論右に避けた しかし、その車は合図も出さず右レーンに入ってきた 自分は、目前に右折レーンのある交差点を確認し、さらに右折レーンに回避した しかし、その車は全くコチラの存在に気がつかず、自分達の前に入ってきた 「ばっかやろう!!!」 叫んだ所で、相手に聞こえる筈も無く、相方と自分はフルブレーキング フルカウンターでかわそうとしたが、時すでに遅し 鈍い音とともに、自分と相方は地面に投げ出された ものすごい勢いで、アスファルトが迫りメット越しに火花が散った 背中を強打したのが分かった 「やばい・・・・単車に乗れなくなるのでは・・・」 と考えた、しかも冷静に、こんなとき仕事ができなくなるなんてことは、ハッキリ言ってどうでもよかった。ツン、とガソリンの匂いがした、相方から漏れているに違いない 早く起こしてやらねばと思い、フト視線をそちらにやる そこには、相方のこちら側で呆然とした面持ちで突っ立て居る車の運転手がいた 「大丈夫ですかあ?」と間の抜けた声で話しかけてきた 「バイクを起こしてくれ・・・・」 歯を食いしばりながら、そう言って痛みを堪えて、立ち上がろうとする 「あ?」 相手のこの返事を自分は今でも忘れていない 足の感覚がある、自力で立ち上がれる、バイクが押せる!!! 「バイクを起こして、押すのを手伝え!!!」 ここで、初めてまともに声が出た 相手はそれにびっくりしたようで、慌てて後ろから相方を押す 相方を安全な所に避難させたあと、自分の携帯で警察に通報した 「救急車はいるか?」と電話の警察官は聞いてきた 自分は、ここに実況見聞が終わるまで残ることを伝えた 今までの、車の運転手の立ち振る舞いが余りにもトロ臭く 事故当事者としての意識と判断カに欠けている様な所が見て取れたからである 十五分程して、西警察署の事故処理車が赤灯を回しながらやってきた 今回のツーリングレポートは、この後から始めることにする。 |
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病院から戻り、痛みが治まらないのでそのまま会社に休むことを連絡する。自分の記憶しているかぎりでは、衝突したときの速度は4~50㌔程だったと思う。前後タイヤをフルロックさせた相方と自分は、左側面を車に当て、その反動で右側から地面に倒れた、しかしブレーキを掛けたのが早かったのと、バイクが横向きだったという事もあって、相方のダメージは右側のウインカー前後とマフラーステー、メータ廻り、ウインドスクリーンを大破、シリンダーヘッドフィンを右後部角を十センチほど割り、三番四番のプラグコードを削り、フューエルタンクを少々凹ませ、シートとテールカウルに少しのダメージを受けただけで済んだ。 そして、自分は左足の膝から下と腰の部分を軽い打撲と擦過傷を受けただけで、入院するまでもなかった。全く以て幸運である。事実、衝突するまでは80㌔近く出していたのだから、まともに突っ込んでいたらお陀仏であった。 しかも、地面に叩きつけられた所はキャッツアイが埋設されていて、打ち所が悪かったら脊髄直撃だったのだから・・・・・。 昼過ぎに、相手方の運転手から電話がかかってきた、一応謝っているようだが言葉の端端にこちらにも過失があるようなことを混ぜて言ってきているのが感に触り、しかも 「私は車を使って営業をしているので、免許が停止になってしまうと仕事にならないので、悪いんだけど人身扱いにしないでくれる?」 とまで言ってきたこの手前勝手な申し出に激高した俺はこう返答した 「あっそ・・・。だったら尚更普段から廻りに注意を払わなければいけないんじゃないの?痛い思いをしてんのはこっちなんだからさ、おまけにこっちは肉体労働の身だから、もっと困るんだけどね。ここはひとつ勉強してもらわないとね、おたく人の事よりもまず自己保身でそういう事言うんだね。歩道から車道に出て来てからの一部始終を俺は見てるんだよ。ろくすっぽ一時停止や安全確認もしないでよくそんなこと言えるよな。どの面下げて人んとこ電話してきてるのかね?」 相手は核心をつかれたのか、それ以上の談判は無理と判断したのかさらに付け加えるように謝罪の言葉を並べて電話を切った。 まあ、タベの実況見聞で警察官に「相手に対して、公安委員会からの裁定で免許停止等の行政処分を下す事が出来る。それを望むか?」と聞かれたので、間発入れず「望みます」と答えたし、すでに自分は病院の帰りに警察署に寄って診断書を提出したし、人身事故扱いは確定してしまっている。相手には、事故直後の行動にもう少し良識あるところがあれば、物損で済ませてやったのだがねえ・・・。 事故のお蔭で、今シーズンのスキー滑り初めは大幅に遅れてしまった。去年の晩秋に家のオカンを温泉に連れていくつもりだったが、十月に自宅に空き巣が入り頓挫していたので、正月休み明けの落ちついた時期の月末の連休には改めて行く予定だったが、オカンの強い反対に合いこれも中止。何も好きなことが出来ず、モンモンとした一ヵ月を過ごす羽目になってしまった。 しかし、そのお蔭で怪我は順調に回復、二月の上旬には悲願の初滑りを白馬で達成することが出来た。 そして、遠出を控え自宅にいる時間が増えたこの機会に、以前から自宅に放置してあったノートブックパソコンを稼働させ、インターネットとe-MAILを始めた。記念すべきTavitoのネットデビューがこの時期だった。 始める迄は、「必要と感じるまで絶対にやらない」、と周囲の人間に宣言していたのだが、これが始めたら如何に全世界がこの一本の電話回線を繋いで狂気乱舞しているかが良く理解できた。中旬は予定外の会社での沖縄旅行。真冬の沖縄ほど退屈なものはなく、自分は地元で単車に乗れなかった鬱憤をこちらのレンタルバイクで晴らした。 しかし、本島の常識はずれの交通渋滞とパッとしない道路からのロケーションは退屈極まりなく、二度とここではツーリングするものか、と固く決心した。 下旬、ようやくオカンを伊豆の温泉に連れていくことが出来、一心地付いた。 三月、人身関係の保険金請求が終了。総額10万プラスアルファ程度の金が口座に振り込まれた。そして、G/Wに利用するフェリーの予約を済ませる。 四月、出発まであと一ヵ月も無くなったというのに、相手方からの物損関係の連絡が全く来ない。 事故直後以来、久しぶりにオートマジックを訪れてみたが、事故当時のままだった。 社長に事情を尋ねると「いや~、相手の保険会社の調査員がきて色々見てったんだけど、あの後何の連絡もないよ」とのこと。 サボりを決め込んでいるわけだ、相手方の保険会社は。 その後、事故調査の進捗状況を確かめる為に相手方の保険窓口担当者に対して、最初は穏やかに急ぐようにお願いして電話を切っていたが、その後も人の言うことを全然聞いていないのか、完全にこちらをなめきっているのか、暫くたって電話してみても 「まだ、調査員からの連絡は受けていない」ときた。 その時は、かなり強い調子で急ぐように何度も念を押した。 出発まであと二週間と迫ったある日、やはり何の音沙汰もない状態に脳天に血液が充満した自分は東京海上に三回目の電話をした。 すると驚いたことに 「急ぐように言ってあるが、まだ来ていません」 相方一号機を預けてあるオートマジックに電話してみてなにか保険会社からの連絡が来ているか問い合わせしてみた所、 「調査員がきたのは三月の25日位かな?でも保険会社から金額の算段が来ないと部品が頼めないんだよねえ・・・」社長もG/W前で忙しいというのに困った様子だった。 つまりはあれから2ヶ月近く経とうとしているのに社長曰く先方の保険会社は全くなんの行動も起していなかったのである。 ここまでぐっとこらえていた俺は流石に堪忍袋の尾が切れてしまった。 その場で電話を切り、東京海上火災保険に問い合わせをした。 すると電話に出た担当者は「調査員が調査した報告は受けているが、まだ書類が上がってこないからどうしようもない」との事務的な答え。 ブチッッ・・・・・ 「まだこないじゃねえよ!!!そうやっていつまでも動かないから、むこうもすっとぼけてるんじゃねえの!!!! だいたい保険の手続きは時問が掛かるなんて言われてるけど、それは両者保険会社の内どっちかがごねてるからだろ? 既に相手は弁償するって言ってんだから話は早いだろが。なんで止まってるんだよ! こっちも早い時点でバイクの修理代は幾ら掛かってもイイ絶対に直す、不足分は負担してもいいって言ってんの!!! 話の決着はついてんだから今直ぐ自分が動いて調査結果の算段の書類を取りにいってこい!!! 今直ぐにだ!!! 電話を切ったこの後直ぐ!!!」 一気にと怒鳴り付け、電話を切った。 三日後、オートマジックに保険会社から連絡が入った事を社長が電話で教えてくれた。 しかし、今から部品を頼みタンクを板金に出していたのでは間に合わないので、「取り敢えず、G/Wは間違いなく使うので、兎に角走れるようにしてさえくれればいい」と、頼んだ。 出発の一週間前の休日、ほぼ四ヵ月ぶりに自宅のガレージに相方Z1が帰って来た。タンクは板金に出されている為、他にもテールカウルの割れ方が酷いので社長のZの物を借りて取り付けてある。艶消し黒で側面にデッカク「AutoMagic」とデカールが貼られている。ちょっと恥ずかしいが荷物を積載してしまえば誤魔化せるであろう。プラグコードはデザィンが若干変更されたが、同じアクセルで、ステップ、各フットレバーの曲がりは修正され、ヘッドのフィンは社長自らの手で見事に肉盛り修理されていた。 此処だけの話、ヘッドのフィン欠けを理由にヘッド交換と言う建前で修理見積もりを出したのだが、此れだけで済んだので、その分浮いたお金で足廻りのグレードアップを社長と内々に計画してあるのだ。 そして、今回ブレーキマスターが新品にアッシー交換されていた。社長に聞くと、レバーが根元から折れてレバーのみの交換は不可能だったので、そうしたとのこと。 しかし、ここでちょっとしたトラブルが。去年の秋にオーダーし今年の初めにようやく入荷したヘプコ&ベッカーのパニアケースブラケットを取り付けようとしたが、ボルトの径が合わず加工が必要となり、時間もないので今回は断念した。 既に相方がやって来る前におおよその荷物を纏めておいたので、パッキングはすんなり完了した。 パッキングの前に幕張の湾岸方面で高速テストをしたが、ウォブル等の問題もなく高速移動の際の不安要素は払拭されていた。 とにかく、出発の日が来るまでの時間が過ぎて行くのを静かに待つだけだ。 その晩、ツーリングを通じて知り合った仲間に、今回無事に遠乗りに出掛けることになった事をメールを通じて報告した。 この投稿の関連画像は有りません。 |