岡山 上斎原村国民宿舎

〇五月六日 

今日から二日掛けて千葉の家に帰る。
その途中の宿は岡山県の奥深く、かの有名な奥津温泉の更に奥にある上斎原村の国民宿舎である。何故、キャンパーの自分が公共の宿に?と思われるだろうが、そろそろ布団で寝たかったし、本日の移動距離もかなりのものになる。そして、以前に嫌な思いをさせられた岡山県の中でキャンプするのはこりごりなので連休明けの空いている時期に合わせ宿をとったのである。
日原町からR187を南下、涼しく車も全くいない。程なくして中国道の六日町ICから中国道に乗る。時間帯と方向と季節のせいだろうか、北海道の高速道路並みに車がいない。
行けども行けども前にも後ろにも他車の姿がない。快適なのは言うまでもないが、この高速は営業しているのだろうかと思ってしまうくらいに空いている。これも最近全線開通した山陽自動車道の影響なのだろうか。ガスCHGやトイレの為に立ち寄ったSA・PAも閑散としていて、広大な駐車場では停める場所にも迷ってしまった。

ほぼ予定通りに院庄ICから降り、R179を北上。見覚えのある風景が広がる。所々で新しくできたコンビニや交差点が目についたが殆ど地図を見なくても分かった。しかし、こんな何もない平凡な地方にも大規模な開発の波は来ているようで、以前は狭い峠道をクネクネと走っていたところに巨大なトンネルが造られ、滑走路の様な立派なバイパスが出来ていたり、建造途中のトンネルを迂回するように新しい道路が山の中腹をぶっちぎっていたりと、僅か二年間の間にここも大きく変わろうとしている。
しかし、最も驚かされたのはこの後だった。宿に入る前に以前立ち寄った「奥津温泉」に久々に来たときは、正に目が点になった。
過去の記憶に頼って、その外湯が出来る国民宿舎にたどり着いたが、どうも様子がおかしい。その建物こそ残っているが、玄関のカーテンは固く閉ざされ前にはゴミが散乱している。しかも、建物前の駐車場が異常に広げられ、建物と駐車場の間には工事現場で使うようなパイロンが立てられ、いかにも立ち入りを禁じているような雰囲気だ。
そう、つまりは休業しているのではなく、ここは閉鎖されたのだ。「おいおい、二年振りに来てそれはないだろに・・・やっぱり岡山県は一人旅者に冷たいよな・・・」とがっくりときて、途方に暮れていると、ふと目の前に見慣れない大きな建物が目に入った。真新しい、つい最近出来たばかりのその建物こそ奥津温泉の公衆浴場・・・(いやクアハウス・・・もといスパリゾートとでも形容しておこうか)、なのである。様変わりとはまさにこのような状態を指していると言えよう、今年のツーリングはこんな事が連発している。これではまるで乗り物が亀から単車に変わっただけの浦島太郎ではないか!!!
建物は棟続きで温泉施設、レストラン、茶室、等々と色々な設備が用意されている。入り口から入ると、以前だったらオバチャンが雑談をしながらロッカーの鍵を渡してくれたのだが、今は揃いの制服(?)に身を包んだ兄ちゃん達が「いらっしゃいませ!」と元気良く出迎える。薄汚れたライダーが一人立ち寄るには、逆に引いてしまうシチュエーションである。施設が立派になれば、当然料金もそれなりのものにはなるものだ。
以前の二倍の料金を支払って中に入る。建物のなかは吹き抜けになっていて、観葉植物が至る所に置いてある、売店やちょっとした喫茶店まである。外見も凄いがなかも偉くモダンになっていた。肝心の風呂場は豪華温泉ホテルなみの広さ、浴槽が何種類もあって当然プールの様な露天風呂まである。明るく開放的な雰囲気が全体を支配している。全く対照的な雰囲気に少々とまどったが、奥津の町が観光客誘致にいかにカを入れているかが窺い知れたような気がした。
だだっ広い休憩室で適当に体を冷ましてから出発、上斎原村は走り出してから間もなくの所にあった。ちと、風呂に入るタイミングをまちがえたか??キャンプ用の大荷物を玄関脇の倉庫に置いておいても良いという許可を職員の人にもらい、渡された鍵を持って部屋に入り荷物を放り出して一服する。

「さて、・・・何もすることがないな・・・」そう、キャンパーは宿に着いてしまうとフロに入る以外にする事がなくなってしまうのだ。窓の外は大した眺めでもなく、すぐ側で何かのを建造しているらしく櫓の組まれた大きな建物が視界を遮っていた。こうなったら後は風呂に入って(ここも取り敢えずは温泉である)ツーリングのレポートを下書きして、ビールでいい気分になってテレビを見て寝るだけである。
夕食の時間になり、下の食堂に行ってみると。泊まり客は自分を含めて八人位しかいない。しかし、ここも連休中は観光客で大賑わいであったろう。だだっ広い食堂には適当な間隔を置いて食事が並べられているのは不思議な光景だった。

近江八幡YH

〇五月七日 

久しぶりの布団で熟睡した宿を後にする。天気は快晴である。先日走ってきたR179を南下する、左手の山の稜線から伸びる影をトレースするようにして再び中国道に。相も変わらず交通量は皆無に等しい状態が続く。しかし、標高が下がってきているのだろうか、体に当たる風が少しずつ温度を上げてきているような気がした。
昼飯は混雑する大阪を避け大津PAにて済ませる。既に気温は25℃を越えているようだ。もうすぐそこまで夏がきているのだろうか。
名神高速の八日市市ICから下道に降り、時間も早かったのでそのまま琵琶湖に直行した。周囲を大都市に囲まれていてとても旅の者が水辺でゆっくりと時間を潰せる所などないと思われがちだが、大津近辺や米原周辺を除けば以外と静かな場所はあるにはある。
自分も適当に道を選んで走ってみたが、とある場所に湖が望める静かな喫茶店があ名のを発見したのだ。そこで、小一時問ばかりコーヒーを畷ったり、柄にもなくレアチーズケーキなんぞをつっついて時間を潰した。ログハウス調のこの喫茶店、屋号は忘れてしまったが、オネーチャン好みのようなチャラチャラした雰囲気もなく、かといって気取っている様子もないので以外とライダーが琵琶湖ツーリングの帰りにでもフラリと立ち寄れそうないい印象であった。

今日の宿ではちょっとしたお楽しみがあった。宿泊の予約の時に夕食には近江牛のステーキを出すように頼んでおいたからだ。ここのYHは過去三回のツーリングの際にも申し込みをしようとしたが、悉く満室で断られてしまったのだ。喫茶店を出てYHに向かう間はその事ばかり考えていた。しかし、このYHにはこの後トンでもない事が待ち構えているとは、その時点では全く予感していなかった。
YHにチェクインしたのは、午後三時半頃。しかし、表通りから入ってきてまず第一印象は「お化け屋敷みたいだ」。無理もない、この建物は大正時代のものらしく当時はなんかの商工会館だったものを、YHに改装して今に至っているらしい。中に入ってみると照明も当時のままなのかとても暗い、壁や階段も古い屋敷にあるような黒くくすんだ色調で占められているから尚更である。これならまだ青森県青荷温泉旅館の方が明るく感じられると思う。
ここのペアレントのオヤジはまさに狸オヤジをそのまま体現してしまった感じの人で、うさん臭い山寺のインチキ住職っといった感じである。その喋り方はいい意味で朴訥、悪い意味で無愛想・馴れ馴れしい
宿の真向かいには広場を挟んで小さな建物がある。
中を覗くと、小さな舞台があってちょっとしたホールになっている。狸オヤジのはからいでキャンプ用の大荷物はこの中に入れてもらい、夜は施錠してくれるとのこと、そして相方はその建物の入り口にある屋根のひさしの下に置いておけばいいと言う事でOK。
狸に教えてもらったとおり、自分の寝泊まりする部屋に向かう。ギシ・・ギシ・・ギシ・・と嫌な音を立てて急な階段を上る。二階には二十畳ほどの部屋が三つほど有り、部屋の壁に沿って幾つもの布団が等間隔に三つ折りにされて置かれている。自分の部屋は階段を登り切った直ぐの所にあった。他の部屋は風通しを良くする為なのだろうか、入り口の唐紙は半開きとなっている。しかし、窓のカーテンはピッチリと閉ざされているので真っ暗になっている。だから、比較的明るい廊下から見ると部屋の中は全く見えないのだ。自分はその暗闇の向こう側に何かが潜んでこちらを見ているように感じて気味悪かったので、全部閉めて回った。
唐紙をあけて中に入り灯を点ける。「暗い・・・暗すぎる・・・」NG。
今日は暑い思いをして走ってきたが、この部屋にはエアコンはなく穴だらけの網戸しかないNG。布団はここ最近全く干していないのであろう、ペッタンコの煎餅蒲団であった。顔を近づけると何となく汗くさいNG。泊まりの申し込みをする際に狸が一言ぽつりと言った。「今日はあんたしか泊まる人おれへんから」
今まで、筋金入りのキャンパーを自負してきた自分ではあるが、時々は訳あってYHに泊まることもあった。しかし、客が自分一人だけというのは今までにない事だった。これがちっとも嬉しくないのはこの部屋以外誰もいないという孤独から来る恐怖の念が日が傾くに連れてジワジワと強くなってきたからに他ならない。
風呂が沸いたから入れ、と言われ風呂場に行ってみると、なんとそこはYHの家族が普段使っている風呂だった。湯船は狭い上に親の仇にように熱い湯が満たされている、洗い場にはその家の娘のものだろうか、シャンプーやらリンスやらなんやらかんやらゴチャゴチャと置いてあって足の踏み場もない、同じ宿泊料金を払っておいてこの扱いは何なのだろうか?
一方の客用の風呂場は4~5人入っても余裕なのにNGNG!
泊まり客は自分しかいないのに場内放送でピンポンパンポーンタ飯の用意ができたと言われる、間抜け。
広い食堂で一人ステーキをつつきながらのタ食、部屋の片隅にはどでかいテレビがあったが、なんだか点ける気にもなれず。出来上がった料理を運んできたのはペアレントの娘であった、しかしこいつらはオヤジに似て愛想が悪い。人に対して「今晩は」の一言もない、ムスッとした顔で持ってきて黙ーって引っ込んでしまう、まるで「連休も終わったのになに一人でプラプラしてんだ?」みたいな感じであるNG!
上げ膳が終わるとYHの娘は厨房から出ていって、自宅となっている裏の母屋に引っ込んでしまった。食事も終わり(ステーキの印象は標準レベル、特に有り難がって食べる程のものではない)食器を洗って「ごちそうさん」と声を掛けたが全くの反応無し。非常に嫌な感じNGNGNG!
別に側に座って、あれこれと話しかけて貰いたいとはちっとも思わないが、まるで放ったらかしというのはおかしいと思う。まあ、今夜だけの宿だしあまり旅先でむかついてもしょうがないと思いなおし、玄関横のテラス(?)にて一服することにした。
テラスの椅子に座って煙草を煩らせていると、狸オヤジはじめ家族全員が外に出てきた。
「わいら、ちょっと出掛けるさかいに悪いけど留守番頼むわ」とぬかしやがる。馴染みの客でもないのによくもまあずうずうしく頼み事を言うもんだ。「どうぞ」と二言一言ってそのままそこにいた。しばらくすると表から、一人のおっさんが歩いてきた。泊まり客か?
と思ったら近所の人だという;」この家の人知らん?」「出掛けた」「えーっ!ほんまに?・・・しゃーないなあ自転車借りる約束やってんけどなあ」とオッサンはこまった様子だ。しかし自分はなんの話も聞かされていないのでどうしようもない。「なら、すんませんけど○Xっていうもんが自転車もってったと伝えておいてくれまへんか」と来たので伝えておくと言うと、そのオッサンはフラフラと自転車に乗って帰っていった。
「なんなんだ?」
やがて、入れ替わるようにして狸家族が帰ってきた。先程までの事を話すと「ああそないなことになってたなあ」とお礼の言葉も添えず中に入っていった。なるほどね~NG!!!!!非常に印象の悪い近江八幡ユースホステルは廃業して、どうぞ。
エリミネーター125の男
明日の朝は1分1秒でも早くここの宿を出るつもりなので、そろそろ寝ようかと思ったその時である。表通りからライトをこうこうと点けた二台のバイクが入ってきた、一人は金髪の外人である。狸オヤジが面倒臭そうに出ていって話をしている。聞くと、琵琶湖の何処かでキャンプをしようとしたが、その殆どが休業中の為に門前払いに会い近くのGSの人にここを紹介してもらって来たのだそうだ。
しかし、金髪の外人の方はどうしてもキャンプする事を諦めきれずそのまま出ていってしまったのだ。どうやらツレで来たのではないらしい。残った一人は勿論日本人である。
バイクをシートが被せられている相方の横に停め、荷物を部屋に運び込みそのライダーは自分のところに来た。「おつかれさん」と声を掛ける。まあ確かに疲れてはいるようだ。彼は静岡の出身で学生らしい、去年の暮れに中型免許を取り今年の春にバイクを買って初めてのツーリングが今回だという。そこまでは、まあ普通に会話が出来た。しかし、そこから話をしていくにつれ自分の眉間に一本また一本と皺が増えてきたのだった。
もう、夜も遅くそろそろ部屋に引き上げようかと考えていたのに、そいつは買ったばかりのデジタルカメラを持ってきて写真を見ろと言う。本物のデジカメを手にするのはこれが初めてだったので、最初は興味津々だったがしかし、その中身は退屈なしょうもないスナップ写真ばかりで、自分の頭越しにペラペラと説明するそいつのぺースを無視してどんどんと画面を送っていった。見おわったデジカメを渡すと、そいっは今度は自分の乗ってるバイクについて語りはじめた。その話している内容があまりにも笑えたのでここから会話調に表記する。
「あの、おたくはバイク何に乗ってらっしゃるんですか?」
「Z1だけど」
「ああ、もしかして、あのナナハンの」
「それはZ2。おれのは900ね」
「あ、そうなんですか。でもぼくのバイクは面白いですよ」
「・・・」
「エリミネーターの250なんですけど、38ピーエスなんですよ」
ここで灰を落とそうとしていた自分の手が止まった。
「何?さんじゅうはちピーエスって何?」うはちピーエスって何だ?」
「馬力ですよ、馬力。38PSもあるから結構速いんですよ」
「ふ~ん、そいじゃ自分はそのカタログ数値が本物だとおもってんの?」
「ええ、勿論」
「それは、ハッキリ言って違うんだよね。実際にはその七割出ていればいいほうだし、第一数字なんて乗ってて分かるもんでもないし、要は馬力だけでなくてトルクとのバランスが取れていなければ話にならないし。それと、今は馬力はkwで表すから」
「そ、そうなんですかねえ。でもこのバイクに乗ってると峠が楽しいんですよ」
「・・・」
「ステップなんか簡単に擦っちゃうんですよ」
「そりゃ擦るに決まってんでしょ、そんなアメリカンみたいのだったら。俺が乗ったらコンビニの駐車場でも擦ってやるよ」
「え!そんなもんですか・・・そうはみえないけどなあ」
「見えるよ、どう考えたって」
「あの、おたくさんはバイク歴は何年なんですか?」
「今年で12年」
「そうなんですか、じゃあこれから色々と教わらないといけないのでよろしくお願いします」
「今会って、明日は別々の所に行くのによろしくお願いしますって言われたって困るんだけどね」
「あの、おたくさんのバイクってどれくらい古いんですかね?」
「27年前生産」
「僕みたいのでもいつかは乗れますかね」
「やめといた方がいいんじゃあないの。道の片隅でキャブを外すくらいの腕がないと遠出はできないね。俺は普段車の修理をしているから分からないことは殆どないし」
「へー、整備士しかいうのをやってるのですね。すごいなー」
「君みたいに、カタログの数字にこだわってウンチクを傾けているようでは、いつまでたっても旧車には乗れないぜ。もう、眠いんで。お先に」
これ以上退屈な話をしていても埒が明かないので、ここは一つさっさと寝てしまうに限る。まだ、話足りなさそうなそいつを置いて、自分は部屋に引っ込んでしまった。

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