島後

〇五月一日 

今日も晴れ。五月連休のツーリングの前半でこれだけの晴天に恵まれたのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。
朝飯を済ませて撤収。意外と交通量の多い境水道大橋を越え隠岐島へのフェリーが発着する七類港に着いてみてビックリ、なんなんだこの人込みは!それはまるでお盆休み中の北海道フェリー乗り場を思わせる状態であった。
予想外の状態に少々慌てて乗船名簿を書いて窓口に並ぶ。自分の番が来て行き先を伝えるとナナント満席にてキャンセル待ちだという。しかし、道が完全に絶たれた訳ではなく、別のルートで島に向かう船があるというのですかさず乗船を申し込んだ。しかし、それが今後の島での行動に少々の影響を与えることになってしまったのだ。
本日の目的地は島後の西郷港である。ところがそこへの直行便は満席、自分が確保した船は島前の島々を幾つか回り、最後に西郷港に寄港するというものだった。その所要時間ざっと五時間あまり・・・当初の予定では、午前中に島後入りしてゆっくり時間をかけて島内観光をして、さらに余裕があれば名物の「牛突き」に関する情報を集めようかと考えていた。そして、隠岐島にただ一か所ある温泉施設でさっぱりし、洗濯も済ませ、それから幕営しようともくろんでいた。だが、この船に乗って島後に着いたころには午後二時を過ぎている。ハッキリ言って時間の余裕がない。何のために早起きしてここまで来たのかの意味がなくなってしまった。
切符を手にしたが、思わぬ予定の大幅な狂いに少々消沈の面持ちでフェリーターミナルビルの傍らに座って一服していたら、ひとりのライダーが声を掛けてきた。

「お兄さん、もしかしてキャンプの常連さんの一人?」
その人は関西弁でこう言ってきた。
「は?」
余りの突飛な質問に自分は
「こいつは何を言ってんだ?」
と思ったが話を聞くと毎年五月連休になるときまって島前の国賀キャンプ場で大宴会をひらく常連たちが酒を手に手に集結してくるのだそうだ。彼がいうには相方に積まれている荷物の大きさ、乗っているライダーの小汚さがそう思わせたのか?
しかし、その常連たちは皆、阪神・近畿方面から来るらしく、自分のような関東からの遠征組は見たことがなかったらしい。
実際、相方のナンバーをみてそのライダーはえらく驚いていた。大阪から来たと言うFZR1000に乗るそのライダーは島後に行こうとしている自分を
「島前のほうがノンビリしててええで、景色がええとこいっばいあるし。島後は島がデカイわりにはオモロイ所全然あれへんで」
としきりに誘っていたが、そこは丁童にお断りした。しかし、彼との話はここで終わりではなかったのだ。
船は岸壁を離れ日本海に出た頃、自分は地図とにらめっこしながら予定の練り直しをしていた。島後入りしたらまずやっておかなければならないことを最初に済ませてしまう事。食料買い出し・幕営・風呂の用意・洗濯物の用意・タ飯の下ごしらえ(キャンパーは時間の余裕がないと普通の旅行客よりも忙しくなってしまう)。そして、島内観光は今日は西半分のみ(夕方だから)、そして明日の船が出るまでの時間内に東半分を(朝方だから)見て回る。「牛突き」は今回は諦めることにした。
こんな事をしていたらちっとものんびり出来ないんじゃないの?という声も聞こえてきそうだが、それはそれ、伊達に何度も旅に出ているわけではない。無理をしてまで予定を消化するつもりは毛頭ないし、かといってスッカスカの内容で貴重な休みを使い切ってしまうのは面白くない。自分としてはかなりここでは柔軟に対応しているつもりだ。忙しいのは幕営して夕食の下準備をするところまで。あとは身軽な装備で島内をうろつくだけだ。
五時間もの船旅の後ようやく目的の場所「西郷港」に到着した。港の周りは出迎えに来たタクシーや旅館の送迎バスなどでごった返していた。しばしの交通渋滞にはまる。しかし、ハッキリ言って船のなかでうたた寝ばかりしていたので、首が痛い。おまけにへんな疲れ方をしている・・・・

車両甲板から降り、島に着いた感慨に更ける間もなく、自分と相方は狭い街中を走り回って用事を片づけた。そしてようやく幕営地(あいらんどパーク隠岐キャンプ場は平成29年度現在閉鎖)も確保し施設はなかなかよい、車両進入可で無料。
カメラと風呂セットを携えて観光に出掛ける。島にはメインのルートが三通りある。その西側のルートを時計回りにトレースしていく。誰も居ない駐車場のとある展望台からの眺め、独り鍬を抱えて歩く老人、地元の子供が走り回っているだけの集落。あの港での喧騒は何処へやら、全くといって観光客らしい人の姿を見ない。もうタ方になり皆宿に戻ってしまったのだろうか。
最初の見どころ「壇鏡の滝」に到着。車一台通るのがやっとの舗装林道の終点に相方を停め、石段を登り切った先にその滝はあった。近くに神社があり、滝はどうやらその御神体になっているようだ。この滝、なかなか壮観で所謂滝の裏側を眺めることができるのだ。
御神体の裏側を見るのもなんだかなと言った感じだが、足場の悪さに冷や冷やしながら西日にキラキラと輝く飛沫を眺めた時はこの滝は夕方に見に来るべきだ(滝のある断崖絶壁は西の方角を向いている)と、確信した。

滝のすぐそばで湧出している湧き水を飲んで一息ついたのち再び西ルートに複帰。福浦の集落へ向かう途中に小さな漁村を通過した。ここもまた人の姿は全く無く、ごくたまに地元の軽トラックが通り過ぎていくだけだ。港のある静かな漁村、ふと自宅に電話をするのを思い出し、何気なく携帯を見るとナント驚いたことにアンテナが三本立っているではないか!
こんな僻地で携帯のつながりの悪さを心配することもなく電話が掛けられるとは、NTTおそるべしである。

何故こんな所に?と思われるところに「福浦トンネル」はある。
西ルートから別れて車両進入禁止の立て看板が林立する一本道を相方とともに進入する、道幅は軽自動車がすれすれで通れるほどのもの、途中でUターンする事は愚か方向転換も無理、車同士がはちあわせになったらどちらかがバックしていかなければどうにもならない、単車はブラインドコーナーさえ注意すれば楽勝で入っていける。
道は単車から海底が覗き込めるほどのところまで近づき、やがて通行止めのゲートで行き止まりとなった。ゲートの先はトンネル、しかしそのすぐ海沿いの崖に大人一人が腰をかがめてやっと通れるような手掘りのトンネルがあった。これが島後に渡ったら是非見たかった「福浦トンネル」である。その入り口はアーチ型ではなく角のとれた四角、トンネルはさらに海に突き出した岩をくり抜いた形で二つ有り、長さは併せて二十メートル弱程である。トンネルとトンネルをつなぐ道は切り立った崖の一部を削って平らにしただけのもので、直立して歩こうものならバランスを崩して海ヘドッポンといきそうな狭さである。
トンネルを行き来している間に、自分は小学校の頃、友達の数人で連れ立って近所の変電所の下を貫いているトンネルを通り抜けた事を思い出していた。あの時、真っ暗で先も見えず、誰もこの先には何があるのか知らなかったので、皆で途中から大声で話しながら歩いていた。そして一筋の光りが見え、ダッシュで出口に到達したときはまるで別世界に入り込んだような気がして堪らなくスリルがあった。そう、このトンネルのサイズは子供の遊び場として最高の条件が揃っているようだ。勿論、本来は地元の人が隣の集落と行き来するために造ったのだろうけど・・・・。あの下水管はいまでも有るだろうか?

島で唯一の温泉施設のある五箇村に到着したときには、太陽は目の高さまで来ていた。でももう後は風呂に入るだけ。明日の島前には日帰り入浴できる施設はないので、今日入っておかないと暫く風呂はお預けになってしまうのだ。
施設の詳しい場所も知らず、人に聞こうにも人はおらず殆どブッツケでここに来てしまったので、少々の不安がある。しかし畑の真ん中にポツンと立っている建物を探すのは容易で、集落に入ったらすぐに見つけることができた。ボチボチ店じまいの雰囲気の感じられる建物に入り、湯に漬かる。「うー・・・たまらん。これがあるから旅はやめられないんだよなー」と、温泉に入るたびにその眩いてしまう。オッサンそのものだが、自分はこのセリフをツーリングを始めた年から言っている。
洗い場の片隅で洗濯を済ませ、すっかりさっぱりしたところで五箇村を後にする。
幕営したキャンプ場に着いたころには日はすっかり落ち、到着したときは二張り程だったテントの数も増えていた。雨の心配はしなくても良さそうだったので洗濯物は干しっぱなしにして夕食に取りかかる。
こういう所にはファミリーキャンパーは来ないのだろう、その夜はとても静かで馬鹿騒ぎする輩もおらず、酒の酔いも手伝ってまたまたスイッチを切ったように寝てしまった。
 

島前

〇五月二日 

乾燥した空気の爽やかな朝である。こういう日の撤収は早い。手際よくテントを畳み早々にキャンプ場を後にする。島後のメィンルートであるR485を爽快に飛ばし、島最北端の「白島岬」に到着。近くの宿からやって来たのだろうか、初老の夫婦がクルマで来ている以外は人気が全く無い。日本海を一望にできる岬の展望台からの眺めは正に絶景で、この島も天売島に似て島全体が断崖絶壁に囲まれているのがよく分かった。
そして、沿岸に点在する小さな島々には所々に白砂の海岸があり、目を見張るほどのコバルトブルーの色彩を見せていた。聞くところによると、この島周辺には山陰地方でも有数のダイビングスポットがあり、そのガイドをするサービスも数件あるのだという。展望台には十分ほどいたが誰一人来るものはいなかった。この島は港以外は本当に静かなところばかりなのだ。
東ルートを今度は朝日をみながら南下する。気温の上がりはじめた頃に島後の景勝地の一つである「浄土が浦」の海岸に立った。春になって海水の温度も上昇しているのだろう、波打ち際に立つと潮の香りがプーンと漂ってくる。奇岩の林立する入り江のこの場所は沖へ広がる岩と、鏡のように滑らかな海面のせいで遠近感が強調され、奥行きが感じられる。確かに絵になる所ではあるが、波が静か過ぎてかえって不気味な雰囲気さえある。だから浄土なのだろうか・・・・・・。

船が到着する一時間前に西郷港に戻ってきた。すでに岸壁の駐車場には出迎えのタクシーやらバスやらで混みはじめていた。客待ちのタクシーの運ちゃんと暫し話をする。やがて汽笛とともにフェリーが入港してくる、近くまで来ると甲板には鈴なりの人が、・・・どうやら超満員の様子である。本当はこの船に乗って昨日来るはずだったのだ。
車両ランプウェイが開くと数台の車と2~3台の単車が降りてきた。しかし、異様だったのはそのあとの様子だった。いかにもこれから釣りに出掛けますよ、といった出で立ちのおっさんどもがゾロゾロと船から降りてきてランプウェイの入り口に集結しつつあるのだ。そして、乗用車やトラックが一通り出ていったあと一斉に中へとなだれ込んでいった。なんだなんだと思って見ていると、皆クーラーボックスを抱えてぞろぞろと出てくる、そうここはまた太公望のパラダイスでもあるのだ。
タクシーの運ちゃんが「ここは、観光で来るよりも釣りをしに来てる人のほうが多いやね」と話していたのを思い出した。

正午を少し回った辺りで島前西ノ島別府港に到着した。ここは島後よりも更にある意味で寂れているところなので、まず夕ーミナルビルの一角にある観光案内所にてキャンプ場の有る無しを確認した。島の中には二箇所のキャンプ場が有るという、港からほど近いキャンプ場は既に家族連れでかなりの混雑となってい居心地は悪そうだ。もう一つは島の東の外れにある耳浦キャンプ場といって、この季節はまだ営業していないかもしれないとの事。
キャンプ場探しに出掛ける前に腹が減ってきたのですくそばの定食屋で腹ごしらえをする。船が着いた直後なので入った店はかなりの混雑だ、おかげでかなり待たされる羽目になった、まあここまで来て時間を気にするのも馬鹿馬鹿しい。

自分の幕営地選びの基準は、まず空いていることが第一条件なので、その耳浦の方に向かった。舗装しただけの林道といった雰囲気の山遣をくねくねと走り抜けた先で道は駐車場となり終わっていた。キャンプ場はその先にあって車は進入出来ないがバイクだったら停めておけるスペースはある。バイクも2~3台停まっていた。
膝ぐらいまで伸びた雑草のサイトの先には、キャンプ場の名前の元にもなっている耳浦の海が広がっていて眺めはよい。しかし湾の両側に聲える山には樹木は生えているものの、何故か立ち枯れたようになっていて殺伐としている。おまけに足元を見ると大小のゴミが沢山散らばっていて汚い。ハッキリ言って荒れ果てている。管理事務所は閉まっていて人の気配は全く無い。それでも連休中なのでゴミだらけのキャンプ場の中にはいくつかのテントが張られている。だが昼寝でもしているのだろうか、うるさい相方の爆音にも何の反応もない。
相方から降りてまず水道が使用可能か確認する。水は勢い良く出てくれたので町まで水を汲みに行く必要は無くなった。ここは、夏のあいだは海水浴場にでもなるのだろう、敷地の片隅にシャワールームを備えた東家を発見。頑丈なテーブルとひさしの飛び出た屋根があり突然の雨の心配もない。キャンパーなのになんで雨の心配すんだ?と言われそうだが色々な気象状況のしたで幕営してきた自分でもキャンプしている時に雨に降られるのは楽しくない。少しでも凌げるところがあるのならそれを利用してもバチは当たらないと思う。
東家の下にテントを立て、五箇村で乾ききらなかった洗濯物を張りめぐらしたロープに掛ける。さて、身軽になったところで島内観光に出発である。この島は島後に比べて遥かに小さいので慌てて走り回る必要はないだろう。
島前西ノ島最大の見物は島の西にある国賀海岸である。遥か昔のアウトライダーに紹介された写真があまりにも強烈で、ここは島に渡ったら絶対に見に行こうと考えていた所だ。
西ノ島のなかにも短いながら国道が存在する(八キロメートル)。他の道が狭くてそのくせ交通量が多いので走りにくい分この国道は造られてからそんなに時間がたっていないのだろうか、ハイウヱイのように整傭されていて恐ろしく走りやすい、この小さな島にこれだけの立派な道路が必要だろうかと感じてしまうくらい。やがて道は延長工事中のところから降りるようになっていて再び漁村の中を走る田舎道となる。
牛のものとも馬のものとも思えないようなウンコパイロンを掻い潜りながら、牧場の中の道を走ったその終点はまたしても駐車場となっていて、観光タクシーやらレンタカーやらが占拠していた。目指す国賀海岸の魔天涯はその先1~2キロ先である。駐車場から先は牧場そのものなので、歩いて行かなければならない。当然そこまでの道もウンコだらけで周りの景色に気を取られているとムンズとやりかねないので注意が必要だ。
牧草が一面に生える中をウンコの少ないところを選びつつ歩くこと数十分、そこでいきなり道は終わった。そこから先は東尋坊も真っ青の断崖絶壁が遥か彼方まで続いていた。
この光景は凄い、写真で見るよりも数倍の迫力があり、見るものを圧倒させるには充分である。そして、取りつく隙間も無いような切り立った崖の上は穏やかな牧草地が広がっていて、そのギャップがまたここが奇勝地と呼ばれるに相応するアクセントをつくり出していた。
また一つ、山陰の目玉を見つけてしまったわけだ。だが・・・・雑誌の写真でみたときは「晴れた日にこの草っぱらで寝ころんで一日過ごしたら言うこと無しだ」と思っていたが、実際はその足元にも作りたてホヤホヤのウンコがテンコ盛りになっているのを見て、それがかなわぬ夢と気がつくのに長い時間はかからなかった。

島前 西ノ島耳浦CA

タ方になるにつれ雲行きが怪しくなってきた。果してこの天気はいつまでもってくれるのだろうか・・・と気にしつつ夕食の支度を始めた。暫くして一人のライダー(ポルティ)がとことこと歩いてきた。挨拶をしたのちストーブの火加減を気にしながら色々と話をしていた。そこへ近くに張ってあったオレンジのダンロップテントから一人の男がのそのそと出てきた。
その顔に見覚えがある。七類の港で話しかけてきたFZR1000のライダーだった。島に渡ってからロクに誰とも喋っていなかったので久しぷりに顔見知り(?)話し相手が出来るとあって少しホッとした。

「ニィチャンええとこにテント張ったなあ、あれ電気ついとるし水道も出とるやんか」

聞くとここは昨日まで水も電気も使えなかったのだという。もしも、島後を後回しにしてここに来ていたらかなり不便な思いをしていたところだ。東家の下にて名刺を交換する。彼の名はGoppa氏。大阪のど真ん中で自動車板金塗装の工場を自営しているとのこと、所謂同業界者である。そして、米が炊きあがりタ食となる。お互いに食料は用意してあるので屋根の下でご一緒する事となった。あとはアルコールで乾杯してすっかり気分がよくなった辺りで、このGoppa氏はかなりの強者である事が判明した。まず、以前は別の会社に勤めていたが、うまが合わず退職、その後半年間に渡って日本全土を放浪し、北海道には三ヵ月間も留まってウロウロしていたのだという、行く先々で催されるキャンプ宴会で顔役となっていて全国に知り合いがいるらしい。デルデルハウスの話、フルチン・フル○ンライダーの話、島根県警特別捜査班のオッサンと名刺交換した話、元GPライダー新垣氏の自宅でご飯をいただいた話等々・・・と話しだしたら止まらない、しかもGPライダー新垣の話は過去に色々な人にしたが、知っている人がいなくて全然盛り上がらなかったのに、この自分に話したとき初めて理解してくれ、話が通じたのを見てGoppa氏はいたく喜んでいた。
お互いにすっかり意気投合して夜更けまで喋りまくっていた。その間Goppa氏はノーヘルのままで町に酒の補充をしに行ったり、ボルティのライダーが島の反対側国賀海岸で毎年行われる常連ライダー達の宴会に呼び出されているため途中で退席、漆黒の山道を出掛けて行った。
二人ともいい加減アルコールが回りきり眠くなってきたので、そろそろお開きの相成った。
彼がテントに戻る際に「明日、海士島に渡って名刺くれた県警のオッサン(オッサンとはいっても捜査一課特別捜査班つまりはデカである。たしか名前の上に警部補ともあったような)とこの家で風呂に入らせてもらって、そこに一泊させてもらえることになってんねんけど、一緒に来えへん?」とお誘いの言葉を頂戴したが、天気は下り坂、今後海象がどうなるか分からないし、それによって予定が大幅に狂ってはまずいので丁重にお断りした。
しかし、来年の五月連休も山陰を走ることに決めているので、その時の一日目の宿はGoppa氏の自宅にお邪魔するつもりだ(実際、彼の自宅は工場も兼ねているのでかなり大きいらしい。過去に顔見知りになったライダーを何人かまとめて泊めてやったことがあるそうだ)