〇五月三日
雨 午前八時
翌日は目覚ましではなく、テントを叩く雨の音で目が覚めた。
朝飯を軽くやっつけ、ダラダラと撤収にかかる。「さて、今日は何処まで戻ろうかなっと」相方に荷物を括り付けてエンジンに火を入れる。ここから、自宅まで軽く800㌔を越える、途中でYHを予約してはあるが、場所は浜名湖である。しかも予約した宿泊の日は明日、日程が一日ずれているからだ。とりあえず、東へR54を一旦南下し、三次ICから中国道に乗り、院庄ICで降りた。ここで降りたのは高速道路から程近い距離に温泉があり、キャンプ場も点在しているという条件をここは満たしているからである。立ち寄った奥津温泉は院庄ICからR179にて北上27㌔付近にある。まず共同浴場で三朝温泉以来の風呂に入り、大山登山の汗をここでやっと流す事が出来た。
この日のトラブルは、その後のキャンプ場探しを始めた所で発生した。しかし、西日本全体に見られる五月連休中のキャンプ場閉鎖はなんとかならないものだろうか、それともキャンパーの全対数がへって収支が釣り合わなくなって来ているのであろうか?
道路工事中でその大半がダートとなっている道を何度もコケそうになりながら、峠越えをさせられる羽目になりながらも、ようやっと見つけた越畑キャンプ場は、夏の間しか営業していないようで、設備は丸々残ってはいるが、水道が完全に止められていた、散水用の蛇口も駄目、サイト周りや炊事場周辺も草が伸び放題で放置されている、昨日の西ノ原キャンプ場とまではいかないが、その様子は見放されているとしか思えない状況だった。

まあ、緒麗な水が簡単に手に入るなら、水道水でなくとも、何処でもテントを張ることが出来るが、四国の山中と違ってこちら方面はかなりの山奥まで民家が建っている。無闇にに川の水を飲んだりして再起不能とはなりたくないのが正直なところ。するとどうしても安心して水道水が調達出来るところに限定されてしまう。無宿ツーリングをメインとしている自分のポリシーに反する事だが、無断で民家に近い所にテントを張り、近隣住民に怪しまれるよりは出来るだけキャンプ場を利用するほうが、ベストではないがベターと考えてもよいかと思う。
話が横道にそれてしまったが、このキャンプ場はNG。
考える間もなく引き返すことにした。三時すぎだというのに、雨は止んだが薄暗い。欝陶しさを感じながらもまた来たダートを引き返す。もしも、連れ合いが居たらブーイングしまくっていただろう。
少しイライラしながらR179に戻り、奥津温泉の西方にある「泉源キャンプ場」に行ってみる。しかし、此処も立派な設備はあるものの、鎖と南京錠でしっかりロックされ、バイクを敷地に入れることさえも出来ない。ここで、去年から引き続いて岡山県に入ってからのキャンプ場の少なさにムカッ腹が立ち、更に岡山県全体に対するイメージが悪くなった。
「岡山県はキャンパーに対しての間口が狭い」
お蔭でがっくりとカが抜け、久々にUターンで立ちゴケしてしまった。
「くそったれがぁーーーーーーーー!!!!!!!!」
思わず怒鳴る。今日の日ほど一人のキャンパーも満足に受け入れられないこの県の行政を恨んだ事は無かった。

時間帯はまだ日中だというのに、天気は下り坂なのかかなり暗くなってきた。取り敢えずキャンプ場不毛地帯の岡山県にあっては、これ以上時間とガスを無駄にするわけにはいかない。仕方なく、作戦を変更しYHに逃げ込むことに決めた。R179を再び南下、津山市に出てR53を東へ、美山YHで貰ったパンフがここで役に立ったわけだ。たまたま電話してみたYHの部屋は満室であったが、テント持参ならキャンプ場を併設しているのでキャンプは可能だ(有料)、と教えてくれた。取り敢えずテントを建てる場所は確保できた。
日本原高原に到着したときは、大雨となった。テントを立てる。今までの山陰側と違いこちらは蒸し暑く鬱陶しい。YH(日本原高原YHは閉館)がなければなーんにもないただの池が見える高台である。それでも家族違れが2~3台の車できていた。ダラダラとテント設営をしていたら、近くでバーベキューをしていたグループの一人が来て手伝ってくれた。それほどまでに疲れた顔をしていたのかもしれない。
〔白狼〕をグッと空け、サッサと寝てしまった。 |
浜名湖YH(閉館、現在更地) |
〇五月四日
晴れ 午前七時
金を取るには余りにもおこがましい設備のキャンプ場を後にして、中国道津山ICに乗る。今日も移動日、初日と同じくらいの距離を走るので気合を入れてアクセルを開けた。
しかし、寒・蒸・暑と、この数日間でかなりの気温差を走り抜けてきたお蔭。本日終点の三ヶ日ICに差しかかった辺りでの、疲労度はかなりのレベルに達していた。
それでも明日で今年のG/Wツーリングも終わってしまう。タ日に輝く浜名湖を見ながら、ゆっくりと流すつもりがとんでもない。遠州灘へと続く道路は行楽帰りの悼で大渋滞これで疲労にトドメを刺されたわけだ。YHに到着すれば普段なら荷物をおしてもう一っ走りといけるのだが、今日はとにかく兎に角フロ.メシ.ネル・・・と、オッサンライダーの行動パターンを踏襲して一日が終わった。まあ、同室で話の合ったチャリダーの兄ちゃんと夜まで酒を交えてのツーリング話はそれなりに楽しかったが・・・・。
激しく主張したいのは、ここの飯は激ショボという事だ。
まともなおかずが全く無い。
頭にきた俺は、部屋に戻りキャンプ道具の中から余っていた振りかけを取り出し、白飯に掛けて何杯もお代わりしてやった。金とってそんなおかずしか出せないYHだ、廃業して当たり前だろうと思う。 |
IG/OFF |
〇五月五日
晴れ 午後四時半 稲毛到着
前半は面白く、後半は今一つという内容。西日本ツーリングはいつも自分に何かしら課題を残してくれている。
首都圏に住む人間にとって、中国・山陰方面は縁遠いところである。どちらかと言えば阪神・近畿方面の人に馴染み深く、観光地・温泉情報も豊富なはずだ。
初めて山陰を訪れた去年は、情報収集を全くせずに当地に赴いたので、出発前まではワクワクしていたが、北海道や上信越地方と違って、観光客誘致に対するやる気の無さが至る所で見受けられ、ガッカリさせられたものだった。
今年も結局はキャンプ場探しや天候不順(これは仕方ないとしても)、走り所と温泉のなさが手伝って・・・等々去年の教訓が生かされぬまま、貴重な時間を無駄に使った効率の悪いツーリングで終わってしまった。だから、次回のツーリングこそはその挽回をしなければならない訳だ。次回の目玉は、島根半島と隠岐の島巡り、三瓶山登山そして本州最西端の岬へ。その帰り道にあの〔尾道〕を経由し徳島からフェリーで本州に戻るというバラエティーに富んだ内容だ。
しかし、このツーリングレポートを書いているのは98年の正月明けて間もないある日である。この先、このツーリング計画がいつ実行できるかは、現時点では全く見通しが立っていない。
だが、自分が単車に乗っている限りは人生とともに旅がある、と考えている。相方Z1は自分と旅を始めてからもうすぐオドメーターは五万キロに達しようとしている。購入当時既に五万キロ走っていたから(購入直後マイルメーターをキロメーターに交換した)実質10万キロに達するわけだ。しかし、相方はまだまだ元気、あと20万は走れる勢いである。
自分はまだやりたい事が山とある。それまでは社会生活を放棄してでも完遂したい、と考えている。
そう考えながら相方のエンジンオィルを交換する正月明けのある日であった。
〔完〕
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