三朝温泉~大山鏡ケ成CA

〇四月三十日
曇り午前七時

春の天気は変わりやすい、またも一雨きそうな気配の中、山を降りる。去年自分の足で途中まで歩いた『鳥取砂丘』に差し掛かった辺りで雨は降り出した。天気が悪い時、ツーリングライダーには距離の進むタイプと、そうでないタイプに分かれるらしい。自分はこんな時は寄り道したり、雨宿りで時間を潰したりする気にはなれないので、どんどんと先に進む。ちっとも楽しくはないが、移動のみを重点に置く日にはむいているのかもしれない。
R9をひたすら西へ、気温は一向に上がる様子もなく、体がカチカチになってきたので、ここらで早めに暖をとる事にした。温泉である。
気高町に入ったところで左に折れ、『三朝温泉』へとアクセスする路を南下する。鹿野町から先は山の中へと入っていくのだが、これがまた暗くて寂しい。時々『三朝温泉はこちら』という看板を目にしなければ、本当にこの道でいいのだろうか?と思ってしまう程である。
険しくはないが、曲折の多いアップダウンを繰り返しながら、三朝の町に出た。
西日本では、丹波・城崎と並んで三大名湯に数えられ、湯の中に含まれるラドンの含有量は世界一とも言われているが、賑やかなのは観光センタービルの周りだけ。その近くにある三朝大橋のそばに、この温泉の呼び物になっている『河原湯』があり、ここの入浴は自由ではあるが、見てみるとガキの水遊び場と化している。しかも気温が低いので満足に温まれないだろうと考え、町外れにある『株湯』まで引き返すことにした。
近所のオッチャンに聞いて、目当ての湯は見つかった。案内標識らしきものは全く無く、その場所も普通の一軒家がお鳳呂場を解放しているような雰囲気であった。入浴料金をいれる箱は一応あるにはあるが、人の出入りがある割りにはお金が入っていない、受付の人が不在ならタダでもオーケーなのだろうか?これが、おそらく関東以北の温泉地ならば、誰が居ようと居まいとみんなお金を払っていただろう、関西地方ならではの考え方なのかもしれない。自分はちゃんと払いましたよ、150円。
北海道の温泉の湯温も高いと感じていたが、山陰の温泉もこれに匹敵するようなレベルだ。寒い山中を走ってきた自分の体温が低いせいもあるとは思うが、桶に酌んだ湯を掛けるだけで「アチャチャチャチャ!」となる始末。かといって他のオッチャン達の前で、お湯を埋める訳にも行かない、これは完全に温熱修行の世界である。自分の他にバイクで来たらしい先客がもう上がろうとしていたが、体中マッカッカになって、フラフラしている。どうやら湯船に浸かったまま地元のオッチャンと話し込んでしまったらしい、あの状態でバイクに乗って大丈夫なのだろうかと、心配してしまう程の有り様だった。

倉吉市内にて食料買い出しと早めの昼、そして古いラジオが故障したので新型に代替をした。何気なくたちよった定食屋「春ちゃん」のオカミサンとバイクと登山の話で盛り上がり、自分が明日『大山』に登るという事を話たら、たいそう感心していた(呆れていたのか?)。
それもそうだ、自走でバイクに大荷物をのっけて此処まで来て、明日は山に登るというのだから。小一時間ほど話し込んで、倉吉を後にする。町を出て見えるはずの『大山』の姿はなく、重い雲が垂れ込めているだけ。いまにも降りだしそうな気配を感じて、雨カッパを着込む。ことしカッパをバイク用に新調しサイズもゆとりのあるものにしたので、今迄のような窮屈さは無く快適そのものである。だから今年のような悪天候続きでも大して苦痛ではない。
雨は関金町を過ぎた辺りから本降りとなり、視界が悪くなってきた。今年もまた『大山』は駄目なのか・・・・と、嫌な気分で標高を上げて行くと1000㍍付近で、上空が急に明るくなり、青空がどんどんと広がってきたのだ、雨は降っているのに。
人気がまたも全く無い『鏡ケ成』に到着したのは夕方の三時か四時くらいだったと思う。
キャンプ場はシーズン前にて工事中、しかし自由に出入り出来るので、相方を入口に停め、中の様子を偵察する。昨日のように雨宿りが出来そうな場所を探す、すると幾つかの炊事場の中で、最近造られたばかりのような、六角形の大きなコンクリート製の建物を発見。
水を出してみる。水圧、量共に充分、今夜の宿は此処に決定した。これだけ頑丈な造りなら、夜になっていきなり突風が吹きつけても、テントが飛ばされる心配はない。しかも間取りが広いので相方も中に停められる、まあこんな山の中でバイクを盗もうなんて輩は居ないとは思うが・・・。当然、冬の間は人が使う事はないので、ここは落ち葉の吹き溜まりとなり、辺り一面くるぶしまで埋まるような天然の絨毯が敷き詰められている、このまま上にテントを立てれば、断熱効果がアップして快適かもしれないが、強カな火気をこの建物の中で使う事を考え、全て掃き出す事にした。

管理棟まで歩いて行き、またも鍵が掛かっていない建物の中に入り、ホウキとチリトリを拝借する。これは一歩間違えればヤバイ事をしているのだろうけど、人のいない山中ではそんな細かい事はいちいち言ってられない。少々汗ばむほどに動き回って、炊事場の中はすっかり緒麗になった。もし、遠くからこの様子を見ている人がいたとすれば、不思議な光景に違いない。

寒い!気温は10度近くまで下がっているようだ、飯を炊くストーブの温もりと、今日の『三朝温泉』で入手した地酒『白狼』のアルコールエネルギーが唯一の暖である。でもなんだかとても楽しい。炊事場の周りは漆黒の闇、キャンプ場内は水銀灯があるが、閉鎖中なので明かりは点かない。自分の頭上にあるマイクロランタンのみが辺りをかろうじて照らしている程度だ。
明日は早い、ラジオの天気予報は「晴れ」、シュラフの中でガッツポーズ。

大山登山

〇五月一日
晴れ午前五時

素晴らしい朝である、混じりっ気のない冷涼な空気が直接肺に入ってくる。これは旨い煙草を吸うより気持ちがよい、でもやっぱり煙草に手がのびる。これで一服すれば更にいけるからだ。夕べのうちに用意しておいたザックを背負い、刃物のような冷たい水道水(湧水)に『白狼』をつけ、いざ出発。
大山環状遣路を西へ走るとやがて、写真でよく紹介される鍵掛峠が姿を現した。
去年は残雪と濃霧の為、視界が悪く素通りしてきたが、今回はそのノコギリのように切り立った断崖絶壁がよく見える、その向こうにはこれから自分が登ろうとしている『大山』の雄姿が見える。その迫力たるや、凄いの一言だ。天にたった巨大な屏風・・・いや鋸か?
とにかく、言葉で表現すると陳腐なイメージだが、とんでもない「こんな山、おれに登れんのか?」と思わず口に出てしまったほど、山肌が険しい。
登山口は現在、最も安全とされている大山寺から入る事ができる、アタック開始である。
昇り始めて数十分したころ、下山してくる人と何人か擦れ違った。「お早うございます」いつも、登山している時は人と出会ったら、自分から挨拶するようにしている。こんなに気持ちのよい環境の中だからか、100人中98人はちゃんと返してくれる。
『大山』は生まれてから気の遠くなるような年月を日本海からの厳しい季節風と雪との闘いに明け暮れながら、今日に到っているため、ここ最近崩落が激しいのだという。
その為、一等三角点がある頂上剣ケ峰へのルートは現在、立ち入り禁止となっている。登りの途中で一息ついている間、山の上の方でトラックが砂利道を走るような音と、ドーンという重い音が絶え間無く聞こえてくるのも頷ける。百年後の『大山』はこの調子だと今とはかなり姿が変わってしまっているかもしれない。大山の自然の項目の中に、ガイドブック等にもよく紹介されている「ダイセンキャラボク」という木がある。この山にしか生息していない固有種で国の天然記念物となっている。それほどまでに珍しい木なら見た目にもインパクトがあるだろうと期待していたが、いざ目にしてみるとただのハイマツのようなもので、何の特徴もない木であった。でもそうでないものだったら、よからぬ事を考える者が勝手に伐採していってしまうだろう、だからかえって、こんな目立たない方が良いのかもしれない。
頂上には山小屋(正確には頂上ではなく、第二峰の弥山)とここが頂上である事を示す石碑があった。眺望は言うまでもなく最高である、南には四国、西には弓ケ浜、東には氷ノ山、北は日本海がガスの向こうにボーツと広がっている。二年越しの目的は現在をもって達成されたのである。

シーズンには多くの人が訪れるこの山は、その分自然へのダメージも大きい、この弥山の頂上も桟敷席のようになっていて、地べたには直接腰を下ろせないようになっている。もともとここはお花畑だったらしい、しかし板の隙間からみえる土はコンクリートのようになっていて、草花がすぐに自生できるとはとうてい思えない状況になっている。おまけに、山のうえで携帯を使っているバカタレ、風情ぶちこわし、まるで子供に玩具である。
あまりの寒さと強風のなか、太陽は温かかったが、じっとしていると具合が悪くなりそうなので、軽く胃の中に食料を入れてそそくさと下山する事にした。

タ暮れの『鏡ケ成』に来た、風呂とタ食の下準備をすませ、もっともボケーツとしていられる時間帯である。カメラもそのまま持ってきた、きのう『鏡ケ成』に来て、霧がやや残っていながらも、眼前に尊える『烏ケ山』の西に沈む太陽をみて、この美しい光景をフィルムに残さないわけには行かない、と直感したからである。
自分の他に誰も居ない『鏡ケ成』、盆地となっているこの一帯のなかにはビジターセンターや国民宿舎の建物があってそれなりに人気はあるが、表にでて日没をじっと眺めているのは自分だけ。一日の終わり、赤い火球の墜落、闇の支配、黒く静かに立つ『烏ケ山』。一枚の写真に収めるにはあまりにも材料が多すぎた。