丹後半島~城之崎温泉~ハチ高原CA

〇四月三十日

午前五時 曇り

管理人に見つかることなくキャンプ場を後にする。天気は下り坂でいまにも雨が降りだしてもおかしくない状況である。半島の西側にある鳴き砂で有名な『琴引浜』を独り歩く。
海水で濡れていたり少しでもゴミが混ざってしまうと何の音もしないが、乾いたきれいな所ではキュッキュッと見事に鳴いてくれる。歩き方を工夫するともっと大きな音を立てる事も出来る。見た目は極普通の海岸の砂なのだが、なんとも不思議なものである。お土産にして持って帰ろうかとも一瞬考えたがやめた、何故なら歩いて音を出すには畳一畳分の広さに踵くらいまで埋まる深さの砂が必要と思われたからだ。
雨が浜を後にした辺りから降り始めた。何もないつまらない『久美浜湾』をパスし『城ノ崎温泉』に到着、今日は連休の谷間に当たる日なので、温泉衡は閑散としていた。今年のツーリング最初の温泉という事で『一の湯」に入った。中には自分の他にジーサンが一人いるだけだった、二階吹き抜けのだだっ広い浴場でカチンカチンになっていた体が融けてゆく。
温泉街の喫茶店で昼飯をすませ、そこのマスターと話が弾んだ。聞くところによると目指す『ハチ高原』はまだまだ先で、山の方には雪が残っているかもしれないという。
ついでに帰りには山陽の方を通って行くと話したら近くにいいキャンプ場があると教えてくれた。重苦しい空の下、豊岡市を過ぎR9を『ハチ高原」に向かう。やがて沿道の民家の数が減り、山深くなってきた。加えて天候も悪化、気温はドンドン下がり雨は本降り(なんで西日本は山の中に入るとお決まりのように天気が悪くなるのかね?)になってきた。関宮町を過ぎた辺りで『ハチ高原』がある『氷ノ山』が眼前に現れた、しかし自分はその姿をみて「・・・・かなりまずいかもしれん」と直感した。
山の殆どが思いっ切り白いのである。高原へのワインディングを登っていくうちに、やはり道路の両側に残雪が・・・それもかなりの量が。昼過ぎだというのに人気が全く無いペンション街を抜け、『ハチ高原』に到着。キャンプ場の管理棟のような建物に何人か人が集まっていたので、テントを立てて良いかと聞いたところこの悪天候の中フラリとやって来たライダーをシゲシゲと眺めながら「テントはどこ張ってもええけど、ごっつ雪残ってるで、それも山開きは明日やから水道はでえへんで」とOKしてぐれた。

・・・ラジオの入りが異常に悪い。夜にかけて前線が上空を通過し強風が吹くというので、またも炊事場にテントを張る羽目になった、しかし、今日の炊事場は屋根無しで暖炉の前のコンクリート以外は全て雪に覆われている。だからテントの底半分は雪の上となってしまった。タ飯までにはまだ早いので軽くツマミを頂いてテントの中でゴロゴロしていた。
「ゴォッ」という森の音やギャァギャァわめく鳥の声に少々びびっていたがやがて眠くなってきた。意織が薄れていたと思った時、真っ黒い狸位の大きさの動物がテントの入口を突き破ってバリバリと白分の潜っているシュラフを凄い鉤爪を立てて引っ掻いているではないか!!!「殺される!」自分は起き上がろうとしたが首だけは動くものの声が出ない。「うううっっっっ!!!」とうめいているだけである。そしてその何物かの姿が書き消すように無くなった瞬間、上半身がガバッとバネ仕掛けのように起き上がった。
腹の上を見る、テントの入口を見る。なんともない・・テント内の気温は十度くらいなのに滝のような汗が出ている。身体がブルブルと震えてきた。「金縛りだ・・・」
無意識にラジオに手を伸ばし音量を最大にした。
その夜は大風が狂ったように山を駆け抜け大粒の雨も降り出すという最悪の天気。明日予定していた『鉢伏山』登山はこの時点で中止に決めた。炊飯に失敗した御飯(タ食の時間になってもまだ動揺していて、炎をしっかりと見張っていなかった)をムリヤリ腹にねじ込み、さっさとシュラフに潜り込んだ、いつもはこれぐらいの天気でもすぐ眠ってしまうのだが、異様に神経が昂っていてなかなか寝付けなかった。

アナタハ、ダレモイナイヤマオクデ、シカモ、ダレモイナイアクテンコウノナカデ、ヤスラカニネムルコトガデキルデショウカ?

山 下山CA

〇五月一日
雨 午前十時

タベは雨と風の音とテントの周りに感じられる何物かの気配に悩まされて、満足に眠れなかったようだ。
おまけに悪寒も少し有る。不調の身体と悪天候に恵まれてハチ高原を降りたのは午前十時。ここから「大山」までは160キロ+α位でさほど遠くではないが、この天気、途中て雨が降りていなかったら鳥取砂丘で遊ぼうかと考えると少々きつい移動日となりそうだ。
テントの眼前に見える「鉢伏山』の登山は素人でも鼻唄まじりで登頂できる、とかねてから闇いていたので来年天気がよければまた挑戦するつもりである。
あまり時間がないにも係わらずこの機会を逃したら、二度と通らないコースにある『余部鉄橋』を見に香住町まで北上する。すぐ西側にある『湯村温泉』は来年のお楽しみにとっておく事にした。
山を降りて雨が上がり雨カッパを脱ごうと思い始めたあたりで『余部鉄橋」は突如姿を現した。たしかに海辺の小高い山の間ギリギリに渡された鉄橋は、見るものを圧倒する迫力はあるが、所詮は人口建造物「へえ~こりゃすごいや・・・・」という言葉以外はあまり感動の言葉は出てこなかった。
それよりは、何年かまえに起きた列車落下事故の方のイメージが強く残っていて、列車が鉄橋を通過するたびに、そこに乗っている乗客は毎度毎度祈る気持ちでいるのだろうか、と考えてしまった。
浜坂町の外れにある七釜温泉の公衆浴場は本日メーデーにつき休み。海岸線をトレースする国道を走りたかったのだが、その方面には温泉がない。どうしても今日は温泉に入りたかったので、悩んだあげくR9まで戻って『岩井温泉』にたち寄る。しかし、風呂に入るには近くの商店で入浴券を買ってから・・・と風呂屋の看板に書いてあったので、表を見回すがどの店も閉まっており全く営業している様子はない。でも、風呂屋はやっている、かろうじて扉が少し開いている雑貨屋に押し入って入浴券を手に入れ(店主によると今日は町全ての商店が休みの目なのだそうだ)風呂屋にむかう玄関をぬけて脱衣場の扉を開ける、途中の番台には人影はなく入浴券を入れる箱もない、なんだ・・・これだったらタダ湯でけるやんけ。
すっきりした所で足早に鳥取市へ、説明不要の日本最大の砂丘がある鳥取砂丘に到着。
広大な砂丘を2~30分歩き回って(ここは天気がよくてもっと時間に余裕があれば・・・素晴らしいところだけに、惜しい思いがする)遅い昼飯を取る。
市街地を出た辺りで雨、R9をひたすら西へ、天気予報では午後から晴れるといっていたが一向に回復の兆しはない。『大山』の北の麓にある赤崎町に差し掛かっても登山雑誌の写真でみたような「伯耆富士」の秀麗な稜線はまったく伺い知る事は出来なかった。
国道を離れて『大山」の登山道路に進入、ツーリングマップには山の北側には無数の農道があるので非常に迷いやすいと注意書きがあったので慎重にルートを確認しながら濃霧の中を走る。確かに枝道や交差点がいたるところにあるが、標織が全く無い、一歩間違えたりすれば何処へ行くか分からない。晴れていて山頂が見えれば、それを目標として走れるのだが、それがないとならば地図とコンパスに頼るしかないわけだ。
這這の体で到着した『豪円山キャンプ場』は改装中で水が出ない。その隣の『下山キャンプ場』は冬期閉鎖中(?)でキャンプサイトは無料解放しているが、水道は駐車場の片隅にある一個の蛇口のみ使用可能、『下山キャンプ場」にいる人に聞くところによると、この先にある『桝水原キャンプ場」も使えないという。
ここの『下山キャンプ場』はオートキャンプ場ではないので、先客のキャンパー達はみな駐章場の近くにテントを建てている。テントサイトは谷間にあるので荷物の上げ下ろしが大変だからかもしれないが、なんちゅう光景だろうか。
かくゆう自分も駐車場の一番奥に空いていた手頃なスペースをみつけてテントを張り、そこで一晩過ごすことにした。

タ食を済ませ、寛ぎの時間になったあたりで二台のオフローダーがやってきた。挨拶をして話を聞くと彼らは夕方着の『隠岐の島フェリー』で本土に上陸しこの濃霧と暗闇の中を延々と走ってきたのだそうだ。
去年のニセコ山中を放浪していた自分の姿を見るようだった。