自宅~マキノYH

〇四月二十八日
 午前三時晴れ 

出発第一日目というのは、今迄の例からあるように何事もなく静かに終わるという事がなかった。そして、今固は事故というどえらいトラブルで幕を開けることとなった。
都心環状線を抜け四号線へと入る三宅坂のトンネルを出て、赤坂見附を過ぎた辺りでそれまで順調だった車の流れが突然止まり、それならと出発早々の擦り抜けを始めた途端、目の前に道路公団のパトロールカーがサイレンを鳴らしながら走っているのが目に入った。
「緊急自動車が通ります、真ん中を開けてください!!!」と怒鳴っている。ミラーを見ると後ろから消防車が赤灯を回しながら追い掛けてくる、どうやらエライ時に来てしまったようだ。
数百メートル走ったところで、前方になにやら黒い煙が立ち登っている、やはり車両火災か。もしやトヨタ車では?と渋滞の先頭にでてみてその光景に愕然となった。
燃えているのはクルマでもタンクローリーでもなくバイクであった。メラメラと身の丈ほどの炎をあげて燃えているのには事故現場を幾つも見ている自分も少々ショックであった。足元に目をやるとレンズの破片やらミラーが片方だけ落ちていたりしている、路面に残ったブラックマークは外側のコンクリートウォールヘと真っ直ぐ続き、そこでバウンドして道路の真ん中へと延びていた。オーバースピードでスリップダウンといった感じか。燃えているバイクのすぐ近くで警察官と話をしているライダーのニイチャンがいたが、大きな怪我をしている様子はなく、無傷のようだ。一歩間違えればサヨウナラだったろうに、全く人騒がせな話だが、明日は我が身である。なんとも気分の悪い一日のスタートとなってしまった。
だが、トラブルとは程遼いが嫌な予感を煽るような出来事が起きた。中央高速の八王子料金所手前でリザーブになってしまったのだ。このまま走っても次のGSまで40キロ近くある、空荷だったらそのまま行ってしまうが今はフル積載状態である、相模湖から先のアップダウンを越えるのは心許ない、もしガス欠にでもなったら最悪である。かつて自分は高遼を歩いてガソリンを貰うためにニキロ程歩いた事がある、その事を思い出し大事をとって八王子I.C.で一旦下に下りて給油する事にした。
ようやく本調子となり、今迄遅れた分を取り返すべく少々ぺースアップして走る。去年の秋に取りつけたメーターバイザーの効カは抜群で、今迄のような体が後ろへ持っていかれるような風圧も半減され、腹筋が痛くなるような(これが続くと食欲がなくなってしまうのだ)事もなく、快適そのものだ。早朝だというのに今日最初の一服地『談合坂SA』はRVやら観光バスでほぼ満車であったのだが、甲府・諏訪を過ぎると交通量はぐっと減り、走りやすくなる。今回は体調もよく平均スピードも去年より上げて走ることが出来るので、このまま岡谷を過ぎ『小黒川PA』まで一気に進んでしまう事にした。
中央道随一の景色といっていい岡谷以南のエリアは今年も快晴、このまま何事もなく琵琶湖に到着すればかなりの時間が余る。徹底的にのんびりしてやろか・・.などと考えながら『小黒川PA』での小休止(といってかなり長い事芝生の上でね転がってはいたが)を終え、ゆっくりと本線へと合流する。

自分の前にも後ろにも車影はなく、空いている時の高速はこんな事もたまにはあるのだな、と思いながら走る事五分、1~2キロ先で直線で直線が終わり、そこに見えてきたのは数台の車と一台の観光バスが本線上で停まっている姿であった。
アクシデントパート3である。今朝見たばかりの道路パトロールのオッチャンがイエローフラッグを振っている。バイクのエンジンを停め、対向車線の山を見ると辺り一面からもうもうと白い煙が上がっている。「山火事っすね」と警察官の人にきくと「すんませんね~暫くの間待ってもらう事になりますわ」すでに足止めを食らっている先客どもは車を降り、めいめいにカメラを手にして現場の近くへ向かりて歩いていっている、火事の現場は対向車線の向こうなので誰にも制止される事がない。山火事を目撃するのも珍しい事だが、高速道路のどまんなかにバイクを止めて歩き回ったり、タバコを吸ったり、そして普段なら絶対触れることが出来ない中央分離帯のガードレールの上に腰掛けたり、そのうえのグリーンの網が金網ではなくバックネット見たいなものだったという発見をしたりと、とても貴重な体験が出来たのは収穫であった。
近くにいた地元の消防団の人と謡したところ、今年は菜種梅雨が少なかったので山はカラカラなのだという。山火事もここ一箇月頻発しているそうだ。百人近い消防団の入達とその半数位の警察官の人違が崖に讐じ登り、ある人は水を撤き、ある人は延焼をくいとめる為に下草を刈り込んでいる。静かな何もない山間は騒然となっていた。

かなり待たされたものの、その後無事に通行止めは解除、再び西に向けて走り出す。
奇岩.怪岩を真正面に見ることが出来る『屏風岩PA』にて昼飯を取る。そこで一時間程ヤンキーのニイチャンに捕まってバイク淡義となる。聞くと彼らはここの売店の手伝いをしに来ていると言う。2人のニィチャンはしきりに「Z1かぁええなあ~。ワシも音GSー1000にしよかZ2にしよか迷っとったんじゃ。」でも彼はサイフの中身と相淡した結果、GSにしたという。
でも本命はZだったという事で、その事を今でも後悔しているのだといいう二人に見送られ、たっぷりとしたランチタイムは終わった。流れのよい快晴の名神を走り米原JCTから北陸道に入り、木之本ICで高道を降りたのは午後二時。足どめを何回か食らってはいたが、到って早い時間に到着する事が出来た。
盛りが過ぎ、吹雪のように花びらが舞い散る大崎h花見客でごった返しているのでパス、そのままマキノYHに滑り込む。夕食までに時間があるので地元観光の詳しい地図を貰い、大荷物だけ下ろしてマキノ周辺の散歩に出かける事にした。
学生時代に国語の辞典で習った時に覚えていた歌人の名が集落としてあると知り、そこへ行ってみる。
「在原」ははっきり行って何もない所、いつくかの萱葺き屋根の民家が寄り添っているだけの静かな村である、だが一何の見所もない所に興味をそそるのが自分の旅の考え方の一つであって、そこから自分だけの発見をするというのが気持ちいむの岬ある(今風で言えぱカルト的旅行術だろか?)。
今回のポイントは歌人の在原業平の墓があると案内図には記してあったので、そこを目的地とした。
長野県の鬼無里村を思い起こさせるような牧歌的風景が広がる中を走る。周りの田んぼではあちこちで早春の風物詩となっている田起こしをしている。これも自分が旅を終える頃には、田植えが始まっているだろう。
そして集落の真ん中を通る道を数分走つた所に〔業平の墓]という小さな看板を発見。
そこから先は相方を置いて歩いていく。看板から5分ほどの林の中に忘れられたかのように、小さな墓石が立っていた。有名人の墓としては余りにも小さく、石に刻まれた文字を読み取る事は出来ない。訪れる人もほとんどいないのだろう、花も供えられておらず墓石の上に錆びた小銭が幾つか置いてあるだけだった。
真新しい百円玉を置き道中の無事と旅の成功と留守宅の無事をお願いした。

YHに戻ると、無人だった大部屋(二十畳)に二人ほどホステラーがいた。今日は空いてるのかな?と思ったが、夕食近くになると次々とあとからお客がやって来て、結局は12人程の賑やかな夕食となった。夕食後はお決まりの座談会。そして最近のYHの流れであるアルコールを交えた宴となった。
新幹線できたという2人組の郵便局ギャル、ヒッチハイクで日本縦断中のオーストラリア人ネッド、琵琶湖一周中のチャリダー等。職業・乗り物・目的はバラバラだが、それだけにお互いの話に興味があるので、久し振りに会った旧知の友人のように夜遅くまで謡し込んでしまった。

マキノYH~世屋高原CA

〇四月 二十九日 午前七時 晴れ 

涼しい朝である、しかしよく眠ったものだ。初日の睡眠不足と体の疲労はすりかり抜けてくれた、やはり体のキレが違うというものだ。
出発前に全員揃っての記念撮影大会も終わり、みなそれぞれの道中へと別れていった。

敦賀市を抜け日本海に出る、特に見物のないごく普通の国道を走り、『三方五湖」へと続くレインボーラインのワインディングを駆け登る。これまた、別にその気にさせる道でもない。山頂の駐車場に相方を停め、リフトで展望台に登る。連休中とあって人の往来が激しい、そこからの眺めはなかなか良かったが、某演歌歌手のテープがひっきりなしに流れるという時代遅れ、田舎センス丸だしの光景も併せてそこにあった。
初夏の強い目差しを受けながらソフトクリームをなめつつ一服し山を下る。信州や北海道の山深さを知っている自分にとってはあまり大した事のない所であった。(まあ、出かける前日から地図をみて大体は予想していたが・・・)日本海側の国道を西へ西へと走る、見所も無いのでそれなりに順調にトリップメーターは数字を増やしてゆく。途中、『高浜町』で昼、食料買い出しは丹後半島手前の宮津市ですませた。その先の『天の橋立』は「三方五湖」以上の混雑で、とてもゆっくり眺められる状況ではなかったので今回はパスする。来年もここはルートに考えてあるので、早い時問帯に訪れる事が出来たら寄ってみるつもりだ。

丹後半島のどまんなかを南北に貫くフルターマックの林道(入口がかなり分かりにくい)を半分程走ったところで、本日のキャンプ場を見つけた。しかし、有料(内地では当たり前か?)の上、入口からキャンプの申込をする管理棟までが深い深い砂利道となっている。テントサイトはその管理棟までの道を途中で曲がった脇道の奥にあるらしい。当然フル積載の状態で管理棟行ってそれからテントサイトヘ…などと行くわけがない、そのままテントサイトヘ直行である。
道の終点が駐車場となっているテントサイトは緩やかな斜面に広がっていた。バンガローが3~4棟立っている他はテントの姿は全く無い。天気が下り坂だと今朝のテレビで言っていたので、炊事場にテントを張りタ食の支度を始める、日没近くになってからオフローダーがニ台、夜になってから大型のロードバイクが二台来てしまい、結局独占していた炊事場は満員となってしまった。食事時は流石にツーリングやバイクの話で盛り上がりはしたが、馬鹿騒ぎするような入達ではなくとても居心地はよかった。ふと視線を感じて表を見ると闇夜に光る怪しい目が幾つも!!!!!
なんの事はない、食べ物をせびりに来たホンドタヌキの親子遵れでした。
ちなみにこの夕食の準備をしている時、愛用のコールマンのストーブの変調に気がついた。自宅で荷作りをしている時にストーブのジェネレーターが詰まり気味だったので、そいつをアッシーで交換したのだが、うっかりして中のクリーニングニードルを引き抜いてしまったのだ!!
直後、慌てて差し込んだが失敗、時既に遅し。二ードルを曲げて無理矢理ジェネレーターの中に押し込んでしまったのである。その影響で炎の微調整が効かなくなってしまい、御飯を炊く間、鍋を持ったまま火から遠ざけたり近づけたりして自分が微調整しなければならなくなってしまった。この先これが続くとなるとかなりブルーである。飯の時間がちっとも楽しみでなくなってしまうやもしれん・・・・・。