岳人の森CA

〇五月四日
祖谷峡キャンプ場⇒岳人の森

いつも起床する五時には朝食の支度は終わり、七時には荷物を全てバイクに括り付けてさっさとキャンプ場を後にした、余程の用がない限りもうここには訪れる事はないだろう、むしろ時間が早朝とあって、山間の道は祖谷峡温泉付近を除いては殆ど車はおらず、見通しのよい所では80~90㌔位で走ることが出来た。昨日、鬼の如く渋滞していた県道に出る。
一台の車もない嘘の様に閑散としている。ここから剣山を目標に東進するのだが、余りにも道路が空いているし、天気も上々なので『かずら橋』に立ち寄って見る事にした。あれほどの観光客を掻き集めた『かずら橋』。どんなにか凄いものなんだろう、その期待は、橋までの5㌔区間にしつこい程「かずら橋はこちら」という看板が見えて来ることによって一層高まった。(自分て、以外とこういうのに煽動されやすい質なのかも)
「もう分かってるてのに!」と言いたくなるような巨大な看板に流されるようにして、県道から右手に折れ、急な坂を下りきったドンツキにその橋はあった、『Z1』を駐車場に置き、歩いてすぐ近くまで寄ってみた。だが、なんてことはない、予想していたよりはずっと小さく、短く低い所に架かっていて、これがあの大渋滞の原因となっていた橋とはとても思えなかった。おまけにその橋を渡るにはお金を払わないかんという事で、余計に面白くなくなった。しかも、こんなどん詰まりにあって、そこまでの狭い道に、あれだけの台数の車が集まってくるなんて、非常織もいいところである。渋滞がおこってもちっともおかしくない。絶対に日中はここには来てはいかん所だとよ~く分かった。
昨日の祖谷峡温泉の前でXLRのライダーが「かずら橋へは、行かん方がええ」とアドバイスしてくれた意味がここで飲み込めた、来年の春もここの近くを通る予定だが、時間帯を考えておかないとエライ目に会うだろう。用もないのに渋滞にぷつかる(それが事故や工事ではなく、自然渋滞だと余計に麓陶しい)のが一番、旅情を削がれるからだ。とりあえず、日程も中盤に差し掛かってきたので、お土産を数点買いその場を早々に引き揚げた。ま、旅にはこんな事もあるでしよう。

四国を東西に横断するR439、通称『ヨサク国道』に合流。そのまま剣山へとルートをとる。楽しい楽しいノーストレートの山間の道を省エネ運転でゆっくりと走る。たとえ深い山遺でもそこそこのぺースで走ると、信号や渋滞がないのであっという間に距離を稼いでしまう。しかもタベは一睡もしていないので、飛ばすと間違いなく崖下へ「いらっしゃ~い」になるだろうし。ここは一つ900㏄のトルクを生かして、眠くならない程度のスピードで右へ左へとカーブをクリアーしてゆく。今回パッキングも荷物の量も、結構うまくいっているので、以前の様な重心の高さや体重移動の不自由さは殆ど解消されていて、快調そのものである。だが、天候の方は正に猫の目の様に目まぐるしく頭上で変わっていた。標高の高い道路を走っているので、平地で見受けられるような平べったい雲ではなく綿の固まりといった見た目の雲が山頂から凄い勢いで降りてきたり、道路のすぐ上をすれすれに横切ったりしている。こういうシチュエーションには何度も遇ってはいるものの、そのダイナミックな気象現象を目の当たりにすると、やはりちょっとアクセルを戻してしまう。あの雲の中からなにか出てきそうな気がするからだ。太陽はでているのだが、いまいちすっきりと晴れず霧雨がずっと降り続いている。ストームクルーザーを着ようか、このまま行くか迷う位の降りかただったが、剣山まであと数㌔の地点で眼前に聲えたつ山の向こう側(つまり、自分がこれから目指す方向)に明らかに強い雨を降らすと思われる雨雲の頭が見えたので、道路脇の工事現場で雨カッパを着ることにした。
案の定、峠に差し掛かる辺りで道路はビショビショ、対向してくる車やバィクは雨の中走ってきたのが見てすぐに分かった。天気がよければ登山するつもりだった剣山に到着したのは午前十時ごろだっただろうか、周囲の気温も大分下がっており、濃霧で見通しは最悪。麓にいるのに肝心の剣山が何処に有るのかも分からない状態。G/Wの真っ只中なのに人影も少なく一服しようと思っていた売店も皆閉まっていた。ここにきて、ようやっと頭が寝不足から解放されたのでこのまま此処をパスする事にした。剣山から東はツーリングマップのガイド通りの険しい山道で、落石が到るところで起こっていた、恐ろしく谷間が下の方にあり、落ちたらまず助からないだろう。
しかし、ガードレールがしっかりと設備されていて、標高も高くて視界を遮るような高い木立も無く、見通しも良いのでコーナーの進入にさえ注意していれば、言われている程の難所ではないと思う。だが、自分の左側に続く崖はまるで生きているかのようで、通り過ぎざまに岩をブン投げてくるのではないかという脅迫観念がじわじわと湧き出てくるのが感じられた。幾つか連続したヘアピンが終わると、道は途端に平坦な二車線になり、ぺースが上がる。
雨も上がり周りが明るくなる。しかしウェアについた雨粒はそう簡単には乾かないので直ぐ身軽な恰好にはなれない。そのまま先に進むことにした。民家が目に付くようになり、木屋平村(山奥に入ってゆくと『木』のつく地名が増える)に差し掛かると、天気は薄曇りになった。気温も再ぴ上昇し、このまま次のキャンプ場まで行けば昼ちょっと過ぎには到着してしまうな・・・・等と考えながら走っていると、道路脇に立て掛けられている看板が目にとまった。
「工事の為全面通行止め」

その通過地点が丁度岳人の森へと通じる道路なのである、しかも迂回する道路がなく、そこのキャンプ場に行くにはR193を通らなくてはいけない。進退ここに極まれり、である。だが、案内板に表記してある文をよく読んでみると、5ナンバーの車なら通れる道は用意されている、と付け加えてあるではないか。そして、それに二言付け加えてあった・・・・・但し、ごっつい狭い!!!)
大字上分辺りで、迂回路の入口についた。現場のニイチャンに案内されるがままに道に入ったが、警告どおりその道の狭さは半端ではない。一台の車の轍のプラスαの道幅しかなく、とんでもなく傾斜が急である。つまり、普段は山菜取りの人やオフローダー、林業関係者の人が使う様な林道が、国道のバイパスになっているのである。おまけに、その道のコンディションとは裏腹に通過するクルマの数が多く、当然道は渋滞する。一速でノロノロとゴーストップを繰り返したりするので、エンジンやクラッチに負担をかける状態が数十分続いた。ここを徳島市から来る車も通過するので、峠付近は大混乱である。路肩ギリギリに車を寄せ、擦れ違ったり、酷い時にはこっちにバックしてきたりと、何でもありになっていた。
峠をどうにかこうにかパスし、やっと下り坂になり、車の列の間隔も少しずつ広がって足を付かずにソロソロと走れるまでに回復した。だが、登ってきた時以上に下り坂は恐怖で、内股の筋肉が攣ってしまう位に二ーグリップをしなけれぱ体が前にずれていってしまう(スタンディングすると、後ろの荷物がズレる)状態であった。
バイパスがようやっと終わり、アスファルトのR193に合流した。徳島側から来て、自分が今走ってきた道を登ろうかどうか相淡しているバイク連中に手を挙げ、R439とR193の分岐にあたる集落、字川又」に到着した。商店街のオバチャンに岳人の森の場所を聞きR193を更に南下する。えらく早いキャンプ場入りになるが、天気が優れないのと、休息をとる場所がないので(見つからなかった)、このまま直行するしかない。寒い所を走ってきたので風呂にも入りたいし、たまには山歩きもしたかったので残るのは岳人の森付近の山の天気である。

岳人の森キャンプ場は、川又の分岐から南へ10㌔ほど山の中に入ったところにあった。
回復していた天気はそこまでゆく道の中程で急変、道路の下(谷側)からミルクの様な霧が沸き上がって眼前を覆い尽くそうとしている、雨粒こそ降ってこないものの、メットのシールドは水滴で視界がきかなくなってくる。気温もグッと下がり、冷たく強い風まで吹く始末である、剣山の状態が再び戻ってきた(ストームクルーザー脱がなくて正解であった)。そして、岳人の森キャンプ場に到着、\950を払ってサイトに乗り込む。これでやっと身軽になれるとホッとしかけたが、それは見事に裏切られた。
「森」という名前が付く位だから、麓蒼とした木々の間にテントを張って、標高の高いここでの突風を少しは凌げると思ったが、そこに広がっている光景はただのサラ地、ところどころに水溜まりがあり、背丈くらいの低い木が周囲を囲っているだけ。つまり、吹きっ晒しである。おまけに生憎の天気で霧の向こうにオフローダーを乗せたトランポが2・3台停まっているだけ、人為的に切り開かれたこのサイトに雨風を凌げる場所はどこにも見当たらなかった。
サイトと片隅に二本の水道蛇口がニョキッと生えているだけ。そのあまりのお粗末さに「Z1」から降りる気カも失せた。ほかにも、風を避けられるような場所が有るかもしれないと考え、『Z1』を倒れないような所に置いてあちこち歩き固ってみた。人工的に造られた池の辺に2~3mの生垣に囲まれたサイトを見つけたが既に車のキャンパーで占領されていた。敷地の中にあるバンガローも団体のオフローダーで溢れ返っており、早い時間帯の割りには人がいっぱい居る。今日みたいな天気では林道を走る気にはなれないからだろう。仕方無く最初の吹きっ晒しの場所に戻り、適当な場所でテントを立てる事にした。時折霧とともに吹きつける突風でテントごと吹き飛ばされそうになりながら(初めてのキャンプを思い出すなぁ・・・)、苦労して今夜の寝床は完成した。泥だらけになってしまったブーツを脱いで、やっと横になる。革の上下とストームクルーザーをきたまま歩き回ったので、今直ぐ風呂に入りたかったが、ここでは一番近くても土須峠を越えて10㌔先にある「四季実谷温泉」まで行かなければ無い。天気は時間を追ってさらに荒れてきたので、仕方無く川又の集落で買い込んだ昼飯の菓子パンを頬張りながらゴロゴロしていた(ま、これも結構快適であるのだが)。


ウトウトしながら数時間、気がつくと六時。もうタ飯の時間である、少し多めに造ってしまった麻婆豆腐を平らげ、腹パッツンになりながら外に出てみると、ミルクの様だった霧は晴れていた。サイトの中に一つだけ灯っている明かりの下に幾つかのテントが知らないうちに立てられていた。その殆どがソロライダーのようだ。てくてく歩いて五分程の所にあるトイレに向かう、日中と違って蛙の声がやけに耳につく。昼間見た池の近くに差し掛かるとその声は足下からするようになった。嫌な予感がする・・・と思いヘッドランプを下に向けると・・・いたいたその声の主どもが。しかも、到るところに・・・あやうく踏みそうになりながら慎重に前に進む。このヒキガエルの軍団はどうやらあの池に潜んでいたようだ。辿り着いたトイレの中にも便器の中からも鳴き声が聞こえてくる、蛙が苦手な人は卒倒してしまう程の光景だ。おまけに、こいつらやけには堂々としていて、歩くのに邪魔だから足で追っ払おうとしてもピクリとも動こうとしない、こんなんではボーツと歩いていたら絶対に踏んづけてしまうだろう。そして、帰りがけに池の方をみたら思わず気分が悪くなった。
こいつら何処から沸いてきたんだ?と思わせるほどの蛙々々・・…。今が丁度、繁殖期らしく雌の取り合いをしている様だ。只でさえグロテスクな奴が群れていると、もうそのグロさといったら地獄絵図である。神様もなんでまたこんな醜い生き物を作ってしまったんだと思ってしまった。そしてその辺にあるサイト、あの木立に囲まれた一等地は大変なことになっていた。テントの直ぐ前を何匹もの蛙が飛び跳ねており、停めてある車やバイクの下はお誂え向きの隠れ場所とあって、数匹がじっと屯している。そこへ、テントの中で食事を済ませたのだろうか、一人の子供が(男)食器を持って出てきたが、「ウヒャー!」と声を上げてテントに飛び込んでいった。「駄目だぁ!!外は蛙で一杯だあ!!」と騒いでいる。(最近の子供は蛙が苦手とは…時代も変わってしまったのか?)。
いい年こいた自分でさえもあまり気持ち良くない彼ら(カエル)がゴマンといるこの場所に、今夜一晩あの家族連れは彼らと共に、眠れない夜を過ごすのであろう。つくづく此処にテントを張らなくて良かったと思った。
テントに戻ったが、ラジオの聞こえも悪く、天気も余り良くないので今日はひたすらゴロリとすごしながらまた、眠気がくるまでレポートでもまとめて時間を潰す事にした。そして、数時間が経過しそろそろ切り上げるかと思った時、下の入口にある山小屋から何人かのギャルの楽しそうに話す声が聞こえてきた。多分小屋でダベッていたが時間も時間という事で引き揚げてきたのだろう、その声はそのまま我々のいるサイトを過ぎ、池のある方へ向かっている。うわぁやばいんじゃないの?と思った矢先・・・・・
「ギャーーーーーーーーーーーーーカエル----!!!!!!!!!!!!!!」
手にしていた地図を放り投げてしまった位の絶叫が山間に響き渡った。
「よく足下をみいよ」と、ワタクシメは眩いてシュラフに潜り込んだ。

室戸岬夕日丘CA

〇五月五日
岳人の森キャンプ場⇒室戸岬夕日が丘キャンプ場

いよいよ東四国山地に別れを告げる日がやって来た、タベは色々とあったが静かだったので非常によく眠れた。やはり、疲れが知らないうちに溜まってきているのだろうか。
だから、一人一人のマナーがよければキゃンプ場は恐ろしいほど静かになる場所なのだ。
ましてやこんな高地ともなると鳥や獣の数も減るので、夜中不気味な鳴き声で眠気を削がれる事もない。
ここの朝は高地とあって、明るくなるのが早い。決していい天気ではなかったが、昨日程ではなかった。
しかし、峠の向こうの天気は予想のしようがない。ラジオの天気予報では四国南部の天気は良い、と言っていたのでそれに希望を託す事にした、近い将来G/Wにここをオフ車で訪れることがあったら、絶対走破するルートに入れてある『剣山スーパー林道』を横断し、土須峠を通過。ツーリングマップに記されていたダート部分はなく全て舗装されていた。木沢村からは快適そのものの二車線。阿南市へと繋がるR195が分岐する十二弟子峠・・・(自分はこの読みを知らない)を過ぎて、暫く行くと再び一車線、そしてバイクがコーナーをクリヤする時に通るべきラインには見事な苔が生えている!!!そして所々落石している箇所があって、それを避けようとすると苔にフロントを取られてドキッ!!。だから苔を避けようとしてワイドなラインどりをしようとするとブラインドコーナーから現れる車にドキッ!!!
だから、山道は面白いのである。R193最大の難所、霧越峠に差し掛かった所で、自分の肩辺りまである巨大な岩が道を塞いでいる場所にぶちあたった。そこには5ナンバーの車がギリギリで通れるだけのスペースしかない。そんな、落石や崩落の箇所が幾つもあり、もしもタイミングが合ったらと思うとぞっとする。

海が近づいてきたのを知らせる地名『海南町」に入った。延々と続くと思われた2メートル位しかなかった道幅が集落を過ぎた辺りから二車線になり、高速コーナーの連なる国道らしいしい様子になってきた。標高もさがり(アップがあればダウンが必ずあるわけだ)、天気も急激に回復し、気温も急上昇。右横をずっと流れていた渓流は既に緩やかな流れになり、平坦な川原となった。海岸線の直ぐ側まで山が迫っている関西独特の地形、険しい山道で体がコチコチになったままで、あっという間に東四国の大道脈R55と合流。
『海部町』に入った所で一服するために国道をはなれ、霧越峠からお供してきた海部川が太平洋に流れ込む場所で「Z1』を停めた。深山の難所を走ってくれた相方は、車体のあちこちに草や泥をこびりつかせ、すっかり頼もしい姿になっていた(洗車したれよ)。
R55を南下、『東洋町」から先は民家も少なくなり、絶壁と道と海だけの景色となり、たとえ海の側といってもまだまだ開発の進んでいない所があるのだなと思わせた。信号の殆ど無い国道を走っていくうち、海の色がどんどん変化してゆくのが分かった。普段千葉で見るような濃紺ではなく、あの祖谷峡でみたようなコバルトブルーになっている。同じ海だがここまで色の違いを見せつけられると、海水そのものの成分も違っているのではないかと、思ってしまう程である。


室戸岬に到着したのは丁度正午過ぎ。近くの食堂で昼を済ませ、灯台近くの展望台に登ってみたが、そこはまるで台風がきたかの様な強風、メットでペッタンコになった髪の毛が逆立ってしまうほどであった。ここにいても、ただ辛いだけなので早めにキャンプ場に向かう事にした。ツーリングマップにも写真が載っている『室戸スカイライン」をを北上、数分でキャンプ場に着いた。『タ日が丘」なんてしゃれた名前がついているから、きっとタ暮れ時には素晴らしい日没が拝めるだろうと期待していたが、サイトの中は海からの強風を避けるための木立があり、海の「う」の字も見えない。(翌日、出発前に海が見えるかどうかキャンプ場の一番奥まで探検してみたら、2mほど植え込みがきれておりそこから青々とした海と僅かなアールを描いて広がる水平線があった。
しかも、サイト内にはクルマはおろかバイクも入れないようになっていて不便極まりない。そして、キャンプ場の隣に立つ国民宿舎がここを管理しているのだが、お金を払っているにもかかわらずお風呂は使えないとの事、入浴料払ってもいいと迄譲歩したのに、そういうシステムはないとの一点張、さすがこんなところで意地を張るところは所変わっても公務員である。この時間、自分のほかにキャンプ場には、ドカシーを一面に広げ、テントのなかでモソモソ轟いている怪しげなライダーの他には誰もおらず、ほぼ独占状態であった。
ここぞとばかり昨日の湿気を含んだままのシュラフやストームクルーザーを近くの木に引っ掛けて、テントも出入り口を全開にして虫干しした。
上空を唸りをあげて猛烈な風が吹いてゆく、もしもこの木立が無かったらテントはおろか人問も満足に立ってはいられなかっただろう。もちろん、焚き火は言語遣断だしストーブでの煮炊きもままならないに違いない。
タ方になり周りが暗くなり始めた頃、ここのキャンプ場はバイク雑誌でも何度か紹介されているからだろうか、ぞくぞくとライダーが集まってきた。タ飯を済ませて食器を洗うために外へ出てみたら、ガラガラだったサイトが立錐の余地も無くなっているまでになっていた。周りのテントから漏れてくる話し声から察するに、ここに来ている人の殆どが明日徳島発のフェリー(自分が初日に乗ってきた船)で東京に帰るそうだ、あそこから出航するのは午前11時30分だから、彼らは朝早く起きてハイペースでR55を北上しなければならないだろう。一方、自分の方の向かう方向は反対側の高知、出港はタ方の六時。
のんびり走っていっても時間が余る。

高知港FP

〇五月六日
タ日が丘キャンプ場⇒高知港フェリー埠頭

目が覚めて時計を見ると午前10時、結構寝坊してしまった。さてさて、どれくらい人が居なくなったかなとテントから顔を出してみると、驚いたことにあれだけ狭い所に犇いていたテントが、一つも無くなっているではないか。ここまで椅麗に居なくなってしまわれると、なんだか自分が置いてきぽりを食らったみたいでかえって気分が悪くなった。しかし、例のドカシーライダーはまだ同じ所にいた。うーむ益々不気味である。低気圧が通過したからであろうか、気温がグングン上昇し、あれほど風が強かったキャンプ場も静かになった。遅い朝食を済ませ、日当たりのいいところで読書に暫し耽ることにした。

午後2時、だらだらと過ごしたキャンプ場をようやく後にした。30分くらい早くドカシーライダーが赤いCB-1で出ていったのを私は目撃した。

タ暮れの高知港、すでに乗船を済ませ案内されるがままに自分の場所に行く。なんとまあ今回の寝床はベッドで、その殆どがソロライダー達で占められているので、まあ静かなこと。雑魚寝部屋のような騒々しさはなく、皆さんそれぞれに好き勝手に飯を食いに行ったり、風呂に行ったり、なかにはもう布団のなかに潜り込んでいる輩もいる。
甲板にでて、風呂上がりのビールを頂く。今回は初めての四国上陸で、あまり行動範囲を広く取らず地味な内容だったが、なんとなく楽に終わってしまったツーリングであった。
ただ一つ残念だったのは、剣山に登られなかった事位だろうか。それ以外は天気に恵まれ、道路も予想外にそこそこ走りやすかったので『Z1』にかかる負担も少なくて済んだ。もう一つ物足りなかったと全体的に感じているのは、何事もなく無事に帰還出来たからこそ言えるのだろうか・・・・・。
来年もG/Wは四国を予定しているのだが、『Z1』で訪れるのは次回が最後だろう。四国は日本のなかでも道路開発が一番遅れているので、行動範囲がオンロードバイクでは広くとれないからだ。次回は西四国を中心にグルリと巡ってみようと企んでいる。

平成六年