108以外質疑応答5


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983 :81:2011/10/15(土) 00:42:01 ID:c/U4/Npg0

結局のところ邪魔なのは「確信」

「毎月これぐらいしか収入は入ってこないだろう」「不労所得は入ってこない」
「これぐらいは金がかかる」「これぐらいしか手元にはのこらない」
「仕事はしんどいものだ」「明日の仕事もしんどいだろう」

どれだけ神におまかせしたつもりでも、あなたはそれを「確信」してる。
あなたはそれを「知ってるよ」というわけだ。

あなたがそれを「知ってるよ」という限り、別の領域側からしたら「そうですか」という事になるわけだ。それが信念として活性化されている限りは、お任せしたつもりでも実際は入ってこれないわけだ。

よってその確信を強めない方がいいわけだ。弱めていった方がいいわけだ。例えば

「毎月これぐらいしか収入はない」→「毎月これぐらいしか収入はない」と俺は確信しているようだ

→「毎月これぐらいしか収入はない」・・・のか?→毎月の収入に関してはよくわからない

というように。この一連の流れを一言で表すと「認定を取り下げる」という事になり、これをあえてパターン化された行動としてメソッド化するとしたら自己観察、すなわち確信の外側にでるという事になる。
ただし無理にやろうとするとその信念に抵抗する事になりかえって強める事になるので、あくまで力を抜くようなつもりで。そしてこれはお金の事が頭に浮かんでしょうがない時にやればよい。

ところで信念は、常時 ON なわけではなく、あなたが意識を向けた時にONになる。

水面を指でツンとつついたときに水面に広がる波紋を思い浮かべてみればいい。
あなたが意識をそこに向けた時に、その周辺の信念が活性化されるわけだ。そこであなたの確信が強められるわけだ。これはエイブラハムの引き寄せの法則における「それ(思考)自身に似たもの(思考)を引き寄せる」ということだ。

やっかいなのは「お金」というものが色んな側面を連想させやすいという事だ。
人によっては「税金があがります」なんていうニュースを見ただけで

「なんだよ、もっと収入が減るじゃないか」
     ↓
「毎月これぐらいしか収入は入ってこないだろう」「不労所得は入ってこない」
「これぐらいは金がかかる」「これぐらいしか手元にはのこらない」

という風に周辺の信念を活性化させてしまう。引き寄せという事に関しては難易度は変わらないものの、このバババっと連想させてしまうのがお金に関してはやっかいな側面である。
とはいえ、そんなに難しく考える必要もなく、あなたが油断する事によってその鉄壁の確信によるガードを緩めればよいのである。


ここで、俺がまだ引き寄せに何の興味もなかったころの話。

********************************

当時の俺も、まさに一か月の収入はカツカツだった。毎月何とかやっていけてるというような状態で徐々に追い込まれていった。
その時の俺はちゃんと節約もしていた。食費やら光熱費やらをチェックして、出来るだけ使いすぎないようにといつも心がけていた。にもかかわらず、たまにバカ食いしてしまったり、飲み代に使ったり、あるいはケータイ代が高くかかったりで、まるで何かに誘われるかのようにいつもカツカツの状態に追い込まれていた。

そしてやばいやばいと思いつつ、ついに追い込まれてしまった。
来月のすべての支払いを計算した結果、明らかに間に合わないのだ。その当時は光熱費なども遅れて支払うようになっていたため、これで間に合わないとなると止められてしまう。不労所得など得られるはずもない。当時の俺は、金を借りようという発想もなかった。金を借りるという事自体やってはいけない事だと思っていた。

やばいやばいと恐怖していた時。会社の同僚からあるゲームをやろうと誘われた。
同僚4人でやりたいからお前もやれと。」そんな場合じゃねぇよと思いつつなぜかその話に乗ってしまった。ただでさえ金がないにも関わらず、なぜかそのソフトを買ってしまったのだ。
そしてハマった。思った以上に面白かったのだ。本当はそんな事してる場合ではなかった。むしろ会社に黙ってバイトでもすべきだったのだが。。。。
暇さえあればそのゲームをやっていたというぐらいハマっていた。もちろんお金の事は依然として気にはなっていたのだが「もういいや、わかんねぇ」というような心境だった。

それから約10日後ぐらいだったと思う。「なぜだかわからないが」、知人から50万を貰った。知人といってもそれほどの仲でもない。なぜ俺に金をくれるかわからないような人が50万をくれたわけだ。なにやらデカイ金が入ったらしいのだが。

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まぁこの当時の俺は引き寄せなんていうものは知らなかったし、何の興味もなかったのだが、今にして思えばなかなかよいメンタリティだった。50万などたいした額ではないが、当時はまだまだお金に関しては様々な条件付けを持っていたし、当時の俺にとっては非常にありがたい金額だったのだ。
これを偶然で片づける事もできるだろう。だがこのような事が起きたのはたった一回だけではなく、何度も起きたことなのだ。世間一般ではお金は労働の対価として見なされるだろうが、実際は思われてる以上に不労所得のルートは無限に開けている。

具体的事例の弊害を避けるために一応念を押しておくが、これをこのままなぞろうとは思わないでくれ。使えるのはあくまで心理的な部分のみ。


さて、このゲームにハマっていた時の俺はお金に関する信念をまったく活性化していなかっただろうか?お金に関する事に一切意識を向けていなかっただろうか。
そんなことはない。が、お金に意識を向ける回数は明らかに減っていただろう。なぜか。別の事に興味がとられていたからだ。お金の残高にばかり向けられていた興味が別のところに移っていたというだけである。お金に関するあたりの水面をつつく回数が減っていたというだけである。
つまりガードが緩んだ。お金が入ってくる事を徹底的に防いでいた、徹底的に論破していた信念という確信のガードがわずかに緩んだ。それだけだ。

そのガードの隙間から「なぜだかわからないが」が入ってくる。だからガードを緩めること。「俺は知ってるよ」と言わず、「どうなるかわからんよ」という態度が好ましい。もっとゆるキャラになれ。

また意識を向ける、水面をつつくというのを上手く利用するとすれば、「完璧だ」「この状況は私にとって素晴らしい」という認定、選択を使う。たしかに、それまでその周辺の信念は活性化されていないため、すぐには出てこないかもしれないが、そこに何度も意識を向けるならば、いずれその周辺の信念が生き生きとしてしてくるものだ。
そして一番いいのは、興味が他に移る事である。興味が移ることで、相対的にガードが緩む。

いずれお金に関して抱いている不要な確信が捨て去られていくならば、そういった事を気にする必要もなくなる。そしてお金が入ってくることでお金に対する重要性もさがり、ますます入りやすくなる。あとはおまかせあれである。

987 :81:2011/10/15(土) 00:45:45 ID:c/U4/Npg0

「願望を」実現する力、ね。

エゴは自分の目の前を曇らせる、錯覚させるわけだ。たとえその不足が錯覚だとしても、強力に信じ込めばそう見えてくるというだけの事。あなたは窓から外の景色を眺める。窓には汚れが蓄積し、曇っている。そして、あなたはこう言ってるわけだ。「いや~世界ってホント、曇ってますね」

>>971

あなたのこのスレ内の過去の書き込みを見させてもらったが、多分起こってほしくない事は夫婦関係に関する事だと思うんだが。だいぶ思いのエネルギーを溜め込んでるように思ったので、いっそのことそこに向き合った方が早い気がしたんだが。。

というのも、あんまりエネルギーを溜め込んでいるとそこから目を背けようにも背けられない。それが気になって仕方ないというような事になるから。今に意識を持ってこようが、自愛しようが、自己観察しようが、それが気になってチラッチラッとね。気になってしょうがない、が、避けたいというような態度だとそれを経験に持ち込んでしまう事になるから。

それなら多少苦しいかもしれないが「自分はこれを信じようとしてたんだ」というつもりで、>>961に書いたように、真っ向からその感情に対峙した方が早いかなとは思うんだが。そのうちその苦しさは減ってくるんだけどね。まぁ
あんまり辛いなら無理にとは言わないけど。


~~自愛(=責めない)が上手くできない人向け~~

多くの人は一日のほとんどの時間プレッシャーにさらされている。

「あなたはこのように振る舞うべきだ」「あなたはこのような人物であるべきだ」
「あなたはこのような性格であるべきだ」「あなたはこのような容姿であるべきだ」
「あなたはこれに貢献すべきだ」

あなたはそのように求められているように感じる。他人から?あるいは社会から?

しかし実際は誰もあなたに何も求めてはいない。あなたはどう振る舞うべきかもどういう性格であるかも、どんな容姿であるかも求められてはいないのだ。求められていると思っているのはただの思い込みである。

「でも実際に求められたよ!」という経験を持っているかもしれない。しかしそれはその思い込みの為せるわざであり、あなたがそう思い込まない限りはそれを要求される事はないのである。

あなたは無意識にプレッシャーを自分にかけている。なぜなら、あなたにプレッシャーをかけられるのはあなただけだからだ。これでは気が休まる時間がない。一日中プレッシャーにさらされ、かろうじて気が休まるのはアルコールが入ったほんのひと時だけというわけだ。

あなたは他人といる時ばかりでなく、一人でいる時までプレッシャーをかけ続ける。
もちろん他人といる時よりはプレッシャーが減るだろうが、「自分はもっと別の人物にならないといけない」「自分はもっと改善しないといけない」「なぜあの時あんな態度をとったのだ?」と、今の自分とは別の人物になるように絶えず自分に圧力をかけ続けている。

プレッシャーを受け続けているあなたは、当然他人にもプレッシャーをかけようとする。つまり責める。自分ばかりがこのプレッシャーを受けるのは不当だからだ。そうやって他人にプレッシャーをかけながら、プレッシャーをかけてしまった自分を振り返ってまた自分にプレッシャーをかける。「あんな事すべきじゃなかったのでは?」と。

だからまずはあなたをプレッシャーから解放してあげよう。これまで散々プレッシャーをかけ続けてきたのだから、もうそろそろいいだろう。他人といる時はそうするのが難しいのなら、まずは一人でいる時ぐらいは自分を解放してやろう。

あなたは何も求められていない。どんな人物にもなる必要がない。どんな振る舞いをも要求されていない。
体の力を抜き、心の力を抜けばいい。愛を意識的に送ろうとせずともそれだけで事足りる。
自愛をやろうとして、無理に「愛を送らなければ!」「責めちゃだめだ!」と自分にプレッシャーをかけていたのでは意味がない。目指すのは、あくまで力を抜く方向性である。自愛が上手くいかないとすれば、この部分だけだろう。よって自愛が合わないなんていうことは本当はないはずだ。

そのプレッシャーから解放されれば、「今」にくつろごうかなという気にもなれる。「今」にいなければ!ではプレッシャーは増すばかりだ。

このスレのメソッドや書き込みを見て何か不快感を覚えるとしたら、その部分だろう。
何か新たな義務が追加されたように思えば、あなたの自由がますます侵害されたように感じるはずだ。
そうやってプレッシャーを増やすのではなく、力を抜く方向である。それが自分を大事にするという事である。無意識にプレッシャーをかけているのだから、意識して力を抜く事だ。

1016 :81:2011/10/17(月) 02:44:25 ID:c/U4/Npg0

あなたが何らかの不安を感じるとすれば、あなたは既に何かを想像してるはずだ。つまり、この選択をすれば自分はこういう経験をする事になるのではないか、とね。

だから自分でわかるはず。厳密にはある「仕事そのもの」に反応して感情ナビが反応するわけではなく、「今のあなたの見込み」ではその選択をすると何らかの経験をするのではないかという事を信念として持っている、あるいは信念として定着させようとしているという事になる。
たとえば「下積みがしんどいのでは」とか「また一から人間関係を築くにあたって面倒くさい事を経験する事になりそうだ」とか「キャリアが足りないので戦力にならず肩身の狭い思いをしそうだ」とか。

実際には無限に分岐点はあるわけだから、どの仕事を選ぶかという事だけで全てが決まってしまうわけではない。だから希望の仕事というけれども「これこそまさに天職だ」というぐらいやりたくてしょうがない仕事ならそれを選んで間違いないが、「どっちがキャリア的に有利か」というくらいの動機であれば、どっちを選んだとしてもその後の展開はやはりあなた次第という事になる。どっちを選んでも幸せにも不幸にもなりうるという事だ。

だからどちらかの仕事を選んだから、その後の展開が全て決定づけられるわけではない。
「現象はあなたの内面の投影である」という原点に返って考えれば、「あなたが幸せになっていけば、自ずと現象的にもよくなっていく」わけだから、どっちを選ぶにしろあなたが幸せに目を向けていけるか次第だ。

よって好きな方を選べばよい。どちらを選んだとしても「完璧だ!」という事に意識を向けるならば、それらしい証拠が見えてくる事になる。あまり考えすぎず新しい仕事に対する不安か、就職機会を逸して金銭面での不安か、後悔しない方を選ぼうという感じでいい。



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