108式成功体験談・その2  スレの255より


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255 :もぎりの名無しさん:2011/01/15() 21:51:59 ID:q1RQB5MM0


参考になればと思い書きます。
チケット板なのでなるべくチケットに則して書きます。

叶ったり叶わなかったりという人は、チケットで言うと36章を辿ってるのだと思います。
108
さんの質疑応答も36章だと個人的には理解しました。
だから安心して下さい。それは言うならばエゴからの試みで、どんどん加速すると思います。

愛と言われても何のこっちゃ?って人もいると思いますが、それが存在の全てです。
物質も生命も同じようなもんです。

でもこういうことは鵜呑みにして足枷にしないで下さい。
あなたの実践と実感だけが全てですから。そのプロセスが36章だと思います。

先ほども書きましたが、36章は僕の見解ですが「エゴからの試み」です。
少なくとも自分はそうだったと思います。自分との対話でも何でもいいです。
セドナ・リリーステクニックやオポノポノ等のクレンジングもそうです。
レスター博士の物語を読んだ方はご存知だと思いますが、彼は最初全てを愛に還すところから始めました。そして愛情でもどうしようもなくなった時に彼が行ったのがリリースです。

知識は情報の海です。あらゆる情報があります。
けれど人により伝えられた情報は、やはり程度はあれ歪曲や迂回を余儀なくされます。だから鵜呑みにしないで下さい。この僕の書き込みもそうです。

あくまで参考にするだけにして下さい。それがあなたの36章ですから。
最後には全部同じことを言っていて、各々の知識がそういう見解になった理由が分かると思います。

クレンジングだけでそれが済む方もいると思います。447さんやレスター博士がそうでしょう。
セドナは良くできていると思います。効果を感じている方は是非続けて下さい。

「愛があるゆえに痛みが伴う」という一節があります。
それは何故かというと、愛情であって愛とは少し違うからです。
それはエゴからの試みなんです。

本当に愛するってことは「存在することをただ認める、許す」ということです。
もう何もしないということです。
「それでもいいよ」ってことです。感情も存在です。エゴも存在です。
「勝手にしやがれ」ってことです。全部オーケーだよ、と。


これがリリースです。そして7章です。さっき読み直して分かりました。
意味が分からない方もいらっしゃるかもしれません。
あらゆるものを握り締め、塞き止めていたのは自分だったということに気付くと思います。


自由になります。何も関係ないんですから。
自分がどう考えどう感じどう行動しようが、何も関係ないんです。
全て許されているんです。自分で決めていいんです。

何も関係ないんです。愛に限界はないですから。

存在しているだけでいいんです。

存在しているだけでもう何も心配することはないんです。
あなたの存在は愛そのものだからです。

全ての存在は等価です。全部同じもんでできてるんですから。

エゴの試みの内は、上手くいったりいかなかったりです。
繰り返していくうちに、何か常にぶつかってるけど気付かなかった最後の障壁のようなもんが見えてくると思います。別に壊さなくてもいいんです。見えてきたら勝手に消えますから。
その瞬間に今まで見てきたドラマから降りると思います。真実のほうが遥かに壮大ですから。

まあこれも解釈にすぎませんから、別にそんな風に感じなくても何も問題はないです。
解脱も悟りも印象に過ぎません。ただ認識があるだけです。
エゴも映像であり、愛の一部です。エゴはあなたの表現ですから。
存在を認めたら、ふるまいもあなたが決めてあげればいいんです。
所詮、外部(だと思っているもの)に対する反応の総体なので。何も独立しているものはありません。

7
章はあまりにも近すぎて最初は気付かないのです。

でもすぐそこにあります。

長々と失礼しました。それでは。


261 :もぎりの名無しさん:2011/01/16() 02:41:43 ID:q1RQB5MM0


私は桑田さんではありません。

桑田さんの方が分かりやすいと思います。ごちゃごちゃ言ってすみません。

「不足を感じるでござるの巻」は語調も含め見方がまさに!という感じです。


愛という言葉をたくさん使いましたが、クソ真面目なものではございません。
おそらく文面から感じるであろう重々しさに対して、本質はすごく気楽で軽やかなものです。わーいわーいって感じです。

ひとつアドバイスさせてもらいますと

世界=自分が納得できない方は、言葉にこだわらず全ては私の認識である、ぐらいでいいと思います

これだとすんなり入ってくるのでは?アバウトでいいと思います。


全ては私の認識である ということがまずあり

そして 認識している私を認識する ということがあります。
じゃあその主体って何?って話になりますが
桑田さんの言葉を借りますと、それが映写機であるあなたです。

すなわち世界であり、全認識です。


潜在意識の達人447さん、その他の達人方の発言集


世界=自分ってそのまま考えると、どうしても世界=エゴになってしまうんです。
もちろんエゴは世界ではありませんから、「それは違う!」って極めて正常な反応を返しますよ。エゴはそのままでいいんです。

あまり深く考えずに認識すればオーケーです。そこで終わりです。

263
:もぎりの名無しさん:2011/01/16() 04:32:29 ID:q1RQB5MM0


おせっかいながらヒントになればともうひとつだけ。
ご存知の方も多いと思いますが、宮澤賢治の詩にこういうものがあります。

[
わたくしという現象は仮定された有機交流電灯のひとつの青い照明です]

思考する自分から現象にアプローチするということは

結果である現象の中で「わたくし」という現象でもってアプローチすることです。

どう感じどう考えどうしようが、現象内でわいわいしてるということです。
「わたくし」は現象ですからそれでいいんです。というよりそれしかできないです。
どうもしなくていいんですよ。現象なので。

認識できる現象の「わたくし」は仮定されたものです。そしてそれがエゴです。
それを認識しているあなたは一体何ですか、ということです。
ありきたりで基本的なことですが灯台下暗しです。考えずに感じてみて下さい。


以上です。失礼します。


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