伯家神道より読み解く古神道の深層の流れと

コラボと注意点!

 

 前回で特に重要なポイントは、日本語の五十音は、縄文時代以前より自然から発せられた「自然音」の響きであります。それらを先史時代に生きた倭人達がいち早く聞き取り言葉として取り入れていた。それらの流れの延長より古の言葉には、自然同様のパワーが宿りそれを代々姿形は変われども、この日本大地に住んでいる人達が自ずと日本語として知らず知らずとは、言え継承してきた。

 

その継承の一つとして十種神宝御法における三種の拍手は満州のシャーマンが行っているものとよく似ているとも言われていますし、四種の拍手に於いては中国古典の易経のもととなった河図(かと)九数図の順序で拍手をしているとも言われてます。七種の拍手に関しては日本舞踊にも同様の所作がありますね。

 

 一説によりますと七沢氏の持論の一つに1万年以上のルーツを持つ霊性の文化遺伝子をうまく統合したものが伯家神道の作法の基本のようでもあります。

 

 しかも単にミックスしたのではなく、どのような所作(しょさ)がどのような意識体験をもたらすのかを徹底的に実験した上で構築しているため、それを行ずるものは誰もが豊穣(ほうじょう)知的・霊的資源にアクセスし、それを体感的な叡智として自身のうちに取り込むことが可能であると。しかしここで注意しなければならない大切な事がある。

 

 霊的資源にアクセスして、それらを体験したとしてもその霊的資源のどの部分にアクセスしたのか!またその資質的内容とは、どうなのか!つまり格である。人間に例えれば人間性である人格の優越が問われる。霊格優れているものと繋がりをもてるかどうかが最大のポイントである。

 

 やたら未知への超能力を身につけ己の自我利益をだけのテクニカルにばっかり目が行き、自然一体となる倫理観に乏しければ悪魔とのうけいになってしまう。

 

(うけひ)は、古代日本で行われた占いである。宇気比、誓約、祈、誓などと書く。

 

 それらを用いり運用して一国を治める代表と成るためにも民と国土の自然と一体感を無くして語れない。すなわち縄文一万年の平和を築いた倭国言霊の真意がそこに全てがあるような気がします。

 

 もう賢いこのブログの読者ならお気付きだと思いますね。霊的発動は、誰でもテクニカルを一応学べば身につける事が可能でありますがその良質の霊的質にいかに繋がるかが問題であります。特に人から教わった事柄は、頭で理解しても体では判らないもので有る。それら修得は、各々の人生体験や経験の度合いから教わってこそ初めて身に付くものが大部分ではないでしょうか!。「身をもって」「身の程を知る」という言葉が適切に思えますね。その為にも常に自然の中に身を置いて自分自身の頭で考える。そういった姿勢や取り組みが身体向上を目指す事で本来の古神道の教えであるあずだと思います。何も難しい理論が先では無いはずですね。 終わり。