「思案」


「おふでさき注釈」

編、天理教教会本部

より



みのうちのなやむ事をばしやんして
神にもたれる心しやんせ(五号 10)

五号 10の註

身の内の悩みは、手引き道おせなのであるから、親神にもたれてその心に添うよう、よく思案するがよい。



さと/\たをと/\びよさま/\

このはなしあいづたてやいてたならば
なにゝついてもみなこのとふり

これをはな一れつ心しやんたのむで
(十七号 73~75)

十七号 73~75の註

さと/\とは、教祖様の生家前川家を指し、たをと/\は、秀司先生の庶子で、田村の村田某(田甚)の分家へ養子に行かれた音次郎氏のこと、びよさま/\とは、秀司先生の奥様まつゑ様の生家平等寺村の小東家を指されたものである。
右に挙げた三家は、当時いずれもお道に対しては熱心という訳には行かなかった。
このお歌は、神一条の道に遅れるならば、たとい親戚の者でも十分に守護する訳には行かぬ、とお戒めになったもので、合図立て合いとなって、悪い理が回って来たならば、皆の者は、よく思案せよ、と仰せになっている。
ここの処をよく思案して、我々は、神意に背かぬよう、神意の急き込みに遅れぬよう、しっかりと神一条の御教を心に体して、たすけ一条の道に勇んで進まして頂かねばならぬ。



★立花の戯れ言★



「おふでさきの一番最後のお歌は、
『これをはな一れつ心しやんたのむで』
他とは一風変わったお歌。それだけ思案することが重要なんだ!」
と聞かして頂いたことがあります。


「思案する」とは、広げ、深めのイメージがあるなぁ。


ご飯を食べた時、咀嚼し、胃で消化して小さくなった食べ物を初めて身体に吸収することができる。
それと同じで、身上・事情に込められた思召を心に治めるためには、その意味合いを広く深めるよう思案し、沢山の思召に気づくことで、心に吸収することができるんじゃないかなぁ?と最近思った。
心に治まらないのは、まだまだ頂いた食べ物が大き過ぎるのかもしれない。


お諭し頂くことを始め、談じ合い、ひのきしん、おたすけなどいろんな消化の仕方があると思うけど、
まずその消化の土台となるもの、その始めには、「思案」があるんじゃないかなぁ?と思った★


思案、重要!!

これからも思案すること、大切にさせて頂きます♪



今日もありがとうございました★
NO、386「聴く」




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私たちは神や仏の前で手を合わす。

そのときになんらかの「語りかけ」をするのだが、神や仏はただ黙って聴いているだけである。

大きな存在ほど、なにも語りはしない。

だが、だからこそ、われわれ人間はつい語りたがるのかもしれない。

ただ「聴く」とは、実はいろいろなことがそこに働いている行為なのではないだろうか。


(「カウンセリングで何がおこっているのか 動詞でひもとく心理臨床」著、桑原知子より引用)



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「聴く」という行為は、神や仏に似ている。



たしかに、聴いてくれる存在、そぉいう存在のよう。



聴くの、大切にする!




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「聴く」ということのレベルを格段にあげてくれました。


気になったお方はチェック★

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「カウンセリングで何がおこっているのか 動詞でひもとく心理臨床」著、桑原知子




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「八つのほこり」


「山田伊八郎文書」

編、天理教敷島大教会史料集成部

より



(立花:敷島大教会二代会長、山田伊八郎先生のお話。)



ほしい=あたえを以て物をほしいは善面。
あたえ無くして、あれも、これも見る物毎にほしいは、これはほこり。

おしい=すたる物を、すたらんよふ、万事に心をつけるのは善面。
総ての物を出し惜しみ、又は骨おしみは、これはほこり。

かわい=我身なり、又は我が子がかわいなれば、人と我身との、へだて心なきよふは善面。
なれど我と人とのへだて心は埃である。

にくい=我が罪をにくんで人を憎まんは善面。
なれども我が罪をにくまずして人を憎む。

うらみ=代を治めるには、ためを/\と思わん者には、我が心を治めて人をうらまんは善面。
なれど、ためを/\と思わずして、人を怨むのはほこりである。

はらだち=代を治めるには何事も理を聞き分けて、わからん者には、我が心を治めてたんのふするは善。
なれど時を待たして、短気、かんしゃく出して、人の腹を立てさしたり、我が身に腹を立てたりするは、ほこり道。

よく=我が身のあたえだけを大切に所持するは、これは天理なり。
なれど我が身のあたえより大きな事ばかり望み、とん欲、強欲するのは是がほこり。

こふまん=我が身を、ふり下りて人を敬う心は天の理に叶う。
なれど我が身、高ぶり人を眼下に見下し、大きな事ばかり云うのはこり。(手記一の八七頁)



★立花の戯れ言★



最近では「八つのほこり」は悪い面しか教えられていませんが、山田伊八郎先生や辻忠作先生などおやさまに直々に教えて頂いた高弟の先生方は、心遣いの善い面と悪い面、両方を教えられていた。
しかも、上でおっしゃられた善い面は天理に通ずる心遣いみたい。
こんな風に具体的に見ると、どんな風に通らせて頂いたらいいのかわかりやすいですね★


「八つのほこり」の思案の更新版、改めて素敵な天の定規をプラスして頂いたような気がする!
うれしーーー★



今日もありがとうございました★

NO、385「きく」



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愚痴を聴く「だけ」に徹する人はそう多くない。

たいていは、なんとか相手の気持ちを軽くしてあげようと、「アドバイス」をするなどして、聴く「だけ」ではなくなっていく。

しかし、この「アドバイス」をするときというのは、どこかで、聞き手の側が聴いていることにしんどくなって、その「重荷」を下ろそうとする動機が働いてはいないだろうか。

そうなると、語る側は、逃げたくなっている聞き手の気持ちの動きを感じとってしまうのである。

河合隼雄は「たいていの人は、聴く『だけ』ということはまずしなくて、なにか言う。

だから僕たちのやっている、ただ『聴く』ということに意味がある。

そんなことをしている人はめったにいないのだから」

と述べたことがあるが、聴く「だけ」とは、実はたいへんなことなのではないだろうか。






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話を聴くだけで助かる人がいるという。



しかし、簡単そうに見えて、めちゃめちゃ大変。



「憂い」に「人が寄り添う」と書いて「優しい」やけど、

「聴くこと」ほど優しいこと、ないのかもしれませんね★



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悩んでいた「心のこと」がスッキリ理解!

                              


【自分の心に興味がある方】
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おすすめです★


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「カウンセリングで何がおこっているのか 動詞でひもとく心理臨床」


今日もありがとうございました♪
「心通りの守護」


「山田伊八郎文書」

編、天理教敷島大教会史料集成部

より



(立花:敷島大教会二代会長、山田伊八郎先生のお話)



しるしないのはしるしない。
しるしあるのは印ある。
此の理、又一つ。
心にかかる事は身にかかる。
心のつとめは身のつとめ。
心を治めばかり身が治まる。
心がもめるで身がもめる。
人の身がもめるで内がもめる。
心の誠が、何についても万事の事が自由用自在。(手記一の一二七頁)



★立花の戯れ言★



困ってる人ほどますます困っていったりする。
「たすけてほしい」という心は、裏を返せば、「たすかっていない」という心。
「たすかっていない」と日々思っているということは、やっぱりそれ通りの「たすかっていない」現実を頂けるんじゃないかな?

心通りの御守護をすでに今も頂いてる。

日々常に思っていることが現実化するなら…
人のせいにしてる場合じゃないですね。

なるほどです。

心通りの御守護を頂いて、ありがとうございます。



今日もありがとうございました!
「急いて急かん道」


「山田伊八郎文書」

編、天理教敷島大教会史料集成部

より



(立花:敷島大教会二代会長、山田伊八郎先生のお話。)



あまり神様の御守護を急ぐのは菜大根の御守護で、此の菜大根と云う物は、種を地へ蒔きたら二十四時に生えて、二われから食べられる。

是はわずか3カ月程で十分に太る物で、味わいも味わいなら、代価も代価。

又、米や麦と云う物は、種を地へおろしても、なか/\よういで生えるものではありません。

其生えてから、実のるのがよういやありません。

実のりてもあからむのが、また一寸にはいきません。

又、あからんで取り入れても、其儘たべられません。

まだ日にほして、うすでひいて、まだそれで食べられません。

それより杵にかけて上白にして、まだ其上、水で何度も洗うて、其の上でなくば食べられません。

是はおよそ1ヶ年かかる。

それだけ待ちましたら、菜大根とは味が違い。

又、代価、高価に売れます。

そこで御道も同じ事。

急ぐ事おくれ、年限後を楽しみ、日々に真実の心定め働き、かんじんであります。

(手記一の一○四頁)



★立花の戯れ言★



手間暇かけた分、高価なものが出来上がるのは、品物も人間も同じ。


素晴らしい物が出来上がる、そんな手間暇を愛おしく思えるようになれたら、プロですね★


焦らず、時間をかけて、じっくりおやさまに仕込んで頂きたいと思います★


楽しみだー!!!




今日もありがとうございました★
「天の定規」


「山田伊八郎文書」

編、天理教敷島大教会史料集成部

より



(立花:敷島大教会二代会長、山田伊八郎先生のお話。)



明治四十四年の春、三月とはいえまだ寒い日であった。
伊八郎が大教会長になった翌々年本部員を拝命する少し前の事である。
伊八郎が早くから力を入れて仕込み、また幾度も助けた夫婦が居た。
この夫婦が、大教会の会長宅に丁度居合わせた伊八郎に、お産の助けをしてくれと願い出て来たのであった。
然も大教会でお産をさせてくれというのであった。
大分変った話であったがそれには訳があった。
この夫に一人の弟が居た。
今は婿養子に行っているのであるが、行くまでは親にも皆にもよく尽し努め「村一番の働き者や」と云われていたにもかかわらず、因縁の為か、他家へ行ってからは殆んど働かなくなり、里へ帰って来ても坐り込んで金の無心、居座りさいそく、長い時は三、四十日も寝たり起きたりして親を困らしたという。
こうして度重なってくると、やがて無心も聞いてもらえなくなる。
するとよけいに不孝も増す。
そうなって遂にナラズ者を連れてきていや味を言わせる。
「親の首をしめてやる。家に火をつけてやる」と言っておどす。
老父はこれに苦しみ、不安と嘆きの日を送り、子恐ろしいばかりの中に老の最後を結んだのであったが、その出直す前の半年は「いつ帰ってきて俺の首を絞めるやらしれん」と云うては、いつも家の戸締りを全部自分で見廻らないと安心して眠れなかったという。
老母は、暴れる子を見ればなお更にふびんが増して嫂に当る。
金をやってくれないからやと責める。
母と義弟にはさまって涙の日が続き、こうした苦しみの中でのこの度の妊娠であった。
こういう訳で今度のお産は、どう考えてめ命があぶないと思う。
それで夫婦がよくよく相談をして、どこか教会の隅ででもお産をさせてほしいと頼むのであった。
伊八郎は黙って一部始終の話を聞き、

事情は良くわかりました。
因縁はよく見えています。
事情が大きければ身上もまた大きい。
あんた達の心配するのも当然や。
しかしなあ、それは普通の考え方や。
天の定規とゆうものは一尺のさしは一尺に測るとは決っていない。
一国限り、一軒限り、一人限り、その場限りのものもある。
人により、時により皆違う。
事情だけを聞くと今度のお産は大変に思えるが、非常に頼もしい事がある。
それは、あんたは今日まで充分親孝行の道通ってきてある。
特に親が一番苦しんでいた時に自分を捨てきって親を助けてきている。
それであんたの一番苦しい時に真実神が飛び出して働いて下さる。
勤めておいた理で誠の結構を見せて下さるはずや。
それが天理や。
天の定規や。
今度はどうしても命は無い。
命はむつかしいと思うていなさるが、今度のお産がこれ迄のお産より一番楽に夢の様なお産をさして下さる。
一番楽しみのお産や。
そして産れてくる子も一番親孝行する。
先であんた達の力になれる徳を持った子が生まれてくる。
親孝行というものは、いくらしたいと思うても、孝行させてもらえる徳が添うていないとできないものや。
結構な孝行娘が生まれる。
結構なお産やで。
教会で厄介になるより家で安心してお産さしてもらいなさい。
わかりましたかな。


聞かされて夫婦は全く感激し、安心し、これまで一度もはずれた事のない伊八郎のその言葉に喜び勇んで帰ったのであるが、これまで伊八郎が、長く力を入れ心を込めて助け仕込んだとはいえその言葉が、そのままに御守護あって全く驚いたという。


(古老談話)



★立花の戯れ言★



天の定規とは、
目には見えない「理」を量る物差しであり、
その物差しを使って通るのがお道の生き方なのかもしらんなぁと思いました★



今日もありがとうございました★
「信仰」


「山田伊八郎文書」

編、天理教敷島大教会史料集成部

より



(立花:敷島大教会二代会長、山田伊八郎先生のお話)



人は天下泰平、無病息災、家内安全、四海波静かにと願って祈るが、その実は千変万化、波乱万丈、唯目の前の波の特に高い事を喜んでいるのや。
落ちる時の泣く事を知らず、上がって後の下る悲しみを考えない。
一時も早く一寸でも多く昇りたいと思うのが、人の心や。
桜の花見や桃の花見には浮かれて行くが、米や麦の花見に行く者はない。
米食べて五尺の身体にして頂いても、米の花知らない者もある。
林檎や桃や柿の味は良くわかっても、人の命となり血となる米の味はわかりゃせん。
味のないところに生涯噛みしめても尽きない味あり。
色のないところに真の色がある。
新しい事しゃべらないと、その話し聞けん様であったり、お上手言われて嬉しい心の湧いてくる間は、信仰も充分やない。
一筋の糸を引いた様な水の面の美しさがわかる様にならんといかん。
世間は十人の者六人迄良いと言うたらそれは良いのやが、お道は十人の者十人良いと言うても、その十人の外の一人に神様の受取って下さるものあるやらしれんのや。
ワアッと云って騒いでも、人助からんでは何もならん。
人目につかんでも、人騒がんでも伸び始めたら限りなく伸びて、伸び栄えるだけの真実の人とならして頂かにゃいかん。
どうしてもそれだけの理を積まして頂かにゃならん。


(伊八郎談話、旧役員の伝承)



★立花の戯れ言★



「お道の信仰とは、悪口言われた人の背中を拝む信仰」
と聞かせて頂きます。


目に見えて、良いことからしか喜べないのは普通の話。
目に見えない、悪いように見えることから、サイコーの喜びを見い出せるのがお道の人のような気がする。


今日のおさしづ、
「空を見て、空の理を楽しむなら、日々近づく理である程に/\。」
も伊八郎先生と同じように、
「何もない空っぽの自分を見せられた時、そんな空っぽの『理』を楽しむのは、一歩神様に近づくのと同じ」
というお言葉とぼくは解釈します。
めっちゃステキなお言葉★


信仰が深まれば深まるほど、幸せと思えるキャパシティーが増えて、幸せで幸せで仕方なくなっていくんやと思う。



それに引き換え、ぼくは。。。


ほんまに何も持っていない空っぽの自分。
そんな空っぽを楽しんで、大幸せ持ちで在りたい★



今日もありがとうございました!
「ひながた」


「山田伊八郎文書」

編、天理教敷島大教会史料集成部

より



(立花:敷島大教会二代会長、山田伊八郎先生のお話。)




それだけの徳をそなえていたというのだろう。
伊八郎はいわゆる布教師型のタイプではなく、もともと会長型であったといえる。
随分借金の多い苦しい時代にあった時でも、相当な品物といえるものも買っている。
「銀のキセル二本、上カバン、特上支那カバン計三円也」などと手帳に記入されている。
そうして、こうした上等な品にかぎって惜しげもなく人に与え、しかし日常生活はきわめて質素で、食膳には決して幾品も作らせなかったし、酒の肴は、たくあんかジャコ(雑魚)と晩年まできまっていたのは有名な話である。
そして他からご馳走を頂くと、人に与え、人に食べさせたのである。
衣類などは誠に粗末なものばかりを着用し、それさえ決して人にたたましたりする事がなかったという。
後年になって周囲の人々が「それでは私達が困ります」と強ってお願いしては、たたましてもらったものである。

或る時、某役員が「会長様、私がたたまして頂きます」といって、伊八郎がたたみかけていた着物をたたもうとすると「さようか、すまんなあ、じゃ、たたんでもらおか。だが、わしのをたたんでくれても、あんたはいつも自分のもの自分でたたんでいますのかな」と尋ねられたその役員は、いたく恐縮し、以来終生右の言葉を忘れず、自分でたたむよう心がけたという。

(山田光栄日誌)



★立花の戯れ言★



「お道の人は物を持ってはいけない」みたいな考え方もあるのかもしれませんが、
伊八郎先生は、逆に、いい物を沢山買い、それをひょいひょい人にあげた。
やっぱり、人様に喜んで頂ける生き方が大事ですねー。

いろんな生き方がありますが、ひながたにさせて頂きたい生き方ですね★




今日もありがとうございました★
「悟り」


「山田伊八郎文書」

編、天理教敷島大教会史料集成部

より



(立花:敷島大教会二代会長、山田伊八郎先生のお話。)



山又山を越えて三十幾里、伊八郎は際々吉野郡北山村まで草○ばきで布教に運んだ。
この方面へは決して一人では歩かなかった。
狼が出るからである。

或る時、山の中で大きな狼に出合した。
道の真ん中に座りこんで、目をギラリ/\光らせてじっと顔を見るのだから気味の良いものではない。
お供をした人が「先生、狼という奴は位を持っているので、上を通ったら危険ですよ。下さえ通りや何もしやしません」と、注意した。
「左様か、でもこちらには神様がついてござるからな。しかしおまはんの親切や、下通らして貰おおか」と、下へ下へ通り越したら何の事もなく、狼はいつまでも座ったまま、ジロ/\眺めていた。

伊八郎は、「この度は、よっぽど低くならして頂かにゃいかんな、大きな仕事をさして下さるのだ」と思った。
案の定、大きなおたすけをし、立派なよふぼくを引き出して帰った。

(伊八郎長女いくゑの話)


★立花の戯れ言★



先人たちは、本当に悟り上手やったんやと思う。
成って来ることから、上手に神意を読み取った。

悟るとは、「心」に「吾(われ)」と書くけど、悟ったことは、「自分の心」になる。
自分の心になるということは、それなりの行動が伴うし、心通りの守護を頂けるから、
言い換えれば、上手に神意を受け取った通り、「悟った通り」の御守護を頂けるんじゃないかな?とぼんやり思う。


ぼくの尊敬する方々は、みんな悟り上手★
ぼくも悟り上手で在りたい!!!



今日もありがとうございました★