大手広告代理店・電通の女性の新入社員が、過労自殺をしたというニュースがあった。本題から早速外れて恐縮だが、週刊誌の見出し通りの美人で、「進路先か違うのではないか?」と思えるほどだ。そうでなくとも、東大卒というのだから、将来が有望な方だったに違いはなく、大きな喪失としか言い様がない。

同社は以前にも、過労で社員が亡くなるという出来事があり、改善策が求められていたが、同じ悲劇が繰り返される格好になってしまった。過労死・自殺は日本で度々起こり、世界でも珍しい「過労死白書」なるものまで発表されていると聞いている。

この出来事が発覚する少し前、若手女優の早見あかりさんが出演しているCMで、ある台詞が気になっていた。「新人たるもの…」という言葉だ。何て時代にそぐわない表現なのだろう、と違和感を拭えなかった。上記の出来事以来、このCMを見かけることがないので、自粛しているのかもしれないが、未だにこの社会は会社員に「モーレツ」さを求めていることを垣間見た。

これまでにも、日本人の働き過ぎは国内外から指摘されており、その度に改善を試みては実らないの繰り返しだった。日本人の性なのかもしれないが、少子高齢化が叫ばれている中、若者がこのように命を落とすのは、思ってる以上に由々しき問題だ。この教訓を生かせないようでは、日本の未来は明るくない。

※この文章を書いている最中にも、同社から他にも過労で亡くなった方がいたという事実が発覚した。電通では「鬼十訓」という不穏当な名前の掟があるそうだが、「殺されても放すな」等、前時代的な命令口調で、よくこの時代まで通用していたものだと感じた。日本の広告業界を牛耳ってきた裏で、社員をマインド・コントロールしてきた歴史があったことに、唖然とさせられる。
熊本地震から半年が経ち、現地ではまだ復旧半ばと報じられている。正直言って、このように節目を迎えなければ、実態を知る機会がない。この半年間で印象に残ったのは、地元の超有名キャラクター「くまモン」の、もはや「ゆるキャラ」とは言い難いくらいの目立ちぶりである。彼?が先陣を切って、熊本県をアピールしてくれているのだろうけれど、被災地に大きく貢献しているようには、どうしても思えない。県民の方々は本当に復興を遂げたいのか?すら思えてくる。

東日本大震災からの復興が立ち遅れているのは周知の通りだが、このままでは熊本地震も風化されてしまうのではないだろうか?ゆるキャラに頼らず、人々の真剣な取り組みをアピールするべき時だと思う。同時に被災された大分県も含め、一日も早い復興を願いたい。
情報が錯綜しているのか、事件の経緯が今一つはっきりしない。また不可解な点も多く、これから書くことに関して、どこまで適切かはわからないが、正直言って被害者ならびに遺族の方々に対する同情的な見方ばかりでは、腑に落ちない点が次々と湧いてくる。今の率直な気持ちを記したい。

まず疑問に思ったのは、夜中に中学生同士、それも男女で行動を共にしたり宿泊することに、双方の親が何も思うところがなかったのか?ということである。時代の流れとはいえ、やはり抵抗感があるのが自然であろう。一部報道では、どちらかの親がシングルマザーであったとのことだが、親である以上、どんなに忙しくとも、自分の子に気が回らないことがあってはならないはず。酷だと言うのなら、他のシングルマザーの方々に失礼だと思う。(話は脱線するが、どうも日本という国はシングルマザー、ならびにシングルファザーに対する風当たりが強過ぎる。この問題に限らず、世界中で日本ほど根拠のない偏見がまかり通る国はないのでは?)

次に夜中に中学生達を出歩かせてしまった、地域社会について。なぜ周りにいたはずの大人達が、こういった子に注意を払えなかったのだろうか?想像には難くないが、たとえ見掛けたとしても、見ず知らずの子に話し掛けるには度胸がいる上、面倒事には巻き込まれたくないという心理も働いたことだろう。それにしたって、いぶかしく思わないことはないはずだし、少年達の姿を映し出した防犯カメラが設置されていた、駅前の繁華街ならば、警察官が巡回してもおかしくないのに、そういった形跡はないようだ。その防犯カメラが、今回の事件でも例に漏れずに、解決への糸口を担ってくれたが、住民も警察もカメラというものに甘えてしまっていたのではないだろうか?また、事件解決には導いてくれるかもしれないか、プライバシーの問題も置き去りにしてはならないし、再びこのような事件が起きた際、双方が何もしてくれなかったという証拠にもなりかねない。人々が常に警戒心を抱くあまり、世間全体が相互不信に陥るのも困るので、上手に調整できれば良いのだが、どのようにすれば良いのかわからないのが現状だろう。(再び脱線して申し訳ないが、民家等に貼られている「こども110番の家」の張り紙は何の効力も発揮していないと思う。だいたい、子供にだけ救いの手を差し伸べるという発想が間違っている。事件に巻き込まれるのは大人も同じ。地域でトラブルが起きたら平等に扱うべきで、何にもしたくなければ、免罪符代わりの紙切れは破棄すべきだ。)

最後に犯人について書きたかったが、冒頭にある通り、正確な情報を把握できかねているので、書かないことにする。他にこの事件について思ったこととして、以下の2点を挙げておきたい。
・遺体が遺棄されていた土地の所有者にとっては、災難としか言い様がないことだろう。そう考えると、事件の被害者は当事者以外にも存在することにもなる。何かしら補償がないと、やりきれなくなる。
・川崎市の中学生殺害事件の時も感じたが、事件現場に捧げられた花などは、被害者と本当に関係のある方々からのものだろうか?両事件とも、被害者が中学生であることを考えると、広範囲にわたる人間関係を築いていたとは、正直考えられない。付近の住民が、祟りが恐いから一応献花してみようというのなら、話はわかるが、関係者でないのに野次馬根性で捧げたものも含まれていないか?と、不謹慎だが疑ってしまう。もし自分が死者や遺族の立場になって、そういう不届き者がいたら、憤りを感じるだろう。縁もゆかりもないが被害者を真に悼む気持ちがあるのなら、献花に行かないことも選択肢の一つではないだろうか?

いつものことだが、多分に主観を含んでおり、これ以上文章化すると、更にまとまりがなくなるおそれがあるので、ここで止めておきたい。そうでなくとも、再び同類の事件が起きる可能性がある。その都度、つくづく嫌な世の中になったものだと思いつつ、述べずにはいられなくなってしまうだろう。
とにかく、思う所がこんな長文になる程、この事件が与えた衝撃は大きく、現代日本の問題点がかなり浮き彫りになったことは、確かである。駄文、失礼しました。