私の闘病と懺悔~償い~

私の闘病と懺悔~償い~

私の未熟人格と病気により苦しめ地獄へ落としてしまった
大切な家族と周囲の人々。
そして宝物の「あの子」。

私が病気と認めたのは、やっとの32歳。
私は人生で初めて危機感を持ち、人間復活を目指して
死に物狂いで闘病しながら、償いをする日々です。

私の考えや想いを、
私の恩師の教えと言葉と共にブログで綴ります。

自分に置き換えたり、何かに置き換えたりして、
言葉の中から様々な事を感じ取って頂き
役立てて貰えれば。



Amebaでブログを始めよう!
20歳になると成人。

この【成人】との意味。

心身共に成長し一人前になること。
自分の行動に責任を持つこと。
自立すること。独り立ちすること。

こう解釈していた僕は手遅れた。
人生を無駄にしていた。

恩師は僕を叱り倒した。
「そんな程度の低い解釈をしているから君は成長が著しく手遅れるんだよ。馬鹿だねぇ。
自分の心臓と人生を何だと思っているんだ。
君は本当の大馬鹿だねぇ」

本当の成人とは。
人生の折り返し地点である。
折り返し地点を過ぎた帰り道で何かに気付かなければならない。まず自分に気付く事。
自分の人間性や生き方はどうなのか。
人は死して名を残す。
自分が幸せな生活を送ろうと思うならば
まず周囲の人から幸せにせよ。

精神病になりやすい人。
精神病から抜け出せない人。
これには特徴があるんだ。
気持ちの落ち込みやすい人、
気の小さい人、
気の弱い人、
人前で緊張しやすく思っている事を言語的に
表現するのが苦手な人、
つまり終いて言えば不安の感情に陥りやすいという像が浮かんでくるのだ。
「いつかやる」「そのうちやろう」という罠にハマりやすいのである。
この二つの罠が右に左に待ち構えている。
ですから「私がやらないで誰がやるのだ!
今やらないでいつやるのだ!」という心構えこそ確かな未来への鍵ですよ。

人の、相手の痛み苦しみを知れる人となれ。
自分が辛い苦しいと嘆くな。
自分に頑張れと言うよりも
人の、相手の努力を本当の意味で知れ!!

人が、相手がどれだけ自分に対し支えてくれているのかを知れ。
それを本当の意味で知れ。
その意味を本当に知ると自分が辛い苦しい、
自分に頑張れなんて言えない。
頑張らなくてもいいんだ。
やればいい、尽くせばいい。
やれぬ者と尽くせぬ者は成人失格者である。
やらぬして頑張れの言葉をかけるに至らず。

時間は誰の上にも
平等に与えられている。
人生はいつ終わるか分からないから
今の時間を十倍も二十倍も何十倍も
生かすことだ。
今日は再び来ず。

これらが出来てこそ
成人である。

手遅れる、成長が遅い、
即ち勇気を持てない人間となる。
そんな人間が自分で生きる事など不可能だ。
いつまでも親に甘え、親を失った時に
どうしようもない人間となる。
それは成人とは決して言えない。
恥人間、不孝人間である。

そして、一生涯精神病者である!


僕は、ここでも目が覚めたな…
成人に対する意識が僕を変えた。

「こんなの自分には難しいよ。
こんなの無理だよ」と当初は思っていたけど
今なら理解が出来る。
本当に恩師の言葉通りだ。
この言葉を賢く理解できないうちは馬鹿だ。
成長なんて不可能であった。
何より成人になるだなんて不可能であった。
本当に僕は大馬鹿だった(^^;;



🌍苦悩が断ち切れる強さを持とう。
心の充実した人こそ魅力がある。
自分で責任を取る勇気を持とう。