長めの遺書を書いてみた

長めの遺書を書いてみた

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 今年も夏がやってくる。

 今年も湘南の海を夢見て、すね毛を剃った。性懲りも無く。

 大学に入ってからこの季節になると毎年欠かさずシーズン3回ぐらいすね毛を剃っている。どうせ生えてくるのに。

 

 だけど今年の俺は一味違う。

 俺の横には、、家庭用脱毛器。

 安物だけど、手の甲で試した結果薄くなってきた、気がする。

 待ってろ湘南のギャル。

 つるっつるになって迎えにいくぜ。

 

 

 

 実は俺は確定の診断をもらったらダメになってしまう気がして精神科的なところには行かないけど、多分数年前から軽い双極性障害を患っている。

 双極性障害とは、簡単に言えば情緒不安定極めてて、ハイな時と病む時を周期的に繰り返す精神障害だ。

 割と人前では明るくいられるし、別に無理をしているわけではないけど、週一ぐらいでめちゃくちゃ病む。

 で、病み期が明けるとハイになって、いろんなことにめちゃくちゃやる気が出たり、勢いで行動を起こしたりする。

 例えば、今日は多分病み明けの日で、昨日までは遮光カーテンを閉め切った部屋で朝だか夜だかわからない暮らしをしていた。 

 今日は、買い物に行ってノリで剃刀を買って、脱毛器の性能を確かめるために右足の膝下だけつるっつるにした。

 一人暮らしを始めてからこうなったのでこのことは親にも言ってない。

 

 昔、母親に自分は障がい者だと思うかと聞かれた。

 障がい者じゃないとは言い切れないって答えたと思う。

 すでにだいぶ頭がおかしい自覚があったから。

 あれから5年ぐらい経ったかな、今は自分には障がいがあるとはっきりと自覚している。

 

 社会で生きていく上で、困難が多すぎる。

 大抵の人は目に見える見えないに関わらずなんかしらの障がいを抱えた障がい者だ。

 だからできないことがある。

 普通の人が簡単にできている身のこなしが俺にはできない。

 

 人と薄っぺらく関わり続けることができない。

 人を信じないで関わることができない。

 人と関わる時に、曲がったことをするのが嫌い。

 人を利用価値で判断して関わることができないし、できるようにはなりたくない。

 

 だから利用される側の人間になる。

 利用されて捨てられて、あっ、、てなって、自分の殻に篭りたくなる。

 自分を肯定してくれる信用できる人としか関わりたくなくなる。

 

 だから俺は社会不適合。

 病んでる人の話を聞くと、大抵お前甘えてるだけじゃんって思うからきっと俺も甘えてるだけなんだろうけど、これを無理やり耐えて生きるなら、死んでもいいと思う。

 

 適者生存の法則は裏返せば不適者淘汰の法則だ。

 だけど今の世の中にはいろんな生き方がある。

 自分を殺して無理やり適者になるぐらいなら、自分に適した生き方を探して生きられるとこまで生きていく。

 

 「普通」の生き方に固執するのはもうやめにしよう。

 はじめまして、朔晦 祐太(たつこり ゆうた)です。

わざわざ本名を隠して書くからには個人情報もある程度隠しながら自己紹介をすると、21歳男性ってことぐらいしか書けることがないんだよなぁ。

 

 たくさんブログを書けるほど刺激的な人生を送っているわけではないけど、大学生活を通じて腐りきった人間がみている世界を赤裸々に綴っていく中で、人生観とかもろもろが遺せたらと思って、ブログって選択肢を選びまして。

  

 とりあえず、今この記事はガストで書いてるんだけど隣の席のおっちゃんがチーズ味のシャカポテみたいなのを一生シャカシャカしてて臭いがきつめ。

 

 “踊”を歌えるようになろうと思って最近聴いてるけど絶対イェイイェイのとこで我に返って冷める気がする。酔ってないと無理だなぁ。最近お酒を飲む機会も無くなったけど。

 

 普段はこんな意味のないことばっかり考えてるけど急に、

自分は何のために生きてるんだろうか、存在意義って何だろう、やりたいことって何だろうとか難しいこと考えて、生きてる意味ないのになんで社会に出てやりたくもない仕事して、必死に生きなきゃならんのだろうかとか思って誰かが自分の人生を終わらせてくれることに期待してる夜もある。

 

 こんなこと書いてると意味わからん宗教とか、自殺の仕方教えますとかそういうのが寄ってきそうだけど、そういうことじゃないんよなぁ、、

 

 小学校じゃ誰よりも勉強ができた頃の自分が周りから期待された人生と自分の現在地の差、どこかで道を間違えてもう周りの期待には応えられないことに自分が一番がっかりする。

 

 ずっと困難から逃げて来たから。

 

 ずっとやってみてできないのが怖かったから、できることをそこそこにこなして自分はまだまだできる人だ、大丈夫だって思おうとしてきたから。

 

 社会に晒されて、自分がいかにプライドだけで中身のない人間か気がついてしまった。

 だからもう、21歳で人生リセマラしたいと思った。

 今回は終わりでいいやって思った。

 

 だけどまだ心のどこかでポテンシャルを信じてる。

 やればできるって思っちゃってる。

 

 プライドによって死にたいとさえ思った人間が、今プライドに生かされてる。

 だから俺は、21歳から人生をやり直す。

 

 巻き戻せないけど、これからを変えることはできる。はず。

 というわけで、朔晦 祐太の人生第2章をお楽しみに。