普段の会話であっても、
こういった文章であっても、

まず初めに「結論/結果」が大事だと思います、

例えば今日の僕は最高に変な話をブログにします。

結論で言えば、

自分はちっぽけであり、そう思うに至った経緯

を、文字に起こしています。

この様に説明する事で、
今から書いていく長々しくまとまりのない文章を読むことなく読者はそれらを読んだ事と同じ結末に至る訳です。

つまり読まなきゃよかったを未然に防ぎ、
読んでよかったのみを生み出せるのです。

または結果を先に知らせる事で、
結果に至る内容なのだとしてそれらを理解し、
整理しながら聞き/読み進めれるのです。

またまた、
結果のみを求めている方の選別にも使えます。

結論から言わせてもらいます。と、
結果だけを先に伝えることにより

それだけを求めていた相手は後の説明を
聞かず/読まずして、次の段階へ進められるからです。

こうした思考は効率的すぎるかもしれませんが、

仕事やコミュニケーションを
スマートに行う方法の1つとして非常に重要な事だと
社会に出てから気付き理解しました。

ではさっそく、例の本題です。

僕という人間は母の体から産まれたので
僕の肉体そのものが母でもあり、

父という存在が僕を形成するに至ったので
父そのものが僕の存在の全てであり、

それら全ては1つの地球から形成された訳で、
それすらもが宇宙の中の1つであって、

そんな繋がりの人間と生き物が集まったこの星で、

数ある命を宿した物体の内の1つが、

主観的な、独自の思考で物事を判断し、
こうして頭の中の言葉を文字にしている。

記憶=が己の人格を作るに至るが、
その人格はどの様な手段で確立されるのか。

自分の頭の中を全てデータとして残せるのなら
記憶が綺麗に保存される訳ですが、

記憶=人格は同時に存在しない。はず。

記憶を元に主観的な判断をする何かが
自分という人格を存在させている。

もし機械的ではなく
主観的な判断が可能なアンドロイドが作られたとして

そこに自分の記憶全てを落とし込めば
それら全てのアンドロイドが今の自分になるのか。

それとも確率的なパターンで
自分に似た様々な思考を持つ複製が産まれるのか。

記憶と人格を同時に保管できる特殊な何かがあれば
自分はずっとずっと、

好きな人を好きな人なのだと、
愛する息子は愛する息子なのだと、

人格と記憶を保存するこの肉体が朽ちた後も

理解し続ける事が可能なのだろうか。

頭の良くない自分は
こんなくだらない事を毎日考えるだけで

その可能性を見つけようともしていない。

どこかの賢い人達は
想像を遥かに超える研究の末に、

自分が今考えている事など
とうの昔に確信へと至っているのかもしれない。

世界は広い。人間は多い。時代は早い。

自分はちっぽけだなぁ、と、

とことん。




たつこでしたー、ばいちくす☆