自分のための自分による自己満足、他者に読まれることを前提としていません。そのような言い回しがあったとしても。前回のブログは凍結し、今の自分に書けることを数行でも書いていきますが、不定期更新になると思います。
Twitterをやっていると、コロナワクチンにおいて気付いている人が目覚めている人というtweetを良く見かける。凄い違和感がある。僕の見た感じでは、気付いてはいるけれど目覚めてはいない。もしくは目覚める前か。スピリチュアル界隈では覚醒したという人が多数いる。自分で言ってる時点で違うと思う。そんなに覚醒は簡単なのか?何人か力のある真言宗の僧侶や霊能者(本業は服飾店で相談は無料)、姓名判断の先生などお会いしたが、レベルが違い過ぎる。自分自身気付いてはいるけれど全く目覚めていない。と感じる。それと今のスピリチュアルはあまりにも楽観的過ぎる気がして仕方ない。例えば、好きなことを仕事にした方が良いとか、好きに生きるとか簡単に言うけれど、好きなことを仕事にする場合かなり飛び抜けなければ稼げないだろうと思う。並では見向きされないだろう。お金はあるから大丈夫という人であれば大丈夫かなと思うけどそれで稼ぐ気なら大変だと思う。「好き」だけでは仕事には出来ないと思う。それからワクチンについて、推奨派も反対派も極端過ぎるように思う。絶対にマスクはしないとか、積極的に敵を作るのはどうかと思う。単なる自分の都合の押しつけにしか見えない。速やかに流す術はないのだろうか。メディアに関してはもう話にならないので、まずはPCR検査での陽性者=感染者ではないということ、厚生労働省が国会の質疑で陽性者=感染者ではないと回答している映像を見せれば茶番は終わると思う。それもデマや嘘と言うならば、デマを言う厚生労働省の特例承認したワクチン接種を勧めるのは如何なものかと問いたい。ちゃんと現実と自分自身を見極めていかなければと思う。
今日53歳になりました。昨年は迷走した1年だったように思います。今年は風の時代、どうなるか?地の時代も風の時代も変わらない。今を淡々と生きるだけです。それが出来てないから迷走しているわけですが。神社に参拝して、気持ちの良い朝です。雲一つない晴れの日。祝福されているみたいです。今年は八方塞がりの年なんですが、逆に護りは堅固とも言われています。自分次第かな。量子飛躍して、ミッション思い 出して本来在るべき自分でいようと宣言しました。イメージはある。ただそれが本当にミッションなのかエゴからなのか検証します。あとはやることやってお任せ、です。ただ色々実験します。引き寄せの法則とかね。楽しい一年になりますように。
自分は少しこだわりがあって、今までずっと「元」武道家と名乗っていました。道場に通っていた時期は6年間。あとは自力でやっています。頭の中から離れたことはありません。間違いなく自分の人生で一番楽しかった6年間です。今武道の話をしていてもやはり楽しい。一番楽しい。兄に、「元」はいらないんじゃないかと言われました。今も武道家で良いんだよと。どこかで負い目があったのだと思います。会社の移転で道場に行けなくなって、知らぬ間に師匠も亡くなっていた。だから「元」をつけていたんですが、兄に言われ、ああ、素直になればいいんだと思えました。今、私は「武道家」もしくは「武術家」とはっきりと言えます。別に奥義をつかんでるとかないですが、楽しいんですよ、話をしたりやったりしてると。そのときは余計なことを考えていないですから。これを仕事にするのはまた別ですが、いつか兄と人に教えていくんだろうと思います。最初は兄の子供からかな。こちらも鍛えなおさないとやばい。若いのにはかなわないからね。積み重ねたものも年齢にはかなわない。けど負けないよ(笑)。楽しいことを仕事にするべきだなあ。好きなこと、楽しいと思えることが仕事ならいい。たぶんそれが使命にもつながるのだと思います。今ヒーリングを学ぼうと思っているので、それがいずれ仕事の中心になるかもしれないが、武道も平行して進めていく予定です。なんとなくですが、ヒーリングを学ぶことで武術のほうでも影響がある気がするんですよ。楽しみです。ただヒーリング、お金かかりますからね・・・。でも必ず学べる環境にする。我慢して好きでもない仕事をしていると自分のようにメンタルが壊れます。そんな簡単に仕事は変えられないならば、好きなこと、楽しいことをやる時間を10分でも作りましょう。違うはずです。今自分がやっている仕事はやがてAIにとって変わられる筆頭の業種です。CADオペレーターは。と思っていたら、設計の方もAIにとられると同僚は言ってました。ならば、いつでも自分が楽しいと思える仕事を探しながら移行できるよう動いていた方が良いと思います。その瞬間は来ないかもしれないし、案外早く来るかもしれない。withコロナで一週間の内テレワークと出勤を分けるかもしれない。自分がつらくなる前に、またどんな状況でも対処できるように少しずつ自分を変えていく方がいい。ネガティブの感情でそれをやると引き寄せてしまうので、できればポジティブ、無理なら中庸(そのほうが難しい)の気持ちで。大企業では45歳でリストラが始まっています。もう好きなことで生きていいんですよ、たぶん。自分はまだできていないのでたぶんとつけました。この生を楽しむ。自分が麻痺する前に準備しておきましょう。少しずつでも。不安で探すのではなく、その先にあるもののために建設的に探す。自分を大切にしましょうね。
先月メンタルクリニックに行きました。結構有名な病院らしく、かなり遠くからも患者さんがいらっしゃるということで。そういう理由で決めたわけではなく、兄の嫁さんが医療事務で勤めている病院でございます。パニック障害になった当時、掛かりつけの内科医からは(本人自体は外科出身)心療内科とかあまりおすすめできない、薬の実験で終わってしまうよと言われ、どうしてもというなら紹介状を書くけどと言われてそこまではいいやと安定剤だけでいままでやってきました。でも今回転職活動などではっきりと良くはなっていないとわかったので兄の勧めで受診することに決めました。結論。すばらしい先生でした。薬の処方も抜群にうまい。こちらのつたない説明だけで理解され、泣きそうになりました。難点は仕事しているときは良いのだけど、お昼とか仕事終わったと眠くなること(今テレワークです)。あとだるい。安定剤を変えたので、それもあるのかな。それ以外は問題なくきています。胃、十二指腸を調整して気分を高揚させる薬が出ているのですが、これのおかげで不安感が出ても問題にはなりません。これは大きな収穫です。ちょっと気になっているのが、病院に行って、5月に入ってから急に夜声がかすれるようになりました。くしゃみ、鼻水もすごい。花粉かなと思ったのですが、同僚がそんなにひどくないですよというので、花粉ではないかもしれない。でもアレルギーの薬が効いたのでたぶんアレルギー。メンタルの薬と関係ないと良いんだけど。病院の選び方はとても難しいですが、メンタルクリニックは個人医院のほうが信用できます。大きな病院の中の心療内科や精神科はあまりおすすめできません。これは自分の経験だけではなく、ほかの方の意見も参考にしています。自分の心が壊れてしまったら先が無いから、慎重に選んでほしいと思います。薬増えるのいやだなとか考えている場合じゃない。今何かしら抱え込んでいたら、逃げるのも一つの解決策です。壊れてもだれも責任は取ってくれません。かくれパニック障害とか多いですから、自覚をしたほうが良いです。誰かわかってくれる人がいればよいのですがね。鬱まではいってないので抗うつ剤は出ませんでした。それはラッキー。心当たりのある方は病院にいくことをためらわないでください。少しでも楽に生きて行ける方向に向かってください。なかなか口コミとか信用できない部分もあるので病院選ぶのは大変かと思いますが、自分の心は大事にしてください。心と身体は不離ですから、心の不調は身体の不調にもつながります。薬無しで治したという話や本も多く出ています。でも万人向けではないことを頭に入れておいてください。自力で治せるなら一番良いですが、病院頼っても良いんです。精神科はやりたい放題というような本も見かけますが、すべての心療内科、精神科がそうではないですから、鵜呑みにしないようにしてください。そういう病院もあります。でもすべてではないです。少しでも心が楽になりますように。
昨日朝、会社へ行く途中の地下鉄の地下街を歩いている時、肩が凄く痛くて、父が5年前に亡くなってからずっと仕事や生活、家族を背負ってきたからなあ、そろそろ肩の荷をおろして楽になりたいと思った。でもね、いや、それは違うんじゃないかって気づいた。ああ、そうか。自分が支え、背負ってきたと思ってきた母に実はずっと守られ、支えられ、癒されて生かされてきたんだと心の底からその気持ちが沸き起こり涙があふれて止まらなかった。だから父が亡くなる前の年、パニック障害になり身体が相当壊れていると言われてもここまで来れたのだ。母が支え、癒してくれたからここまで生きてこれたのだ。だから母の身体は首も腰も膝もボロボロなのだ(それはそれで理由はあるけれど)。母の肩こりは凄い。腰は若いころの事故のせいもある。首や膝は年齢的なものも(80歳、4月に81歳)もある。父は母を残して逝ったのだ、俺たちのために(兄は別に住んでいる)。本当はもっと一緒に生きたかっただろうけれど、父はわかっていたのだ。本当の大黒柱は母だったのだ。母は公共料金の支払いとか、色々な手続きを苦手としている。字が汚いからとやりたがらないし、躊躇する。それは父や自分が代わりにずっとやってきたからだ。だからそれは自分たちが母の能力をスポイルしてしまった責任がある。だから母も申し訳ないと思ってしまっている。けれど違うんだ。母がいてくれたおかげで家族はまとまっていたんだ。幸せだったんだ。今も幸せだけど。そして今母と二人だけど、ずっと母に守られてきたんだなあ・・・。偉大なる母。まるで女神そのものだ。そして見合いだったけど母と結婚した亡き父。そして母を生んだ祖父母。なんだ、俺の祖先はすげーじゃんと素直に思った。感謝しかない。そして昨日は奇しくも父の月命日だった。父が教えてくれたのだろう。俺が転職で苦しんでいるのを見て。今でもこうして思い出して書いていると涙があふれてくる。単に思うだけで涙がにじんでくる。母は守られる側の人間でも背負われる家族でもなく、俺がこれからパートナーシップでパートナーを得ても、共に歩き一緒に生きてゆく相手だったのだ。それに気づいたら肩が凄く軽くなった。まだまだ背負っているものがあるだろうけど、思い込みだらけだろう。もっともっと気づけて身軽になろう。幸せをきちんと生きよう。ありがとう、母さん。そして父さんも。ご先祖様にも感謝。大きな気づきをくれてありがとう、父さん。父の分まで親孝行させてくれ。だから健康で長生きしてくれ。身体良くなるように俺も腕をあげるから。女性は81歳、86歳を超えると長生きできるという言い伝えがあるらしい。母はそのあたり気にしている。主治医にも言われ、長生きしなさいよと言われている(少し年下のくせに((笑))。大丈夫。それは生命のバランスの問題だ。寿命の場合は仕方ないが、祖母(母のお母さん)が100歳近く生きた。大丈夫。俺たちは大いなる存在に守られている。みんな幸せを生きよう。本当の愛を知った日。
膝が痛い。軟骨が減っている。太ももやふくらはぎがだるくなる。正座が出来ない。リハビリに行くとストレッチをすすめられる。ダメ、絶対。若いならともかく、私の母は80歳だ。腰が硬くなって筋肉が縮み膝に影響を与えている場合がある。その場合、腰を緩めてあげると膝も楽になる。もしくは、太もも、ふくらはぎを緩めてあげる。そうすると膝の痛みも取れたりする。押してはいけない。圧する。硬いところを押せば余計に硬くなる。もみ返しは単に筋原線維が切れたせいだ。腰なら筋肉が大きいからともかく、首が硬いからと言ってコリコリしてますねなんて押されたらやばいだろう。察してくれ、理学療法士さん。押さなくても揺らすだけでもある程度緩む。それだけでもいいんだ。あとは筋肉をはがすというやり方があるが、それは最近知ったので本を読んでみる。母に少し試したが、効果はあった。自分はスクールには通って資格をとったが、師匠は元柔術家だ。だから自分もやってみた。大東流をやって二段まではやった。あとは自分次第。というか会社の移転で通えなくなっただけさ。学んだのは身体の使い方。通常の整体での使い方ではおそらく学ばない。今はそれだけじゃなく、ほかの要素も取り入れたりして最初の形からは随分変わってきた気がする。マッサージはしないね。さするということはするけど。とにかく緩ませること。筋トレとかあまり必要じゃないよ。続かない人もいるし、他人任せの日はなおさらだ。だからこちらでアプローチするしかない。後は負担の少ない椅子の座り方や立ち方、歩き方。そういったことを何度も教えてあげればいい。股関節をうまく使えば緩ませるのも楽だし、治せるわけではないけどその場を楽にしてあげることはできる。そこから自分の技術も底上げしていけばいい。揺らして相手が嫌な感じがしたらやらない。気持ち良いと思ってくれたらやってあげればいい。股関節はそのような構造なのだから。
書きたいことはたくさんある。けど書こう、まではいかないんだ。そこまで気分は乗らないというか、時間を割けたくないと思ってしまう。もう一つの原因は、iPhoneの容量が残っていないということ。メモリが足りないんだろうけど、アプリが落ちる。書いてる最中に何度も。それで書く意欲が減ったということもある。iPhoneにapple認証のUSBメモリとか使えばよいのだけど、外付けだから、そこに入れるデータは普段すぐに見ないものになる。それが結構嫌かな。androidみたいにSDカード使えればよいんだけど、最近はandroidもiPhone化しているみたい。気に入ったのが内蔵SDカード無しだった。これからその傾向なのかな。iPhone11Proの512GBなんて16万円超えだよ?PC買うわ、これなら。PCももう10年くらい。容量も残ってなくてiPhoneのバックアップもできない。そしてめちゃくちゃ重い。なんかもう色々買い替えやら切り替えが一気に来ている。会社というか、3月末で派遣契約満了で非正規を辞めるから。ずっとくすぶっていたし、我慢していて身体壊していたので、これはこれで良いきっかけになったと思う。実際派遣元と派遣先と交渉が難航してて先が見えなかった。多分この交渉は無理だろうな(交通費を派遣先がだすということ)と思ったので決めた。年末になっても決まりそうになかったしね。長くかかるとそれだけこちらの選択肢が狭まってしまうし、年齢的も厳しくなる。でも世間では、実際には非正規の時給は上げないで正規雇用の方の手当てを削って両者を近づけることになるだろうなんて出ていた。抜け道というか、そんなの通るの?自分も丸18年非正規なんだけど、厚労省が時給上げないと引っかかる気がする。職種によって時給リストとか地方によるんだけど、年数によるUP率とか決まってるから、上げないと文句言われんじゃないかな、長くやってる人がいるところは。あと正規雇用の手当てを削れるのは大きな企業でしかできないだろうと思うが、社員はOKするだろうか?本当に前回から今回の派遣法改正は「悪」だと思う。特殊技能のスキルの職種は3年の縛りが無かったのに全て3年にしちゃったし、こういった改正で得するのは最終的には竹中〇蔵なんだろうなと思う。全員非正規になればいいなんて発言するくらいだからね。自分にメリットなければ言わんでしょう。派遣という働き方が悪いとは思わないんだけど、やるとしたら本来短期的だよね。やりたいことがそれなら長くなっても良いと思うけど。自分は色々あって派遣を辞めるきっかけを失ってしまっていたので、結果長くやってきたけど、結局身体壊したしね。本来は整体師やるはずだったんだけど、人の身体に責任が持てなかった。みんなそこまで責任感もってないよと言われたけど年間結構な数の裁判がある。整体師は民間だから、弱いんだ、何かあったとき。まああとは長く人に騙されて、抜け出せたけど、その時は完全に方向性を見失ってた。やっと自分のやりたいことはこれだったか、というのを昨年母との会話で気づいて、それが本当のきっかけになった。それは生前父もやりたかったことらしい。ああ、親子だなあと思ったし、嬉しかった。それまでにも色々あったが、このアイデアは浮かばなかった。だから優先順位がこれで変わって大体決まった。でも本当にやりたいことはこれだった!というものにもし出会えたら、そちらに移るし、そのような経済的余裕も作っておかなきゃね。転職に不安が無いかといえば、無いわけじゃない。53歳だし。使用期間の給与はだいぶ下がるからね。そこかな、ネックは。だから本当はお金入ればレイキ習いたいんだわ。いずれはオリジナルが欲しいんだけど、今は既存の技術でいい。一通りのレイキ身につけて、ついでにセラピストのセミナーみたいなのあったら受けて、それから転職活動したい。最新の世界のことも知りたいし、色々なことを身につけたい。それができるってことは経済的な余裕があるってことだから、探すのにも余裕が出てくる。今収入の面などで妥協したり我慢して決めたら、結局また嫌になるか身体またおかしくするかもしれない。同じ繰り返しはしたくないからね。ちなみに、面接用のスーツ無い、買わなきゃと思ったら兄が前祝いだってお金をくれた。それで新しい時間を生きてくれと。前の記事で書いたけど、このメッセージは兄にも伝えてあって、今回そのメッセージを兄から添えられた。うん、新しい時間と新しい自分を生きるんだ。そう決めたのだから。そんなわけで、しばらくは忙しくなるのかどうなのか。それも決めるのは自分だよね。忙しくなると思えば忙しくなるし、難しいと思えば難しくなる。深刻さは病気だから、なるべく楽しんでいきたいと思ってる。ちなみに今本当にやりたいことは整体ではない(笑)三本柱にはなってる。1.内緒。2.ヒーラー+整体師。3.これから増えたらやる。一番ではないということだけ。でも母親を診続けたから、また期待されてもいるから自分の可能性を突き詰めたい。1.が見つかるまでは整体が一番だった。でも本当にそれがやりたいのかわからなかった。最初はただ母親が通常の生活が送れるようにと、自分が受けてきた整体を思い出しながら母にもやってみて、神田神保町の本屋に毎週土曜通ってこれが似てるかなあと本を探して、試しながらやり続けて10年くらい掛けて通常の生活が出来るところまで戻せた。いくら腕の良い先生にやってもらっても駄目だった。その辺は愛情もあるのかな。今も患者は母だけだ。まれに兄。それから資格とったり武道始めたり色々なことがあった。全部無駄にはなっていないんだな。そう思いたい。本当に内容が雑談だ(笑)
冬至に兄に時計を貰った。その意味を考えた。ふと浮かんだのは、「自分の時間を生きなさい」だった。母も大きく同意した。派遣を辞める。自分の魂の望み通りの人生をいきるために。それに相応しいメッセージだと思った。もう一つ隠れたメッセージは「新しい自分を生きなさい」。過去から解放されよう。この5年間、地獄だった。パニック障害といわれ、鍼灸の先生にはこうして普通に電車に乗って治療に来てるのが不思議だと言われた。そこまで壊れていたのだ。次の年父が亡くなり、何とかここまで諦めずに生きてきた自分を褒めてやりたい。今まで後回しにしていた自分を、自分の人生を生きるために優先順位を一番にした。母は祝福してくれた。壊れた自分をここまで支えてくれたものが何なのかわからないが、感謝したい。これからは輝く人生を進む。今年一年ありがとう。新しい気持ちで新しい年を迎えます。新しい時間を生きます。新しい自分を生きます。そして生まれ変わり、本当の自分を取り戻し、魂の望み通りの自分を生きます。ありがとう。
ヒーリングは学んだことはない。今まで何度か実験してみた。何となく効果はあるようなんだけど……。仕事から帰宅する時、最寄りの駅から必ず母に電話を入れる。父が亡くなってからずっとだ。大体は電話の声の調子で具合いがわかる。本人は上手く隠してるつもりだが。今日は肩こりが酷く首も痛い、頭痛。蒸しタオルを首に巻くことをすすめた。で、駅から自転車で帰宅するまでの10分くらいで首を緩めてみようとやってみた。本当は危険なんだけど自転車運転中に瞑想、手に母の首を想定。何とか見えるものがないか。その時手応えがあり、ゴリッと首が矯正される音が聞こえるような感触があった。ストレートネックなので真っ直ぐなのだが、ガコッて、入ったあと、首がカーブしていた。筋肉も柔ら かい。これはどうなんだろうと思い、帰宅して話したらどうりで急に楽になったと、母は言った。首の筋肉もふにゃふにゃだと。何とか上手くいって良かった。あの矯正される感覚が手に残っている。実際に触っている訳では無いのに。自分のエネルギーは使ってない……はず。ちゃんと練習しよう。自己流だから。
兄の知人にずっと歳上の霊能者がいらっしゃった。兄の友人の紹介からだったけど随分気に入られていたようだった。生業としては服屋さんを営んでいたので、人の相談は基本お金を取らなかった。お題というかはそんなメニューないし、大体は紹介してもらって伺う形だった。お土産持っていくととても喜んでくれたらしい。自分は縁がなく、兄と母だけが会っている。もう亡くなってるかな。でお金は取らないけど、お礼という形なら受け取って神棚に捧げていたという話を兄から聞いていた。知り合いの真言宗のご住職も同じだった。心づもりでお金を包んでいたけど、忘れて帰ろうとして戻ったら別に良いのに、と苦笑いされた。もう20年以上前かな。何が言いたいかというと、霊的な相談事でお金は取ってはならないという決まりがあったはずなんだ。お礼としてお返しするのならOKということで。スピリチュアルの世界、例えばヒーリングやブロック解除にすごい金額設定している人の広告とか見ると許されてるのこれ?と思う。昔の知識だから何とも言えないけど。暗黙のルール変わったのかな?お金を取らないからボランティア、ではないんだ。ちゃんと責任もって相談乗るし、厳しいことも言うし、言われた通り素直にした人はみな良い方に変わっていったと聞いている。占い師は職業だから別話です。で、適正価格。クイックマッサージが流行り始めた頃15分1500円だった。1分100円。これ案外適正な価格のように思える。何とかお金厳しいっていう人でも払える金額。これも無理という人もたくさんいらっしゃっるのだけど。きちんと決めて本気で行動する人はお金集まって高くても行けるようになっちゃう、本当にうまくいく。確かにその通りなんだけど、切羽詰まった人に通じるかい?それ。自分が受けた鍼の先生は、5000円だったけど、お金無かったら頑張って3000円でやって差し上げますという人だった。自分もそう在りたいと思うし、本当にお金が無い、でも緊急、なら僕は無料でやる。スピリチュアルの世界は今どうなんだろう。その世界に関わらないということはないけど、リーディングとかヒーリングを依頼したことないからわからない。あえてHPとか何をやるかは見ても金額は見ないようにしてる。本来は無償奉仕の世界だったと思うんだけどね。だから職業としてやるんじゃないんだな。本業はちゃんとある人がやってた記憶がある。まあちょっした思い出した話で、スピリチュアルに関わる人に何か言いたい訳ではありません。こちらは素人だし、そちらの世界のルールはわかりません。自分の記憶の中の人が特殊だったのかもしれないし。一度受けたり習ったりしてみればわかるのかもしれないね。
19,20,22日と身体の痛みに苦しんだ。その前から痛みは続いていて、激痛になったのが休みの日(大体休みの日に出る)。背中の痛みはもう10年以上の付き合い。ちょうど胃の裏側か肝臓の裏側あたりの一点がガチガチに固まる。筋肉が固くなる→限度を超えると痛み出すというのが一つのメカニズム。もちろん他の理由もある時があるだろうけれど、病院で検査しても異常なし(レントゲン、エコー、血液検査)。大きな病院で調べても多分出ない。最初はうつ病の痛み(うつとは言われていないけど、パニック障害なので大体うつとセットだから・・・しかし背中の痛みはパニック障害になるまえからなんだけど)かとおもってたので、ペインクリニックか心療内科に行こうかと思っていた。鎮痛剤が一切効かないんだ。それはもう大変な激痛で、死んだほうがマシかと今回思った。胃のほうも張って痛い。普段は温めると緩んで楽になるのだけど、一番ひどいときは全く役に立たなかった。今回1カ月前くらいに健康診断をしたのだけど、その前あたりからお腹がよく張っていて、指で押すと痛かった。で今回食事すると胃が痛くなった。急に。23日会社を休みにして一日食事をとらずにいたが、胃の痛みは出なかった。背中の痛みは重い感じであったけど。でも母親の握ったおにぎりだと食べても痛み出ないんだよね・・・。市販のパンとか、もう身体が受け付けない可能性がある。だって毒だらけだもの。インスタントラーメンとかね。前の社会保険での健康診断では胃のX線はオプションだったので、市のがん検診で検査してもらっていた。それで6月胃炎と判断された。再検査は必要なし。で派遣けんぽが破綻、解散して新しい協会けんぽになったらオプションじゃなくなって、もう一回健診で胃の検査することになった。胃カメラを選択しようとしたけど、健診では麻酔が使えないので嗚咽があるならバリウムにしておいたほうが良いですよと言われ2回目のバリウム検査になった。もうすぐ検査結果がでるはずだが、怖い。背中の痛みで鎮痛剤が効かないのは病気じゃないからだよとTwitterでalohaさんという方に教わった。霊的進化の過程で痛みが出る時があるということだった。ただ飲んでる薬が多いので、徐々に減らして無くしていったほうが良いというアドバイスを受けた。今は減らしたり元に戻ったり。休日は最低限にしてる。薬は毒だから。人間の進化を妨げたい人種がいる以上薬もその役目を果たす。ワクチンとかそうだものね。今日の朝も背中は重かった。腰も痛いし何となく気持ち悪い。悪い予感は出てくるし、感謝が足りてないのかとか自分へのいたわりや感謝が足りないかとか思って毎朝のルーチンである仏+仏壇へのあいさつをしながら、最後天に向かって祈りを捧げる。パニック障害になったとき、ここは自分に向いていると思った鍼灸の先生を見つけしばらく通った。そのとき先生にここまで普通に電車で通って普通に立ってるのが不思議だといわれるくらい壊れていたらしい。つまりまともな生活を送れていないはずだったのだ。その後父が倒れ治療は中断したままになってしまったけど、自分を支えているのは家を守らなきゃという意地とかいろいろ考えた。でも今朝祈っていた時、自分は生かされてきた。守られてきたのかって思った。心から。そうしたら痛みが引いていった。そうだ。階段から落ちた時も、本当なら死んでいたかもしれない落ち方だったのにほぼ無傷だった。どんな状況でも、本当は守られているのかもしれない。ここまで命をつないでこられたのも、先祖や、家族、周りの人たち、そして身に見えない存在に見守られてきた結果なのだと思ったら感謝しかなかった。そしてそこまでよくやってくれた自分自身にも感謝しかなかった。よくぞここまで来てくれたと。やっぱり感謝、足りなかったみたいだ。今は嘘みたいに痛みが無い。これからはまだわからないけれど、自分一人で生きているわけではないのだから、たまには弱気もはこうかなと思ったりしている。激痛の時は声もかけられたくなくてこもっちゃうからね・・・。そんなわけで、この歳になって改めて考えさせられた。痛みはそのきっかけを与えてくれたのかもしれない。そうすると痛みにも感謝せずにいられない。痛いときはそれどころではないけど。ありがとう。その言葉を増やしていきたい。
幸せじゃない人は不幸。いったい誰が決めたのでしょうか。幸せじゃないけど不幸でもない状態は認められない?日本人の特徴なのか白黒つけたがる(肝心なことは曖昧にしておくくせに)。そんなの他人が決めることじゃないでしょう。それがたとえ「天使」や「自分の神様」が言ってる言葉でも。一回は疑わないのかな?まあどうでも良いや、人の話は。本当はど真ん中が正解です。どちらも含んでいるから中庸であり中道です。というか幸せも不幸せもないんだよ。起きてる出来事はただ起きているだけ。そこにはポジティブもネガティブもない。幸福も不幸もない。ただ一つのものを勝手にレッテル貼ってるだけなんだから。人によっては幸せに感じても他人にはそう感じない場合もある。SとMの関係ね。需要と供給が逆なんです。三次元限定の話ですけどね。5次元とかそれ以上の話は今はしてません。幸せでもなければ不幸せでもない。それって凄くないですか?いつも真ん中にいる。ただ何もイベントも起きない平凡な日々。もしかしたらそれが大局としてのワンネス、本当の幸せかもしれない。確か昔そう教わった記憶がある。多分正しい。武道の目指す最終到達点もそこです。戦いや勝ち負けは手放す。最後は武術自体も落ちるんです。戦わないで勝つ、はまだ勝ち負けが残っている。本来なら通る道を何故か疑問もなく違うルートで帰る。後でいつもの道で事故や事件があったと知る。いや、それも知ることもないまま日々を過ごす。いつのまにか避けている。それが武道の理想なんです。人は幸せな時は幸せだとは思わないんですよ。自分は幸せだと思った瞬間に幸せだと感じていた時間は終わる。謙虚な人が自分が謙虚だとは思っていないように。今は幸せな時間を楽しんでいて良いと思います。でも幸せじゃない=不幸とは限らないと思えたらもっと良いかなと思う。グレーゾーン。あっても良いじゃないですか。100点目指す必要ないんです。
実際にはメモではなく、習ったり議論したことの覚え書きです。もう古い知識になるので手放すことも意図に入れて書こうかと思います。そのきっかけは、SNSやブログなどで、「~からメッセージを受け取ったのでシェアします」とか、「チャネリング」など多くの人が普通に行っているのを読んで、自分が秘教を学んでいた時代と随分変ったものだな、そんなに簡単に出来るようになったの?出来る人が増えたの?というまあ多少の違和感からくるものです。多分簡単に出来るようになったのだろうとポジティブに考えてみます。メッセージを受け取る場合、自分の身体を仲介するので身体を媒体と見なします。パイプのようなものだと思ってもらえればかまいません。水が流れる時、そのパイプが詰まっていれば当然ふん詰まりか汚い水が出てきます。最悪出てきません。溢れます。これを身体に当てはめると、エゴがたくさんの状態とか、ネガティブな感情が多い、僕らの間では「汚れている身体」と呼んでいる状態になります。整体院で施術してもらっているとき、大変なめに合ったときがあります。施術側の身体がとても汚れていたのです。この場合、自分にパワーがあったり元気なとき、レベルが上なら問題ないのですが、自分が弱っているときはエネルギーが上から下へ流れるので、施術された側がもろにその悪いものをもらいます。良くなりに行って悪くなって帰ってくる一つの例です。この場合施術者の調子が良くなることが多いのですが、大体自覚症状がありません。でも身体が軽くなったなぁとか、そういった感覚はあるかもしれません。もみ返しで調子が悪くなるのは強くもみすぎて筋原繊維が切れた状態なので、この場合は省きます。意味が異なるので(良くないことは確かですが)。それでメッセージを受け取る場合、昔の聖人もそうだったと思うのですが、正確なメッセージが入ってきた場合、自分の身体が綺麗ならそのまま100%正確にメッセージを伝えることが出来るでしょう。間違った解釈をしなければ。問題は受け取る側の身体が詰まっていたりして綺麗ではない場合です。メッセージが入ってきた時、パイプが詰まっているために100%のメッセージが60%とか、歯抜けの状態で抜けて出ていきます。またエゴによる間違った解釈も含まれた場合、正確なメッセージは周りには届きません。それを確認する技術はあるのかもしれませんが、当時はそこまで話し合わなかったので私にはわかりません。チャネリングも同様です。しかもそのメッセージの送り手が良い送り手なのか悪い送り手なのかも確認できません。相手は選んでくるのでしょうが。自分のエゴが少なければわかるかもしれません。一見正しいように聞こえるけれど、誘導されている場合もあります。ということを昔は学んでいたんですねぇ。教えてくれた人間は後でお金関係の詐欺師だとわかり決別したわけですが。これだって正しいかどうかわかんねーですよ。自分にメッセージが降りてきたときは、ふっとした瞬間、思考と思考の間隙に入ってきます。でも私の場合大体自分が自分に送ってるようです。それがハイアーセルフなのか、わかりません。少なくとも高次の自分ですかね。一応疑いますが、間違っていたことは今のところ無いです。慰められたり、答えはお前しかしらないんだからお前に教えられる者はいないとか、あまり害の無いメッセージですね。たまにしかこないから普段気にしてません。なのでこんなに多くのメッセージを受け取る人、チャネリングのできる人が多いのは当時の自分から考えると驚異的なことな訳です。それは喜ばしいことなのですが、本当にそれは大丈夫なのか?とも考えました。昔なら大変な思いをしなければ身に付かなかったことが今は簡単になったとも言えるのかもしれません。でもそんなにみんなメッセージ受け取りやすい身体と心なの?素直にうらやましいなあと思いますよ。とりあえず最初から盲目的に信じることは少し危険じゃないかなと思います。もしかしたら表にでてくるようなメッセージは大したことではなく、実際にはもっと深いメッセージを受け取っている場合もあるかもしれません。人は用意の出来ていない(準備の出来ていない、そこまで成長をしてない)者に伝えるべきではないからです。知識を悪用されたり、間違った解釈や使いこなせないということがあるからです。だから武道でも密教でも宗教でも昔は奥義は口伝だったり一子相伝だったりするわけです。だからこんなに簡単にメッセージを公開してよいのかなと思ったりするのですが、読んでると大丈夫なのかなとも思います。でもそう思って見ている自分もエゴを通して見ている可能性は十分すぎるほど高いわけですが。そのあたりは何とも言えませんね・・・。どちらにしても、自分にもその書かれているメッセージが正しいとかはわからないので信じるしかないわけですが、一応自分でわからないなりに精査はしています。師の言葉でも疑え、信じるなという格言もありますから。耳障りの良いメッセージは案外怪しかったりもするんですけどね。それも自分のエゴを通しての感想かもしれないし、こうやって書いているのを読んでるとめんどくせー性格だな俺!とも思います。まあ10年以上前に教わった時の間隔ですから、考えすぎなのかもしれません。今の時代には合っていないかもしれないですね。そういったわけで、今回この知識は古いので、正しいとしても一旦手放そうと思い書きました。ずっと不要なものは手放す手放すとずっと言ってたら感じる感覚まで手放してしまい、何も感じない時がありました。でもおそらくそれはもう不要だったのでしょう。今は新しい感覚が入ってきているのでそれでその間隔を確認中です。本来自分のために書いているので久しぶりに緊張しながら書きました。素敵な文章やおお!と感じる文章、気付きを与えてくれる文章を書く方はたくさんいらっしゃいます。なるべく思い込みを取っ払って素直な気持ちで読んでいきたいです。じゃないと楽しめませんから。これあくまで霊性に関してのメッセージの受け取りについて学んだことの手放しなので、カードで占ったメッセージとかはわからないです。
引き寄せと想像力について。ビルを作る。その時設計図が頭にあります。想像です。次に設計図を頭の外に出し、実際の設計図を描きます。そして建設し、ビルが出来上がり。想像は創造であり、これで深い意識の思考は現実化しました。というのがGnosis(ノーシス)」の考えです。僕はずっとお金のことがネックでした。父が亡くなってから毎月ギリギリの生活。非正規雇用としては悪くない時給でしたが、それでも同世代の給与と比べたら問題にならない、低層の人間です。整体の仕事につくタイミングを完全に逃した結果です。人の身体に責任を持てなかったというのもある。みんなそこまで責任感ないよとは言われたけれど。今日本では身体を使う仕事は給与が安い。今から移ろうとしても新入社員扱いなら給与は安く、生活は今より厳しくなる。それでも派遣法改正で今の勤め先には後三年が限度になった。その三年を仕事を移るための準備期間としました。無期雇用はデメリットしか感じない。派遣先の直接雇用は最後の手段。やはり家に近いところで仕事をする。母も今年80歳になるから。今の勤め先からは帰るのに時間が掛かりすぎる。そんな時に、革命的な手技に出会えた。最初は胡散臭いと思っていたけれど、視聴してその考えは吹き飛びました。それの無料視聴動画を見て、思い切ってDVDを手に入れました。それからもいくつか役に立ちそうな手技を見よう見まねで学びました。(創始した先生はそれでも再現性があるとおっしゃっていたので)実際効果があり、今までの技術なら1時間かかるところを10分程度で痛みを取ることが可能になりました。それがきっかけで、やっと自分の生き方の方向性を決めることが出来ました。いくつか軌道修正は、新月や満月のたびにしていますが、今はハッキリしています。生きていくのにはお金は案外重要ではない。でも生活をするにはお金が必要です。家電製品が壊れたら買い替える。必要な時に必要な物が買える。また、やりたいことが出来てもお金が無ければ出来ない。若い人がせっかくやりたいことが出来てもお金が無いから結局何も出来ない。それと一緒です。何か学ぶにしてもお金が必要です。よく占いの人が、もうお金のことを問題にするのはもうやめましょうという意見を目にしますが、やはり生活していくためにはお金は必要です。それは働けなくなり死ぬまで。ただお金のことを一番先には持ってこないだけです。執着にならないように。生きていくことと生活することは別なのだと思います。お金のことも含めて、望みを叶えることを昨年の新月に宣言し、春分の日・宇宙元旦にも改めて宣言しました。願いが叶う、願望達成の期日設定は常に「今この瞬間」です。たとえ習得するのに時間がかかるものがあるとしても。そして今叶っても良いはずです。しかしお金のことはやはり難しい。本当に豊かさを手に入れることが出来るのかな。口では自分は幸せで在り、幸せであり続ける。どうしたって全てはうまくいくと思っても、不安は湧き出ます。自分の身体だって健康ではない。もうこれ以上我慢したら今度こそ壊れる。今でさえ壊れてるのに。パニック障害、腰痛、頸椎、血圧、過敏性腸症候群。もう今の仕事を続けるのも限界に近い。もう仕事自体が、二時間の通勤自体が限界に近い。精神安定剤を飲みながらの生活。眠さを我慢しての仕事。今の仕事が嫌いになってしまってから地獄でした。でも会社は今の自分の状況を理解してくれている。それだけが救いでした。だからこそ三年の準備期間で望みを達成させる。理想はオリンピック前に辞めること。仕事をセミリタイヤし、本当にやりたいことをやりながら、整体の仕事をする。優先順位を変えたのです。通信制の大学で学ぶ。色々な知識を得ながら、その合間に仕事をする。大学は行きたかったから。本を読んで調べたりすることは大好き。兄の友人は研究職に向いていると言われました。多分整体よりそちらが本当にやりたいことだったのでしょう。本心を優先させよう。例えば、午前中を勉強や好きなことをする時間にし、午後は仕事。やはりお金は必要なんです。お金の入り方は何でも良い。宝くじでも、スポーツ振興くじでも。それに罪悪感を持つ必要は無い。お金は頑張らなければ手に入らない、頑張っただけの等価分だけ、というのは、社会からの押し付けだと言われています。それは思い込みであり、楽にお金を手に入れても良いのだそうです。だから引き寄せを利用した。でもそこまで耐えられるか?わからない日々が続きました。そんな自分にどうやらアセンデッドマスターがサポートしてくれているらしい。大天使ラファエル。だけじゃないらしい。ラファエルは豊かさを与えに来たというタロットから何かのカードが出ていました。そのあと、自分にアセンデッドマスターが付きましたとレイキヒーラーのツイート(全てみんな向けのツイートですが)が目につきました。そしてある人のツイートは必ず望みは叶うから諦めないで信じて待っていて下さい。もうすぐですとあった。あなたは頑張りました。願いは叶います。とずっとあった。それらが僕の支えだった。そんな中。3月22日金曜自宅までの帰り道ふと、豊かさを手に入れた自分はどうなるのか想像(創造)しました。思い浮かべるだけじゃ足りない。今の自分の基準で未来を考えたら不足感が出て不足の現実を実現してしまう。だから強烈な想像力で豊かな自分に成り切りました。その時出た言葉は「はあ~幸せ…」というしみじみした感想でした。自転車を運転しながら。安心感から来たものだと思いますが、幸福感に満たされて何の不安も無い状態。ある日目に見えない存在に励まされた時にとても近い万能感。その気持ちのまま帰宅したら、母が一目見て驚いたそうです。なにがあったのか?穏やかで目が優しくなり、とても幸せな顔になっていると。マスクをしているのにわかったそうです。身体にも変化がありました。程よく力が抜け、腰の痛みも無い。腰のやわらかさがある程度戻っていました。強烈な想像力は物事を引き寄せる。これなら引き寄せは可能だ。そう確信した日でした。また不思議な日でした。なぜあんことを考えたんだろう。なぜこの時なのかと。22日はエンジェルナンバー22と考えたら下記のことがわかりました。More Than Everというサイトより引用させていただきます。https://niconicohappy.com/angelangel/引用エンジェルナンバー22の意味は『信じる心を持つ』です。【22を見た人へ】信じる心をもち続けましょう。天使たちはあなたの祈りがもたらす素晴らしい結果が見えています。天界にてあなたの願望が現実化される仕上げの段階では、我慢強く、そして楽天的でいてください。あなたの確信は、奇跡を生み出します。天使たちがあなたに「信念を持ち続けてください」と強く訴えています。数秘術では22はマスタービルダー22という数字は、数秘術においてマスタービルダー(master builder)と呼ばれています。つまり”創造の熟練者”ということです。現実が思考やアイディアによって生まれることを理解し、ヴィジョンを現実化する力のある人のことです。思考を使って理想を現実化することができる相対的な強さ、そして理想を現実化するための実際的な行動力、天界とのコミットメントの資質を兼ね備えていることを示しています。引用ここまでつまり22日想像力を駆使できたのは、そう発想したのは必然だったのだと思いました。自分の思い込みでも構わない。確かにあの日幸せだったのだから。不安も無い満たされた気持ち。これなら確かにどうしたって全てはうまくいくと思いました。今この瞬間ギフトを受け取ると宣言すれば。時間は存在しないけど概念はあるので、今この瞬間に設定しても時間は掛かるかもしれない。でも設定は今この瞬間でなければ意味が無い。後は自分を信じ、自分の宇宙を信頼し、自分の宇宙に委ねました。お金で豊かになっても幸せな気持ちにはなれるんです。それで良いんです。おそらくは。その後は自分次第です。これはあくまで自分の経験であり、今この時に学べたことに感謝しています。誰かの役に立てるのならそれも嬉しい。本当の最優先は、悟りを開き仏陀となること。30年来の目標です。でも今は順番にはこだわらないかな。執着になっちゃうから。どうしたって全てはうまくいく。私は幸せで在り、幸せで在り続ける。自分をサポートしてくれている全ての存在に感謝します。ありがとうございます。日曜夜になっても僕の顔は変わっていないそうです。さすがに金曜日ほどでは無いけれど前の顔には、張り詰めていた顔にはなっていないそうです。それだけ毎日緊張していたんでしょうね。金曜日帰宅した自分は一体誰だ位の変わりようだったようですから。これからも良い日になる。
かなり放置しました。色々ありました。自分の内面でね。2,3年前か、兄に「これから良いものしか見えなくなるよと」言われていた。唐突か。僕は二十歳のころから色々なものが見えた。震災後はUFOらしきものが多かった。天使とか神とかは見たことない。あるかもしれないけど区別が付かなかった。感じる力のほうが強かったかもしれない。兄の言ったとおりになったが、誤算が一つ。良いものも見えなくなった。やっぱり一元性か。ネガティブを消せばポジティブも消える。悪い性格を直せば良かった所も消える。なぜならそれは同じものの単に違う捉え方だけの話だから。しかし見えていたものまで見なくなるとは思わなかった。おかげでとても健康な生活をしている。身体自体はボロボロだけど。余計なものが見えないって楽だ。見ることが目的の人生ではないしね。結果的に見えるようになったならそれはそれでOK。見える人はそれで人の役にたたせればいいと思う。せっかくの力がもったいない。まあ色々ありました。やっとこれからの方向性も決めることができました。目標達成の期限設定は常に「今この瞬間」。実際には技術を学んだり知識を得たりで時間がかかるものもあるけれど、あくまで願いが叶うのは「今この瞬間」。別の言い方をすれば、願いは「今」叶ったっていいんだ。ルールなんてない。ただし執着しないこと。満たされていて、執着していない。全てはうまくいっている。安心と幸福の中生きている。そして自分の宇宙に全てを委ねる。最後は願望さえ手放す。結果はまだ出ていない。あせらず行こうと、楽しもうと思う。久しぶりに書いたけど駄文だなあ。もっと練習しなくちゃだわ。よもやフォロワーさんがついてくださるとは思いませんでした。感謝しています。でも誰かに読ませるために書いているのではなく自分に言い聞かせているだけなので、その辺理解してただけると助かります。良い気分になることを書いていきたいとは思ってます。
ものすごく放置してました。忘れてました。体調も悪かったし面倒臭かった。うん。台風の後北海道での地震、今夜フィジーでM8.1の地震、3.11東北の大震災以降、特に今年は異常気象のような暑さが昨年より1カ月早く訪れ、電気代も跳ね上がった。3.11から比べると25%の値上げかな、東電は。お金を隠しているのに。あの時だって輪番停電する必要はまったくなかった。電力は余裕で余っていたのだから。ブラウザにも嘘の電力計を表示させてうまく騙したものだと思う。あれから一連の災害は、特に3.11はまったくの人災であり、天災ではない。行き詰まった人間の傲慢さの結果だ。行き過ぎた二元性の結果だ。地球もしくはこの宇宙をコントロールしている高次の存在に試されたのだ。さあ、どうすると。もう旧いやり方ではダメなんだと示された。結果人間は復興を選んだ。その瞬間日本の衰退は決まった。復興とは元に戻すこと。それは正しい答えではなかった。新しい世界を創ってゆくこと。これならば満点ではなくとも赤点ではなかったはずだ。人間はもう在り方を、意識を変えていくことでしか歴史を続けていくことはもう無理な段階まできていた。それを復興、ということは今までと変わらない、ということを選んでしまった。結果二元性はますます増すばかりだ。しかも細かく細分化されて。気の使えた人はもっと使えて、気の使えない人はますます使えない人に。人は人、それが悪い方向に進んだ。基本的に自分たちに関係のないことは無関心。隣の人が殺されても助けてと聞こえたが大丈夫かなと思ったって警察呼べよ?だから政権交代でますます状況が悪くなり貧困層、非正規雇用が増え問題になっても自分たちにあまり影響なく生活できている連中には所詮他人事なのだ。政治家が悪いというが、そのような政治家を作ったのは我々の潜在意識の結果だ。それは我々にもその要素があり、今の世界になった原因は人類みんなにある。普段考えていることが現実になる。でもみんな自覚がない。これでは救いようがない。通勤時しみじみと思う。腐ってるなあ、病んでるなあ、日本人と。歩きスマホ、何度注意を勧告されてもやめない。自転車に乗っていてもやり、ライトも点けず車線を逆走し、ヘッドホンも点けて走る。当然のように歩道を走る。車はウインカーをつけないで曲がり、歩行者は並んで歩くのが前提で狭い歩道を塞ぐ。それが軽犯罪とも知らずに。また人の進路を塞ぐように追い抜いたり、わざとぶつかったり。意地が悪いのは女の方が多い、確実に。自転車のライトは走っている自分を認識してもらうためのものであり、消していたら暗いところでは見えない。自分は見えるから良いではない。車道の逆走しかり、歩道を猛スピードで走るしかり。歩道はあくまで歩行者優先だ。子どもの頃、ゲームウォッチがはやり、歩きながらゲームしたり本を読んだ。今はそれがスマホやタブレットに変わり、マンガが新聞や文庫、もしくはそのままマンガのままで、やっていることは子どもの頃とまんま同じだ。結局子どものまま歳をとっただけで、みんな中身は小学生なのだ。それで注意したりぶつかられたりすると逆ギレする。なぜ周りな気を使わない人間にこちらが気を使ってやらなきゃならんのだ。それがわからない人間ばかりになった。家族連れもそう。家の中でしていることをそのまま外にも持ち込むから嫌われる。歩道を広がって歩くな。サラリーマンも同じだが、小学校で道では広がって迷惑をかけて歩くなと教わらなかったか?家族連れは家族連れだから許されるとでも思ったか?家族連れだから気を使ってくれるだろう?逆だろ。お前らも気を使えよ。外は外、お前らの家の中とは違う世界だ。合わせろ。マナーだ。通勤時親は小さい子を連れてラッシュの電車に乗せてはいけないのか?皆それぞれ事情がある。その時間でしかダメな場合もあるだろう。それを下ろさせる権利など誰にもないし、OLにもない。最近はうるさいといって幼稚園に苦情がきたり、音楽の時間がうるさいといわれ窓を閉めて授業を行う学校が増えているそうな。またうるさいからと必要な保育園や幼稚園が作れない。待機児童がどれだけ待っていても自分の都合しかない。お前らは赤ちゃんのとき泣かなかったのか?子どもの頃うるさくさわいだりしなかったのか?自分たちだって同じ道を通ったはずだ。赤ちゃんは泣くのが仕事だ。また子どものすることだからとなあなあにする親がいる。子どものしたことだからといって許されることなどほとんどない。誰かが責任を取らなくてはならない。それは保護監督者だ。親やそれに近しい人。でも責任を回避しようとする。ならば自由は保障されない。自由=責任なのだから。それはすべてに通じる。でも安倍第一政権、原発に関して絶対に何も起きないと非常電源を設置する必要はない、想定外は起きないと自信満々に国会討論で語り、結果福島を死の街に変えた。東電も、政治家もみんな責任を取らない。だから子どもらも責任を取らなくて良いのだと悪い見本を見て育つ。これが災害が増えた原因の大部分だ。山が崩れたら復旧してはダメだ。元に戻したら同じ状況になったら同じ結果になる。結果土建屋と国交省が儲かる。平にしてならさなくてはならないのに。こういった人間の邪な在り方が災害を増やしている。もう変わることは無理だろう。気づいた人間が、変わっていくしか生き残る道はない。関係ないが、最近でもないが知的障害者を装う人間がいる。気をつけた方が良い。許されることを知ってずる賢く生きている。人間観察を続けていくと、見てわかることが多くなる。それは自分の内側を観ることも同じだ。まずは自分を知ることから始めようか。
最近になって気付いたことだか、SNSやブログなどに書かれている文章に潜む書き手のそのときの感情が何となくわかるようになっていた。すべてではなく、その感情が強いときに書いた文章が、かな。怒りや悲しみ、短気になってる、嫉妬、色々な感情がそこから感じ取れる。文章を見ると身体を通してその感情を感じるという感じかな。平坦な文章はあまりわからない。多分本人もあまり思い入れも特になく普通に書いているのだと思う。なぜわかるようになったのか?わからない。気がついたらそうなってた。小説などではまだ試してないのでまだわからない。ただ週刊誌とか読まないけど、新聞に載ってる週刊誌発売の広告の見出しなど見るとわかるときがある。これ何の役に立つの?いや、確かに前もってこの人こんな感情使ってるのかわかるのは便利かもしれないが、その人が自覚しているならまだしも無自覚の場合、知られたくなかったかもしれない。いまあなたこうでしょうとは言わないけれど、やはり知ってしまうのは申し訳ない気がする。自分ではコントロールできないので、強い感情のときは勝手に身体が反応してしまうからどうしようもない。100%コントロール出来ないわけじゃない。多分小説などのときは自分で無意識に壁を作ってると思う。でなければ身体がもたない。いまmixiは退会し、昨年の終わりからTwitterをやっているが、ちょっと控えようと思う。リアルで知り合いがいなければそこで知った人は所詮はバーチャルな存在でしかないのだから。顔も知らない、本名も知らない、声も聞いたことがない。その人のバックグラウンドはある程度わかったとしてもだ。それでもその人のある感情が強いとき、それを知ってしまうのはマナー違反かなとも思う。それが不可抗力だとしても。ある程度やり取りをした人だと更に申し訳なくなる。バーチャルだとしてもやり取りは本物だから。会うことが無ければバーチャルのままかといえば、それはわからない。親しくなる人もいるかもしれない。それはともかく。これからもっとわかるようになるのだろうか?実は文章以外、モノや食べ物なら以前からわかる。エビを触って吐き気がしたり、モノを比べて嫌な感じを覚えたり。エビだって感情があり、よい死に方、捕られ方をしなかった場合それが残る。残留思念のように。虫だってそうだ。だから買い物をするとき、比較して自分の感情がブレないものを選ぶ。触って少しでも嫌な感じがしたら選ばない。それはもう何年も前からそうだからそれが当たり前になっている。豚肉はほぼ食べない。お肉自体あまり食べない。そういったことは自分の身を守るのに役に立っているから良いけれど、それ以外何か役に立つのかな?楽しみでもあるが、無駄な能力な気もしないでもない。
二年ほど前だったか、僕は色々なことが知りたくて、手当たり次第PCで検索したり、本を読んだりした。けれどどれも答えは見つからなかった。知らないことは不安だ。不安だから知りたくなる。わからなくてまた不安になる。一寸先は闇。知れば安心できる。要は安心が欲しかった。ある時、通勤の帰り、駅のプラットホームで電車を待っているときにふっと概念が頭に入ってきた。頭に浮かんだんじゃない、入ってきた。それは、「お前の知りたいことは誰にも教えることができない。なぜなら答えはお前が知っているからだ。お前の中に答えがある。ならば誰もお前に教えられる者はいない。」ということだった。やっぱりそうなのかと半ばガックリしながらも納得した。それは知っていたが理解はしていなかった。今回理解をし、それは自分のものになった。それ以来、自己啓発、精神世界、色々な本を読まなくなった。結局それはそれらの人のもので僕宛には書かれていないからだ。むしろ小説の方が役に立つことがままある。テレビドラマとかね。見ないけど。ラノベでさえ自己啓発本より役に立つ。ただしチートハーレムものはあまり役に立たない。自分の中に答えがある。それは、道場の亡き我が師の師が残されている言葉と同じような意味だった。「問いの中に答えが含まれている。迷うのは、問いの立て方がまちがっているからだ。」自分は答えを持っている。おそらく「内なる神」が。「ハイヤーセルフ」と言い換えても良いのかな?そしてそれはどん底まで落ちないと出てきてくれない。余裕がある時は出てこない。でも啓示のような形で示されることがある。この時のように。自分が経験したことと教科書が違っていたら、迷うことなく教科書を捨てなさいと和尚ラジニーシは言った。僕はそれに完全に同意する。結局自分で何とかするしかないのだ。自分自身を知ろうとしてからおよそ30年近い。まだ何も知らない。いつ知ることができるのか。死ぬまでわからないかも知れない。でも僕はやり続けるしかない。やり続けることでしかわからないことがたくさんある。見返りを求めず、ただやり続ける。結果を求めるのは見返りを求めるのに似ている。途端にそれは醜悪なものになる。努力と結果は=イコールではない。だからこそ結果を求めずただやり続ける。武道の稽古と同じだ。まったく。こんなこと知らずに普通に生活していたらどんなに楽だったか。今更な話だが。ちなみに「答え」だが、「答えはただ一つだけ」もしくは「答えなどない」、または「すべてが正しく、まちがっている」もしくは「すべては正しいも間違いもない」だ。どちらも同じ意味だ。ただものの見方が違うだけで本質は同じだ。その辺はまた別の機会に書いてみよう。五年間くすぶっていたものが溢れるかのように書きたいことが浮かんでくる。今はその流れに任せたい。なんだかとりとめのない内容になってしまったけど、いいやね。書いてること自体が今は楽しいから。
今朝も腰が痛い。お腹の調子も悪い。昨夜寝る前に痛み止め飲んで効いたのは寝ている間だけだったらしい。今朝から何回トイレに行っただろうか。もともと日本人はお腹が弱いと言われている。「腹に一物」という言葉があるように、言いたいことを腹に貯めたりするからお腹の病気になる。極端だけれど、行き過ぎればそうなる。全部言えば良いとは言わないけれど、あまり腹に貯めない方が身体には良い。自分がそうなのであまり人のことがは言えないのがつらい・・・。今の若い人たちはわからないけれど、少なくとも前の世代くらいまではそうじゃないかなと思う。日本語ってうまくできているといつも感心する。不思議なのは、腰を壊す前と壊した後で便通が変ったことだ。腰を壊したのは、父が動けなくなって半年で亡くなるまでの間に10kg体重が減り、今までつけていた筋肉がほぼ落ちて、上半身の自重で腰椎5番と仙骨の間が潰れてしまったから。体重は戻った。むしろいぜんより増えたので少し減らしたい。問題はお腹の具合が変ったことだ。腰を壊す前も腰の調子は悪かった。武道やってたせいもあるけれど、基本的に過敏性腸症候群だったのでいつも朝は下痢気味で、朝の通勤時途中の駅で降りたりとか結構大変だった。腰を壊してから、それが無くなった。軟便気味で回数が多いのは変らないが、下痢気味が極端に減った。それだけは楽になった。それと腰を壊して三年経ったが、腰椎5番と仙骨の間に隙間が出来てちゃんと腰椎にカーブが出来ているのには主治医も少し驚いていた。リハビリのおかげだろうとおっしゃっていたけれど、兄は僕の意識が変ったからだと言う。自覚は無い。最も自覚があったらそれは偽者らしい。自分ではわからないこそ変っているのだという。ここでまた不思議なことに、今のほうが腰の痛みがつらい。椎間板が完全に復活していないのだろうと思うのと、神経があたる位置が増えたとか色々あると思うけれど、このおかげで会社を休むことが増えた。通勤に二時間かかるので、腰が痛いのはつらい。座れないともっとしんどい。10歳ほど若く見られるらしく、席ゆずれや視線を感じるが完全無視。俺だって痛いんだよ。若く見えて一見元気そうなら健康かといえば決してそうじゃない。ひとめみただけでは人のことなんてわかりっこない。その人が何を抱えているのか、どんな病気があるのか。何を考えているのか、どんな人生を歩んでいるのか。見た印象だけで決めないで欲しい。つらいから座っているんだ。パニック障害のために精神安定剤を飲んでいるけれど、帰りの込み具合がきつく二錠飲んで帰る。眠さでふらふらするときもあるし、座っていると安心するのでやはり座って帰りたい。それでもパニック障害の症状が勝るときがある。座ってなかったら降りてしまっているかもしれない。それは回避したい。母親も79歳で、夜遅く一人にさせないよう、また自分もこういう状態なので定時で帰らせてもらっている。なので電車が混んでいる時間帯になってしまうため、薬を倍にしている。今は顔の表情を見られないようマスクをしている。咳をすることが多いからというのもあるが、顔色が悪いとき見られたくないから。こっちだってある程度気を使っているんだけどね~。周りが気を使わないからね・・・スマホやタブレットいじっているやつは特に。平然とパーソナルスペースを侵してくる。僕はパーソナルスペースは肩幅だと考えている。だから自分の肘が肩幅より外に出ないよう気をつけている。でも多くの人は肘があたる。肩は触れていないのに肘があたるということは肘を張って座っているということだろう。その肘が痛いんだ。だからもっと周りに気を使えと言いたい。歩きスマホしかり、自転車もそう。右側車線走るな。夜は明かりをつけろ。意味わかって無いだろって思う。なんだかグチになってしまった。足がしびれてきたらまずいと思うので、それだけは避けたい。健康ってことがどれだけ尊いか。それだけで勇気が出てくるのにと思う。若いときのようにはいかないが、せめて日常の不具合が減ることを祈る。癒されたい。結婚したら癒されるだろうか・・・・。自分の症状のおかげで人の付き合いが怖い。トイレの回数が多いってやはり気を使ってしまうし、理解されないかもしれない。知らない人やなれない人の車は躊躇するし、だから自然と人から離れてしまう。今は会社の飲み会も全て断り、家と会社の往復だけになっている。もはや他人と暮らすことが想像できない自分がいる。これでは付き合いもできないし、結婚も出来ない。一度はしてみたいんだけどね。