デザインビルド方式。
設計の一部と施工を一体の業務として発注する方式。

1992-2010-2011-2017建設投資額の低下、構造的変化は建築界、社会全体に関わる大きな問題。
設計と施工の両面あるいは発注者と受注者の両面から考えていく必要がある。
設計側に焦点、この変化に危機感を持つアトリエ、その矢面に立たされる若手。
これまでの建築家とは異なるアプローチを試行しているように思う。ここにこれからの設計の芽生えがあるかも。

大西2011自分の事務所を開く。仕事がないために自分で種を蒔き耕していかねばと考える機運があった。建築を通してできることは何か、何のためにその場所に建築は必要なのか、何のためにつくるのか。

畝森 そんな巨大な建築は必要ない。新しく建築を作ることが社会悪。
須賀川のコンペ審査員長安田幸一 若い人がコンペに参加できる仕組みー若い人は建物が建った後も長く関わることができるから。
建築は、完成したら終わりではなく、建物を建てる前からどんな建築が将来にわたって必要かを考えること、また建った後にどう使われていくのかを長いスパンで見届けていくことも今求められている。

藤原 阪神淡路大震災 坂茂 紙の教会ボランティア
できるまでは深い議論、本当に必要か、がれきの撤去が先…でも出来上がった時の迫力、つくらねばならないという意志、能動性があった。

西澤 芸大助手 世の中にとって何が有益かと考えるアプローチの仕方 世代によってかなり違う そうした違いが同時代的重なり合うのが社会の面白さ。その中で、自分の立ち位置を客観視できる。

藤原 コラボレーションは重要
どんな組織にも志のある人はいる、どうやって関係を持てるかが重要。中国デザインビルド当たり前。杭州美術館 設計院で実際に図面を書くスタッフを捕まえてコンセプト熱く共有。熱心にやってくれた。つまり、どうやって意志を伝えるかとい「手続きの創造性」の方が、現代社会において属性問題よりも重要。

コラボ時の自分の立ち位置。
そもそもどうなんだ 時には破壊も厭わない。図面を引いていない、時間をかけて頑張って積み上げていないから言える。
前提から考えられる多角的な視点を求めてのコラボ。
私という一人にも、建築家東京日本橋の住人、母の娘…など様々な側面がある。場所に応じて、役割を使い分ける。対話の中では私たちの見えているその人の職ではない側面を引き出したい。

京都市芸大
メンバーが大所帯。誘った人間が新しい人を誘う。リーダーがいるのではなく、ヒエラルキーなく皆でどんどん仲間を増やすしていくやり方。設計のヒントになるかもai 科学技術の夢の先に顔を合わさずに議論をし、違う人が共通のプラットホームの上で集合的な知を作っていくというイメージ。
巨大なプロジェクトは実現のためにどうしても目的達成型に陥ってしまう。そうならない為に、過去の議論を蒸し返したり、時には破壊をコミュニティケーションとしたりして創造的なアプローチを楽しむ必要がある。

個々の個性が未分化な状態で空間に現れる、何をどうやって使ったら良いかという可能性に開かれた状態ー建築の自由さ


対話すること、案を柔軟にすることがセットになってしまっている。この過程を経ることで提案を魅力的かつ愛着を生むものにできる。しかし、設計料が一つのデザイン価値基準であるとすると、ワークショップなどで設計変更をした分のデザインは価値の無いものとされる。
良い物を作らないとという気持ちが人質となり、対価のない中で設計内容の検討を続けることは果たして良いことなのだろうか。

相手に求める建築家像は、社会が求める建築家の姿とどのように同じで、どのように違うか、その差をどのように調停していけるかという事。プロジェクトの着地点にもダイレクトに関係する。

先輩建築家のイメージが遠い存在である。う買う人は、建築自体を理解していない。対話が建築家の重要な能力とされている時代、対話によって良さは伝わるが、建物からその良さを理解してくれるだろうか。

畝森 超高層でも小さなリノベーションでも、また公共建築でも民間でも、使うのは同じ人間なので、その人間の暮らし方や生き方からどう新しい建築を作っていくか。その意味でフィールドは同じ。

領域と領域の間のプラットホームをどう構築するか。建築に限らず、すべての分野において領域の中だけで考えてくと、結局プラットフォームが弱っていくことになる。それはある種「軍隊化」機械的、トップダウン、無思考ということ。


領域を横断する建築家像