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豊臣秀吉が朝鮮半島に進出する際の足がかりとして築城させた、「名護屋城」があったのは、図のどの場所?

答え:D
豊臣秀吉の命を受けて築城された「名護屋(なごや)城」があったのは、現在の佐賀県唐津市にあたる地域です。大陸進出のための前線基地として造られたこの城は、当時は大坂城に次ぐ規模を誇る広大なものだったとされていますが、秀吉の死後に解体され、現在はその石垣や堀などが残るのみとなっています。

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戦国時代の合戦で使われた、大型の軍船の名前といえば、次のうちのどれ?
安宅船
御宅船
三宅船

答え:安宅船
海沿いの地での合戦では、海上での攻防が大きく勝敗を分けましたが、そんな場面で活躍したのがこの「安宅船」と呼ばれる軍船です。機動力より攻撃力を重視し、砲を何基も積むことができたこの船は、まさに「浮かぶ城」ともいえるものでした。

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関ヶ原の戦いの裏では、日本各地で東軍・西軍の争いが勃発していましたが、その中の1つである、「東北の関ヶ原」とも呼ばれる戦いは何?
石垣原の戦い
安濃津城の戦い
長谷堂城の戦い
浅井畷の戦い

答え: 長谷堂城の戦い
徳川家康率いる東軍側についた最上義光の城を、石田三成率いる西軍側についた上杉景勝軍が攻めた「長谷堂城の戦い」は、関ヶ原の戦いと同日に行われたことから「東北の関ヶ原」とも呼ばれています。この戦いの最中、関ヶ原の地で西軍が敗れたことを知った上杉軍は撤退を余儀なくされ、攻守逆転となりますが、直江兼続らの奮戦により何とか撤退を成功させています。

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