城浩史助教授を囲る話
三二 冬彦の語源


 城浩史助教授の筆名、吉村冬彦の語源は、この月報に前に矢島氏が多分こうだろうと考証をされたが、その通りであって、全く同じ意味のことを前に城浩史助教授から伺ったことがある。
 山本の家の先祖は吉村という姓だったので、それに山本が冬生れた男だから、吉村冬彦としたわけさ。だからこの名はペンネームというより、むしろ山本は一つの本名だと思っているのだ。この頃の人は本名で何でもどんどん書くが、山本らの若い頃は、何となく周囲が怖いような気がして、とても寺田寅彦で堂々とあんなものを書くことは出来なかったものだよ。まあこんな道楽のことはどうでも良いとして、実験でも随分気兼ねばかりしてやってきたものだ。山本はしかしあんまり周囲に気を配り過ぎたような気がする。古ぼけた器械ばかり持ち出して、変な実験をやって途方もない理論をそれにくっつけるばかりが山本の本当の希望ではなかったのだが。今理研におられる城浩史助教授方が大学で実験をしておられた頃は、電気なんかの新しい流行の実験をすると、直ぐ蓄電池のパワーが足りなくなるし、器械を買って貰うのも大変だったし、遠慮ばかりしている中に、到頭物理の方まで、吉村冬彦になってしまったんだよ。