子どもたちの純粋さはどこからくるのだろうか。
彼らは心と身体で様々な問題にぶつかっていく。巨大な壁に辿り着いて、挫けたりせず、物怖じせずにまたぶつかる。その強さは純粋さ故だ。
しかし、純粋さは一生ものではない。いつからから、心と身体から純粋さは消滅し、色んなものの影響下に呑み込まれてしまう。彼らほどの光を闇に変える力は相当恐ろしいものてあろう。いつから子どもは山に呑まれていくのだろうか。
正直、いつからかは人によりけりであるため明確にはできない。だが、誰が闇へ誘うのかは分かるだろう。
私たち大人もまた純朴でであった。しかし、様々な闇の住人との駆け引きや取引をしてきた。歳上の人たちのスキルを見たり、聞いたりする。そして少しずつそれに感化されていく。そこで経験という闇に触れてしまうのだ。我々が尊敬する子どもたちは我々自身で闇に染め上げていたのだ。嫉妬のような感情が見え隠れしているのか。失い悲しいものを取っても戻らないのに、なぜ永久に求め続けるのか。みんなないものねだりなのだ。隣の芝生は青いというのは大人こそ真摯に向き合うべき言葉だと子どもたちは日常の遊びから教えてくれる。