難局28号

難局28号

久生十蘭についてチョコチョコと。

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どうやら五月十五日に発売されるようだ。

編者が川崎賢子だけに、セレクションが楽しみ。

王道で行くのか、意外なものが加わるか?


『久生十蘭短篇選』 岩波文庫 税込 903円也。


http://www.bk1.jp/keywordSearchResult/?keyword=%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB+%E4%B9%85%E7%94%9F%E5%8D%81%E8%98%AD%E7%9F%AD%E7%AF%87%E9%81%B8&storeCd=&searchFlg=9&x=45&y=15



そういえば、「皇帝修次郎三世」(1946年『新風』2月→12月)、「皇帝修次郎」(1948年『トップライト』→『クラブ
』1月→7月)って作品があるのだけれど・・・

時期が時期だけに、もしかしてもしかするんじゃないかと去年から気になっている。

全集が出るのは、まだだいぶ先だなぁ。

複写を取り寄せようかしら・・・


 五月に岩波文庫で「十蘭短編集」が出る・・・

というびっくり情報が、元著作権管理人氏のブログに。


岩波文庫で久生十蘭なんていわれると、やはり違和感が・・・

岩波がユルくなったのか、十蘭が「岩波的なモノに認められた」と解釈するのか。

先輩谷譲次は、すでに「踊る地平線上下」で岩波入りをしてますが。ウーム・・・

にしても、解説は誰なんでしょうか・・・、やっぱり川崎&江口コンビかな。


おそらく、戦後の短編が収められるんだろうけど、しかし驚きだ。でも歓迎だ。


なんか十蘭ブーム来てますねぇ。



国書刊行会から、全集二巻が発売されている模様。


新版八犬伝
刺客
モンテ・カルロの下着
モンテカルロの爆弾男
キヤラコさん
顎十郎捕物帳


「新版八犬伝」と「モンテカルロの爆弾男」は未読。

早く読みたいが、一万円の余裕がない。



それにしても・・・

提出したはずなのに、何故か直しを入れる。

締め切り1時間半前、動揺して、後半15%削除。ああ無情・・・(涙香)。

・・・結論に向かってジェットコースターばりにクオリティが急降下、絶叫する私、誤字脱字満載。



 で、話はそれるが、「三界万霊塔」(『全集Ⅲ』三一書房)は個人的にとてもイイ。これは前に触れた、「猟人日記」(『幻影城11』1975.No.11)が元ネタである。かなり前に読んだものだけど、あの気品のある悪オヤジな主人公がなんともいえない。画家の鴨居玲が、ポケットに手を突っ込んでデンと腹を出して斜めってる煙草の男を描いていたように記憶しているが(「出を待つ」の道化と同じ構図)、両者には同じ匂いを感じる。 是非とも、一読。

久生十蘭は、一九四三年九月四日、南洋の地で、岡本かの子の『河明り』を読んでいる。アンボン島にて、二分隊長から喜んで借り受けたのがそれで、日記にはこう記されている。


  九月四日(土)晴れ ハロン(アンボン島)

  ……○七○○、大艇発、二分隊長に岡本かの子の『河明り』を借りる。久振りでじっくり読める本に

  行き当り心愉し。


ところが、読み進むごとに、不満を露わにしてゆく。日記の続きはこうだ。

  

  ……昼食后はすぐ『河明り』を読み始む。早熟な小供がへんに競って書いているようなところがありう  

  るさし。努力のあと並々ならず。

  九月五日(日)晴れ ハロン―トレホ―ハロン

  ……もう睡られそうもないので電灯をつけて「河明り」を読む。六時、読了。物おじせぬ幼稚なロマン 

  チシズムに呆然とすること暫時。主人公の娘は概ね白痴の如し。力足らずに形象だけこね廻したと

  いうべきところ。男のほうは海に憑かれたとはそもそもなんのことやらわからず、シングとは似て非な

  るものなり。観念の細工物はいい加減にせねば人を立腹させるに足る。男、すぐ結婚を承諾する経

  過浅薄にして不明瞭。作者なるものひどく買って出ているようなるがただウロウロするばかりなり。


「河明り」を読んでいて、気になったのは、観念的な表現が多いところである。個人的な意見を言わせてもらえば、観念的(くどい)表現そのものが果たして成功しているのかは謎である。

たとえば……

  

  ……たゞ、あまりに違った興味のある世界に唐突に移された生物の、あらゆる感覚の蓋を開いて、

  新奇な空気を吸収する、その眠たいまでに精神が表皮化して仕舞う忘我の心持ちに自分を托した。


  すべてが噎るようである。また漲るようである。こゝで蒼穹は高い空間ではなく、色彩と密度と重量を

  もって、すぐ皮膚に圧触して来る濃い液体である。叢林は大地を肉体として、そこから迸出する鮮血  

  である。くれない極まって緑礬の輝きを閃かしている。物の表は永劫の真昼に白み亘り、物陰は常

  闇世界の烏羽玉いろを鏤めている。土は陽炎を立たさぬまでに熟燃している。空気は焙り、光線は

  刺す―


上記のような表現はこの作品に散見され、何となくキマっているようではある、が、一方で、どこか表面的で、軽さを感じてしまう登場人物らと対比させた場合、その重苦しい描写も実はほとんど真実味を伴わないのではないかという、胡散臭さ、十蘭の言うところの、「観念の細工物」的な感覚を受け取ってしまうのである。

さらに日記には続きがある。

 

  「趣味」というものの過剰羅列は珍なり。和洋折衷の家庭料理を下手にやったものにしてどうにもな

  らぬなり。実力と自信の混同は真に恐るべきものある。感受性というもそれは過敏というものなる如

  し。


おそらく、これは作者岡本かの子に宛てた言葉だろう。「観念の細工物はいい加減にせねば人を立腹させるに足る」という先ほどの文句を踏まえれば、「過剰羅列」の意味はわかる。では「趣味」とは何か。思うに、これはプロという意味の「仕事」に対して使われたのではないか。すると「料理」とは、作家が読者に差し出す作品のことであり、「和洋折衷の家庭料理」(ましてや「下手にやってる」)とは、”プロの料理人のとしてお客(読者)に差し出すような料理”には到底及ばないものである。そして、わざわざ、「和洋折衷」と手の込んだ(気取った?)料理を作るところに、「実力と自信の混同」を読んでいるのではあるまいか…。いずれにせよ、ここでは痛烈に「河明り」を批判しているように思えてならない。

 

ところで、文壇での「河明り」の位置づけはどうのようなものだろう。石川淳や天沢退二郎は、「河明り」を"すぐれた作品”だと評価する。たとえば、石川淳は次のように述べている。


  「河明り」はあっぱれ一本立の散文の秀抜なるものである。まあ傑作を以て許すべきに近いだろう。 

  既に「河明り」は傑作だということにきめてしまったのだから、おまけにそれが類まれなる女人の仕事

  なのだから、わたしは批評などという貧乏くさい、眼のかすむような賃仕事の真似はしてはいられな

  い。何か書くとすれば、のっけから、めちゃくちゃに褒め上げてしまうほかはない。すなわち、もう何も

  書かなくてもよいということである。(石川淳)


石川にこんなことを書かれたら、「批評家たちはもう何も書けなくなってしまった」とは天沢の言葉で、それほど(批評を書く意味がないほど)、「河明り」が傑作であることは、疑いないということになっている。

『従軍日記』から。

九月六日の日記に、谷崎「初昔」の感想が書かれている。「初昔」は、結末部、谷崎の三人目の妻松女の妊娠・中絶をヤマ場としながら、自らの老いへの意識が、まさに老人が語るようくどくどと綴られていく随筆文である。たとえば、前半部、後妻をもらうべきかどうか悩みつつも、物静かな独身生活に未練が残る老人はこのように記す。


  正直のところ、自分はもう老いたのだ、花に心を惹かれて高い峰に攀じ登るのは若い人達のすること 

  だ、それよりは、たまたま休息したこの土地に草鞋を脱ぎ、風の当たらない山蔭を幸いに草庵を結ん

  で、つつましく、安穏に、自分も人の邪魔をしない代りには人にも邪魔をされないで一生を送ったらど 

  んなものか、結局その方が風邪も引かず、怪我過ちもなくて、天寿を全うする所以かもしれない・・・・


すでに「多くの人生を見、多くの夢と涙とを経験した後」である語り手は、老後の楽しみとばかりに、ああしたいこうしたいと夢を語る。身体のことをことさら気にし、何気ないことに心を動かされては涙をこぼす。その語りは、読み進むほど馴染み、味わいを増してくる。



 (一九四三年)九月六日(月)晴。ハロン(アンボン島)


  朝食にジン少々飲み、朝食后すぐ部屋へ引退り潤一郎の「初昔」を読む。恐ろしくくどい文章で老の 

  繰言といった風のものである。しかし、それがどうのこうのというのではない。そういう巻かえしの中

  に凡手の到底及ぶべからざるひらめきのようなものがあり、ハッとする、また、そのくどさというもの

  もいわば修辞の工夫なのではなかろうかとさえ考えさせられることが屢々である。うるさいと思いつ 

  つ、どうすることも出来ぬもどかしさの美しさといったようなものを感じる。西洋ならばこういう老后の

  繰言はconfessionのようになるのが常であるが、未だいかにも俗であり、妙に澄み切らぬところに

  なんともいえぬ深さというもの味わわれる。思うことしたことが自然に思うままに云えるというのは並

  々ならぬ練磨(精神)の末のことだという事実だけはおれにも朧気にわかるようである。


  ……四時すぎ「初昔」読了。文章の姿勢ということをいろいろと考える。身なりを崩さぬという構えに

  はいろいろあろうが、上布の単衣に角帯で素足で坐って庭を見ているような姿もそう悪いものでな

  いなと思う。形式のないところ本当のラフィネス(洗練?)がないということは、いくど考え直しても本

  当のようである。(久生『従軍日記』講談社)



注目すべきは、後半部、「文章の姿勢」に関する十蘭の見方だろう。ここで、『初音』の「老の繰言」体は、「上布の単衣に角帯で素足で坐って庭を見ているような姿」とされる。言わば、形式ばった形式(身なりを崩さぬ構え)を持たない”形式”(寛いだ構え)といったところだろう。そして、形式とはこの場合、文体と読んで差し支えあるまい。「多くの人生を見、多くの夢と涙とを経験」した谷崎の老人から繰り出される言葉は、ヨーロッパにおけるconfessionのそれとは異なり、確固とした、いや、あえて言えば、”緩やかな文体”とでもいうものを作り出している。十蘭の、形式=文体に対する貴重な?見解としておさえておきたい。

○残酷性

この手腕は、また人間の執念を描きつくそうとしていう残酷さを伴つている。……「無月物語」など、その代表と言つてもいいであろう。残忍な空想をほしいままにすることで、人間の獣性の極限を物語ろうとしたのだ。

○十蘭の小説の特色(母子像・姦・西林図・春雪・無月物語・鈴木主水・湖畔)

・旧家の宿命(背後に漂う暗く重い家系)を描いている。(主人公たちは「よどんだ血の産物」である。)

・人間の化け物性を形成する、深い執念を描いている。しかし、その執念は「満たされることはない」。どんな人間でも満たされない執念のまま死ぬ。

→旧家はこうした執念の巣であり、このことが、人間に幽霊を、小説に劇を、内在させる根拠(要素)である。

要するに、作品はすべて、「何らかの意味でとげられない執念からくる情熱の異常を描いている」と言える。

  

愛と名づけてもいいし、恨みと言ってもいい。すべては不如意のいのちの嘆きであり、久生氏は一生この種の嘆きに耳を傾け、歴史と現実の中から、そういう声に形を与えようとした。これが氏の作品の示す最大の特徴であり、理解され難かつた理由もここにある。

・極限状態の設定(頽廃の極限)

→個人ではどうにもならない生という物語設定、その渦中で登場人物は死に向かっていく。

○作家と制作

「作品」とは、氏にとって自虐の一形式であつたかもしれない。

作家として久生氏は、むろんこれらの作品に満足してなかつただろう。人間に内在する異形性、怪奇なるものに眼を据えて、氏はさらにその奥に立ち向かつて行きたかつたにちがいない。作中の人物の持つ執念は、逆に作者たる氏に乗り移つて苦しめ、作者としての執念をそそのかし深めたであろう。不如意のいのちの嘆きに、耳を傾け、それをどこまでも描かずにはいられなかつたところに、氏の宿命があつたのではなかろうか。

十蘭の作品における、男小説/女(少女)小説という区分けは多々指摘されてきた。

男小説は、ダンディズム、残酷性などという言葉が付きまとい、女小説はユーモラス、饒舌という見方は多く正しいだろう。男小説ばかりを書いていると、精神のバランスが保てないので、「キャラコさん」「だいこん」に代表されるような(「我が家の楽園」なども・・・)女性を主人公にした作品を書いたという論者もいるが、それはともかく、十蘭がこのような相反するスタイルを使い分けていることは、やはり注目に値する。

まずは、男小説から残酷性・・・

十蘭の残酷性を考える上で役立ちそうな、資料。

・橋本治編『日本幻想文学集成12 久生十蘭』国書刊行会


見せかけのむごたらしさに眩まされるやうなこともなく、客観的な残虐さに酔ひ痴れるやうなこともない。あくまでも実際的で、受刑者の感受性を土台にして周到に計算され、相手の苦痛を想像力で補つたり割引したりするやうな幼稚な誤りををかさないのみならず、単純ないくつかのマニエールに独創的な組合せをあたへることによつて、誰も想像もし得なかつた測り知れぬ残酷の効果をひきだすのである。(『新西遊記』)


受刑者を読者とすれば、それはそのまま、久生十蘭の小説作法になる、と橋本は言う。

また、十蘭と同郷の(家も目と鼻の先)亀井勝一郎も、角川文庫版『母子像・鈴木主水』の解説で、十蘭という作家の残酷性、登場人物の怪物性について、書いている。以下、その要点を引用してみる。


久生十蘭氏は、人間の異形性(或は化けもの性と言つてもよい)を摘出し、それに形を与えるという点で、独自の手腕を示した作家であつた。


人間とは何かと問うたとき、久生氏の眼に映つたのは、人間の奥ふかくひそんでいる異常情熱であり、それがもたらす突飛な行為であり、人間とは要するに一種の化けものではないかという回答であつたように思われる。云わば、怪奇と異常への幻想詩、これが久生氏の特徴と言つていいのではなかろうか。


たとえば「無月物語」「湖畔」などに、それが典型的にあらわれている。むろん異常性格というだけでは足りない。久生氏が人間研究の結果として発見した人間性の、或る面の強調、つまり、デフォーメーション(変形作用)の独自性だ。「無月物語」「湖畔」の双方の主人公のもつ一種の残忍性、極端な暴君ぶり、これは現実にはありえないことかもしれない。しかし作者は、人間は或る条件のもとでは、どんな異常状態におちいるか、人間に内在する奇怪な血の躍動に強い好奇心をいだき、それをはつきりとり出すことによつて造型化しようとした。

・・・②につづく





 久生十蘭を知るなら、都筑道夫は中井英夫と並んで、よきナビゲーターとなるだろう。作家として、都筑や中井ほど十蘭を愛した者は、現在もいないと思われ、この二人の優れた書き手の眼から、小説家久生十蘭を見ることは無駄にはならない。

 たとえば、都筑が度々指摘する、十蘭の人称代名詞を用いない一人称小説、という技法。私、僕、俺などの人称代名詞なしに一人称小説を書くことによって、「語り手が透明になり」「読者との距離がせばまり、臨場感が増す」のだという。具体的な作品を挙げれば、電話での女のモノローグから、男と複数の女の関係を描写してみせる「姦」、謎の語り手によって主人公が体験する幻想譚が進められていく「予言」(もっとも澁澤龍彦によれば、「予言」の最後の一文に”われわれ”という一人称複数の代名詞が用いられているとの指摘があり、十蘭は計算して最後に登場させたのであるという)、などがある。

 都筑は、十蘭以外にこの技法を使っているものとして、大坪砂男の「天狗」と、明示はしていないが、ロブ・グリエの作品を挙げる。都筑は二十歳のときに大坪に弟子入りを志願し、大坪その人は、佐藤春夫についていた。

 「天狗」はと言えば、素性のわからない、さながら狂人のように自らの一貫した論理を持った男が語り手で、とある旅館で出逢った喬子という女を、客観的に見れば、女に自分が侮辱されたというただそれだけのために(しかもその発端は、女の入っていた便所のドアを男が開けてしまったことから始まる)、殺そうとする話である。かなりの論理の飛躍、狂人的な、はたまた天才的なそれに読者はついていかなければならず、その際、導入されたのが、先の「人称代名詞を使わない一人称小説」という形式である。読者との距離を限りなくせばめることで、読み手は大した労もなく狂人(天才)の論理についていくことが可能になる。一編を読み終えて、その冒頭に戻れば、あの日以来、語り手に喬子への強迫観念が付きまとっていることが容易に確認できる。


 「黄昏の町はずれで行き逢う女は喬子に違いない」


冒頭第一文からすでにして、尋常ではない。語り手にとって、スカーフや風呂敷で顔を隠している女は全て、喬子である。


 「そうだ、黄昏の女―巾を被ってわざと見向きもしないで、足早に通る女はどれもこれも喬子の変装に相違な 

  い。背が高いのも低いのも。肥ったのも痩せたのも!」


技巧と文体に徹底的にこだわり続け、仕舞には、小説すら書けなくなった大坪砂男。都筑によれば、晩年はプロットを売って生活していたようだが、そんな大坪が、久生十蘭を推賞していたというのは大変興味深い。大坪が嵌ってしまった深みから、十蘭は少し抜けていたような気がする。

 

 

○国書刊行会のHPより

http://www.kokusho.co.jp/series/hisaojuranzenshu.html


一冊9500円+税!らしいです。ちゃんと九月に発売される模様。

しかーし、三ヶ月に一冊らしい。全十一巻・・・


これから三年間は少なくとも幸せに暮らせそうだ。



先週一週間は「ハムレット」関係の資料にあたっていた。

もう少ししたら何かわかりそうではある。



久生十蘭 「泡沫の記 ルウトビヒ二世と人工楽園」『三一書房全集Ⅲ』


 森鴎外が同題「うたかたの記」を既に書いている。精神を病んだいわゆる「狂王ルートヴィッヒ二世」と侍医グッデンの最期に、美術学校の留学生巨勢と、過去に母親がルートヴィッヒによって襲われているマリィを登場させ、物語を編んでいる。湖上にマリィを見つけた王は、「マリィ」と叫びながらグッデンの制止を振り切り湖に走り出す。少女(マリィ)は母親と実に瓜二つであった。ボートの上でその様子を目の当たりにした少女は卒倒し、湖に墜ち溺死する。王もグッデンも互いの揉み合いの末、溺死してしまうのだった。

 十蘭の作品の方はルートヴィッヒの死にこだわっている。もっと言えば、「狂王ルートヴィッヒ」をどうにか救い出そうとしている。王はその死までの十年間、ある病と闘っていた。


 「この十年の間、王は皮膚と神経に撰択的に病気を起す、増殖性炎衝に悩んでいたと思われるふしがあるが、 

  ローダノムというものが、人のように、内的世界のあらゆる苦痛にたいする万能薬、ファルマコン・ネペンチース 

 (鎮静治療霊薬)なのなら、王は、残酷な神経の痛みと、救い難い悲惨な境遇を忘れるために、ローダノムの本 

  質にしたがって、最も適切な使用法に服していたというべくなのである。」


 ローダノムとは阿片丁幾(アヘンチンキ)のことであり、王はそれを毎夜1000滴飲み続けたのだという。国王の病状に触れている鴎外の日記を冒頭に置き、続く内容では王の退位を願う高官たちが王の命で逮捕させられている、という話を差し挟む。王は自殺であり、侍医グッデンはあえて湖に入っていく王の後姿を見送った。高名な博士たちによって、王は無理矢理精神錯乱に作り上げられてしまったのではないか。

 副題に見える「人工楽園」とは、王が建てた城のことである。王は城に篭ってローダノムを飲み続けながら、カントやフィヒテ、シェリングを耽読したそうだ。「エジプトの王、エラスムス三世は癩病を患っており、周期的に結節ができると痛みを忘れるため、灌漑工事を始めるのが慣例であったのだという。結節の周期が三度であったので、自然、三度の灌漑工事が行われた。この話はなんら関係はないが・・・」といいながら十蘭は、ルートヴィッヒ二世は自殺直前、三つ目となる城を造営することになっていたことに触れている。

 ルートヴィッヒ二世といえば、「狂王」という印象があまりにも強い。(鴎外がその作品中、王に限らず、何度「狂」という語を書き込んでいるか数えてみればよい。散りばめられた「狂」は全て結末部のルートヴィッヒ二世、「最大の狂気」へと収斂する)だが、事実は謎だらけであって、本当に気が狂っていたかということは正確にはわからない。十蘭はこの点にひどくこだわり、「狂王」から救いあげてみせた。その過程でどれほど、ルートヴィッヒに思いを重ね合わせたのか、無論われわれには知る由もない。ただ一つ、「泡沫の記」(1951年)が発表される五年前(1946年)、気狂いの真似をしながら十年近く生き続けた男を描いた「ハムレット」もまた同じ作者の手によるものだと思い出すことくらいはできるはずである。


  ともかく、ふしぎな王様であった。十年にわたって、苦渋の間で病気と闘っていたが、とうとう宿業に負かされ 

  てしまった。天才も独創も、ウルム湖の水に消え、泡影無常というべき、気の毒な終末になった。