心は、いつも少し先へ行ってしまう
心は、とても微細に
未来や過去に引っ張られている。
私たちは普段、
そのことにほとんど気づかない。
未来が力になるとき
目標を立てたり、
理想の未来を思い描いたりすることは、
確かに前に進む力になることもある。
「こうなりたい」
「ここに行きたい」
そのイメージが
行動の原動力になる瞬間は、確かにある。
未来が基準に変わる瞬間
でも、
その未来が原動力にならなくなったとき、
心には別のことが起き始める。
未来が
「希望」ではなく
「基準」になり、「執着」になる。
今はまだ足りない。
今はまだ到達していない。
だから、今に生きられなくなる。
「今だけ」では進めない理由
一方で、
強い目標も、明確なイメージも持たずに
「ただ今を生きよう」とすると、
別の難しさも出てくる。
選択がしにくくなる。
方向が分からなくなる。
何を基準に決めたらいいのか、迷い始める。
必要なのは、軽い方向性
ここで必要なのは、
強い未来像ではない。
軽い方向性だ。
「こうなったらいいな」
「その方向だったら心地いいな」
それは目標ではなく、
到達点でもなく、
ましてや正解でもない。
ただの方角。
未来を薄く置いておく
未来を
強く握るのではなく、
薄く置いておく感覚。
強い未来イメージがあるとき、
心は未来に“使われやすく”なる。
軽い方向性を感じているとき、
心は今に“在席したまま”でいられる。
心の主導権が戻るとき
この違いはとても静かで、
でも決定的だ。
未来に引っ張られているとき、
今の感覚は鈍くなる。
判断は重くなり、
結果が自己評価につながる。
澄んだ状態でいるということ
一方、
軽い方向性の中にいるとき、
今の感覚は澄んでいる。
やめることも、
修正することも、
自然にできる。
静かな完了とは何か
「静かな完了」とは、
未来を持たないことではない。
過去を切り捨てることでもない。
未来や過去に
心の主導権を渡さなくなること。
そして、
今ここに戻ってくること。
終わったことは、音を立てない
未来や過去に引っ張られなくなったとき、
人は止まるのではなく、
ようやく自分の速度で動き始める。
それは派手な変化ではない。
静かで、
説明もいらなくて、
でも確かに“終わっている”。
感情が残っていない。
未完だった感情が、
静かに完了する。
それが、
静かな完了。
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「あなたが自分に戻るための
心のお教室」をしています。
もし、今の言葉に
ほんの少しでも何かを感じたなら、
その感覚を大切にしてもらえたら嬉しいです。