せめて向き合う、あつい夏。特攻隊員の遺言 | mamaのブログ

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戦争を知らない人々であふれかえる
今の日本

大切なふるさとを
大切な人を守るべくして散っていかれた 多くの若き いのちの遺言

僕はもう
お母さんの顔を見られなくなるかもしれない。
お母さん良く顔を見せて下さい。
しかし 僕は
何にも「カタミ」を残したくないんです。
十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見せてお母さんを泣かせるからです。
お母さん、僕が郡山を去る日
自分の家の上空を飛びます。
それが僕の別れのあいさつです。
(遺言 昭和20年3月 母への言葉)
                         茂木利夫



(写真お借りしました。抱かれたうさぎ。みんな大切な命)



今日私が特攻隊で行かなければ、この世で一番好きだった母さんが死なれるから私が行くのです。
、、、、、お母さん 私は どんな敵だって怖くはありません。
私が一番怖いのはお母さんの涙です、、、、、
(18歳  回天特攻隊員の遺言)

彼らが
守りたかった大切な人の命


二人で力を合わせて努めきたが 終に実を結ばずに終わった。
智恵子会いたい、話したい無性に

今後は明るく朗らかに。
自分も負けずに朗らかに笑って往く。
会いたい無性に
                    穴沢利夫大尉




最後の便り致します。
本日出発致します。
必ず大戦果を挙げます。
桜咲く九段(靖国神社)で会う日を待って居ります。
どうぞ御身体を大切に。
弟たち、隣組の皆様にも宜敷く
さようなら
           17歳  陸軍伍長 荒木幸雄

守りたかった日本国



戦地に戦火に原爆に、戦争を知らない私たち。

彼らを死に追いやった戦争は憎いのです。

今年も戦争に向き合う
あつい夏