明けましておめでとうございます。
2019年も明け、久方ぶりに静かなお正月を迎えています。
昨年は私の身辺は稀に見る変化の年でした。そして数多くの決断を迫られることもあり、現実の動きと自分の体内速度を揃えることに必死で過ごした1年でした。
今ではこの経験も私にとって必要であり、多分必然だったのだと受け止めています。
今年は中心を今度は自分に持って来ることにしようと思っています。
元旦は年賀状書きをしました。
我が家の年賀状デザインは毎年「和」をテーマにすることが多いです。お正月は日本の伝統や文化を表現したい。そう考えているからです。
今日はその日本の伝統的な色が海外の色に比べて一見地味で煌びやかではないけれど、そんな色ほど高価な存在である色として扱われている理由についてお話ししたいと思います。
ご存知のように日本では、過去に身分によっては使えない色=禁色がありましたね。
しかし決して派手な印象はありませんし、目立つ色でもありません。
日本の伝統色として、個人的にも馴染みのある色は渋く、濃くがあり、奥深く感じる複雑な色が多いのです。
最近の身近な色の傾向としては、染めの技術が進んだこともあり、染料も人工的、化学的になって来ました。
私が教えに行っている大学や専門学校の生徒たちも、作品を作らせると、彩度の高めな明るく透明感のあるハッキリしてスッキリした色を好んで使います。
くすんだ複雑な色は馴染みが薄いと言うことかもしれません。むしろ燻んだ中間色的な色は嫌いな色として取り上げられます。
その昔日本は植物や鉱物を染料として使い、その染料を掛け合わせ、色を出していきますから、なかなか骨の折れる工程を踏まないとなりません。その為には、使う植物の量も必要で、時間もかかり、高度な技術を要しました。
と言うことは必然的に大変高価なものになります。
燻んだ緑系の灰色である麹塵(きくじん)も天皇の袍の色である黄櫨染も植物を複雑に重ねて染める手法で出来ています。
実はこれらの色も大変技術を伴い、色出しが大変だったのでしよう。
西洋で言うロイヤル○○とかと言う色はとても純色的な色が多い中、その色に慣れている方々にとって、日本の深みのある複雑な和の色はインパクトには欠けるのかもしれませんね。
これらの色を生み出す為の混色技術、希少価値のある植物、その必要な量、費やす時間、などなど想像に絶するものがあります。ですからその手法を持ってするとなるほどと納得感があります。味わい深い中間色も違った目で評価の対象となるのではないでしょうか!
日本人は昔、その色を生み出す工程、方法、技術を理解している人こそ、そのクオリティーをひそかに意気に感じ取りながら身に付ける事でご自身の内面の気品や自身を保っていたのかもしれません。
個人的な見解として、中間色は大変趣があり、日本の複雑な詫び、寂び文化を賛美し、尊敬の念を抱くことができる色だと思っています。
以下ここ3年の我が家の年賀状です。




