とあるブログ(チィの部屋 )で大根の写真が出ていて、思い出した。
(2008.1.11追記)
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学生の時に、京都の千本中立売(二条城の近く)五番町にあった千中(せんなか)ミュージックというストリップ劇場があった。
このストリップ劇場は、今はもう無い。
この地一帯は、作家 水上勉 の「金閣寺」や「五番町夕霧楼(ごばんちょうゆうぎりろう)」で有名な 京都の赤線地帯だった。
(これは五番町ではなく五条楽園に残る遊郭跡、こんな感じの楼があったのだろうか)
京都は平安京以来、秀吉の時代までこの辺りは荒れたままで田んぼや空き地だらけだったそうだ。
しかし、江戸時代に北野天満宮に通う参拝客を目的に、このあたりにお茶屋が出来、次第に楼閣になった。
明治になっても、規制の対象になりつつも盛んになり、戦後の赤線廃止まで続いた。
火事で焼けたと聞くが詳しくは調べてない。
後日「五番町夕霧楼」の映画について書く時までに調べておきます。
京都で「五番町」とか「番町」といえば、このあたりのことを指します。
さて、本題の千中ミュージック。
とある日、友人と寄った時に、二人目の踊り子さんが出てきた。
横にスマートな踊り子さんで何故か手に大根を持っていた。
「なんや、えらい太ったおばはんが出てきたで・・・」
と、友人と話しながら興ざめして見ていた。
おばさんは愛想が良く、観客からは人気があった。
そして、一人で音楽に合わせて踊りだした。
ネグリジェのような薄い服を脱いで行き、終いにお腹が良く出たスッポンポンになった。
片手には、綺麗に洗われた大根が握られている。
我々は彼女が何をするのかわからずにポカンと見ていた。
おばさんは大根を逆手に待ち換えて、踊りながら大根を持った右手を上へ高く掲げた。
そして踊りに合わせてにじり寄る様に、腰を沈めてすり足で少しづつ大きく股を開き始めた。
右手に高く掲げられた大根はだんだんと下がってゆき、おばさんの股の間に近づけられてきた。
私は、思わず生唾を飲んで、その大根を凝視した。
私の顔はもはや石膏のように動かない。
その大根は音楽にあわせて、ゆっくりと彼女の局部へと埋もれて行った。
そして、なんと、おばさんは大根を持った手を離してしまった。
大根は局部にしっかりと挟まれて、股の間にしっかりとぶら下がっていた。
観客からは
「お~~~っ」
という声と共に拍手が起こった。
私も同じで、目は完全に
(・・;)
になっていた。
こんなことが世の中にあるのだろうか・・・・・・
驚いていると、さらに驚くべきことが起こった。
おばさんは、若い我々の方に顔を向けて余裕でニヤッと微笑んだ。
私は生唾を飲んだと同時に、背筋がゾクッとしたことを覚えている。
おばさんはゆっくりと腰を大きく前後に揺らしだした。
大根はしっかりとはさまったまま腰に合わせて前後に揺れだした。
そして・・、
「ほえいやぁ~~~~~」
っという掛け声と共に、その大根は正確に私たちの座っている席に飛んできた。
その時の勝ち誇った踊り子さんの顔を、いまでも忘れない。
大根は、記念に持って帰れといわれたが、恥ずかしくてとなりのタクシーのおじさんにあげた。
・・・・女は・・怖い!・・・。